おれの頭突きを食らえ                                                                                 岡森利幸   2006.9.7

2006.10.3 R2

2006年7月9日、サッカー・ワールドカップ・ドイツ大会の決勝戦で、延長後半の5分が経過したとき、事件が起こった。フランスチームの主将・ジダンが、イタリアチームのストライカー・マテラッツィの胸部に頭突きをかませたのだ。マテラッツィは不意をつかれてその場に転倒した。この試合を最後に引退を表明していたフランスの英雄的サッカー選手、ジダンは即座にレッドカードで退場処分された。サッカー・ファンでなくとも、多くの人が知っている事件だろう。

その直前に、二人の間に口論があったことがわかっていた。試合中に、相手の選手と言葉を交わすことは、感情的になってしまうものかもしれない。それが些細なことであっても……。

なぜ頭突きをしたか、試合の数日後に、ジダンは釈明している。

「マテラッツィが母や姉を侮辱した言葉をはいたからだ」と証言した。しかし、その具体的な言葉は、些細なこととして明らかにしなかった。

マテラッツィは、言い訳もせず、無言を通した。無言を続けるのは、自分の立場が不利になることを恐れていたからのようにも見えた。ラフプレイの少ない、普段は温厚なジダンがそんな暴挙に出たのだから、よほど汚い言葉を吐いたのだろうと思われていた。地元フランスのメディアなどの論調では、ジダンはアルジェリア系移民の2世(5人兄弟姉妹の末っ子)だったから、社会的な差別問題が背景にあって、ジダンの感情を傷つけたものという推測がなされていた。暴行を受けた側が罰せられることは少ないのに、マテラッツィは「暴言をはいた」ことで、ジダンとほぼ同等の罰を受けた。

 

ようやく約2カ月たった9月5日に、やっとマテラッツィは、インタビューに答えて発言内容を明らかにした。その内容から状況を再現してみよう。私のイメージもふくらませてみる。

――マテラッツィは、マークしていたジダンに接近したとき、ジダンのユニフォーム(ジャージ)に手がかかり、それを引っ張った。ジダンは、ずっとつきまとっていたマテラッツィに対し、ユニフォームまで引っ張られたことに、いらだたしさが増して、

「そんなにユニフォームがほしいなら、後でくれてやる」と、皮肉を込めて言い放った。

それに対して、マテラッツィも、すぐにやり返した。

「それなら、お前の姉の方がいい」――

 

気の置けない仲間同士なら、ジョークとして通じるものだろう。しかし、試合の前半で自らが得点したものの、間もなく同点にされ、延長に入っても決着が付かず、互いに激しい攻防が続いた中で、自分の体力が、おそらく精神力も限界に近づいていたジダンは、それをジョークとして聞き捨てる余裕をもたなかった。

自分の発言がマテラッツィに切り返されて、むっとした。そして自分の姉が汗とほこりにまみれたユニフォームと同列の『物』として扱われたことは、ジダンにとって十分に侮辱的だった。

彼は心の中でこう叫んだ。〈こいつ、おれの敬愛する姉をユニフォームといっしょに見下しやがって、おれの頭突きをくれてやる〉

 

 

ホームにもどる  次の項目へいく

         ロシアによる漁船拿捕