カンチェンジュンガについて

1981年HAJ遠征隊 当時の思い出

 ネパールの東に位置するカンチはベンガル湾より湿潤な気流を受けて麓のテライのジャングルから四季を感じられる地域であります。
山名の意味は五大宝蔵で信仰の対象であります。仏教とヒンズー教の混交地域です。
 テライ平原はヒマラヤの前山シワリークの南に広がるインド平原に繋がる位置にあり、ネパールの穀倉地帯です。
山国ネパール王国の台所であり、木材、手付かずの自然があり、象、虎、サイ、が生息しており、蘭科の植物の宝庫でもあります。
腰蓑つけた弓矢を持った一行と会い、目を疑ったのも事実です。
入域の基地は、国境の町ビラトナガールでカルカッタ港から陸路 隊荷が輸送され、再梱包。トラックによる移動。

 出発はダランバザールであります。此処にはネパール陸軍のキャンプがあり、有名なグルカ兵の訓練所があります。
 
 周辺は茶の産地イラム、インドのダージリンがあり、『耕して天にいたる』ネパールでは安定した供給地となっているようです。
東はシッキムであり、今はインドのテリトリーであり、過去には入域の困難な地帯でありました、東の国境はシンガリラ山稜であります。
多民族国家のネパールでは谷を隔て異民族が共存します。アーリアとモンゴリア、南方のドラビタ種。肌の色は白、黄、黒、が混在。
ライ、リンブー、タマン、マンガル、シェルパ、チェットりー、ネワール、独自の文化、言語を持っているようです。
カーストも存在し。ローカーストの食事はハイカーストの人は食べない。?
文化人類学的には興味のある自然の民レプチャは特異な文化を持っているようです。
登山隊はダランかイラムが出発点でこれより徒歩となります。
 ポーター雇用は、その地域の世話役?口入家業?親分?に頼みこみ集めます。
ナイケと呼ばれる人達です。約50人のポーター頭です。縄張りがあり、解雇と雇用をしながらの展開です。
 
 これは契約雇用のシェルパとの共同作業です。シェルは東方。パは人の意味で東の人です。
先祖がチベットよりヒマラヤを越えてヒマラヤ南麓に移り住んだ人達です。したがってチベットの人とは同根です。
居住地が3500m以上で高所に強いのが特徴です。深い呼吸法が彼らの高所に強い所以のようです。無意識の呼吸。
例外的に弱いシェルパもいる?

カンチのBCへは約1ヶ月かかり、ポーター500人のアプローチマーチを展開します。今は交通網が発達し短期に到達できるようです。
南よりのアプローチは最奥の村ヤンポティンです。夏の放牧地はツェラムは針葉樹も見られますがツェラムから1Pでラムゼーで
ローカルポーターの解雇地で森林限界で緑のあるカルカです。
BCのあるパッヘの丘は氷河キャンプを2箇所作り到達です。ヤルン氷河を渡る風は乾いていて喉を病む者多し、
BCは咳の合唱です。此処のトランスポートはシェルパと尾根を越えたグンサの村民ポーターです。

                 

カンチ紹介
               ヤルンカン     主峰   中央峰     南峰
            残照のカンチ          BCまえの氷河上キャンプ

BCで記念写真
         加藤、山田、藤倉、佐久間、角田、安らかに

カンチェンジュンガ   ヤルン氷河の休養キャンプからパッヘの丘、アッパーグレッシャーと右より南峰、中央峰、主峰、ヤルンカンを望む