無題


「死のう」
夏休みに入って一週間ぐらいした、バイトの帰り。
僕は、バイト先のファーストフード店からそれ程遠くない、歩道橋の上にいた。
このバイトは好きじゃなかったので心残りは無い。
マニュアルに厳しくて、上司とも気が合わなかった。
手には家から持ち出した頭痛薬と、自動販売機で買った500mlのミネラルウォーター。
薬は昨日姉さんがたまたま買ってきていた。ほとんど新品なので、20錠以上はある。
見下ろすと、下を走る車の群れが、街灯に照らされて幻想的に光っていた。
夏の風に空気が気持よく混ざり合って、綺麗な夜だと想った。
そして、やっぱりここを死ぬ為の場所に選んでよかった、とも。

僕は元々内向的で、独りで本を読んだり、絵を描いたり、空想に遊ぶのが好きな子供だった。
音楽も好きだったけど、音痴で唄う事が嫌いだった。
あれは去年のクリスマスだった。プレゼントに、あるバンドのCDを買ってもらった。
聴いたことは無いけど、以前から興味のあるバンドだった。
それを聴いた時、子供が自分の空想の中で作り出すような、周りの世界を諦めているようでありながら
どこか希望的な歌詞の世界観、泣きたくなるような声を持つヴォーカルに衝撃を感じた。
そして、そのバンドを見るために初めてライブハウスに行って強く想った。
(あのステージで唄いたい)と。
話すのが苦手で、文字や絵で自分を表現するのが好きだった僕にとって
それは新しい表現だった。

高校に入った僕は(僕、と云っているが僕は女である)親に内緒でメンバーを集め、バンド活動を始めた。
その日、初めてスタジオに入った僕は、音楽の中にいられることで何もかも幸せだった。
でも、僕は知っていた。永遠なんて無いことを。
(この幸せはいつ壊れていくんだろう)って、ずっと心の隅で想っていた。
そして、それはやっぱり壊れてしまった。
バンドがバレて、過保護な親に反対されたのだ。失う、と想った時、そのバンドや音楽が
僕の中で酷く大きいものになっていたことが解った。
僕から音楽を奪うもの全てを許せなかったし、何も出来ない自分も許せなかった。
これから抜け殻のように生きていくことを想うと、辛くて仕方なかった。

そんな訳で、今に至る。
1番信用している姉さんにはメールで知らせてある。姉さんは止めなかった。
これは一見、問題のあることのように想えるが、姉さんは本気で信じていなかったのだろう。
1錠1錠、飲み進めていくが・・・これと云って変化は無い。
とうとう1箱飲んでしまった。
丈夫な自分の体に腹が立って、近くの店に入り、追加の風邪薬2種類と
500mlのミネラルウォーターをそれぞれ買った。
それから歩道橋まで戻るのが面倒になって、コンビニの裏の細い道に座った。
そう簡単には見つからないだろう。
そうして薬を全部飲んだ。それでも死ななくて、ぼんやりとMDから流れる曲を聴いていた。
これからこの世から去ろうとしているのに、いい気なものだと想うが、大好きな音楽の中で
死にたかった。
何度も親からの電話やメールがきている。僕はそれを無視し続けた。
パトカーのサイレンが煩い。捜索届でも出しているのだろうか。
気づかずに通り過ぎていくパトカーを、何度も見送った。
(これからどうしようか?)なんて考えていたとき





グニャリ。




眩暈で視界が歪んだ。
と、同時に今まで感じたことの無いような頭痛、吐き気、寒気を憶えた。
脈が異常なくらい速い。
ヒヤリとした。まるで背中に死神が立っているみたいだ。
空が紅く、死の色に見えた。

そのとき、何度目かの電話が鳴った。
僕は無意識でそれを取った。懐かしいような姉さんの声がした。
「大丈夫!?今どこ?」
「・・・やべぇ、死ぬの怖ぇ・・・」
「誰かいないの?人のいる所まで歩ける?」
姉さんの声に答えようとするが、息が上手く出来ないし、立って歩くこともままならなかった。
僕は必死で這った。その間姉さんはずっと声をかけていてくれた。
何人かの人がチラリと見たが、そのまま通り過ぎてしまう。
長い黒髪の僕が、貞子のようにでも見えたのだろうか。

1人の男の人が声をかけてきた。
「気分悪い?お酒飲んだの?救急車呼ぼうか?」
そう云ってその人は近くのコンビニに走って行った。
僕は耐えられなくなって吐いてしまった。昼から何も口にしていなかったので
白い薬しか出てこなかった。酷く気持ち悪い。

