『アイアン・ジャイアント』

監督:原案ブラッド・バード
原作:テッド・ヒューズ

ロックウェルという小さな街で母親と二人暮しの少年ホーガスは、どこから来たのか、一体何者なのかもわからない鋼鉄の巨人を見つけ、初めこそは怯えていたが、彼の従順さとやさしさに気付き彼と仲良くなる。しかし政府の役人ケント・マンズリーはその鋼鉄のロボットの噂を聞きつけ、この国を滅ぼす悪のロボットだと決め付け、見つけ出し破壊することしか考えていなかった。そしてホーガスはくず鉄屋兼芸術家のディーンと共に彼(アイアン・ジャイアント)を守ろうとするのだが・・・
非常に懐かしい感じのする映画でした。ファーストシーンの嵐の海を観てまず思い出したのが、小学校の頃学校の講堂で観た『空飛ぶ幽霊船』(確かこんなタイトルだったと思う)。絵が似てるんですよね。そしてストーリーも子供の頃に感動したやさしい感じでした。が・・・素直に感動出来ない自分がいるんですよねぇ。なぜ、素直に感動できなかったのか? σ(^-^)がすっかりすれてしまっているから・・・ってのもなきにしもあらずですが、まず吹き替えで観たのがいけなかった。どうも主役の男の子のしゃべり・・・セリフというべきか・・・が、こまっしゃくれてて生理的に合わなかった。それと悪役的存在のケント・マンズリーがどこまでも悪いやつすぎた感があるんですよ。この手のアニメ作品では出来れば悪役的存在のキャラでも妙に憎めない、本当はいい奴なんじゃない。っていうのがσ(^-^)的には欲しいんですよね。

2000年4月23日(ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田)

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『哀愁』WATERLOO BRIDGE(1940年・米)

監督:マーヴィン・ルロイ
出演:ヴィヴィアン・リー。ロバート・テイラー。

空襲下のロンドン。偶然に出会った青年将校ロイとバレエダンサーのマイラはお互いに一目で恋に落ちる。しかし翌日には戦地に赴くロイ。つかの間の恋と諦めていたマイラの元に翌日戦地に赴いたはずのロイが休暇が2日延びたと現れ、結婚を申し込む。翌日には結婚をするのだと喜ぶマイラの元にかかってくる一本の電話。あと25分で戦地に旅立つというロイからの電話だった。バレエの公演を放って駅にかけつけるマイラだが、ロイと話をすることも出来ず走り去る列車に乗るロイに手を振るだけしか出来ず、バレエの公演に穴をあけたマイラはバレエ団を解雇される。新しい仕事もなかなかみつからず苦しい生活だが、ロイへの思いに希望を託しなんとか生活しているマイラの元へロイの母親がやってくるという連絡が入り、待ち合わせの店で彼女が目にしたのはロイの戦死記事だった。
ハリウッドの不朽の名作ですが、実は今まで一度も観た事なかったんですよね。悲しいラブ・ストーリーだということは知っていたのですが、本当に儚く悲しい・・・そして美しいラブ・ストーリーです。でも、この映画を観て一番驚いたのはマイラがロイに渡すおまもりの小さなマスコット。なんとビリケンさんじゃないですか!?そんなの今まで知らなかったの?って言われそうですが、全く知りませんでした。いやぁ、なんだか感動してしまった。(笑)おっと・・・映画の感想の本題からすっかりはずれたところで感動してどうする?ま、こういう往年の名作で感想どうこうってこともないですよね。モノクロなんだけど映像が美しいと思わせるのが不思議です。キャンドルライト・クラブでのラストダンスの「ほたるの光」はすごくおしゃれだし、思い出の曲だと言ってロイが自分の家のパーティーでかけさせて二人で踊る「ほたるの光」も思い出とさよならをだぶらせててすごく胸にじ〜んときました。昔の映画ってホント演出がいいですよね。

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『哀愁のロシア』(1953年・米)

監督:デルマー・デーヴス
出演:クラーク・ゲーブル。ジーン・ティアニー。

ロシア駐在の米国人記者フィリップはロシア人のバレリーナのマリアと恋に落ち、二人は結婚をするが、第2次世界大戦が終結し、おりしも米ソ冷戦へと入ろうとしている時期、フィリップが書いた記事がソ連から非難され、彼はアメリカへ強制送還され、引き離される二人。マリアの出国ビザはいくら待っても交付されることはなく、マリアがいなければ生きていても仕方がないとフィリップはヨットを購入し、イギリス海峡からロシアの海沿いの町タリンへ向かい彼女を亡命させるという決死の計画を立てる。
クラーク・ゲーブルの語りから映画は始まり、マリアと恋に落ち結婚するまでを見事に短縮した作りとなってます。こういう縮め方もあるのね(笑)。今じゃこういう脚本ってきっと採用されないだろうなぁ。いいなぁ、こういうとにかくクラーク・ゲーブルが出てるんだからいいんだ!って感じの映画。おまけにロシア人たちがウォッカで乾杯するシーンでは戦車を作った誰々に!飛行機を発明した誰々に!ポテトを・・・って全部ロシア人の名前なんだよね。ここまでロシア人をこけにしていいのか?ま、きっとそういう時代だったんでしょうねぇ。前半クラーク・ゲーブルの語りで誤魔化しただけあって、後半はちょっと力入ってました。ラストはやはりちょっとあっけなかったですけど、とにかくこの映画も「え〜い!クラーク・ゲーブル主演だぜぇ!」って映画ですね(笑)。

