50年前(昭和34年頃)の電器店にはどんな商品が並んでいたのか

 当時の電器店にはどんな商品が並んでいたのでしょう ? ちょっと覗いてみませんか、

お店の全景 クリックで拡大 静岡の電器店タムララジオ 当時の洗濯機

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テレビ、ラジオ、洗濯機、冷蔵庫などほしいものばかりで月賦
(ローン)が終わると次の月賦と、電化製品が家庭に充実し始
めた頃でした。

上右写真中央には水冷クーラーが陳列してあります。「専用モ
ートルを使った和室にも向くナショナルホームクーラー」のポ
スターが他の写真の中にありましたが、庶民にはまだまだ高峰
の花 でした。

左写真下一番手前は脱水機、その効果はローラー式絞り器と格
段の差がありました。ポップにも「90%脱水で物干し場がいら
ない」とあります。


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トランジスタ祭り開催中です。トランジスタラジオが普及し始
めた頃でもありました、6石(トランジスタを6個使用)トラ
タンジスラジオの価格は1万円以上で真空管ラジオの約2倍し
ましたが初めて手にとった人は小型で高性能、しかもすぐ音が
出ることに驚きました。

下右写真のショーケース内トランジスタラジオ陳列にはソニー
のラジオやクラウンのゲルマニューム・ラジオも有ります。


店内陳列_4 店内陳列_5

店内陳列_8  上左写真:扇風機の下のガラスケース内には
国民型ソケットなどの配線器具が並んでいます。
当時延長コードなどはその都度顧客の希望を聞
きながら作成していました。
アイロンは立派な木箱に入って、メッキも厚く
「良いものを長く使っていただきたい」と意気
込むメーカーの気合いを感じる製品でした。
下の列は和裁用のコテです。年配の者はこれを
”電気伸(の)し”と呼んでいました。
トースターの下はタイムスイッチです。電気釜
の組合わせてで、主婦の朝がずいぶん楽になり
ました。

 左のカラー写真:赤い電球は当時流行した赤
外線ランプです。肩腰のこりをほぐし美容にも
良いとのことでした。
天井に照明器具、当時の蛍光灯は点灯に時間が
かかり、反応の鈍い輩を称して「蛍光灯」と揶
揄しましたが、今では死語になりました。



古い資料を片付けていたら昭和35年頃撮影された家電店の写真集(*1)を見つけました。松下電器が
店補や陳列台改装の模範例と紹介したものなので、当時を知る業界人からみるとかなりボリューム
ある商品構成になっています。(*1)新しい電器店の店舗 --すぐ役に立つ店舗の実例集 松下電器
産業(株)販売助成部 昭和35年発行 

                   ・・・・・

時代の花形 14インチテレビ
まづ最初にこんなテレビが家庭に入りました。見ない時には前面を覆う立派な西陣織の掛布が付き
きました。この掛布を附けるサービスは、松下幸之助氏のアイデアだと聞いています。

ナショナル14インチテレビ東芝14インチテレビ


テレビ外見写真:左側はナショナル T-14R7Aです。前面スピーカーやプリント基板、FM受信機やワ
イヤーリモコン端子付きで昭和35年以降の高級機種と思います。右側は東芝の14ETです。スピー
カーの位置や高周波増幅真空管の種類などから、30前半普及初期の製品でしょう。

昭和35年にはNHKがカラー本放送を開してわずか10年の昭和45年頃よりソリッドステート(全て半導
体)のカラーテレビが急速に普及しました。その後ナショナルやソニーが画王やプロフュ-ムなどの
ネーミングでアナログ高画質テレビの競争もありましたが、大型量販店が全国展開をし始めた頃から
テレビは粗製濫造の一途をたどりました。

テレビのシャーシー(内部)写真
当時の花形商品であったテレビのサービスマニュアルも保存してありました。電気店主のスキルを
高めるためマニュアルというよりちょっとした教科書になっています。
下の写真はナショナルテレビのシャーシーです。この写真の上に真空管名や重要な部品の場所を記
したセロハンが綴じて有ります。

テレビシャーシー表 クリックで拡大    テレビシャーシー裏 クリックで拡大          

  ナショナルのライバルであった東芝のテレビシャーシ裏側も紹介しましょう、クリックで開きます。


                              2010年3月  タムララジオ