関東大震災時の朝鮮人襲撃デマ 岡森利幸 2013/9/1
R1-2013/9/10
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞朝刊2013/8/29 神奈川 横浜市教委が、私立中学校副読本「わかるヨコハマ」の関東大震災時の朝鮮人殺害に関する部分を改訂し、12年度版の回収を各校に支持した問題で、歴史研究者らが28日、再改定と回収中止を求める要望書を今田忠彦・市教育委員長宛てに提出した。 関東大震災語の混乱については12年度版は「デマを信じた軍隊や警察(中略)自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、中国人をも殺傷した」と記述。市議会などから異論が相次ぎ、13年度版は「自警団の中に朝鮮人や中国人を殺害する行為に走るものがいた」と改め、軍隊や警察が変わったとする部分を削除した。 |
1923年(大正12)9月1日に発生した大地震の直後に起きた「関東大震災時の朝鮮人虐殺事件」については、デマによって引き起こされた惨事として、語り継いでいくべきことの一つだ。特に、横浜市はその惨劇となった舞台として主だった地域の一つだから、伝えていく義務があろう。副読本に載せるのはいいとしても、もう少し正確な事実を記述するべきだろう。市議会の横槍で歴史事実を変えたりするようでは、教育委員会の名がすたるだろう。
横浜市教育委員会は、自警団がやったことは確かだけれど、警察と軍隊が積極的に関与したかどうかは確かでないから、副読本の文面から削ろう、ということで、歴史学者たちの定説をひるがえして、政治的配慮で改訂してしまったのだろう。何らかの責任を転嫁させたい意図があったようだ。「虐殺」という、やや主観的な表現も嫌ったようだが、「殺害」の表現ではやはり弱すぎる。
改訂した文面では、「自警団の一部がかってにやったことだ」というように読み取れる。しかし、一人や二人の自警団員がやったわけではなくて、複数の自警団が組織的に「朝鮮人狩り」を行なったのだ。組織的に行動するためには、指導者が必ずいて、指導の下で行動したはずだ。さらに上位組織としての日本政府の関与も十分に疑われるのだ。
そもそも、デマを真に受けて急遽、自警団を組織したのは、警察と軍隊だった。震災のどさくさにまぎれて悪事を働くものたちを取り締まるため、自分たちでは手が足りそうもないから組織したのだ。(在日の)朝鮮人襲撃説が広まっていたから、それに対応することが危急の課題になっていた。
〈朝鮮人の襲撃に備え、略奪・暴行を防ぐ〉ことが彼らの本来の目的だったはずだ。しかし、悪夢のような大震災に加え、更なる脅威に対し、にわかに組織された自警団は、過激な集団行動に走った。上位組織がそれを制止するどころか、焚きつけた。おそらく次のように、警察幹部が、自警団のリーダー格の男に話した――
「聞いてのとおり、非常事態だ。首都圏に住む朝鮮人たちのあいだで不穏な動きがあるという。やつらが地震で倒れなかった邸宅を襲おうとしているという情報をわれわれはつかんでいる。ここは絶対治安を維持しなければならない。これに対処するため、君たちの力が必要なのだ」
「へい、あっしらはパトロールするだけでいいんですね」
「うんにゃ、見張るだけでゃない。治安のためにビシビシ取り締まるのだ。できれば賊たちを捕まえろ。悪行した奴らをつかまえれば、表彰ものだぞ」
「しかし、賊かどうか、見分が難しそうですぜ」
「怪しい奴がいれば、少し痛い目にあわせればいいんだ。われわれ警察はいつもそうやっているのだ。朝鮮人の奴らは叩けばほこりが出る者ばかりだしな。日本に反抗心を持っているやつらだ。抵抗したら、ぶちのめしていい。治安を乱すやつには容赦しなくていい。やつらは武器を集めているだろうから、対抗できるものを用意するのだな。取り逃がしでもしたら、善良な市民がやられてしまう。いいな?」
「へい」
というように、警察が自警団に暴行の「お墨付き」を与えていたのだ。自警団は、日本刀や銃などの武器を携えて(どこで入手したのだろうか? 何と、一部は警察が与えていたことがわかっている)、朝鮮人たちの居住区に踏み込んだ。もちろん、土足で。そして怒号が飛び交うシーンをイメージすると――
「テメーの名前を何という?」
「テメーら、朝鮮人だな、略奪したんだろ、白状せい!」
「井戸に毒を入れやがったな。井戸の水がにごっているじゃねえか! テメーだろ?」
「テメーも朝鮮人か! 火をつけた奴らの仲間か?」
「お屋敷を襲うなんて企むたぁ、フテー野郎どもだ」
「おーい、まとめて捕まえて、とっちめろ!」
「ええい、やっちまえ」
「逃げるな! コノヤロー、背中からぶったぎってやる!」