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『アイズ ワイド シャット』EYES WIDE SHUT(1999年・米)

監督:スタンリー・キューブリック
出演:トム・クルーズ。ニコール・キッドマン。

医師のビルは妻アリスとお互いに愛しい、ごく普通に裕福な生活を送っていたが、ある日アリスが男と女の性欲についての話を持ち出し、愛する妻がいるのに不貞なんか犯さないと言い切るビルに、二人で出掛けた旅先で見かけた下士官に惹かれ性的欲望を持ったことがあると告白する。そしてそのことがビルの心に焼きつき、抱き合う妻アリスと下士官の妄想に囚われ、自らも性的要求の赴くままにに流れようとするのだが・・・
だめだぁ!わっかんねぇ!全然わかんない。(^^;) ドロドロとしたものを期待して観たせいだろうか? なんとも妙にきれいに終わっちゃったって感じでした。一体この映画で何を観たらいいんだろ?何を感じたらいいんだろ?思わぬ妻の告白にうろたえて、一体何がしたいんだかわからないビルの心理的葛藤? やっぱりσ(^-^)にはどう考えても、この手の禅問答のような映画はわからないです。(苦笑)

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『アタック・ナンバーハーフ』(2000年・タイ)

監督:ヨンヨット・トンコントーン
主演:チャイチャーン・ニムプーンサワット。サハーパープ・ウィラーカーミン。ジェッダーポーン・ポンディー。

ランパーン県代表チームの新監督はなんとおなべ。そしてその監督が新たにメンバーを募集して選抜チームを作ると言い出し、その募集にやってきたのはおかまのモンとジュン。おかまであることなんか関係なしの実力で彼ら?(彼女?)をメンバーに入れた監督だが、二人が入ったことでバレーボールに情熱を燃やすチャイだけが残りあとのメンバーは辞めていってしまう。3人でバレーボールが出来るわけなどなく、そこでモンとジュンの二人がメンバーを集めたが、彼らの友達=ノンケ。であるはずもなく、6人中5人がおかまという前代未聞のバレーボールチームが出来上がる。そして彼らは見事地区大会を征し、全国大会にまで出場することになる・・・。1996年にタイであった実話を元にしてつくられたお話です。
事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、こんな実話もあるんですよねぇ。これ実話だから素直に大笑いしながら観ること出来たけど、作り話だったらこうはいかなかったかも・・・という素材ですね。なんと言っても出来すぎたお話ですから(笑)。でも、実際あんなチャラチャラしてて勝てるのかねぇ・・・などと思ってみていたのですが、最後に実物の映像があって、本物のアタックはすごい。やはり試合のシーンはもっとビシバシッと撮って欲しかったな。あまり欲を言っても仕方ない。とにかく元気の出る映画ではあると思います。唯一ノンケのチャイ役の彼、若かりし頃の田中健に似ているな、なんて思いながらリラックスしながら観れる作品でした。あ、余談ですがこの監督の名前を最初みたときトントコトーンと読んじゃった。そんな読み間違いするのって私だけ?

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『あなただけ今晩は』IRMA LA DOUCE(1963年・米)

