彦田のどんど焼きには、他地区と違った風習がある。それが「御魔羅様ひき」で、藤蔓でしばりつけられた「御魔羅様」と呼ばれる木の棒を、彦田地区の子どもたちが集落の道を引いて歩く行事だ。集落内を一周して戻ってきて、「御魔羅様」が石段の中腹にある道祖神の社に納められると、ようやくどんどん焼きの櫓に火がつけられる。
「御魔羅様ひき」について、彦田の梶原老さん聞き取り調査にいったところ、昔のどんど焼きについても興味深い話をしていただいたので紹介しよう。
梶原さんが子どもの時、昭和の初めの頃には彦田は20戸あまりの家しかなかったが、どの家も家族が多く、子どももたくさんいて、同級生が6人もいたそうだ。だから、どんど焼きも年長の子どもがリーダーとなって地域の子どもたちをまとめて自分たちでいろいろと準備し、運営した。お正月飾りや杉の葉を集めるばかりでなく、山を越えたところにある村の共有林から松を切り出して運び、櫓を組むのもすべて自分たちでやった。
どんど焼きの行われる場所も今とは違う。彦田観音の中ほど、現在の集会所のあたりに櫓を組んだ。つまり、道祖神の前でどんど焼きが行われていた。多いときには、3つも大きな櫓が組まれ、その炎は10数メートルにも達したそうだ。書き初めをその炎にかざしたところ、空高く舞い上がり、山を越えて犬目の集落まで飛んでいったこともあるというから、その勢いの強さがわかるだろう。ところが、不思議と火事はおきなかったということだ。
どんど焼きの時に行われる「御魔羅様引き」の棒は、今では木ならなんでも良いようだが、本来は松の木を使うそうだ。「魔羅」とは男性器のことで、この棒をよく見ると、ペニスの形に似せて削られていることがわかる。藤蔓で「御魔羅様」を縛り、「御魔羅様御祝い」(おんまらさまごいわい)と大きな声をかけながら集落の新婚さんの家まで引いていき、玄関の中まで入り込んで「御魔羅様」を立てて、赤ちゃんができるようにと願い、勢いよく引き倒した。つまり、子どもがたくさん産まれてその家が繁栄するようにと祈る行事として行われたのだ。子どもたちにはたくさんの御祝儀を受け取り、お小遣いとした。
これ以外にも、節分に鰯の頭を飾る話や、彦田観音のお祭りの話も聞かせていただいた。これらについては、後日に写真取材を終えたら紹介しよう。