山岳スキー競技とは 
ヨーロッパでは古くより山岳兵とか国境警察、などの訓練にスキーを使って野山を歩くのが盛んだった。
時代と共に大衆の山岳競技に取り入れられ走る競技が行われだした。
欧州ではポピラーな競技のようです。毎週のように大会があるようです。 
日本でも、最近行われ始め、4回の大会が栂池で開催された。
道具の改良、その普及が、国際大会の参加者や外国選手によりの情報提供があり
専門店で道具が置かれるようになった。
軽量化、走行に無理のない設計で、ストックの有効推進を生むの長さ、ザックはスキーを着脱出来る設計。
無駄のない、歩き、すべり、理にかなった着脱も1連の流れの中でおこなわれる。
理にかなった技術は一般スキー愛好者でも競技以外の山スキーで利用でき、より安全な登山が出来る。

第一回山岳スキー競技日本選手権

          日山協のHPより真ん中のゼッケン12が自分です。

4月16日〜4月17日

第一回山岳スキー競技日本選手権大会が栂池高原スキー場でありました。
57歳の思い出にと参加しました。体が動く内にと思い決意しました。
結果、強風の中一時間遅れで規模を縮小して敢行。
おかげさまで完走(完滑?)できました。

自然にインパクトを与えないこと、樹木、動物対策としてコース取り選定。
環境庁より、コースの旗色まで指導があり、携帯トイレ使用の話まで出ていました。

競技のルール
山スキーであること、滑降時ヒールが固定されること
ビーコンを身につけて参加のこと
スコップを所持していること
上衣は3レーヤー以上
下衣は2レーヤー以上
上下とも防水、素材一枚(ゴア製品シェル?)
サバイバル レスキューシート持参のこと
ザックは20リッター以上
アイゼン持参10本爪以上
ヘルメットは滑降時に着用のこと(ほかスキーキャップかバンテージ可)
サングラスかゴーグル着用持参のこと
スキーの長さは160cm以上でくびれ部分で6cm以上あること
シールは最後まで持参のこと、
ゴール地点で上記の条件を満たしていること
ロスト1は一点につき3分ペナルティー

旗門毎にシールを着けたりで、3回の脱着があった。
旗門間は選手同一条件で自由は許されない
歩くところは歩くという条件.
競技は制限タイム内に中間旗門通過者のみがゴールまで滑る権利がある大会形式
中間旗門通過制限タイム2時間で、到達できない選手はその場で失格でした。

私は完走者の最高年齢でした。
やはり外国招待選手の世界最速者はダントツでした。
参加者46名で完走者は28名くらいで23位でした。
女性参加者は、男性と同じ制限タイムのため完走者なしでした。

福島県より5名の参加がありました。白河の山口選手、吉田選手が参戦し、タイムアウト。
若い会津山岳会の小谷部選手は13位と健闘しました。福島の鴫原選手=19位
東北より秋田1名、岩手男1名女性1名で岩手の国体選手藤原さんは、秋田駒大会の常勝者
で6位と歳を感じさせない強さでした。 51歳でまだ上を目指す姿勢は感動ものでした。
前日より一緒に時を過ごせていただきました 多謝!
北海道より参加の同室の北川さんは前後でエールをいただきました。
茅野より参加の女性選手は前後にいたのでエールを送ったのでしたが、今一歩。
努力が悔やまれます。
三浦雄一郎の息子の豪太選手も前後でレース展開をしてました。
登りが不得意で滑降は得意でしたが、 完走にはいたりませんでした。残念。

腕に覚えのある全国からのエントリー選手の大会で来年のトリノの世界大会の選考を
兼ねる大会であり、表彰時に気軽に話をしていた隣の席にいた横山峰弘選手が1位で
群馬の水上よりの参加。
山岳耐久レース常連のアスリートであり、侍魂と書いてサムライスピリットをスキーにロゴしている
有名選手であり、ノースフェースのカタログを見て後で判ったのでびっくりしました。
レースの勘所を熟知のツワモノばかりのようでした。勉強になりました。