監督:ビリー・ワイルダー
出演:ジャック・レモン。シャーリー・マクレーン。

娼婦達が客引きのために並ぶパリの裏通り「カサノバ通り」。法律で禁止はされているものの、警察もお互い様と裏と表で成り立っている界隈。ここに配属したてのクソ真面目な警官ネスターが見回りにやってきて突如ガサ入れを決行。ところがその客の中に警察部長がいたから大変。あっさりとクビになってしまう。落ち込むネスターだが、偶然にもガサ入れの時に出会った娼婦イルマと出会い、彼女に惹かれイルマのヒモになることに・・・。しかし根が真面目なネスターはヒモ生活にどうも馴染めない。しかもしっかり彼女に惚れこんでしまっているものだから、彼女が客をとることさえも許せない。そこで彼は彼女に内緒で昼間必死に働き、そのお金をイギリスの老紳士X卿になりすまし週に一度彼女に渡すという策を講じたのだが・・・・。
なんともお茶目なロマンティック・コメディ。シャーリー・マクレーン演じるイルマが本当に「かわいいイルマ」と呼ばれるだけあってかわいいです。ジャック・レモンもこういう人のいい真面目でお茶目な役がぴったりですね。コメディなんだけど、ドタバタしてなくて軽妙でテンポがよくって、ちょっとシュールで・・・。さすがビリー・ワイルダー。やっぱσ(^-^)この人の作品大好きだな。ネスターが昼間こっそり働きに行くためにイルマの飼ってるワンちゃんをシャンパンで酔わしちゃうんだけど、そのあとすっかりアル中になってしまったってのはかわいそうだけどね。でもその描写でああ、毎日犬酔わせて寝かせてから働きに行ってたのね。ってのがわかるという作りがおしゃれだ。こういう軽くてセンスのいいコメディって最近すっかりなくなっちゃったのがなんだか残念だなぁ。もうこういう映画は流行らないのかなぁ。ネスターがX卿になりすまし、戦争体験を話すシーンで「クリミア戦争」にも従軍したってのには爆笑しました。好きだなぁこういう流してしまいそうなところにもポコって笑いの場所持ってくるの。

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『アナライズ・ミー』(1999年・米)

監督・脚本:ハロルド・ライミス
出演:ロバート・デ・ニーロ。ビリー・クリスタル。

精神分析医のベンはある日マフィアの車におかましてしまったことで、名刺を渡したことから、マフィアのボス、ポールの来訪を受けることになる。しかもそのボスは精神的な病気にかかっており、それをベンに治療しろという。ところが相手はマフィアのボス、治療と言ったって一筋縄で行く訳もなく、このボスに散々振り回される分析医ベンと、ライバル組織から命を狙われているのだけれど、精神的に不安定になってしまっているために、泣いたり怒ったり、自分の思うにまかせない状態をとにかくベンになんとかしてもらおうと妙にベンになつくボスとの奇妙な友情をコミカルに描いた作品です。
メリルリンチのCMに涙するデ・ニーロがいいです。あまり深く考えないで、流して楽しむにはいい作品じゃないでしょうか。でも、このボス役がデ・ニーロじゃなかったらσ(^-^)はこの作品観てませんでしたね。もしかしたらデ・ニーロだからこそ最後まで観れたのかもしれません。(^^;)

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『アパートの鍵貸します』THE APARTMENT(1960年・米)

脚本・監督:ビリー・ワイルダー
出演:ジャック・レモン。シャーリー・マクレーン。フレッド・マクマレー。

保険会社に勤めるバクスターは自分の出世のために4人の上司とある契約をしている。それは上司たちの情事のために自分のアパートを提供するというもの。隣家に住む医者にバクスター自身がとっかえひっかえ毎日のように女を連れこんでいると誤解されようが、出世のためと割り切っていた。そんな彼が密かに思いを寄せるのはエレベーターガールのフラン。ところがクリスマスの日彼女が人事部長の恋人だということがわかり、すっかり落ち込むバクスター。1人で自棄酒を飲みバーで知り合った女性を酔った勢いでアパートへ連れて帰るが、なんと部屋には睡眠薬自殺を図ったフランがいた。隣家の医者の助けで何とか一命を取り留めたフランが回復するまで懸命に看病したバクスターは、離婚が出来ない人事部長に代わり自分がフランを幸せにすると決心し、人事部長の部屋へ乗り込むが・・・
この映画もσ(^-^)昔から大好きなんですよね。出世のために上司にへつらわなければならないサラリーマンの悲哀もにじみ出ているし、フランに思いを寄せるバクスターのフランに対する行動がすべて押し着せがましくなくって本当に優しいんですよね。そしてこの映画を観てつくづく思うのが、この脚本家であり監督であるビリー・ワイルダーって人結構女性にもてたんじゃないかなぁってこと。人事部長とフランのクリスマスプレゼントの交換のシーンで特にそれを感じたんですよね。フランが人事部長に送るプレゼントはいつもいく店のピアニストのレコード。彼女の中では二人の貴重な思い出の店でそのレコードは二人にしか通じないものも含んでいるただのレコードではないという思いが彼女にはあるからこそそれをプレゼントしているのにそれをもらった人事部長のつれない態度。おまけに自分はプレゼントを買う時間がなかったからと100ドルを渡すなんて・・・。そういうシュチュエーションがあっての彼女の自殺行為。これは女心の機微をわかっているからこそ描けるものじゃないかと思います。ここまで女心をうまく捉えるんですからきっと女性にはもてたはずですよ(笑)。そしてもうひとつこの映画の面白いところは出てくる小道具がすべてあとのシーンにうまく絡んでいること。これはもう本当にうまい!

