8000m峰登山における高度障害
肺水腫 体験談


はじめに

2000年世界最高峰の登山をする機会を得て、計画を綿密に進め、ラサから単独行で1年前のBC偵察。諸外国の登山事情を
掌握する。またルート工作等について複数入山時の隊荷の要不要の確認を行う。
そして翌年の本番は、ルクラよりナムチェバザール4000mでのトレッキングで体を慣らしてルクラに戻り。
ネパールサイドの6500m峰メラPKでのプレ登山をした。本来は6500峰での滞在型を考慮したが不調者と天候悪化で登頂でのみとなった。終了後 隊員内で呼吸器障害を起こす隊員ありヘリコプターにてカトマンズにもどる。
体調を調整する意味と山野草ウオッチングを目的にランタン谷の5日間トレッキング。
そして本番を向かえる。コダリ〜ザンムー中尼友好道路よりチベットに入域し 3日を要しBCに入り。
BCで高度順化中に高度障害で体調不良の体験談である。

2000.3.3  ネパールで
トレーニング効果とは過負荷の原則、
デスクワークの多いサラリーマンであり普段の訓練は日曜日の登山くらいで、すべてのコンセントレーションは日本脱出後と決めて、しがらみから解かれて成田を後にする。
登山での初期障害の出やすい私は、積極的に有酸素運動に心がける。口すぼめ呼吸での行動、意識的呼吸
昼間時はいいが、夜間は酸素欠乏で1時間毎に目を覚ます毎日である。 無意識での呼吸    
   忍  忍。

チョモランマBCにて

順化登山と隊荷の移送が当面の仕事である。
中国登山協会の連絡官 李瑞華、金俊喜、趙建軍、の3氏と食堂は同居である。日本の3隊は国内で協同歩調協議をしており、電気、無線、登攀物資、気象情報の共有化等の相互便宜供与。外国隊多い中で合理的に協調していく約束である。
BCの裏山は絶好の順化の対象である。
BC付近は花はまだ咲かないので対象はガーネット。石の中に赤いゴマ粒大の物が見つかるとの事にて裏山を目指す。    バテ  バテ    デーレ タギョー ネ語で「最高に疲れた」の意味

こんなはずじゃない

血中の酸素飽和度のチェック

自己管理、体調を客観的に見る方法
脈拍、血圧、呼吸、睡眠、むくみの他に酸素飽和度を測定する方法がある。
道具はパルスオキシメーターである。健康であれば99%である。6000mでの障害者でも70%くらい。
隊長、登攀隊長、医師の指揮の元であればアタック隊員からはずされる指標になる場合があり、
登頂したい隊員にとっては好ましくない道具である。

明日BCから上への移動の日というのに
 順化行動から帰幕した私は38%であった。
何かが違っていた 私の血の中に酸素がないのである。BC5500mでは静養しても回復を望めない。
当番車に飛び乗って下の村に静養に下る。
隣の法政大隊の若い学生2隊員が下の村に休養との事にて見舞いに法政大隊の隊長下山との事。便乗させてもらう。

当番車とは3隊で雇用の運転手付のハイヤーで登山中の故障者等が出た場合利用可能なの保険的連絡手段で下界との生命線である。こんなところにお金がかかるのである。

高山病は「降りれば治る」を信じて。

ダシゾン村滞在して様子をみる事にするが翌朝 肺からラ音が聞こえる。
ラ音とはラッセル音の事で呼吸時にプチプチという音が聞こえるという肺水腫特有の症状である。
高所登山の医学書に書いてある症状である。
さらに低所に行かねば生命にかかわる。
当番車は行ってしまい。1人残された自分。
ダシゾン村 車両はない。観光車が一日数回通過するのみ
漢字の国であるがチベットの大人はわからない。筆談で近くの解放軍兵士に問いかけるも下放兵士では対応不可能。
チベット登山協会のザンムー行きの車に乗せてもらい深夜下山。
2000mのザンムーである。ベンガル湾よりの湿風は肌にまとわりつく風を感じる所である。
静養
当番車が降りてくる日とラ音の消える日をひたすら待つ。5日の滞在となった。
病院にはかからず。肺水腫は酸素の濃いところで安静が1番との事を信じて。

ザンムーは中尼国境の中国側の町 国境貿易の基地であり、荷役トラックが行き交う活気あふれるまちであるが。
道路はすこぶる悪い、斜面にへばり付いた町であり、ネパール国境は橋を境にしており、乾燥地帯の入り口であるが
雨の多い町である。ここからチベットへは高度を上げることにより植生の変化が興味深いところである。
1歩山に入ると仏教遺跡的、ゴンパがあり信仰が根づいている、石楠花、ジンチョウゲ、アセビ等の林となっている。

 

北海道岳連隊の隊員離脱者を乗せて当番車が降りてきた。本隊復帰。