『仇討』(1964年)

監督:今井正。
出演:萬屋錦之介。田村高廣。三田佳子。丹波哲郎。神山繁。石立鉄男。

ささいな口論をきっかけに奥野家の長男、次男の二人を殺害してしまった江崎新八は、奥野家の末っ子に仇討をされることとなる。二人を殺害したのは事実だが、そのどちらも正々堂々の勝負の上。承服しかねる新八だが、やがて二人の位牌の前で切腹し果てる決意をした後は同じ死ぬのならと奥野家の末っ子の面子をたててやることを決意する。そして正々堂々と潔く討たれてやるつもりで出かけた新八を待ち受けていたのは見世物小屋と化した仇討場だった。
なんてきつい物語なんだ。この映画が悪いんじゃなくって、この物語事態すごく後味が悪い。仇討に行き着くまでの物語は淡々と進み、確かに理不尽かなとは思うものの武家社会。お家大事の考えの中では致し方ないと納得は出来たのだが、ラスト・・・そしてこの映画のメインである仇討のシーン。奥野家の二人を殺害したのも、武士としての面子のため、そして潔く討たれてやろうとするのも武士としての面子のため。そんな新八に相反して武士の面子として仇討を願い出た江崎家のやり方は一体何?公開処刑のような場所を作ったお上は一体何?太平の世で腐り果てた武士のあり様か?なんだか今の政治家に国会に通じるものを感じてしまった。

BACK

『雨あがる』(2000年/東宝)

監督:小泉堯史
脚本:黒澤 明
出演:寺尾 聡。宮崎美子。

腕は滅法強いが、いろんなことを思いやるがうえに仕官が叶わず妻と二人旅を続ける三沢伊兵衛とその妻たよの夫婦の物語。黒澤 明監督の覚書に「見終わって、晴々とした気持ちになる作品にすること。」と書かれていたそうで、その言葉の通り、見終わって晴々とした気持ちにしてくれる作品です。全くハデではなく、かといって妙にバタ臭いメッセージを折り込んでいるでもなく、かといって単調でもなく、余計なことなど何もなくっても見ればわかるだろ?ただ観るだけでいいんだよ。という感じがしました。主演の二人がまたこの役にぴったりでしたし、掛川城主役の三船史郎が28年ぶりの映画出演というとんでもないキャスティングなのに、わざわざ彼を選んだ理由がうんうんとうなずけるほどにこの役にぴったりでした。声がお父さんそっくりだな。って感じたのは私だけでしょうか?とにかく私の好きなタイプの作品でした。 

BACK

『生きる』(1952年)

監督:黒澤明
主演:志村喬。千秋実。宮口精二。金子信雄。

市役所の市民課長の渡辺勘治は30年間無欠勤で、毎日判でついたような勤務に生活。ただ日々を送っているという生活だった。そんな彼がある日胃がんで余命幾ばくもないことを知る。早くに妻を亡くし、男手ひとつで育てた息子は嫁をもらってから冷たくなり、自分の病名を告げ居たたまれない気持ちを打ち明けることもできない。自分の死期を知り絶望と孤独に苛まれる彼は仕事を休み、飲めない酒を飲み、町を彷徨う。そして生きる意味を考え、生き方を悩む中で自分に出来ること・・・市民公園の建設に尽力する。
以前からずっと観たいと思いながらも今まで一度も観たことのない作品だったのですが、KUMONOSのシューテツさんからビデオをお借りしやっと観た作品です。観終わってなんで今まで観なかったんだろう。と我ながら情けなくなっちゃいましたよ。テーマとしては暗くて固いイメージがあるのですが、それが嫌味なく、しかもそんなに暗くもなくうまく描かれている。この作り方好きだな。そして主演の志村喬の演技がすごい。私はこの人がこんなに巧い役者さんだなんて失礼ながら今まで感じなかったんですよね。この映画お馴染みのシーン。公園のブランコに揺られながら心からうれしそうに「ゴンドラの唄」を歌うシーンでの志村喬の表情がすごくいい。完璧に心に残りますね。でも、この映画を観る前はこのシーンがラストシーンだと思ってたんですよ。それが違うってところがまたこの作品のすごいところかもしれませんね。
そうそう、この映画を観ててふと思ったのですが、黒澤さん実生活で役所でたらい回しにされるという経験をして少し恨み持ってたんじゃないかな?(笑)だってあのシーンはすごくリアルでよかったですもん。
「命短し恋せよ乙女。赤き唇褪せぬまに・・・」しばらくこの唄が離れませんでした。
考えると私は昔の傑作、名作と呼ばれてる作品ってあんまり観てないな・・・もっと観なきゃ。