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『アメリカン・ビューティー』AMERICAN BEAUTY(1999年・米)

監督:サム・メンデス
出演:ケビン・スペイシー。アネット・ベニング。

主人公のレスターはごくごく普通のサラリーマン。不動産ブローカーでおしゃれな家具、庭、かっこいい仕事と自分の理想をすべて自分の生活に取り入れようとする妻と、父親にも母親にも不満を持っている小生意気な高校生の娘との生活に言い知れぬ不満を覚えながらも平凡な生活を送っていたが、ある日娘の友人アンジェラをひとめ見て彼女に恋をしてしまう。その時から平凡なサラリーマンだったレスターの生活が変わっていく。
いやぁ、面白かった。家庭の危機を描いているといえばそうなのかもしれないけど、まず説教臭くないのがいい。登場人物のそれぞれの生き方に反感を覚えなかったのがいい。私だけなのかもしれないけど、それぞれに自分に通じる部分があったんですよねぇ。成功に憧れる。我慢しながら生きたくはない。秩序を重んじようとする。自分の理想と違う現実にいらつく。・・・などなど。(笑) まだまだ中身について書こうとすると今までにない長い感想になってしまうのでとりあえずこのへんにしておいて・・・ただ、ケビン・スペイシーのファン。あるいは彼って結構いいよねぇ。と思っているあなた! ぜひとも観るべきです。この映画ほど彼の魅力の溢れている映画はないでしょう。ちょっと頼りなげな顔。ベンチプレスを持ち上げるたくましさ。若い女の子を口説くセクシーな瞳。バーガーショップのキャップをかぶったお茶目なケビン。おまけにガラス越しではありますが、彼のヌードまで見れる。こんなおいしい映画はないですよ。

2000年5月4日(アポロシネマ)

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『或る夜の出来事』IT HAPPENED ONE NIGHT(1934年・米)

監督:フランク・キャプラ
出演:クラーク・ゲーブル。クローデット・コルベール。

大富豪のわがまま娘エリーは、飛行機乗りとの結婚を父親に反対され、どうしても彼と一緒になるのだと家出をする。彼女の目的地は彼の待つニューヨーク。父の追手を避けて乗り込んだバスで知り合ったのは新聞記者のピーター。エリーの正体を見抜いたピーターはエリーに彼の待つニューヨークまで無事に送り届けてやる代わりにそのことを自分独占の記事にしたいと持ちかける。エリーのわがままお嬢様ぶりにうんざりするピーター。ピーターの強引でぶしつけな態度にむかつくエリー。なんだかんだと反発し合いながらもいつしか互いに惹かれあう二人・・・。
ラブ・コメディの原点と言われる作品であることに大きく納得してしまいました。σ(^-^)こういうノリ大好きです。クラーク・ゲーブルはどうしても『風と共に去りぬ』のイメージが強くσ(^-^)の中にあったので、まさかこんな役をしてたなんて!という驚きとまた違う彼の魅力を堪能できた喜びがありますね。彼のコミカルな演技が素敵です。特にバスを降りてヒッチハイクするシーンはもう最高です。『風と共に去りぬ』のレッド・バトラーに心奪われた方はきっと唖然とすることでしょう(笑)。そうそうなんでもこの映画の中でクラーク・ゲーブルがYシャツを脱ぐシーンでYシャツの下にはもう何も着ていなかったので、この映画が封切られた年の男性の下着の売上が減ったとか・・・。クラシック映画にはこういう逸話も付いているから余計に面白いんですよね。

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『アントニア』(1995年・オランダ/ベルギー/英)

監督・脚本:マルレーン・ゴリス
主演:ヴィレケ・ファン・アメローイ。エルス・ドッターマンス。フェールレ・オファーロープ

オランダの小さな村。その村出身のアントニアは母の葬儀のため娘ダニエルを連れて何年ぶりかで帰ってきた。母の葬儀が終わってもそのまま村で暮らすことにする二人。村には戦争が終わってからは一歩も家から出ないアントニアの同級生の”哲学者”。宗教の違いから結ばれることのない”マドンナ”と”プロテスタント”。村人からバカにされている”のろま”。父や兄からこき使われあげくの果てに兄にレイプされてしまったデイデイ。いろんな人たちの暮らす小さな村での出来事をアントニア、ダニエル、ダニエルの娘テレーズ。そしてそのテレーズの娘サラの4世代に渡る長い年月の彼女たちの生き方とあわせた人間ドラマです。
アントニアが村に戻ってから最後の時を迎えるまでの年月が無理なく淡々と流れ、その中に織り込まれる数々のエピソードも全く無駄なく無理なく織り込まれてて、流れに乗せられてそのままスーッと観てしまうんだけど、よーく考えると結構強烈なメッセージなんじゃないの?って考えさせられる映画でした。娘ダニエルが旦那はいらないけど子供が欲しいと言い出し、じゃ、相手を選ばなきゃ。でも村にはいいのがいないから街に行きましょうって・・・。「おいおい・・・」と突っ込むことすら出来ないくらいに自然にあっさりと進んじゃう。好きだなぁこういうの。おまけに事のあとしっかりとタネが根付くように逆立ちまでしちゃって・・・(笑)。常識や世間体に惑わされることなくしっかりと生きる彼女たちが本当に素敵です。そして友人の突然の死にショックを受けながらも「生きることが命の定めよ」と膝をたたき立ち上がるアントニア。好きだなこのセリフ。愛と死、家族の絆、友情、ヘタすれば固くなったり、説教臭くなったりするテーマを本当にうまく優しく描いている映画でした。

