古銭関係スクラップブック

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編集:玉川 「私の顔」  ずくなし日記  元記事:朝日新聞

更新日: Mar. 18. 2008


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【2008年12月24日(水)】

和同開珎に量産工程 平城京で「種銭」、地方へ配給か

2008年12月24日3時1分

奈良時代に流通した国内最古級の貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」(銅銭)は、
平城京(奈良市)で鋳造の元となる「種銭(たねせん)」を造った後、この「種銭」
が地方の銅生産地に配給され、大量生産された可能性があることが国立文化財機構奈
良文化財研究所の調査でわかった。平城京で過去に出土した鋳型が「種銭」用だった
ことが最近の分析で明らかになった。規格を統一するため、中央に「種銭」の官営工
房を置いていたとみられる。

 奈文研によると、和同開珎の鋳型の破片数百点が79年に平城京の中心部から見つ
かった。鋳型は730年代に造られたもので、場所は平城宮から約1キロしか離れて
いなかった。平城京内の「造幣局」について記述した文献がなかったため、これまで
はニセ銭造りの跡とみられてきた。

 しかし、奈文研の松村恵司・都城発掘調査部長が07年度に実施した実験で、銭を
鋳造した場合、完成品の大きさが原型より1.78%収縮することが解明された。こ
の数値を元に松村部長が79年出土の鋳型について再計算したところ、本物の和同開
珎(平均直径2.45センチ)より一回り大きい銭(同2.53センチ)ができるこ
とがわかった。さらにこの銭から再び型を取って銭を造り、側面を磨くなどして仕上
げると、本物とほぼ同じ大きさになった。

 ニセ銭の場合は、本物から型を取るため本物より一回り小さくなるという。この結
果から、出土した鋳型は「種銭」用だったと判断した。

 和同開珎を製造する際は、まず木を彫った原型銭を粘土に押しあてて鋳型とし、「
種銭」の元となる母銭を造ったとみられる。原型銭は見つかっていないが、平城京か
らは以前、母銭とみられる和同開珎1枚が見つかっている。直径は2.59センチで
、「種銭」よりさらに一回り大きい。 

 730年代には銅の生産地がそばにある山口県下関市や、都に近い京都府木津川市
の2カ所に「鋳銭司(ちゅうせんし)」と呼ばれる造幣局があった。原料の銅を都ま
で運ぶにはかなりの労力がいるため、中央で「種銭」を製造した後、生産地に送り、
現地で大量生産したらしい。「種銭」用の鋳型自体は地方に送らず、中央で厳重に管
理していたとみられる。中央にも銭を管理する「鋳銭寮(ちゅうせんりょう)」と呼
ばれる役所があったが、詳しい役割はわかっていなかった。

 松村部長は「鋳銭寮が自ら種銭を造り、地方へ供給していたのだろう。大量発行し
た和同開珎の規格を全国一律で維持するためにはなくてはならない措置だった」と推
察している。(渡義人)

 〈栄原永遠男・大阪市立大大学院教授(日本古代史)の話〉これまで地方のあちこ
ちに鋳銭司が置かれたことはわかっていたが、どうしてそういう体制が可能だったの
かよくわかっていなかった。貨幣を造るうえでは、国家が一元管理することが重要。
和同開珎を大量生産するシステムが見えてきたことは非常に興味深い。

 〈和同開珎〉和銅元(708)年に武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)で見つか
った自然銅が朝廷へ献上されたのを機に造られた貨幣で、今年で発行1300年を迎
えた。8〜10世紀に国家が発行した皇朝十二銭のうち最も古い。円形で穴があり、
時計回りに4文字が記されている。平城京造営の資金をひねり出すのが発行の目的と
みられ、造られた量は不明。ニセ銭造りも横行し、畿内やその周辺以外ではあまり流
通しなかったとされる。これまでに全国から約5千枚が出土しているが、うち約3千
枚は平城京内。かつては「日本最古の貨幣」とされてきたが、現在では飛鳥池遺跡(
奈良県明日香村)などで出土した7世紀後半の富本銭(ふほんせん)が最古と考えら
れている。