最後はバテバテで痙攣 足と腕がツリながらの滑降でした。

スキーと登山の隙間のスポーツであり、ヨーロッパでは歴史があり、耐久レースとして
ポピラーなようです。

これから普及の為、日山協の田中会長はじめ八木原さん、尾形さんも役員として
来ておられ心強く感じました。
事務局の笹生さんは招待選手への気配りと大会運営にお世話になりました。
地元の役員は60名各旗門とコースにボランテアでの大会運営で
長山協の柳沢会長はじめいろいろお世話になりの大会でした。
宿舎の降籏さんは大会の細部に気配りをして強風の中ゴンドラ営業者とパイプ役として
成功に導いてくれ、安価で宿を提供いただきました。6000円2食付で

タイム的にはそれなりのタイムでした。2時間44分  まずは満足です。
日常のトレー二ングせず参加は無謀でしたが、!!

装備の選択、軽量化、栄養の供給法、筋肉内の疲労物質を作らない技術、
トレーニングしないで出る所でない 〜〜〜   気がしました。

一回大会なのでーーーーーーーーーーーー    まあいいか?

継続するには、課題をつきつけられた大会でした。

山渓とかに記事が来月出ると思います。  日山協のHPとか? 

まずは熱の冷めない筋肉痛の体にて  記録します。

スポンサーより景品提供で シャルレーのブルーアイスという 
アイスクライミング用ピッケルいただき       どうしましょ? 

 まだ歳をとるなと言うことでしょうか?

   2005.4.18記す  保坂



第2回全日本山岳スキー選手権大会

日山協 第2回全日本山岳スキー選手権大会に参加して

2006年4月15日コース公開、開会式 16日競技開始

小谷村の全面的なバックアップと長野山岳協会の尽力で開かれた。

今年度は昨年度の反省(途中棄権者、タイムアウト多数)より男子、女子・少年、ショートコース、

の3部門での開催となった。

参加者は昨年より少なかったが、韓国より10名、中国より1名の参加があった。

アジアでトップを決める大会となった。

この地域(白馬栂池)は今年遭難と、大雪、視界不良、雪崩危険回避で

天候不順を加味してより安全に大会当日にコースが変更された。

スキー場の休業ゲレンデがレース会場となった。

福島県からは
会津山岳会の小谷部選手、白河の吉田選手が11Km 登り1200mに参加

私は58歳の年齢でショートコース7.6kmで登り800mにエントリーする。

ショートコースには私のほかに郡山市役所の影山選手が参加。

全体で福島県から4名の参加であった。

結果  昨年の優勝者 横山選手、2〜4位はトリノの世界選手権に出場の選手であった。
     小谷部選手 シール不調のトラブルだったが10位と健闘し
     ショートで私が1位、影山選手が3位
     吉田選手は途中棄権 2周で

競技終了後
上位選手によるヨーロッパの最新技術が披露された。
ターンの仕方、シールの着脱、スキーの背おい方、足の運び方、
シールの適正長さ、シールの競技中の収納の仕方、予備シール、
競技ストックの長さ、架け流しシールのトップの工夫

無駄のない流れの中で足の位置、ストックの処理等が解説された。

メーカーより商品展示、最新装備、、

参考になった。

参加者の少ない要因は、選手登録のしかた、各県、愛好者へ情報提供不足。
               競技の敷居の高さの誤解による?
               参加者1人が1人に声かけし
               来年はより多くの参加を期待したい


大会、開催の小谷村関係者と長山協に感謝。主催者日山協に感謝。

追記 賞品でダイナフィットの兼用靴を頂いた。58000円?多謝。




第1回山岳スキーアジア選手権大会 兼 
第3回全日本山岳スキー選手権大会


2007.4.1長野県小谷村で行われた


コース紹介
2007-3rd-compe-map
アジアで始めての山岳スキーの公認の国際大会という事で59歳の記念に完走を目標に参加
栂池高原スキー場の上部の天狗原〜山ノ神周辺で水平距離12Km 標高差1300mの耐久山岳レース