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『アンドリューNDR114』BICENTENNIAL MAN(1999年・米)

監督:クリス・コロンバス
出演:ロビン・ウィリアムズ。エンベス・デイビッツ。サム・ニール。オリバー・プラット

そう遠くない未来のある日。マーティン家に父親のリチャードが購入した家事全般ロボット"NDR114"が届けられる。当初は初めて家にきたロボットにとまどっていた家族もだんだん彼に慣れはじめたとき、彼は自分がリトル・ミスと呼ぶ末娘からせっかく見せてもらった宝物のガラスの馬を壊してしまう。「アンドリューなんか大嫌い!」と悲しむリトル・ミスのために彼は流木を拾い、本を開き木彫りの馬を作り彼女にプレゼントする。その馬を見たリチャードは彼の他のロボットとは違う特性に気付き、それを伸ばしプログラムされていないことを彼に教える。やがて独自性を強めていったアンドリューはリチャード、リトル・ミス、リトル・ミスの孫娘ポーシャというマーティン家4世代に渡る友情という時間の流れの中でより人間に近づいていく。
ロボットと人間との交流。人間に少しでも近づきたいというアンドリューの心理。σ(^-^)はもっと子供向けのファンタジーのようなストーリーだと思ってましたが、全然違うんですよね。こりゃ、子供には見せられないや。前半はいいんです。ほのぼのとして非常に楽しめたのですが、後半はどうも俗っぽい感じがしてダメでしたね。人間に恋して、憧れて、人間に近づきたいという心理は面白いのですが、それがあっさり叶えられてしまうし、その人間への近づきがどうもいけません。人間のような外見はいいとして・・・食事がとれるようになるのもいいでしょう。・・・が・・・セックスはダメですよぉ。もうその時点で"NDR114"というロボットのお話じゃなくなっているような気がする。σ(^-^)としては自分がロボットである事実に苦悩しながらプラトニックな純愛を貫いて欲しかった。しかもなんだかラストは宗教臭かったしね。

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『アンナと王様』ANNA AND KING(1999年・米)

監督:アンディ・テナント
出演:ジョディ・フォスター。チョウ・ユンファ

戦争で夫を亡くしたイギリス人のアンナは息子ルイを連れてシャムの国王の皇太子の家庭教師としてシャムにやって来た。当初は絶対君主で封建的なシャムの体制になじめず、王とも敵対していたが、いつしかアンナは王様に惹かれるようになり王もまたアンナに惹かれ始める。
はっきり言ってσ(^-^)はダメだった。正直に言います。途中ビデオを早送りしました。(苦笑) 久々ですね、ビデオ見てて早送りボタン押したのは・・・取り立ててすごく悪いってことはないのですが、なんだか長くって途中飽きちゃった。『王様と私』が好きな人は観ない方がいですね。どうしても比べてしまう。勿論お金はこちらの方がずっとかかってるでしょうし、基本的はストーリーは『王様と私』と同じでも全く違ったものとして作っているのは確かにわかるのですが、σ(^-^)は『王様と私』の方が好きだ。チョウ・ユンファの王様はなんだか宅間 伸に似てるし、ジョディ・フォスターはどうもイギリス女性には見えないんですよね。どうみてもアメリカ女って感じ。ジョディ・フォスターは嫌いじゃないんですよ。でもこの役にははまってない気がします。やはり『王様と私』の影響かな。

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『アンブレイカブル』(2000年・米)

監督:M.ナイト・シャラマン
出演:ブルース・ウィリス。サミュエル・L・ジャクソン。

フィラデルフィアで起こった凄惨な列車事故。乗員、乗客131名が死亡したこの事故で唯一生存し、しかも無傷で助かった男デヴィッド・ダン。彼はただ一人助かったことで好奇の目にさらされ、唯一助かったことに苦悩する。そんな彼の元に生まれながらの難病に苦しみながらコミックの世界に傾倒しているイライジャという男が現れ、デヴィッドこそ不滅の肉体を持つヒーローだと言い出すが・・・
わざわざ謎解きの解読マニュアルなんてものまでおまけで付けてくれてるけど、そんなに大層な映画なのかなぁ?なんだか見ててバッカバカしくなっちゃったよ。しかもそのマニュアルには「この映画はぜひ、2回観ていただきたい」なんて書いてあるんだけど、2回も観たかねぇーよ。なんか作り方間違えてない?映画で謎解きなんてしたくないよ。犯人は一体誰なんだ?なんて感じの謎解きならいいんだけど、これって一体何が言いたいんだかしたいんだかわかんないよ。しかもこれで「謎」なんて言ってることがだからなんなの?ってことばかりだし・・・。 これさ、いっそのことテレビゲームにした方が面白いんじゃないかなぁ?絶対その方が面白いし、ヒット作になるかもしれないよ。