【2008年3月18日(火)】

最古の貨幣「富本銭」に新種 藤原京跡

2008年03月18日00時07分

 日本最初の貨幣、富本銭(ふほんせん)(銅銭)で、従来のものに比べて字体や
厚みなどが異なるタイプが、藤原宮跡(奈良県橿原(かしはら)市、694〜710)
で出土した地鎮具のつぼの中から見つかった。奈良文化財研究所が17日、発表した。
専門家は複数の工房が存在していた可能性などを指摘、不明な点が多い富本銭の実態
に迫る発見としている。

 地鎮具は、天皇が執務した大極殿(だいごくでん)院南門近くの回廊跡で昨年10
月に発見された。X線コンピューター断層撮影(CT)装置で透視したところ、中に
富本銭と水晶が九つずつあり、調べていた。

 取り出した富本銭(直径2.44センチ、厚さ2.7ミリ)は、飛鳥池遺跡(同県
明日香村、7世紀後半〜8世紀初め)などで見つかっていたものと異なっていた。
「富」の字は飛鳥池では丁寧な隷書(れいしょ)風で、うかんむりだが、藤原宮跡で
は略式の行書風のわかんむり。「口」と「田」の左端が1本の線でつながっていた。
中央の四角い穴のふちの線が太く、銅銭自体もやや厚くて飛鳥池のものの約1.5倍
の6.7グラムあった。成分分析の結果、富本銭の特徴とされるアンチモンの含有量
が極めて少ないものが9枚のうち4枚あった。

