終わりに
 
 「大月空襲」に関してまとめた本としては三冊の体験集があり、そこに収められた「証言」は、空襲の悲惨さを伝えるにありあまるものがある。しかし、それはそれとして「物語」ではなく、空襲を歴史的事実として正しく伝えていくためには、死亡者数及び死亡状況、来襲した機種と機数及び爆弾の投下数と投下地点、そして空襲された理由の三点を公的な文書等によって客観的に裏づけながら解明するが必要になる。そこで、これまでに刊行された図書文献を精読し、体験者による証言の聞き取りにもとづく実踏調査や、市有文書及びアメリカ軍公文書などによる公的文書により事実を検証し、これまでの成果を修正・補完し、まとめてきた。
 そこには純粋に事実を知りたいという気持ちがあり、また空襲にあわれて亡くなっていった人たちがなぜ命をとられなければならなかったのかという真実を知りたいという力が働いていた。そして、それを知ること、それを人に伝えることが、犠牲者の供養につながるのではないかとも思っている。
 私のつたない調査研究でも、聞き取りによって1名、制約された文献の調査によっても1名と、新たな犠牲者を2名確定し得たように、大月空襲の被害については未だ未解明の部分が多い。プライバシーの保護を名目に目を通せなかった資料もたくさんあり、また、聞き取り調査による「証言」については、当時15歳の少年も、すでに70歳を越えていることから、直接に聞き取れる時間も多くは残されていない。その他、個人ではいかんともしがたい事柄もあることから、これまで明らかにされた事実を再度検証し、不足部分を明らかにし補完していくために、今一度大月市の手で「大月空襲」がまとめられることを期待してやまない。
 尚、本論文を書き上げるのに多数の方々からご指導、ご助言、情報の提供をいただいた。聞き取りで得た情報のうちの大半は論旨と紙数の都合上割愛せざるを得ず、忙しい時間を割いていただいたのに申し訳なく思っている。また本論文を補完する別稿を起こす予定でいるので、そちらで活用させていただきたいと思う。

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