「女子供もやつらの一味だ。いっしょにやっちまえ!」
「ついでに、チャン□□(中国人の蔑称)も、やっちまえ!」
多くの朝鮮人たちが『血祭り』に上げられた。妊婦も殺されたという証言も残されている。
警察や軍隊のただならぬ動きに呼応し、一部の民衆も自警団に加わって暴徒化した。何と、暴行を取り締まる側が、暴行を働く一団となってしまった。単に朝鮮人というだけで、女子供まで「いわれなき連帯責任」を負わされてしまったわけだ。悪行を働いたものを捕まえたら、警察に引き渡すことになっていたということだが、自警団は、ろくに調べもせず、朝鮮人ということだけでリンチを加えていたから、引き渡された者はほとんど虫の息だったらしい。もちろん、息をしていない者も……。
それがデマだとわかるまで、あちこちでヤクザ顔負けの乱暴狼藉が行われた。朝鮮人の死者は数千人にのぼる。どさくさにまぎれて行われたためか、公式な数値は集計されていない。
デマの出所は、今となってははっきりしないが、関東大震災時に火事場泥棒的な悪事を働いた者たちの一人が、たまたま朝鮮人だったという実例があったかもしれない。「朝鮮人が略奪した」ということが、震災の後の火事や余震におののく被災者たち(首都圏ではだれもが被災者)の間で口から口へ急速に広まり、それが尾ひれをつけて、
「朝鮮人が火をつけに回っている!」(大地震の後には、火の不始末で火災が発生しがちだ)
「朝鮮人が井戸に毒を入れている!」(地震で井戸水が濁っただけだろう)
などと、とんでもない悪質なデマに発展したのだろう。日ごろから、日本人は朝鮮人を虐げていた(安い労働力として使っていた)し、彼らとの間で労働争議も発生していたから、そんな混乱に乗じての朝鮮人襲撃説が、まことしやかに語られたのだ。人びとの間で、在日朝鮮人に対して「よそ者的差別」感情があり、不信感を持っていたのだろう。今もそれがあるのかもしれない。
警察や軍隊が持つ情報収集と通信網によって、「鮮人(朝鮮人の別名)が徒党を組んで襲来する」などという、ほとんど根も葉もない情報が錯綜して上層部に寄せられたから、混乱に拍車をかけたとされる。警察や政府など公的な発表の情報を鵜呑みにした民間新聞もそれに輪をかけて騒ぎ立てた。
警察や軍隊が自警団を組織した事実から、警察や軍隊が自警団の行動を関知していたしていたはずであり、それを指導し、その行動に責任を追う立場でもあったわけで旧版の副読本にあるように、「警察と軍隊と自警団が(グルになって)残虐行為に関わった」と記する方が真実を表しているといえるだろう。自警団は警察や軍隊の指揮下でやっていたのに、副読本を読む側に「自警団がかってにやったことだ」という意味に受け取られてしまうなら、ほとんど誤記だ。
警察と軍隊が直接自分たちの手を下しては、はばかれることを自警団に託して、やらせたようにもみえる。広範な地域で警察と軍隊を動かせるのは政府だ。単なるうわさでビビリまくり、デマに踊らされたのは政府だろう。9月1日の夕刻には東京で、まるでクーデターが起きたかのように戒厳令が出されたことでも、政府のあわてぶりがよくわかる。おそらく、首都圏に豪邸を構えていたような政府高官たちが、朝鮮人襲撃説を聞きつけ、自分たちの邸宅が焼き打ちされることを想像し、心底から震え上がったものと考えられる。
「鮮人たちの襲撃の目標になっているのはわしらの屋敷だというのか? 何だと? 金品を略奪するだけでなく、屋敷の婦女子をみな、ひんむいて強姦し、その上、屋敷に火をつけようとしているというのか? そうはさせるか! おい、警察と軍司令部の長官を呼び出せ!」
彼らは社会の治安を守るというより、自分の邸宅を守りたかったのだろう、と私は推察する。
以下、参考として総合百貨辞典エンカルタから引用する。
朝鮮人・中国人の虐殺 Microsoft Encarta 2006. パニック状態の中で、1日の夕方から「朝鮮人が来襲して井戸に毒をなげ、放火・強盗・暴行をしている」という流言が生まれ、市民の不安と恐怖をあおった。朝鮮人に関する悪質なデマは、翌2日には東京・横浜などの震災地に広まった。 政府は2日午後に緊急勅令により戒厳令を部分的に適用して軍隊を出動させた。警察・軍隊は市民に警戒をよびかけ、各地で在郷軍人会や青年団などに自警団をつくらせた。日本刀や竹やりなどで武装した自警団員は、極度の不安と緊張の中で朝鮮人をみつけては殺害し、また暴行をくわえて警察や軍隊にひきわたした。やがてうわさがうそだとわかると、警察は5日から自警団の規制にのりだし、朝鮮人への迫害はおさまった。この間、軍隊・警察・自警団の手で数千人の朝鮮人と数百人の中国人が殺害された。 |
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