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『いつか来た道』(1998年・伊)

監督:ジャンニ・アメリオ
出演:エンリコ・ロ・ヴェルソ。フランチェスコ・ジュフリッダ。

1958年。自分は無学で肉体労働しか出来ないが、弟には学校へ行ってりっぱな職業についてもらいたいと思っているジョヴァンニは、シチリアからトリノの学校へ通う弟ピエトロに会うためにやってくる。迎えに来るはずのピエトロの姿は駅にはなく、ジョヴァンニは1人ピエトロの居候先の叔父の家に向かうが、その家ではピエトロの評判はよくなかった。しかし叔父達の言葉には耳をかさず、こんな豚小屋ではピエトロは勉強できないんだと家を飛び出し、そのままピエトロとトリノで暮らすことにする。ピエトロを学校に行かすためにどんな仕事も厭わず、ピエトロに何不自由ない暮らしをさせるために自分よりもピエトロを優先させるジョヴァンニ。そんな兄の愛を重荷に感じるピエトロ。そしてある日ジョヴァンニの前からピエトロは姿を消してしまう。1年後ピエトロは教師の試験に受かり、ジョヴァンニの元へと戻ってくる。空白の1年ピエトロは補修学校ではじめて自らの意思で勉強していたのだった。ジョヴァンニの元を離れる前と打って変わって明るく楽しそうに話すピエトロ。しかし反対にジョヴァンニは組合の委員長という地位にはなっていたものの問題を抱え、喜びの再会もつかの間、ある事件が起こってしまう。そして1964年・・・。
1958年から1964年までの7年間を6つの章に区切って話は進みます。最初必死に弟のためにと働くジョヴァンニがあまりにも健気でピエトロに対して、いくらその思いが重過ぎるからといってもそんなにだらけることないだろう?ちゃんと勉強してやれよぉ。という気持ちで見ていたのですが、だんだん「あれ?」兄ちゃんあんた本当に弟のこと思ってるの?という気持ちに変わり、最後にはきっと弟のためとか言いながら結局は自分を弟に押し付けてたんじゃないのかなぁ〜って気になりました。「あんたのため」なんていいながら結局は自分のためじゃないっていうパターンの物語はよくあるんですけど、この映画その進め方がうまい。そして細かい部分をわざとはしょっているのが余計に面白い。1962年から1964年に飛ぶところなんか秀逸です。この部分あなたはどんなストーリー入れる?なんて話で盛り上がるかもしれませんね。この空白部分がこの映画の面白さであり見終わって心に何かドーンと残させる効果を果たしているのかも。しかし・・・ただひとつ非常に不思議というか、σ(^-^)にはなんで?としか思えなかったのが、あの少しドーンと残るラストのあとのエンドロール。なぜに「恋の片道切符」がかかるの?何の関係があんの?どなたかこの件について解説できる方がいらっしゃいましたらご一報下さい。

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『インサイダー』(2000年・米)

監督:マイケル・マン
出演:アル・パチーノ。ラッセル・クロウ。

タバコ・メーカー、B&W社の研究開発部門に勤めるワイガンドはある日突然上層部との対立から解雇された。そしてある日CBSの人気報道番組“60ミニッツ”のプロデューサー、バーグマンから彼の元に届いたタバコ・メーカーの極秘ファイルの解説をして欲しいとの依頼を受ける。しかし会社の終身守秘契約に同意しているワイガンドは当初は躊躇していたが、守秘契約に違反しない範囲ならと承諾するが、マスコミと接触したことを知った会社は彼と彼の家族に圧力をかけ始める。しかし会社のあまりもの横暴さに怒りを感じたワイガントは“60ミニッツ”のインタビューを受け、法廷での宣誓証言も決意する。それは巨大な力を持つタバコ・メーカーとワイガント、バーグマン二人の男の戦いの幕開けだった。
実話ということで、なんだか力の入った映画のようだが、「たばこは百害あって一理なし」だよ。ニコチンは体によくないよ。ってことを子供の頃から知っている日本人のσ(^-^)には、あそこまで執拗にニコチンの害を隠そうとするタバコ・メーカーの意図(ま、確かにアメリカは訴訟大国で害があるんですよ。なんて一言言った日にはとんでもないことになるのでしょうが・・・)が勿論わからないですし、そんなに大変なことって意識がないので、どうもピンボケ気味に物語が進んでしまったって感じです。でも、アル・パチーノ演じるバーグマンはホントかっこよかった。ワイガントを守るために奔走するシーンはすごくよかったし面白かった。ただ、この映画に力入れて、体重まで増やして役作りしたラッセル・クロウには申し訳ないですが、何にも感じなかった。ラッセル・クロウファンの方申し訳ない。σ(^-^)も昔からずっと細くて食べても太らない体質なので痩せるよりも太る方がむずかしいだろうなぁ・・・なんて思って観ていたのですが、太る必要あったのかなぁ〜・・・なんてことを考えたりして・・・。すみません。アル・パチーノがかっこ良すぎました。(^^;) どうやら非常に不謹慎な映画の観方をしてしまったようです。