参加国、中国選手団、韓国選手団それにニュージーランド選手で地元日本で熱戦が繰り広げられた。
何とか完走出来満足。自分的には、けじめがついた。 

3時間23分で20位、後ろに中国と韓国の選手が2名居たとの事 59歳ではこんなとこでしょう。

当日は、15mの強風のためスタートが11時となったが設定されたコースで行われた。 
雪質が重く下りが苦労させられた。 シールの着脱8回で完走のためには、ただただ前へを念頭に
何時かはゴールがあること信じての3時間でした。
痙攣気味の足と腕にポカリスエットのイオンを流し込み体質を修正しながらのレースとなりました。

このカテゴリーでは最年長の自分でしたがーーーーーーこたえました。

前日の懇親会で(国際親善)中国選手団の李知新中国登山協会の副主席は、
1986年のHAJカルジャン登山隊の連絡官でした。 通訳の李豪傑氏は朝鮮族で
韓国選手と中国選手の通訳を引き受け、彼も1986年のチョアウイの連絡官でした。
ここでギャラペリの尾形さん達と19年ぶりのラサ以来の旧交を温めることが出来ました。 多謝。

雨の前日より地元の岳連のかた方にはセッテングと旗門員、審判、お世話になりました。

1位はニュージーランドの選手オープン参加 
アジア1位は地元山田選手。 2位佐藤選手、3位横山選手でした。
 
日山協の笹生氏曰く、今後の底辺拡大と強化のために北海道、東北、でミニ大会を開催し、
本大会に結び付けれれば、−−−−−−構想あり。

東北で練ってもらいたい。 

福島県より会津の小谷部選手16位と白河の吉田選手(ハーフコース)と私の3名の参加でした。
岩手の藤原選手15位でした。秋田の高橋洋二選手63歳(ハーフコース1位)

参加費9000円 宿泊費7000円 交通費 ≒10000円 先日リフト代2500円
以上今後の参加希望者のために記載する。

正式記録は日本山岳協会のHPに記載あり。 コースマップも記載。

レース結果 ダウンロード]

第4回山岳スキー競技日本選手権大会

平成20年4月6日 白馬栂池高原にて

スタート前の選手
右北海道の1位の藤川選手3位の伊藤選手 ゴール後 2位の佐藤選手


4日  朝7時郡山を妻と出発し、
一路新潟を目指す、国上山(クガミヤマ)を偵察する。花の山でトレーニングを兼ねて登山を行う、
この山の登山口は国上寺(コクジョウジ)名刹で良寛さんのゆかりの寺である。雪割草と片栗の山であった。
弥彦山への縦走の出発点である。PM4時 雨乞山への偵察を終えてコクジョウジに戻り、桜の湯という温泉
で5時から10時まで休息。       5時以降は入湯料500円、レストランも9時半までOKである。旅の人にやさしい。
疲れを取って10時出発し、一路糸魚川より栂池へ 1時駐車場で幕営。

5日快晴
コース下見を兼ねてゴンドラ上部へ春スキーは定額2500円である。
A,B旗門まで登り疲れを残さないよう偵察行を終え、スキー場にて軽く滑りを楽しむが雪腐り、2時にアガル。
ゾンデ棒の確認と受付を済ませて、開会式3時半。コース紹介、注意事項、等 選手宣誓、国際大会ビデオ上映。で終了。

北海道から熊本出身者まで36名 男子ロング、ヤマスキー、テレマーク、女子の部ヤマスキー、テレマーク、男子ショートコースの5部門
が今回の競技種目である。今回より2m40cm以上のゾンデ棒が必携品である。
同時スタートで20位に競技スキー靴10万円が景品との事。期待を持って望むが-----------