 一方、水晶9個(長さ2〜4センチ)は風化もなく、つぼに入れられた1300年
前の光沢がよく残った状態だった。

 富本銭と水晶は、18日〜4月18日に橿原市の同研究所藤原宮跡資料室(土、日
曜休館、29日は開館)で展示される。


【2007年11月29日(木)】 富本銭と水晶で地鎮祈願 藤原宮跡で最古銭出土  日本最初の都城の中枢、藤原宮跡(奈良県橿原(かしはら)市、694〜710) で、最古の貨幣の富本銭(ふほんせん)と水晶を入れたつぼが出土し、奈良文化財 研究所が29日、発表した。宮殿建設の無事を祈る地鎮の道具とみられる。周囲に 四つの柱穴もあった。宮殿の地鎮跡としては最古といい、日本書紀の記述にも一致 する。同研究所は、四隅に青竹を立てるなどする現代の地鎮祭のルーツだろうとし ている。  天皇が執務した大極殿(だいごくでん)を取り囲む回廊跡で見つかった。柱穴は 周囲約1メートル四方。つぼを囲むように造った仮の施設で地鎮祭をしたらしい。  つぼは、ラッパ状の口がついた須恵器の平瓶(ひらか)(直径約20センチ、高 さ約14センチ)。この口を数枚の銅銭や土がふさいでいたため、X線コンピュー ター断層撮影(CT)装置で内部を透視・分析した。その結果、口にあったのは富 本銭9枚で、本体内には六角柱状の水晶9個があるとわかった。  地鎮祭を記録した文献としては、日本書紀に「新益京(しんやくのみやこ)(藤 原京)を鎮め祭らしむ」(691年)、「藤原の宮地(みやどころ)を鎮め祭らし む」(692年)とあるのが最古の例。宮殿中枢部から出土した今回のケースは後 者にあたる可能性が高い。  同研究所の松村恵司・考古第一研究室長は「国家による地鎮の実態が明確になっ た。この時の儀式が後の地鎮祭の起源ではないか」と話す。
【2005年4月16日(土)】 「お宝」金貨を売却へ、今秋から財務省  財務省は15日、保有する約3万3000枚の近代金貨について、今秋からイン ターネットと公開のオークションを使って売却すると発表した。これまで市場に流 通していなかった「幻の金貨」も含まれ、コレクターにとっては絶好の機会となる。 売却収入は数十億円を見込んでおり、財政再建の一助にする。  売却するのは、1870(明治3)年から1932(昭和7)年に発行された2 0円や5円で、鑑定で偽造と分かった2枚をのぞく3万2681枚。第2次世界大 戦後に連合国軍総司令部(GHQ)に一時接収され、現在は財務省が日本銀行の金 庫で保管している。  68枚ある1932年の新20円は、市場では出回っておらず、価格の予測がつ かない今回の目玉。業界のカタログで1100万円(完全未使用)がつく1930 (昭和5)年の新5円など、希少な金貨もある。  財務省は、急激な大量放出で市場を乱さないように、07年度末までに約10回 に分けて売却する方針。1枚ごとに金種や年号、状態などを記した専用のケースに 入れ、市場の流通品と差別化をはかり、少しでも高く売りたい考えだ。
【2004年9月25日(土)】 「お宝」金貨 財務省放出 「900万円」明治9年の20円/「幻」昭和7年の20円・・・ 「財政再建の一助に」3万枚  1870(明治3)年から1932(昭和7)年に発行された旧20円や旧5 円などの金貨が、市場に大量に登場する。24日にこれらの金貨を保有する財務省 が発表したもので、総数は3万2683枚。中には古銭業界で1枚900万円の値 がついている、コレクターにはあこがれの金貨も含まれている。  売却するのは20円、10円、5円、2円、1円の各金貨。900万円の値が付 いているのは明治9年の20円金貨。当時1千枚弱しか発行されなかったもので、 財務省は5枚売る。68枚売却する予定の昭和7年発行の20円は、業界のカタロ グにも記載のない「幻の金貨」とされる。  これらの金貨は87年までは貨幣として使えたが、法律が変わりその後は持ち続 ける理由がなくなっていた。財務省では財政再建の一助にしたいと売却総額を数十 億円と見込んでいる。  ただ、古銭市場は年間流通額が5億円程度とされており、大量放出すると値崩れ する恐れもある。このため来月、日本貨幣商協同組合など専門家7人でつくる研究 会を発足させ、売却の方法や時期を年内に決める。ネット上でのオークションも選 択肢に挙げている。
【2002年8月1日(木)】 幻の「20ドル」金貨 1枚9億1000万円 米国が33年に鋳造しながら流通前に回収した幻の20ドル金貨「ダブル・イーグ ル」が10日、ニューヨークの競売大手サザビーズで競りにかけられ、手数料も含 めて貨幣としては史上最高額の759万ドル(約9億1千万円)で落札された。
【2002年7月30日(火)】 お寺の境内から小判38枚発見 埼玉・長瀞 埼玉県長瀞町の光明寺で29日、小判38枚が発見された。排水管埋設工事で境内 をスコップで掘っていた左官業の男性(51)が、瓶(かめ)に入っているのを見 つけた。 小判は縦6センチ、横3センチ、重さは13グラム。こびりついた土を落とすと、 ピカピカの黄金色に輝いた。表面には「壱両」らしい刻印があった。 住職(53)は「昔の住職が後継者のために埋めたのだろう」と手元に残したい意 向だが、埼玉県教委などの鑑査で文化財となれば、行政の保管に。住職は「先人の 心意気もくんでほしい」。