BACK

『浮雲』(1955年)

監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子。森雅之。岡田茉莉子。山形勲。

戦時中、農林省の仕事で赴任したインドシナで知り合ったゆき子と富岡。富岡は妻がある身。それを知りながらも深く愛し合う二人。やがて戦争は終り、先に日本に帰り妻と別れて君を迎えるという富岡の言葉を信じ、身ひとつで富岡を訪ねたゆき子が目にしたのは富岡の母と妻、そしてインドシナで愛し合った情熱がひとときの夢のように醒めてしまった富岡だった。富岡を諦めきれないゆき子、そんなゆき子の心を知っているからこそ男の身勝手さで彼女とケリをつけようとしない富岡。二人はズルズルと不確定な関係を続けていくが・・・
ずるい男とそれでも愛しているが故にその男と別れられない哀れな女。という物語らしいのですが、どうなんだろ?私はある種特異ではあるけど恋愛のバイブル的な映画のような気がします。恋は夢で愛は真実って感じかな。夢と現実に折り合いをつけられない人間。それが富岡でありゆき子であると思う。インドシナでの二人の時間はまさしく夢の時間。日本、妻、という現実を遠く離れた時間。そして日本に戻り現実を目の当たりにして夢のひとときを遠い過去へとおしやったつもりの富岡と、未だその夢から醒め切れぬゆき子。現実を彼女に語りながらも夢のひとときをどこかでゆき子に求めている富岡。現実の生活に苦悩しながらも夢から醒め切らず夢の続きを求めるゆき子。こんな二人が別れられる訳ないんですよ。どちらかが現実に目を向けるか、求めるのではなく与える愛に気付かない限り不毛な関係は続く。妻の死により現実に目を向けた富岡が仕事を決め屋久島に赴任するとことになった時着いて行くというゆき子。現実に目を向けた富岡と対照的にこの時点でもゆき子はまだ夢を見ていたのではないかと思う。不毛な関係が続いているときとこの富岡が現実に目を向けるくだりが、二人が話しをしながら延々歩く二つのシーンに象徴されているようでおもしろかったな。最初の歩くシーンではゆき子がどこまで歩くのだろう?まるで二人の関係みたいだと言い、そのあとの歩くシーンでは富岡は水虫で足が痛いと立ち止まる。ラスト・・・あれしかないでしょ。現実に生きようとした富岡は現実に慟哭し、夢の世界のゆき子は夢のままに・・・。って私にはとれたんだけど・・・。

BACK

『大阪物語』

監督:市川 準
出演:池脇千鶴。沢田研二。田中裕子。

舞台は大阪。主人公は14歳の少女。霜月若菜。あまり売れていない漫才師「はる美&りゅう介」を20年続けている両親と弟一人の4人家族。あまり売れていない漫才師の家族というだけでも少し普通じゃないのに、父親が別の女性との間に子供を作り、離婚。ところが住んだ所が元の家の並びの4件隣。これまた普通じゃない。挙句の果てに新しい女房に愛想つかされて子供を置いたまま出て行かれ、漫才にも身が入らずに飲んだくれてしまう父親。そしてある日突然にその父親が行方不明になり少女は単身父親を探しに出る。と言っても探しまわるのはずっと大阪なんですけどね。(^^;)
まぁ、いいんだか悪いんだか、わかんない妙な映画でした。
なんともどうしょうもない男を沢田研二が好演してましたし、田中裕子の役どころもよかったですよ。でも、残念ながら私の趣味ではない映画でした。

BACK

『菊次郎の夏』

脚本・監督:北野 武
出演:ビートたけし。関口雄介。

遠くにいるお母さんに会うために夏休みに出かける男の子とろくでもない中年男という妙な組み合わせのロードムービーです。
実は私この作品がはじめて観る北野監督作品なんですよね。『HANABI』は観たいと思いつつ観てない作品で、あとの作品はどうも”暴力”というイメージが強すぎて観る気にはなれなかったのですが、この作品だけはどうしても観たいって思ってたんですよ。こういう映画のイメージが好きだからかな?
で、感想なんですが、よかったですよ。菊次郎ってキャラクター私は好きですね。だらしなくてどうしようもなくて、でも心底はやさしくて・・・だけど表現が苦手で不器用で・・・
ただ、面白かったのがタイヤのホイールに二人の映像を映りこませたり、トンボが映ったと思ったら次のシーンはトンボの目から観た映像っぽくなってたり・・・思わず「北野さんってばホントにぃ・・・」って言いたくなりました。(笑) この人普通に映画撮るだけじゃなくって何かしたいんでしょうね。なんかちょっと変わったことやらかしてやろうって気で撮影してるんじゃないでしょうか?