スポンサーはスカルパ、ノースフェース、ダイナフェット、等 協賛。

サンライズタンネが今回の宿舎。7000円。 大会参加費7000円、前日のリフト代2500円が今回の費用。交通費別

完走祈念し、PM7時半歓迎懇親会に臨む、9時半 懇談終了。    ビール、焼酎、酒を頂いてしまった。

6日快晴無風

 60歳の私は、男子ショートコースに出場。前日のおいしいお酒も放尿と脱糞ですっきり。
グリコーゲンローテングで朝食ご飯2杯。
8時ゴンドラ移動で栂池高原へ 
9時半ビーコンチェック後スタート。
シール登行〜スキー担ぎ登行〜滑降〜シール登行〜滑降〜シール登行〜滑降〜ゴール
旗門員の前でシールの着脱を行いながらの競技である。
ポカリスエットを途中摂りながらひたすら足を前へ。
途中足がつりそうになった両足に歩きながら血液のポンピングと弛緩でダマシ回復させ。
G旗門以降は抜きも抜かれもせずゴールまで頑張った。
ショート部門6km標高差1450mで1位となって景品のザックを頂いた。
2時間19分11秒5 

福島県選手結果
 
男子ロング部門9.5km 標高差1750m でキャノンの七宮選手、
最高齢者49歳で完走賞となった。16位 2時間54分47秒3
会津の小谷部選手、13位と健闘。     2時間35分17秒4
磐梯町のカナダ人、エアーズ・アーサー選手が5位と健闘。 2時間11分14秒4

ショートの部で白河の吉田選手、4位。3時間13分35秒5  
キャノン山の会の会員河地選手、2分差で足きりにあってしまった。
福島県勢6名の参加があった。

1位 北海道 藤川健  2位 佐藤佳幸  3位 北海道 伊藤 初参加 日山協のHPで結果を確認ください。
jsmc_4th_result.pdf へのリンク
アジアトップは韓国大会優勝の佐藤選手が認定された。
20番ゴールはショート参加2位のゼッケン33番の柴田選手でした。坂下直枝社長よりスカルパF1が送呈された。  






秋田駒での山岳スキー大会参加

2006年2月
第26回を数える山スキー大会に初参加。 昨年より年甲斐もなく競技の世界へ
57歳よりのスキー1年生となる。
5年前より全日本山岳スキー大会を兼ねており、日山協後援大会である。


上り4Kmでほぼ同ルートを滑降しスタート地点に戻る大会。
8合目小屋が上りのゴールで下降は1分刻みでゼッケン順にスタートしてタイムを競う
上りタイムと滑降タイムの6倍が持ちタイムで順位を競う

今回は白河山岳会の20回連続参加の片山さんの紹介で初参加。


50歳代の熟年クラスに参加
常勝の岩手の藤原利雄選手の次の2位にてゴール  登りタイム61分49秒  降りタイム9分20秒 

 1時間57分49秒で全体で7位、の記録でした。

全国レベルの選手が3名エントリーしており成年 澤田実 壮年の鈴木啓一郎 熟年の藤原利雄選手
軽量のダイナフェットのビンデングでの参加だった。セット15万だそうだ。(スキー、ビンデング、靴)

地元高校生が16名参加しており、3名が自分より早かった。
結果的には58才で18才までの故郷での大会に参加出来、7位 。  おいしいお酒を頂き。大満足。

  ヨシ来年も来よう!   地元秋田の岳人と交流 多謝

白河山岳会の参加者と共に写真に納まる。

過去の大会の記録を見たい方はこちらhttp://www.geocities.jp/honmyu/

『風の又三郎』の息子のHPです。 
 地下鉄サリン事件のあった時、八甲田山スキーの帰途立ち寄った(八戸の松舘さんと東京の天城さんと)
むかし縁あって五城目の剣先なたを名入りで世話していただいた。  ペンションです。カレーは絶品です。

第7回 全日本山岳スキー競技大会 通称 第27回秋田駒の大会?

