モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー制作プロセス

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みなとみらい21 多目的広場モニュメント モクモク・ワクワク・ヨコハマー・ヨーヨー

 横浜のみなとみらい地区に、この巨大なモニュメントが登場して14年が経った。設置当初は、JR桜木町駅からランドマーク・タワーに向けて動く歩道を渡り、ランドマーク・プラザを抜けると突然視界に現れるスパイラル状の形態に、説明する言葉が見当たらない衝撃を受けた方も多いはずだ。その造形物の背景に広がる風景は、工事中の仮囲いとおびただしい建設重機、埃っぽい殺伐としたものだった。
 その後、クィーンズ・スクェアの完成によって風景は一変し、この造形物がこの場の必然に基ずくスケールと形態を与えられていたことに、多くの方々が気付かれたことと思う。現在は「みなとみらい駅」の開業によって訪れる人達も多くなり、いつしかこの場が「ヨーヨー広場」と呼ばれるようになった。アマチュア写真家達の格好の被写体にもなり、様々な広告メディアにも登場することになったことは周知の事実だ。


 この、国内最大級のステンレス製モニュメントの制作プロセスを写真30枚で御覧になり、今後少しずつ本HPで紹介していく制作意図に関する記事を読まれれば、様々な意味において画期的、かつ多くの示唆を含む彫刻家、最上壽之氏の仕事であることに気付かれると思う。

©Hisayuki Mogami & Shinji Murakami 画像の無断使用はお断りします。
※最上氏以外の方々の顔部分について、解像度を意図的に落としてあります。

モニュメント制作に関わった組織

住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部
横浜特定再開発事務所

横浜市 都市計画局
緑政局

株式会社 大高建築設計事務所
日本鋼管株式会社
ウヌマ株式会社
エー・アイ・エム株式会社
三沢電気株式会社
岩崎電気株式会社
株式会社CADセンター


公共性という要請に対する形態発想の一過程

 ランドマーク・タワー等によるビル風を緩和する方法を、グランモールと名付けられる人口地盤上に考慮しなければならない。その目的を適える装置として造形物の設置が検討されたのは、街路樹では想定される最大風速に耐えられないと判断されたことによる。彫刻家、最上壽之氏は、その形態の発想の条件として、このビル風の抑制という、本来的に彫刻作品に要求されることのない要請が加えられたことに関して、「それは表現上の制約ではなく、風という流体を表現に取り込む良い機会だ・・・」と捉えた。無論、造形物である以上、まして巨大な作品となる以上、氏も経験したことのない量塊性を前提にした制作となった。そのマッチョな作品が、空気の流れという目に見えずに体感する流体を対象とすることは、とても興味深い問題を含んでいると思われた。
 最上氏は、地球を取り巻く大気の流れの中に発想を求めて、あたかも自分の身体が蒸発して雨となって降り注ぎ、大地を流れ、時にみなとみらいの作品設置空間に水蒸気として漂うような気持ちになった。自宅の窓から眺められる相模湾の風景も、突如海上に霧が立ち込め、一筋の陽光の降り注ぐ中、青空が霧を分かち、そして稲妻とともに夕立がやってくる風景を見て、スパイラル状の形態を用いることに発想が落着いていった。
 他にも、高度経済成長期にその制作活動を拡げていった最上氏の見ていた風景の中に、今は見られなくなった灰色の煙を吐く工場の煙突、蒸気機関車の煙突から吐き出される煙が、車体後方に回転しながら置き去りにされつつ拡散していく様。あるいは風神雷神といった神々への畏敬と、神々が空中を飛び交う様。天に昇る竜神が起す突風。そして聳え立つランドマーク・タワーの直線的な形態に対するコントラスト。とめどなく、経験したこともし得なかったことも含めて大量のスケッチに書き留められていった。それらのスケッチは、おびただしい枚数であり、その線のスピード感は、まさしく強烈なビル風を見方につけたごとくの勢いのあるものだ。
 一人の彫刻家として、そうしたイメージを形態に表現して行くことは至極の時間だが、しかし、「果してビル風は緩和出来るだろうか?」こればかりは何等かの科学的な裏付けが得られなければ多くの人達や組織に対しての説得力が得られない。関係者との度重なる折衝が続けられ、しかし、最上氏の発想した形態はほとんど修正を受けることもなく、そのビル風抑制効果が風洞実験で証明された。
 工芸の世界では「用の美」という言葉がよく使われる。「外観が美しいように感じられる器でも、使用に不都合があるものは美としない・・・」ということだが、モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨーは、その下に立ってみれば誰もが経験出切るだろう。周辺で感じていた風は、その作品の間近では主張を弱めている。横浜美術館方向への突風の通過も緩和している。
 彫刻作品としての諸問題と、都市計画上のビル風緩和という要請を、そして人々が集う場の目印としての機能、勿論話題性も含めて、多くの要素をぶつけるエネルギーによって立ち上がった表現として、未曾有の世界だと言えるのではないか。それはおそらく、美術、芸術や、まして彫刻という範疇にあるものが捉えきれない領域だろう。