BACK

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)

監督・脚本:原恵一。
声の出演:矢島晶子。ならはしみき。藤原啓治。こおろぎさとみ。真柴摩利。

大人たちをすっかり魅了してしまったテーマパーク「20世紀博」。そこは昔のTVや映画、暮らしの風景が再現され大人たちの過去の思い出懐かしさを刺激するものがいっぱいだった。たいくつでうんざりしているしんのすけ達子供を尻目に大人たちはおおはしゃぎ。ところがある晩「20世紀博」からのお知らせがテレビ放映されてから大人たちの様子がおかしくなる。
そう・・・この「20世紀博」はイエスタディワンスモアというグループによる時代を20世紀に戻し、時間を止め“オトナ帝国”としてしまおうという陰謀だった。
この映画が劇場公開されているときいろんなHPで絶賛されていたので、絶対に見逃すまいとテレビの前に座った。ふっふっふ・・・これはきっと罠だ・・・。そう・・・HPを持っている映画好きに対する罠だ。え?なぜだって?・・・わかるだろ?わかってるんじゃないのかい?わかってて説明させるのかい?仕方ないなぁ・・・。だってこの映画のこと深く語ろうとすると必然と年齢がバレちゃうじゃない!!・・・え?もうとっくにバレてるだって・・・こりゃ失礼。それじゃ話は早ぇや。まずしょっぱなの「OH!モーレツ!」に大爆笑。「20世紀博」からの帰路のBGMで私の頭の中に「ケンとメリーのスカイライン」というナレーションが流れ、あのケンって確か交通事故で死んだんだよなぁ・・・という記憶まで蘇る。そしてイエスタディワンスモアのリーダーの名前ケンとチャコに唸り、彼らが作り出した町並みのたばこ屋に「そうそうたばこ屋って絶対角なんだよ」と『太陽にほえろ』の聞き込みシーンを思い出す。もうツボつつかれまくり。そして懐かしさのツボつつくだけの作りならこんなに評判になるはずもなく、笑いに涙に感動。見事に揃ってます。しんのすけの父ひろしが我にかえる時彼の記憶の走馬灯のようなシーンに思わず涙腺が緩みかけてしまった。そして怒涛のラスト。本当に見事だ。過去は懐かしむだけ、留まってちゃいけないんですよね。未来のために走る野原一家を見てケンがつぶやく「最近あんなに走ってないな・・・」なんだかこのセリフ心に響きましたねぇ。

BACK

『黒い十人の女』(1961年)

監督:市川崑。
出演:船越栄二。山本富士子。岸恵子。宮城まり子。中村玉緒。岸田今日子。

テレビ局のプロデューサーの風は妻以外に9人の女性と関係を持っていた。彼を自分一人のものにしたいが出来ない。かといって彼と別れることも出来ない。そんな彼女たちが導き出した答えは彼がいなくなればいい・・・ということ・・・。そして十人の女たちは共謀して彼の殺害計画をたてる・・・。
なんて面白い作品なんだ。古い映画だからモノクロだというよりも、わざとモノクロで撮ったのではないだろうか?と感じさせるシュールなコントラスト。映像が粋だし、ストーリーも粋だ。ファーストシーン次々と集まる女たち、シリアスでサスペンスっぽいのかと感じさせられるが、一番最初の愛人である女優と妻が夫の殺害方法を相談しあうシーンには大笑いしてしまった。きっとこれ山本富士子と岸恵子だからなおさらいいんだろうなぁ。いくらなんでも9人も愛人!?と思ってしまうんだけど、船越栄二演じる風が見事にはまっているために20人くらいいてもおかしくはないなぁ・・・と妙に納得させられてしまう。そして終盤・・・まさかこうくるとは思わなかった。確かにシニカルな作品ですね。で・・・あのラストシーン・・・。さてどう続くのだろう?という終りがいいな。あ、でも私はあの十人の女たち納得いかないな(笑)。唯一納得出来たのは宮城まり子演じる印刷屋の女経営者かなぁ・・・。え?何いい人ぶってるんだって?(笑)

BACK

『御法度』

監督:大島 渚
出演:ビートたけし。武田真治。松田龍平。

司馬遼太郎の「新撰組血風録」の中の「前髪の惣三郎」を題材にした新撰組に入隊してきた美少年加納惣三郎をめぐるエロスのお話。ということなんですが・・・・(^^;)
新撰組が好きなσ(^-^)としてはちょっと勘弁してよ。という映画です。ただ、新撰組の映画だと思ってみると大間違いですね。どこをどうみてもこれ新撰組の映画じゃないです。衣装からして今までの新撰組の衣装とは全く違ったものにしていますし、局中御法度をえらく重要視していますが、新撰組の存在自身はあまり重要視していない気がしました。なんとも拍子抜けのする映画でしたね。
全体的に年配の客が多かった。しかもσ(^-^)の席の前には中年の男性二人。(^^;)なんだか妙にこの二人が気になってしまった。