しばらくして、その男の人と救急車がやってきた。
救急車に乗せられると、応急処置を施されながら質問を受けた。
「何してたの?」
「・・・すみま・・・せん、薬、飲み・・・ました・・・」
「何を、どのくらい?」
「頭痛薬・・・と、風邪薬・・・1箱・・」
僕はちゃんと受け答え出来たのだろうか?
意識が揺らいでいった――――。



そうして、気がつけば病院に着いたようだ。
慌ただしく白い人々が動き回っている。
近くにやってきた女医に僕は声をかけた。
それは、今想えば第一声にはあまりにも緊張感に欠けるものだった。
「・・・トイレ、行って、いい・・・です・・か」
その人は、怪訝そうな顔をした。当然だとは想うが、1000mlもの水を飲んでいたのだ。
僕なりに大事な用事なのである。
「今、管入れますから心配しなくていいですよ」
事務的にそう云われただけだった。
とんでもない。こっちは非常事態だ。
歩けるかどうかも解らないのに僕はトイレに行こうとしていた。
「・・・限界、近いんですけど・・・」
「もう管入れましたから大丈夫なはずですよ?」
そう云われれば恐ろしいほどの尿意が消えた気がする。つまりは垂れ流し状態か。
いつの間に勝手なことをされたものだ、とボンヤリ考えていると
「胃の洗浄しましょうね」
と云いながら新しい管を出してきた。
そしてそれを鼻の中に入れたのだ。あまりの苦しさに僕は抵抗した。
「!ちょっ・・・う゛・・・」
「薬なんか飲むからこんな事になるの!」
いきなり怒鳴られて抵抗するのも忘れた。
ああ、そうなのかと僕はその無機質な管を必死で飲み込む努力をした。


管は呼吸をしたり唾を飲み込むだけでとても苦しかった。
眠ることも出来ず、時間も解らないまま時が流れていった。

気がつくと、朝になり、親が来ていた。
朝になれば帰れる、この管を外してもらえると想っていた僕はもう1日入院しなければ
ならないことに愕然とした。
後遺症で臓器に障害が残る可能性があるらしい。
自慢じゃないけど風邪も何年もひかないほど丈夫なので全く心配していなかったのだけど。
そうして食事も摂らずベッドの上で人形のように過ごした。
たまに点滴や血液検査に来る看護士にまだ管は取れないのかと訊ねるだけだった。


夜になり、管を外してもらうことになった。それは爽快だった。
自分の足でトイレまで歩いた時は丸1日歩かなかっただけで酷くふらついた。
鏡に映った顔は病人のように青白くて驚いた。
回復すると退屈で、消灯時間を過ぎてもベッドの中に漫画を持ち込んで夜を明かした。

その日の朝、いつものように点滴で早くから針を刺されながら目覚めた。
僕は退院することになった。
外に出ると、たった3日ほどなのに何年も太陽の光を浴びてこなかったように感じた。

僕は退院してすぐに親友を家に呼んだ。とても心配をかけたし、早く逢いたかった。
「殴りに行くからね」
「抱擁なら受け付けるよ♪」
そんな会話をして、家にやってきた彼女は・・・やっぱり殴った。
でも僕は酷く幸せだった。本当に。



あれから、バンドは何とか続けている。
来年にはライブもやりたい、と考え活動の為に新しくバイトも始めた。
某出前専門寿司屋の調理補助で、1キロの米を研いだり1度に30個もの茶碗蒸しを
作ったりする、かなり肉体労働だった。
体力も根性も無い僕には辛かったが、1番年下と云う事もありとても可愛がってもらい
続けることが出来ている。
後遺症も残らず平和に暮らしている。
まだまだ僕は不安定で、消えたくなることがあっても、死は何も解決しないと
云う事を知った。
僕は今日もこの町で夢の欠片を磨いている。



今となっては幻のような体験だったけど、あの日の夜を想い出すと薬を吐いた時の
苦さや空気の重さ、絶望的な景色が鮮やかに蘇ってきてくる。
それは生きている証だ。
生きることは理解不能なくらいぐちゃぐちゃしていて、
でも、こんなに泣きたくなるほど綺麗なんだ。

                               終。




「自殺」は勇気じゃない。「リストカット」は勲章じゃない。
そんな小さな傷で「死」に近づいたなんて笑わせないで。痛いよ。
怖いんだよ、死ぬって。泣いてもいいから生きなよ。
頼りないけど、僕らも必死だ。
少しぐらい笑わせてあげるから。
一瞬ぐらい幸せにしてあげるから。傷つけないでよ。
                           親友へ。