姉妹の絆

                                  岡森 利幸 2007/11/29

R1-2009/10/22

 

その事件は2007年11月16日に瀬戸内の坂出市で起きた。10日ほどの間、祖母とその孫の幼い姉妹が巻き込まれたその残忍な事件現場となぞの多い状況で、メディアによる報道も加熱していた。私もそれらの報道を見るとはなしに見聞きして、この奇妙な事件(残された多量の3人分の血痕、切り取られたカーペット、持ち去られた自転車など)に関心を持っていた。ようやく11月27日の夜、横須賀正明(61)が容疑者として逮捕された。

まだ多くのことが明らかではないけれど、ここで、これまでの状況や情報を踏まえ、この事件の犯行の動機について考えてみた。以下は、私の「推理」と「仮想」が多分に含まれる――。

 

横須賀の妻が、殺された祖母・葉山栄子さん(58)の妹だった。仲のよい姉妹だったらしい。しかし、姉がひんぱんに金を求め、無心するものだから、妹は夫にも内緒で、自分たち夫婦の生活費の一部を渡し、それでも足らないから借金をしてまで姉に金を渡していた事実が浮かびあがってきている。妹も、姉が必要としている金は自分のために使っているのではないことは知っていたし、姉の置かれた立場をよく知っていた。姉思いの、気の優しい妹は、人のよい姉が経済的に困窮しているのに、見るに見かねて自分の家計からだけでなく、借金をしてまで工面していた。夫には、家計から多額の金を引き出している手前、本当のことは言えなかったし、言えば、金にうるさい夫の性格から絶対に反対するに決まっていた。

横須賀も、そんな妻の行動をうすうす知っていた。気にはなりながらも、問いただす機会を逸していたし、妻を信用し、家計を任せていたのだ。しかし、横須賀は、妻が今年4月に肺がんで死んだ後、妻が自分の名義であまりにも多額の借金をしていたことを知って、がく然とする。

〈オレに内緒で、これほどまで妻は、義姉のために金を渡していたのか。妻は義姉を信用して金を貸したのだろう。おそらく、自分より義姉のほうを信用して……〉

横須賀は、妻に裏切られた気持ちと、妻が自分より義姉を信用していたことで、義姉に対して嫉妬めいた気持ちを抱いた。横須賀にとって、義姉は、妻を丸め込んで、金を吸い上げる存在にも思えたことだろう。

〈妻は病院に支払うべき金がないために満足な治療も受けられず、死んでいった。何度も金を無心していた義姉のせいだ。自分たちの生活を破綻させ、妻を自分から取り上げ、借金まで残したのは、すべて義姉のせいだ。義姉の一家が自分から金を奪い、愛する妻をも奪ったのだ〉

病状が重くなり、やつれ果てていく妻の姿を見ても、どうすることもできなかった自分に対し、自暴自棄的な気持ちが芽生えてきた……。寂しさとくやしさが増してくる。妻が死んでからは、借金の督促が直接自分に次々に来るようになり、苛立ちと憤りが増した。

〈60を過ぎたこの身の稼ぎでは、加算される利子にも追いつかん。クソ、なんでオレがあの女の借金の肩代わりをさせられなければならないのだ。もう老後の貯えも尽きた。老後の楽しみもなくなった。これもすべて、妻の葬儀にも、姉妹でありながら、ろくに香典を出さなかった義姉のせいだ。金を返そうともしなかった。義姉は、借りた金を踏み倒すつもりなんだ。妻はあの女に金をだまし取られ、殺されたようなものだ。よし、かたきを討ってやる〉

もう一つ、横須賀には、くやしい思いがあった。妻の死によって、今では年老いた両親だけが住む姉妹の実家である葉山家の遺産相続がになったことだ。(遺産といっても、おそらく、大した資産価値はないのだろうが……)横須賀は、その老い先短い義理の両親の死後に妻が1/2を相続する分を当てにしていた。

〈妻の死によってすべての遺産相続の権利は義姉に持っていかれてしまうのでは、割が合わん。遺産の一人占めだろ。クソ、あいつが先に死ねばよかったんだ!〉

 

彼は、金融業者たちの厳しい取立てに精神的にも経済的にも追い詰められていた。今夜も帰宅してまもなく、電話がかかってきた。

「横須賀さんよー、今月分が入金されてねぇじゃねぇか。いつ払い込んでくれるんでぇ?」

「……」

横須賀は、〈それはオレが借りた金ではない、妻が借りた金だ〉と言いかけたが、止めた。言えば、何十倍もの言葉がはねかえってくるのだ。いやみたっぷりの言い方で家族論、責任論、果ては金融理論まで言い聞かされるのが落ちだった。