この映画のファンならびに監督、出演者のファンの方はクリックしないで下さい。(^^;)
BACK

『千と千尋の神隠し』(2001年)

監督:宮崎 駿。
声の出演:柊 瑠美。夏木マリ。菅原文太。上條恒彦。

引越し先へ急ぐ1台の車。中には引越しにより転校することになってぶーたれる10歳の千尋と両親。ところが車は道を間違え山道を走り奇妙なトンネルの前へ出る。トンネルの中へ入った三人が目にしたのは不思議な町並み。町のはずれには大きな湯屋。そこは神々が湯治にくる町、人間の住まない町だった。元の世界に帰ろうにも両親は店に並んだごちそうを食べたことで豚にされてしまい、頼るべきものがいなくなった千尋は彼女を助けてくれるハクという不思議な少年に言われるままにこの世界で働くことになる。湯婆婆の支配する湯屋で千尋は名前を奪われ千という名前でなんとか両親を元の姿に戻せるようにと必死に働く。千尋を常に助けてくれる少年ハク。仕事の先輩リン。釜炊きの釜爺。いろんな人?たちに囲まれ働くことでたくましくなって行く千。不思議な世界での10歳の女の子の成長物語。
大ヒット作品・・・ねぇ〜・・・。スピリッツは『もののけ姫』の方が好きだなぁ。まぁ、私がこの作品を好きになれなかった理由は明白なんですけどね。それさえひっかからなければすんなりと受け入れられたのかもしれないのですが・・・。それはただひとつ!千尋の両親が最低なんだよぉ!!あんな親いない・・・ことはないかもしれない・・・でも、でも・・・とにかくヤなんだよぉあんな親!親が子供が嫌がる場所にさきさき歩いて行ってどうすんだ!?子供の手もとらずに・・・。10歳だぞ!10歳!人気のない場所だからいいってことねぇべ?落とし穴とかあって落っこちたらどうすんだ?しかも店の人もいないのに「あとでお金払えばいいじゃない」って勝手に店先にある食いもん食ってどうする!?10歳の子供が止めてんだぞ!?・・・という思いが消えないまま映画はラストを迎えてしまったんですよねぇ。この一点さえクリア出来ていれば、そうこの一点だけが・・・。千を取り巻く人々もいいし、ストーリーも悪くない。文太さんの釜爺もいい味出してましたし。「え〜んがちょ!」ってのも笑えたし、マックロクロスケに手足が生えてたのにも笑ったし、オクサレさまには思わずタタリ神を思い出したし、本当にいい作品だとは思いますよ。ま、こんなことにひっかかるのはσ(^-^)だけかもしんないですけどね。

BACK

『卓球温泉』(1998年/松竹)

監督:山川 元。
出演:松坂慶子。牧瀬里穂。大杉漣。蟹江敬三。

専業主婦の園子は仕事人間の夫と高校生の息子の三人家族。夫も息子も帰宅は遅く、一家団欒の食事もなくもちろん会話さえない生活。そんなある日ラジオの相談コーナーに悩みを相談するが、主婦のくだらない相談にうんざりしていたDJのかなえは「家出して浮気でもすれば?」と言い放つ。慌てるスタッフにかなえは「どうせそんなことできっこないよ」と気に留める様子もない。ところがその言葉を真に受けた園子は翌朝本当に家出をしてしまう。家出した園子が向かった先は夫との思い出のある温泉町。思い出深い温泉町も今ではすっかりさびれてしまい、客寄せに四苦八苦していた。そんな中園子が昔楽しかった卓球の話を持ち出したことでなんと卓球で町おこしをすることになり、園子も一役買うことになる。
花嫁修行を一通りこなし、しっかりと専業主婦をしていた園子役の松坂慶子がなんともかわいい。旅館に泊まった翌朝目覚めて自分の家と同じように布団を片付け掃除をはじめる様なんてすごく飄々としていて思わず笑ってしまった。「継続は力なり」卓球と人生と夫婦の間をうま〜くつなげているのがいい。これはなんとも優しい恋愛映画ではないだろうか?相手の取れない球を打ってはいけない。失敗して取れない球を打ってしまっても相手は極力努力してその球をちゃんと打ち返そうとする。夫婦の理想じゃないですか。いいなぁ。なんだか温泉行って卓球したくなっちゃったよ。・・・って私卓球出来ないですけど・・・(笑)