【2002年3月8日(金)】 工事現場から小判や金貨1295枚 富山・小矢部市 富山県小矢部市の工事現場で、口径約30センチのかめが出てきた。中には、小判 12枚や明治初期の刻印がある金貨などの硬貨計1295枚があった。 旧道を保全しようと国土交通省が進めている歴史国道整備事業の造成地で、同省が 買収した約1年半前までは個人所有の竹やぶだった。 国土交通省が「埋蔵物まで国のものかどうか、分からない」と、小矢部署に届け出 た。同署が鑑定と所有権の特定をする。市は「所有者が決まれば、譲り受けるか借 りるかしたい」と注目する。
【1999年9月28日(火)】 小判の”ご先祖”出土 奈良 奈良市北室町の奈良町遺跡で、16世紀に作られたとみられる金貨「蛭藻金」の一部 が出土したと奈良市教委が27日、発表した。蛭藻金は江戸時代の小判の先駆けとさ れるが、今回出土したものは切断された跡があり、蛭藻金が金の重さの値打ちで流通 していたことを裏付ける初の資料という。市教委は「中世から近世にかけての貨幣の 変遷を知るうえで貴重な発見」としている。 現在の地表から数十センチ下の室町時代初期の地層から見つかった。純金の塊を延ば し、だ円形の板にしている。長さ2.8センチ、幅3.1センチ、厚さ0.1センチ、 重さ8.4グラム。たがねのようなものを使って切断された跡があった。元々は長さ が5センチを越えていたとみられる。
【1999年7月24日(土)】 富本銭鋳型片3300点に 奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した、日本最古の通過と見られる富本銭(ふほ んせん)の鋳型片は約三千三百点にのぼる、と奈良国立文化財研究所(奈文研)が二 十三日、発表した。鋳造のときにこぼれ落ちた溶銅、銅滓(どうさい)が計約十一` も出土しており、富本銭がここで大量生産されていたのは間違いないという。鋳造に 失敗したとみられる富本銭の破片二百十八点も見つかり、同遺跡で出土した富本銭は 計二百五十一点になった。  奈文研によると、鋳型片は土を焼き固めたもので、最大で約二・五a四方。鋳造過 程で生じた廃棄物を拾てた穴から見つかった。うち百五十五点には「富本」の文字 や、星の文様の形があった。富本銭の破片や、鋳型の湯道(ゆみち)に流し込まれた 銅が固まった鋳棹(いざお)、るつぼ、炉に空気を送るふいごの羽ロなども出た。  奈文研飛鳥藤原宮跡発掘調査部の松村恵司・考古第二調査室長は「当時の鋳造技術 を復元する手がかりになる。見つかった設備だけで最低一万枚以上、全体ではさらに 大量生産していた可能性が高い」という。  鋳型片が出土したのは、奈良県が同遺跡に建設する「万葉ミュージアム」の「管理 ・研究棟」の予定地。
【1999年7月9日(金)】 富本銭の鋳型片出土 飛鳥池遺跡 大量鋳造の可能性も  708年に発行された「和同開珎」より古く、7世紀後半の日本最初の通貨とみ られる富本銭が出土した奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から、富本銭をつくった鋳型 片が数十点出土したことが、8日わかった。富本銭がこの場所で鋳造されていたこ とを裏づけるとともに、鋳型片の数などから、大量に生産されていた可能性を示し ているという。研究者らは「富本銭が通貨として生産されていたことを明確にする 資料で、古代の貨幣制度を考えるうえでの第一級の発見だ」としている。  関係者によると、鋳型片は、鉄や銅などを溶かした炉跡の近くにある、鋳造によっ てできた炭や灰、失敗品などなどな捨て場だった炭層から見つかった。数十点出土 しており、「富本」の文字が彫られていたという。専門家は「和同開珎」などと同 様に、木などでつくった銭の型を、固めた土の何ヶ所かに押しつけて型をとり、溶 けた銅を流し込んで一度に数枚を鋳造したとみている。また、鋳型片が見つかった 周辺からは、新たに数点の富本銭も出土したという。
【1999年6月5日(土)】 長野で富本銭2例目の発見  日本で鋳造された最古の貨幣とされる富本銭が長野県飯田市で見つかった。4日、 同市教育委員会が明らかにした。飯田市の隣の高森町でもすでに富本銭が1枚見つ かっており、東日本で確認されたのは2例目。市教委の小林正春埋蔵文化財係長は 「飯田市を中心とする伊那谷が古代に中央と密接な関係にあったことを示すのでは ないか」と話している。  確認された富本銭は市内の会社員の祖父が自宅近くで見つけて保管していた。直 径2.45センチ、厚さ0.14センチ、重さ4.21グラムで四角い穴があり、 上下に「富本」の字がある。奈良国立文化財研究所の鑑定で富本銭と分かった。  会社員宅と先に富本銭が見つかった高森町の古墳跡とは約600メートルしか離 れていない。近くには古代の役所である伊那郡衛(ぐんが)跡の一部が出土した恒 川(ごんが)遺跡がある。