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『インビジブル』(2000年・米)

脚本:ポール・バーホーベン
主演:ケヴィン・ベーコン。エリザベス・シュー。

国防総省の極秘プロジェクトで人間の透明化を研究しているグループはゴリラの透明化と復元に成功。しかしこのグループのリーダーであるセバスチャンはこのことを国防総省へは報告せず、周囲の反対を押し切って人間での実験がまだだと自らが被験者として実験を実行する。透明化の実験は成功。透明化を利用して子供のようないたずらをするセバスチャンだったが、ゴリラで成功した復元化はセバスチャンでは成功しなかった。元に戻れないことに次第に苛立ち、凶暴化するセバスチャンに恐怖する同僚たち。そして同僚であり元彼女であるリンダが同じ同僚のマットと付き合っていることを知ったセバスチャンの怒りは頂点に達する。セバスチャンの怒りを知ったリンダとマットは自分たちのキャリアを捨てることを覚悟で国防総省へ事実を告げようと上司の元を訪れるが・・・。
おもしろい!σ(^-^)はこういうの大好きです。おバカ映画と一笑されればそれまでかもしれないですけど、娯楽映画としては最高じゃないですかねぇ。しかも昔観た透明人間と違ってすっかり技術が発達しているものだから映像もまた面白い。確かに突っ込みどころはたくさんありますよ。でも真っ当なサイエンス映画ではないんだし、文芸作品でもないんだからそんなことしちゃ、野暮ってもんですよ。こういう作品はガハハと楽しみましょうよ。透明化した人間をどう描くかってことでこの監督やスタッフが楽しんでいるんだから、観る側もとにかく楽しまなきゃ。(笑)

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『海の上のピアニスト』(1999年・米/伊)

監督・脚本:ジョゼッペ・トルナトーレ
出演:ティム・ロス。

1900年。欧米往復の豪華客船ヴァージニアン号のダンスホールのピアノの上に一人の赤ん坊が置き去りにされていた。その赤ん坊をみつけた船の石炭炊きのダニーは彼を1900(ナインティーン・ハンドレッド)と名付け船底で彼を育てることにする。やがて成長した1900は楽譜もなしに即興でピアノを弾くという才能を開花させ、生まれてから一度も船を降りたことのない伝説のピアニストとなるのだが・・・
ダメだ。σ(^-^)にはこの映画全然ダメだ。ストーリーもダメだし、音楽映画的にみたとしてもその音楽になんの感動も覚えなかった。リズムにのることすらなかった。さて、それはなぜか?彼の評判を聞きつけたジェリー・ロール・モートンが船上で彼に申し込んだピアノ対決のシーンでそれはあきらかになった。そう、1900のピアノは人々に感動を与えるピアノじゃないんですよ。彼の自己満足、テクニックのみのピアノなんです。弾き終えたピアノの弦?(なんていうのかな?)のところでたばこに火をつけたって、だからそれが何?早弾きできたからってそれは単にテクニックの問題で音楽っていうのはテクニックだけじゃないでしょう?おまけにこの対決シーン、σ(^-^)はギャグ映画かと思ってしまった。そもそも嫌いなんですよねこういうの。ほんと昔のベタなギャグ映画みたい。いっそのことコメディドラマよろしく笑い声でもいれたら?って感じ。極めつけはラスト。生まれてからずっと船を降りたことがない、だから降りるのが怖いっていう心の葛藤はわかりますよ。でも無限の世界では生きられない、終わりのあるピアノ、船が自分の生きる場所だって?ふざけんじゃないよ。生きてこそ人間じゃないの?確かにσ(^-^)の言うことはキレイ事かもしれない。生きていくにはつらい時だってあるし、生きにくいこともある。でも必死になって生きようとするドラマがσ(^-^)は好きなんです。確かにこれは映画で、生に対するそれぞれの美学があって、無限の世界じゃなくて限られた世界に生きるピアニストってお話で、これはこれでいいのかもしれない。だけどとにかくσ(^-^)は生をあきらめるドラマは大嫌いなんです。

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『英雄の条件』RURLES OF ENGAGEMENT(2000年・米)