BACK

『独立愚連隊西へ』(1960年)

監督:岡本喜八。
出演:加山雄三。佐藤允。フランキー堺。堺左千夫。中谷一郎。

太平洋戦争中の中国大陸。戦闘で行方不明になった軍旗を捜索するために、軍旗捜索隊が結成される。しかし軍旗が行方不明になったのは敵陣の中、第一次軍旗捜索隊はあっけなく全滅。そして第二次軍旗捜索隊として出発したのは、左文字隊。彼らは戦死広報に載った後に生還したいわば軍のやっかいもので常に危険な最前線ばかりに送られているが、未だに戦死者が出ていない噂の部隊。彼らを利用して軍旗を手に入れて出世を考えている関曹長を伴い左文字隊は軍旗捜索に出発する。
なんでもこの作品は加山雄三の初主演作ということなのですが、主演であるはずの加山雄三の存在が薄いのがいい!毒にも薬にもなんないというのはこういう存在だね(笑)。でもってこの映画をひっぱってるのは個性豊かな脇役陣。味のあるキャラばっかりでいいな。中谷一郎扮する慰安所の経営者早川が結構おいしいとこ取りしてるのがいい。いいとこで現れて左文字隊を助けるなんて、まるでその後の風車の弥七そのものだ(笑)。とにかくおもしろかった。こういうの大好き。加山雄三が隊長じゃなければもっとよかったのに。(爆)

2002年2月2日(動物園前シネフェスタ)

BACK

『どら平太』

監督:市川 崑
脚本:黒澤 明。木下惠介。市川 崑。小林正樹
出演:役所広司。片岡鶴太郎。菅原文太。浅野ゆう子

或る小藩の町奉行所。ここでは今までに何人もの奉行がやってきては早々に退職し、江戸からやってくるという新しい奉行の到着を待っていた。新任奉行の名前は望月小平太。素行が悪く「どら平太」という仇名の方が通り名となっているという噂だった。この藩には壕外と呼ばれ、密輸、賭博、売春、殺傷すべての悪の巣窟となっている場所があり、そこは3人の親分が牛耳り藩の要職につくものたちも藩の財政のためと長年結託し、不正を続けていた。そして「どら平太」は江戸の殿からその壕外を払拭し、全ての腐敗を正すことを命じられ、町奉行として赴任してきたのだった。
痛快娯楽時代劇という名にふさわしい作品です。この「どら平太」というキャラ私は大好きです。それに役所広司がまたぴったりとさわやかに演じています。ただ、観ていてこれだけ痛快でおもしろいんだからもっとテンポがあってもよかったような気がするんですよね。どうもノリがイマイチ・・・。おまけにラストシーンは思いっきりノリを欠いたお間抜けな感じがしました。どうもσ(^-^)の性格的なものからか、こういう豪快な感じのストーリーはそれこそイケイケでトン!トン!トン!ってノリだけで突っ走ってくれた方が好みです。(って誰も私の性格にあわせて映画は作ってくれないですけどね。(^^;))中身とは全然関係ないんですが、あの最初のファースト・クレジットって言うんですかねぇ、名前出てくる所。あれって監督の趣味なのかな?あのデカデカとした文字でまっすぐじゃなくってカクってさせて名前表示するの。確か『犬神家の一族』もあんな感じだったような・・・。バックが黒でさ。ああいうのも映画ごとに変えるべきじゃないのかなぁ?結構外国映画ってあんなところにも凝ってますよね?

BACK

『ナトゥ 踊るニンジャ伝説』(2000年/日本テレビ)