【1999年5月9日(日)】 江戸は遠い・・・佐渡から「金の道」  江戸時代に佐渡の金銀を江戸城まで運んだ輸送ルートを、当時の役人の衣装など を着て歩く「金の道」の一行が8日、新潟県相川町の佐渡金山史跡前を出発した。 長野、群馬、埼玉各県をへて23日にゴールの東京駅に到着する予定。  途中、交代で歩いて沿線住民とも交流し、佐渡観光をPR。佐渡金山のユネスコ (国連教育科学文化機関)世界文化遺産入り実現につなげるねらいだ。  この日、ただ1人、約420キロの全行程を歩き通す予定の東京都小金井市の辻 照之さん(67)のほか3人の警護役人と20人の人夫姿の参加者らが、千両箱を 載せた馬とともに歩き出した。  1区間約30キロを一緒に歩くと模造小判のプレゼントもある。参加の申し込み は相川町役場内の実行委員会(0259−74−3111)へ。
【1999年3月23日(火)】 長野の「富本銭」も本物  長野県高森町の古墳から明治後期に出土したとされる「富本」と書かれた古銭に ついて、高森町教委はニ十三日、奈良国立文化財研究所(奈文研)の鑑定桔果から、 日本最初の通貨とされる富本銭とみられる、と発表した。近畿地方以外で富本銭が 確認されたのは初めて。  鑑定では、「富本」の書体や七星の文様の位置が、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡 で大量に出土している富本銭と一致した。日本書紀には富本銭がつくられたとみら れる翌年の六八四年と六八五年に朝廷から信濃に高官が派遣されたという記述があ り、この一行が富本銭を都から携行した可能性もあるという。  奈文研の村上隆・主任研究官は「高森町の富本銭は飛鳥池遺跡から出土した富本 銭と合金成分が似ており、古代の古銭であることは間違いない。飛鳥池遺跡で鋳造 されたかどうかはわからないが、平城京で出土した富本銭と円辺の傷などが酷似し ている」と話している。
【1999年3月8日(月)】 江戸大名の収集古銭 大英博物館にあった 【ロンドン7日=時事】 江戸時代随一の古銭収集家として知られる京都・福知山藩主、朽木昌綱(1750− 1802)が集めたコレクションの一部が7日までに、ロンドンの大英博物館で見つ かった。昌綱の古銭は散逸して日本に一枚も残っておらず、存在が確認されたのは初 めて。  発見されたコインは計2518枚で、大半は「和同開珎」や「万年通宝」をはじめ とする8世紀以降の日本古銭。この他、中国の「開元通宝」(7世紀)や「周元通宝」 (10世紀)、朝鮮の「三韓通宝」(同)、ベトナムの「太平通宝」(同)など3カ 国の外国古銭お多数含まれる。
【1999年1月28日(木)】 長野「富本」銭、鑑定へ  成分 年代 奈文研に調査依頼  奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した日本最初の通貨とみられる富本銭と酷似 した「富本」の文字や7つの星がある古銭1枚を、長野県伊那郡高森町の町歴史民俗 資料館が収蔵しており、林登美人・同館長が27日、富本銭を発掘した奈良県橿原市 の奈良国立文化財研究所に鑑定を依頼した。  古銭は高森町下市田にある古墳時代後期とされる円墳「武陵地第1号古墳」で明治 時代後期に出土した、とされる。保管していた円墳近くの民家が1985年に同資料 館に寄贈し、常設展示されていた。  同資料館の測定では、直径は2.4センチで飛鳥池遺跡の富本銭の平均値と同じだ が、重さは約3グラムで、1グラムあまり軽い。同研究所は古銭の金属成分の分析や 円墳の年代の調査などをする。  富本銭は飛鳥池遺跡以外では近年出土したものが5枚ある。ほかに江戸時代に古銭 収集家に伝わったものが10枚前後あるとみられ、これをモデルに縁起物として作ら れたものもある。松村恵司・同研究所考古第二調査室長は「一見したところ江戸期よ りも古いようだ。飛鳥池遺跡のものと同じか、慎重に鑑定したい」と話した。
【1999年1月20日(水)】 最古の通貨は「富本銭」 工房跡で大量出土 7世紀後半 天武天皇期に鋳造 奈良・飛鳥池 飛鳥時代の金属や装飾品の工房群跡である奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から、「富本」 の文字のある7世紀後半の銅銭やその破片33点が出土し、発掘にあたった奈良国立 文化財研究所は19日、「わが国最初の流通貨幣である可能性がきわめて高い」と発 表した。これまでは708年発行とされる「和同開珎」が最初の通貨といわれてきた。 今回の発見は日本の通貨史を塗り替えるもので、律令国家体制が整えられつつあった 時代の経済や貨幣制度などについての研究が大きく前進しそうだ。

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