監督:ウィリアム・フリードキン
出演:トミー・リー・ジョーンズ。サミュエル・L・ジャクソン

中東イエメンでアメリカ大使館がデモ隊に包囲され、大使一家を救出すべく海兵隊が派遣される。その海兵隊を指揮するのは歴戦の勇士として知られているチルダース大佐。デモ隊が暴徒と化した中無事大使一家を救出したが、暴徒たちの襲撃はますます激しくなり、何人かの部下たちが銃弾に倒れ、自らも負傷したチルダースは大使館前の群衆に向かって銃撃せよとの命令を下す。それにより殺害された83名の中には女、子供まで含まれ、アメリカ政府の威信を失墜さすにあまりある事件となり、チルダースは交戦規定違反により軍事裁判にかけられることとなる。群衆の中に武器を持ち発砲しているものたちがいたと主張するチルダースはベトナム戦争以来の友人ホッジスに自分の弁護を依頼する。弁護士として自信のないホッジスは当初弁護をためらっていたが、ベトナム戦争で自分の命を助けてくれたチルダースに報いるために弁護を引き受ける。しかし、群衆が武器を持っていたという証拠はどこにもない。すべてはチルダースに不利なものばかりだった。果たして彼は本当に無実なのか?
はてさて・・・この映画は一体何がいいたいんだろう?まず邦題の『英雄の条件』というのは見事に的をはずれているような気がする。原題の『RURLES OF ENGAGEMENT(交戦規定)』こちらの方が目の前で人が血まみれになって倒れ死んでいく戦場においては、きれい事だけじゃないんだ。ということが言いたいのかな?とわずかながらも納得がいく。でも果たして内容がそれを物語っているか?と言えば「どうだかなぁ」という気がしてくる。なんとも不可思議な映画だ。まずベトナムでホッジスを助けるためにチルダースは、捕虜となったベトコンの大佐に銃撃停止命令を出せ、出さないとこいつを殺すと同じく捕虜の通信兵に銃口を向ける。それでも大佐が応じないからって、いくらなんでも頭ふっとばすことはないと思うんだけど・・・。もしこの射殺が大きくこの映画の後半にかかっているとするならきっと、自分が助けられた時にみたこの通信兵の死体で、チルダースに対して心に何かを持ったホッジスが描かれるはずなんだけど、そんな描写はなかったし・・・。ということはホッジスとチルダースというほぼ対照的な二人の男の話でもない。で、お決まりのようにちょっと悪役っぽく出てくる政府の高官、国家安全保障局の顧問がシビリアン対軍人の対立を示唆するようにチルダースをとことん追い詰めるか・・・と思いきや、証拠隠滅をはかるのみ・・・。おまけにあんたそんなことして一体なんの得になんの?とひたすら問い詰めてやりたい衝動にかられてしまうくらい意味不明な行動だし。なんとも納得いかないし妙に消化不良な映画でしたね。お・・・そういえば『ダブル・ジョパディー』にもブルース・グリーンウッド出ていたなぁ。もしかしたらトミー・リー・ジョーンズとブルース・グリーンウッドの組み合わせが悪いのかなぁ。いわゆる食い合わせが悪いってのに似た何かがあるのかも・・・(苦笑)。

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『エリザベス』ELIZABETH(1998年・英)

監督:シェカール・カプール
出演:ケイト・ブランシェット。ジェフリー・ラッシュ。クリストファー・エクルストン

英国王ヘンリー8世とその愛人アン・ブーリンとの間に生まれた新教徒であるエリザベスが25歳という若さで女王になり、旧教徒たちの女王失脚の陰謀の中、恋する女性から”ヴァージン・クィーン”と呼ばれる毅然とした本物の女王になるまでを描いた作品。
はっきり言って私はダメだった。(^^;) 確かに毅然とした女王になるまでの作品なのはわかっているのですが、どうも恋する女性でいる間の彼女があまりにも女、女してて、「えーい!このバカ女!!」と何度叫んだことか・・・(笑) しかもそのバカ女が最終的には一変して英国と結婚したと言い切る女王になるなんて・・・ギャップが大き過ぎる。どうもイマイチ彼女の心の葛藤が見えてこなかったんですよねぇ。しかも私にしては中途半端に彼女をとりまく陰謀が描かれてたような気がして、それも面白くなかった。いっそのことどっちかにした方がいいんじゃないかなぁ。なんだかボロクソ言ってますが、私の感覚では、村の娘がいきなり女王になった訳じゃないんだから、あんなにまで女、女するわけないじゃない。って気があるんですよ。なるべくしてなった女王。そして妾腹という恵まれない生い立ち。恋する女性という立場とロンドン塔に幽閉されたという苦難から得た権力の座。もっともっと掘り下げて彼女を描くことは出来なかったのだろうか? (-_-)

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