監督:大森一樹
出演:南々見組。シンシア・ラスター。ビビアン・スー。宍戸錠。

ペンキ屋で働くナトゥは妹のケディと二人暮し。人気女優のミーナに憧れ彼女と二人の映画のワンシーンを夢にみるくらい。そんなナトゥがあるお屋敷の壁の塗り替え作業に出かけたところなんとそのお屋敷にミーナちゃんが・・・。そしてそのお屋敷の主人は今回ミーナにプロポーズするつもりでいるのだが、とりあえず妻の形見であるルビーのネックレスをこの屋敷に滞在している間だけでも付けて置いて欲しいと手渡す。ところがそのネックレスは新世紀を迎える時に悪の手にあるととんでもないことになるという代物。それを狙う変な集団とそれを守ろうとする忍者村の者たち。実はナトゥとケディもその村の出身だとわかり彼らと協力してそのネックレスを守る・・・たぶんこんなあらすじ。すみませんあまりのくだらなさにリモコン片手に早送り早送りで観てたもので・・・(^^;)。
日本版インド映画と銘打っていますが、私はこれをインド映画とは認めません。これはインド映画の形式を模したれっきとした邦画です。前作の『ナトゥ』が短いながらもしっかりとインド映画しててよかっただけに、なんとも口惜しい。監督を日本人にしてしまったことが原因か?テレビ番組の特別企画で前作の『ナトゥ』の評判がよかったために調子にのったテレビ局が悪いのか・・・。日本語吹き替えってのがいけません。どうせ吹き替えるならケディとビビアンの分も吹き替えた方が映画としては絶対に自然だ。芝居がヘタだというのは置いといて・・・。私が早送りを開始したシーン。ミーナを連れてナトゥが悪党たちから逃げるシーンでお笑いの王道的パターンの「あ、あれなんだ」と相手をよそ見させてその間に逃げるってのがあったんですが、もうこのシーンが最悪。このパターンで笑いが取れるのはリズムでしょう。それなのに「あれ、なんだ?」って言われて向こうまで歩いていってどうする?しかもその間に「こんなのにひっかかるか?」なんてナトゥのセリフまであったりして・・・。ありきたりの笑いのパターンさえ使いこなせないなんてもう最低、最悪としか言いようが無い。この時点でこの映画は終わってます。そして絶対にこんなのいらないというのがウリナリメンバーによる時代劇ファッションのダンスシーン。ヘタなやつわざわざ踊らせなくってもいいじゃない。あ、でもその他のダンスシーンはグッドです。あのダンスシーンだけのビデオなら欲しいくらい。ラストのダンスシーンは本当に最高でした。ナンちゃんのダンスは本当にうまいですもんね。本場のインド人ダンサーたちにひけを取らない。ケディとナンちゃんだけに踊らせとけばいいものを・・・。元々ケンカは全く強くないナトゥが忍者村で特訓して強くなるってシーンがあったんですが、ここもやはりインド映画をわかってない。強くなりたければこの巻物を進呈しようとかなんとか言ってその巻物読んだだけで強くなって、なんでそんなんでいきなり強くなんねん!という突っ込みを入れさせるくらいでないと・・・(ってそんな勝手なこと言っていいのか>自分(笑))

BACK

『ナビィの恋』

監督:中江裕司
出演:西田尚美。村上淳。平良とみ。登川誠仁

沖縄粟国島に向かう「ひょっこりひょうたん島」のテーマと共に快走する船。その船には東京から帰郷した奈々子と風来坊の福之助、そして謎の老紳士が乗り合わせていた。島に着いた奈々子を迎えにきたのはナビィおばあと恵達おじい。おじいとおばあに囲まれて生まれ故郷でのんびりする奈々子だったが、ある日おじいが「奈々子のこと好きだって」「胸の小さいのがいいんだって」とすっとぼけたことを言いながら風来坊の福之助を連れて帰ってきた。おじいの仕事を手伝い居候する福之助が気になる奈々子。ところがその奈々子よりも様子がおかしいのがナビィおばあ。ナビィおばあの様子がおかしい原因はすぐに明らかになる。なんとあの謎の老紳士が60年前にナビィおばあが無理やりに仲を裂かれた恋人サンラーだったのだ。
久々にさわやかに泣かせていただいた映画です。何がいいって、まず音楽がいい!島唄はあまり詳しくないけど好きな音楽のひとつですし、こういう和洋折衷の音大好きなんです。それにほとんどのシーンで流れる三線の音がいい。そして恋するおばあナビィもいいけどおじいがもう最高にいい!かわいがっていた牛を売ってナビィおばあにマッサージチェアを買って「今日はゆっくり休めばいい」っていうシーンに思わず涙がこぼれました。お仕着せじゃなく心からナビィおばあが好きなんだ。ってのがヒシヒシと伝わってきましたね。それにこの映画「好きだ」の「愛だの」「どうしたいこうしたい」っていう余計なセリフがないんです。ごく自然にそれぞれの気持ちが流れている。だからこそ余計に泣けるんですよ。きっとこの映画何度観ても泣くだろうな。CDは早速買いに走らなきゃ。

BACK

『幕末太陽傳』(1957年/日活)