2007年2月16日 中村征夫の写真展を見学 氏は高校の2年先輩との事。
        水中が嫌いでない自分にとっては感動、感動。 いつか自分も!!!水中写真を!

PM5:30 還暦同窓会が秋田キャッスルホテルであり、参加   
北中の下新城校舎の同級会、今回逢わねば一生もう会えないだろうと参加する。
終了後、2次会、3次会、近くのW ホテルでバタン    朝まさしく二日酔い

翌、新幹線とバスで田沢湖スポーツセンターへ ゲレンデで2時間ほど足慣らしでいよいよ会場へ

熟年の50代に参加 59歳 来年からはシルバーとの事なので最後?

10代の高校生と59の自分と同じ土俵で競争も今年限り、無理せずいい状態でパフォーマンスが出来ればそれでいい?
夜の部は昨夜のこともあり、抑え気味に美酒をいただく、秋田の同郷の岳人と酒を酌み交わす。多謝。
部屋に戻ると強豪の藤原氏は寝ており明日へのファイトが見える。勝にきている選手は、早々と?

翌朝好天、 下痢気味、鮭マリネと刺身のサラダを思い浮かべ3回トイレに駆け込む。

自分の心臓と相談しながら、足を前に出し、スタート、全日本級の鈴木啓、藤原選手は前を行く。

発汗、体表を流れる。ゴーグル曇る、無視、ただただ前へ

晴天の8合目の小屋を目指す、標高620mを58分でゴール、昨年より3分早くなっている。
下降は1度は転ぶが7分でゴール  下降3分短縮。

結果  熟年2位   総合5位と思わぬ結果で満足 高校生と20代の20名には全員に勝てた事に自信。


データは下記HPへ
http://www.geocities.jp/honmyu/  

2008年 第28回秋田駒の山岳スキー大会
第8回全日本山岳スキー競技会

2008年2月24日 秋田駒山麓アッスルスキー場から8合目の小屋を会場に行われた。
開会式と宿泊はハイランドホテル山荘で秋田岳連の主催で例年通りお世話になった。
ゴールの小屋では南八幡平山岳会が豚汁のサービスを前日より泊りがけでセッテングし
参加者へ振舞われた。多謝。

60歳代の部に参加 シルバーの部と呼ぶそうだ。
リフト1本分だけショートのコースでスタートし 下降は同じコースを滑降する。
前年は、リフト2本分がショートであったのだが。
リフト1本分がウオーミングアップで9時15分のスタートであった。
エントリーは6名でマラソンランナーと往年の東北の岳人が最新のレ-ス用の装備で参戦。
ダイナフィットのビンデングとスカルパのレース用靴F1がそれである。

結果 のぼりは46分35秒でゴール 念願のシルバー1位であった。

11時55分滑降スタート。 運悪く悪天吹雪模様となる。
滑降は8分2秒で全体44名中7位の記録であった。 
途中転倒1回スキー離脱1回あり 反省点を残してのゴールであった。

前が見えない樹林帯では『こんなものでしょう』と納得。

前日の交流会では、美酒を頂き。来年も帰省を約束しての楽しい大会となった。
秋田岳連の役員の皆さんのおかげでいい汗をかかせてもらった。

20代は秋田の藤村選手
全体の1位と2位は岩手の30代で初参加の高橋、岩渕であった。 
40代は東京の鈴木啓一郎 K2隊員の上小牧選手は2位、白河の山口選手が3位であった
50代は岩手の藤原利雄 2位佐々木選手(秋田高の83年ヌン隊隊員) 3位郡山市役所影山直美選手
60代以上は福島の私保坂で、2位は秋田横手の高橋洋二選手、3位は岩手の前会長盛岡山想会の出堀選手でした。

閉会式 表彰後 影山選手とゴール後記念に


2010年 第30 回秋田駒の山岳スキー大会

第10回全日本山岳スキー競技会 2月21日〜22日
結果は下記参照
http://akitagakuren.com/22suki.PDF