「黙っているとは、返事もできねぇのか、オイ、コラ」

――そんなことが数カ月続き、秋になって(今年の10月)、自分の職場に辞表を出した。

 

葉山栄子さんは、朝8時半から夜10ごろまで、二つの職場をかけもちで働いていたことが知られている。それでも、金が足りなかった。あちこちに借金して回っていながら、1000円の自治会費も払えず、家賃を何カ月も滞納していたこともあった。一年ほど前まで住んでいたアパートを夜逃げして今の住居に移っていたのだ。かつて、人柄もよく、けなげに働く葉山栄子さんに好意を寄せた男性は、葉山栄子さんの金銭問題の多さに身を引かざるを得なかったと証言する。

何のために彼女がそんなに金を必要としていたのかが、重要なポイントだろう。それは、彼女の娘一家である山元家が一つの鍵をにぎる。一説には山元家の家計を支えていたのが、彼女だったというのだ。彼女の娘は4人の幼い子供たち(10歳から1歳)をかかえ、授乳や子育てのため、ほとんど働けなかったのだろう。しかし、もう一方の彼女の娘の夫である山元弘さん(43)がなぜ家計を支えていなかったのかは、私にはよくわからない。どんな事情があったのだろうか。彼はかなり前から職を失っていたようだが、長期に渡って定職を持たず、義母の労働収入や義母が工面してきた金を当てにしているような生活を続けてきたのはなぜだろうか。義母に働けるだけ働かせて、自分は家計に金をろくに入れず、パートの仕事一つもせず、のうのうと暮らしていた状況が浮かび上がる。

娘一家は、〈母に言えば、金は何とかしてくれる……〉とでも思っていたのだろう。そんな母の愛に甘えすぎていたのではないか。

葉山栄子さんに娘一家を扶養する義務はない。しかし、親の愛があった。葉山栄子さんは、かわいい孫たちを含む娘一家のために、身を粉にして働き、それでも金が足らないから、借金して回った。妹には頭を何度も下げ、お礼を言った。(その姿が目に浮かぶようだ。) その頼りになった妹も死んだ。もうどこにも借りる当てはなかったし、借金の総額は積もり積もって、身動きが取れないほどの状態に陥っていた。葉山栄子さんの体も疲れ果て、陰うつな日々が続いていた。

〈娘婿さんの働き口が見つかって一家の収入が安定するまでの辛抱だ。私のできるだけのことはしよう。でも、いつ働き口が見つかるのやら……〉

もう一つの鍵をにぎるのが、彼女に息子がいて、元の夫と住んでいることだ。正式に元夫と縁が切れたのは、ほんの2、3年前のことで、彼女はようやく葉山姓にもどることができた。元夫は、長い間、離婚協議に応じようとせず、彼女に付きまとっていたという。このため彼女はかなり昔から借金に追われる生活を続けていたという。

 

そして11月16日の夜明け前、横須賀は、恨み重なる義姉の借家を襲った。犯行の際、暗くて当初その存在に気づかなかったが、彼女の二人の孫が物音に気づいて起きだし騒ぎ始めたから、びっくりし、刺してしまった。気が動転した彼にとっては、義姉の一家は「同類」であったから、相手が幼児であっても、ブレーキがかからなかった。その時は、助ける気持ちは起きなかった。しかし、三人が動かなくなり横たわっている姿を見て、妻を思い出し(葉山栄子さんと彼の妻の外観はやはり似ている)、仮の埋葬だけはしてやる気持になった。運び出すにあたって、三人のぐにゃりとした体は手に余るものだったし、血だらけの体には触りたくなかったから、そこで彼は切り取ったカーペットで巻き付け、車に運び入れた。ふと、彼は、玄関先に置かれた、見覚えのある自転車に気づいた。

〈これは、妻が前に乗っていた自転車ではないか。妻のために、オレが買ってやったものだ。あの女は、妻が死んだのをいい事に、自転車まで自分のものにしていたとは……。もう、だれにも渡さん〉

彼は、自転車も車の荷台に乗せ、土地勘のある坂出港に車を走らせた。

――横須賀は、恨む相手を間違えたようだ。

 

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