監督:川島雄三。
出演:フランキー堺。石原裕次郎。二谷英明。小沢昭一。南田洋子。

時は幕末。舞台は品川宿にある女郎屋「相模屋」。金もないのにドンチャン騒ぎの末、居残って働いて返すという主人公の佐平次。胸を患っている彼ははなからこの品川宿に療養を兼ねてしばらく居坐るつもりだったのだ。すべては計画どおりの佐平次は、借金のカタに働いているという意識は全くなく店の揉め事を一手に引き受けるほどの大活躍。しかも如才のない佐平次は必ず小遣いやお代を頂戴していた。そして最後には御殿山の英国公使館の焼き打ちを企む維新志士高杉晋作の手伝いまですることに・・・
日活作品ということで出演のメンバーが今から見ると豪華だ。岡田真澄に小林旭なんて若すぎてかわいすぎて最初は誰だかわかんなかったよ(笑)。相模屋の中を大忙しに駆け回るフランキー堺演じる佐平次のコミカルな演技がテンポのいい喜劇へと仕立てているんだけど、この主人公が胸を患っているという設定にしてあるのが、ただの喜劇にはしていない要素となっててそれもまたおもしろい。でも一番印象に残ったのは無理矢理心中を持ちかけられ自分だけ川に放り込まれて死んだと思われていた小沢昭一扮する貸本屋のキンちゃん。幽霊っぽく現れるシーンは最高でした。で、確かこんなの落語であったよなぁ〜って思ってたんだけど製作年度調べるためにネットでこの映画のこと検索してて、何作かの落語が下敷きになってるって書いてあった。なるほどね。
2011.12.31 追記 デジタル修復版劇場公開ということで、スクリーンで再見。下敷きになってる落語は主人公の物語が『居残り佐平次』貸本屋のあばたの金ちゃんの話しが『品川心中』。南田洋子さん演じる女郎が3枚の起請文を書くのがその枚数通り『三枚起請』そして、ラストにお墓案内するのが『お見立て』ということです。昔ビデオで見た時にも思ったけど、こうしてスクリーンで見ると出演者の豪華さにびっくりですね。左幸子さん南田洋子さんがきれい!最初に登場の情けない西村晃さんにもびっくり。スクリーンで再見出来てよかった!

BACK

『華の乱』(1988年)

監督:深作欣二。
主演:吉永小百合。松田優作。池上季実子。緒形 拳。

明治から大正。歌人晶子は敬慕してやまぬ師・与謝野寛に同じく思いを寄せる友人登美子を出し抜き熱愛を貫き与謝野寛の妻となる。やがて月日は流れ晶子は11人の子供の母親となり、歌人としても成功するが、寛は歌人としての才能に行き詰まり、晶子の収入に頼り無為無策な日々を送っていた。寛への情熱的な愛情は過去のものとなり日々の生活に追われるだけの晶子はある日作家有島武郎と出会い、許されぬ恋とは知りつつも有島武郎への思いに突き動かされる晶子だが、運命は皮肉な展開を見せる。
知らない人はいないであろう女流歌人与謝野晶子の半生を綴った映画です。このくらいの年代のこういう大きな作品は大概観ているつもりなんですが、なぜかこの作品は観ていなかった。この明治、大正っていう時代好きなんですけどねぇ。この作品大味と言えば大味かもしれないけど、私は好きです。主役の吉永小百合よりも松井須磨子を演じた松坂慶子がよかったなぁ。与謝野晶子よりも松井須磨子を主人公にしたドラマが観たくなってしまった。石橋蓮司さんって歌うまいんだぁ!などと映画とはあまり関係ないところで感動しちゃったりして・・・主軸のストーリーより、主役より脇を固めた人たちの物語の伏線的なストーリーの方が気に入っちゃった。そういえば最近はこんな大きな映画とんとみかけなくなりましたねぇ。果たしてこの映画がよかったのか、ただ単に私がこの時代が好きだから気に入ったのか?ちょっとわかりかねているんですけど、この時代の女性ってホントにいいですよねぇ。すごく魅力的だ。婦人参政権すらなく、家長に従うのが当たり前で、男女平等なんてとんでもない・・・そんな時代の女性の方が魅力的というのも妙なんですけどねぇ。与えられたもので輝く人はいない・・・ってことですかね。