関連資料: 最上壽之のモニュメント《モクモクワクワク ヨコハマヨーヨー》横浜・みなとみらい21に完成 未来思考的な公共性の表現(インタビュー; 聞き手=村上慎二)1994年6月号『SD (鹿島出版会)』
※SD誌取材時の取りこぼし部分などから、HP用に本文を構成しました。


関わる人の手の多さは、多くの可能性と結実とを抱きこむ

 1994年4月、バブル景気の終焉というタイミングに、このモニュメントは完成する。多くの下請け中小企業の手わざによって加工されたパーツ、それらは脚部を千葉のAIM工場、ループ部を北海道のAIM工場で組立て、みなとみらい地区に搬入されたのは1993年の師走も迫った頃だった。
 大型クレーンで吊り込まれる様を目撃した人々も限られる。なぜなら、現在と違ってグランモールの通行者はまばらだったのだ。それでも脚部の設置が終わり、足場と養生ネットの間からループ部が顔を出した頃、今まで見たこともない奇妙な形態に、通りかかる人々は気付き始めた。この作品の制作を記録撮影していた私に対して、
「一体何が出来るんですか?」
といった質問が増えだした。ランドマーク・プラザ内のマクドナルドは、今でもこのモニュメントのループ部を水平視線で鑑賞することが出来るポイントだが、ビッグマックを貪りながら、
「これ、なんだろう?」
「ジェットコースターみたいだけど・・・違う?」
といった若いカップルの会話が毎日のように聞かれた。
「グルグル・・・ブピャー」
などと奇声を発しながら、身をくねらせてふざける小学校低学年風男子も目撃した。

 巨大な構造物でありながら、具体的な機能を見いだすことが出来ない人々の感情は、好奇心を刺激して止まないが、とりあえずの答えをその場で得ることが出来ないことに不満を覚え始める。この不安に相対して持続する時間の中に、多くの想像的時間があるはずだが・・・それは芸術、美術の最も大切な時間であるはずだが・・・陳腐な言葉に結び付けた結果に不満足ながら、それで視線を逸らして想像的時間は失速して行く。しかし、失速して行くまでの僅かな時間は、この作品が完成を待たずして表現を主張し始めていることを示していた。(もっとも、完成したとしても無数の失速の積算を経てからしか、鑑賞者の一歩は踏み込まれないものかもしれないが。)
 前例のない形態に構造計算の担当者は頭を抱え、複雑な曲率で構成された有機的な曲線に複雑な関数計算が関わり、ステンレス管の微妙な曲げ技術は、職人のこだわりの感性に委ねられ、卓越した溶接技術によって強度と一体感が保たれ、搬送は低床のトレーラーに積載されて桁下をかわしながら現場への搬入。どれをとっても全てがこの作品一度きりの、一期一会のクォリティーが要求される仕事に、現場は緊張が漲っていた。最上氏の仕事であると同時に、彼らの仕事でもあるのだから。

 「取り込み、取り込まれる関係性・・・」という言葉を多用していたこの頃の最上氏は、「仕事はひとりで行えるものではない・・・」と付け加えることを忘れなかった。独り、アトリエに篭って黙々と丸太にノミを振るう彫刻家像をイメージする人にとっては、これらの言葉は理解不能な衝撃を与えるに充分だろう。そう、最上氏は、独り篭って素材と格闘するばかりの彫刻家ではない。氏にとっての彫刻とは、素材を彫り刻むばかりの概念ではないようだ。

 ある所に、独り篭って制作を続けるある作家がいた。その丸太(もしくは石材)は、その素材を調達する目利きによって売られていたものだ。それを作家はインスピレーションによってその素材に価値を見出し、
「素材が俺を呼んでいる。」
と錯覚した。そして情熱と泣きによって値切って入手した・・・としよう。作家の視点から見た素材との出会いである。
 一方、素材屋は商売である。
「この材料なら、あんなことにも、こんなことにも使える。でも、やたらな奴には売らない。目利きのプライドだ。」
と思っていたところに作家がやってきた。
「ははーン!それに引っかかったかぁ・・・(お前には売らねーよっ!)一応お前にも目ん玉ついてんだなぁ。(でも、お前には未だ10年早い。売らねーよっ!)」
と、目利き素材屋は思っている。結果的に素材屋はこの素材を金に替えて手放すのだが、既に作家の手の資質と可能性は、素材屋にある程度見抜かれてしまっている。
 以上の関係においても、「取り込み、取り込まれる関係性・・・」が発見される。作家は作っているのだろうか?素材屋に囲われてはいないか?素材屋の目利きの実力の上に成り立った仕事ではないのか?
 ここに創造主の問題を持ち込まずとも、「独りで作っている」というのは己の思い上がりと言える。「取り込み、取り込まれる・・・」という言葉は、この頃最上氏が繰り返し口にしていた言葉だが、これは一体何を意味するのだろうか?私は不正確だが「柔軟にして謙虚な感性」と翻訳する。そしてそれは自身に向けて発せられた、創作に関する根源的な姿勢表明に聞こえた。その結果は、多くの関係者の卓越した情熱と技の結晶として、前例なき数々の困難を乗り越えて関係者とその作品を囲む場を活性化し、モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨーが現存するではないか。

当時を振り返り、HP用に書き下ろし。村上慎二 200808

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