BACK

『梟の城』

監督:篠田正浩
出演:中井貴一。鶴田真由。マコ・イワマツ。

織田信長により、伊賀忍者を根絶やしにするために伊賀の里が女子供にいたるまで惨殺され、焼き払われてから10年。その信長も今はなく、秀吉の天下となっていた。そんなある日伊賀忍者の生き残りで、ひっそりと山奥で隠遁生活を送っていた葛篭重蔵の元に、秀吉暗殺の依頼が舞い込み、山を降りた重蔵の前に現れたのは、敵か味方か重蔵を翻弄する小萩という女。立身出世のために伊賀を裏切り秀吉暗殺を阻止しようとする風間五平。秀吉暗殺をめぐり、それぞれの思いが交錯する。
劇場公開時、数々の悪評を耳にしたために劇場まで足を運ぶのをやめた作品なんですが、やっぱやめて正解でしたね。しょっぱなの伊賀焼き討ちで首が飛んじゃうシーンで思わずこれはギャク映画かと思ってしまった。同じように首や腕が飛んじゃうシーンなら『もののけ姫』の方がずっとリアルで重々しかったような気がする。しかもこの映画CGを多用してて制作費が10億円だって?一体この映画のどこに10億円の価値を見出せばいいの? 2時間を超える長い映画なのに、なんだかやたらとブツ切りっぽかったし、そのくせ何のためにこのシーンがあるの?ってカットも多いし、CGを屈指してます。って・・・この程度ならCG使わなくってもよかったんじゃないのぉ?・・・ハァー・・・もしかして、CG使ってんだよーん。制作費も10億円もかかっちゃってぇ・・・っていう製作者の自己満足のみの映画なのかな?だとしたらすごいですよねぇ。10億円のオナニー。並みじゃ出来ないですよ。(苦笑)ただこの映画キャストはすごい。これだけ芸達者な人たちを動員するなんて・・・(ま、中井貴一の忍者には皆様抵抗がおありのようですがね。)ハリウッドで活躍するマコ・イワマツを秀吉役に抜擢するなんて心憎い限りです。それだけに非常に口惜しい。10億円もの予算に、このキャスティングで出来上がったのがコレって、一体何なの?

BACK

『武士道残酷物語』(1963年)

監督:今井正。
出演:中村錦之助。森雅之。江原真二郎。岸田今日子。三田佳子。

物語は睡眠薬自殺を図った女性が救急車で病院に搬送されるシーンからはじまる。連絡を受けて病院にかけつけた彼女の婚約者である飯倉は彼女の看病をしながら郷里でみつけた先祖の古い日誌を思い出す。それは関が原の戦いで破れた飯倉家の初代当主が信州の堀家に仕えたことからはじまり、武士として主家に忠義を尽くすためとわが身を賭した先祖たちの物語が綴られていた。
いきなり現代からはじまったんで「あれ?」と思っていたら、飯倉家の代々の物語がまるでオムニバス映画のように綴られている作品だったんですね。そしてその飯倉家の各代の主人すべてを中村錦之助が演じている。まるでワンマンショーみたいなんだけど、かえってこの人が飯倉家の人。ってわかりやすくていいや(笑)。今でこそ会社人間なんてのが減ってきてるんだけど、武家社会の主従関係を現代の会社組織にまで結び付けてるのが面白い。しかも太平洋戦争の特攻まで組み入れてるのはさすがだな。すべての日本人がこうだとは思いたくはないんだけど、そうだよねぇ〜と納得出来てしまうのがちょっとつらいな。(苦笑)ただ、各時代の話がそれだけでも1本作れちゃうんじゃない?って思うような内容なんでちょっと胃もたれしてしまいそうな映画ですね。

BACK

『ホタル』(2001年/東映)

監督:降旗康男。
主演:高倉 健。田中裕子。夏八木 勲。奈良岡朋子。

昭和天皇の崩御により昭和という時代が終わった年。腎臓を患い透析を続ける妻と二人九州でカンパチの養殖を営む山岡にとっては特別な年となる。同じ特攻隊の生き残りである友人藤枝の突然の死。患っている腎臓の容態が日々悪化し、密かに身の回りを整理している妻。戦争中特攻隊員たちの世話をし、”知覧の母“と慕われ、戦後も交流のあった富屋食堂の主人山本富子の引退。そしてあなたにしか託せないと渡された金山少尉本名キム・ソンジェの遺品。戦後頑なに心の奥へと戦争中の出来事を仕舞い込みただ今をみつめて生きてきた山岡の苦く重い思い出の扉を開く時が・・・扉を開かなくてはいけない時が今やってきたのだ。
私は涙もろい方ではあるのですが、映画館で泣いてしまったのはこれがはじめてです。抑えようにも抑えられない。かわいそうとか感動したとかという涙ではない。いろんな意味で哀しいんです。特に富屋食堂の女主人の送別会での彼女の言葉。数多くの若者を死にに行かせてしまったという罪の意識。当時彼女には送ることしか出来なかったのに、ただ送ってしまったというだけでも彼女には大きな心の傷を残している。そして確実に死にに行くのに、検閲があると心から愛する人にも本心を残せない特攻隊員たち・・・。生き残った者にも死んでいった者たちにも、残るものは心の大きな傷それ以外戦争は本当に何も残さない。その事実を淡々とこの映画は語ってくれる。こういう語り部的な映画を本当にもっと残して欲しい。語ってくれる人たちがいるうちに残さなくてはいけないのではないだろうか?

BACK


ホームに戻ります。