サトパント峰について

ガンガーとはガンジス川のインドでの呼び名です。
インドでは精神文化のよりどころが宗教であり、ヒンズー教は輪廻の世界を肯定しています。
厳しい現実があり、現世で安定した心の支えとなっています。
来世の入り口がこのガンガーです。

サトパント山の意味
サートは7の意味、パントは山の意味であり、日本流に言うと七ヶ岳という事になります。
またサトには真理の意味があり、サドー(修行僧)=真理の追求者であり、大きな意味を持つことになります。
ガンガーの最奥部がガンゴトリーであり、聖地となっています。此処より徒歩となり、チルバス(松の木のある所)
最奥のボジュバサはダケカンバのある所の意味です。ここが森林限界です。ブルーポピーも見られます。

ガンガーの地上への出口がゴームク(聖牛の口)であり、氷河からの噴き出る所で、地球温暖化で氷河の後退があり
聖地も移動しているのが現状です。巡礼の目的地となっています。

この聖水(パニ)の涵養域の山々がガンゴトリーヒマラヤです。
左にバギラテイ山群、右にシブリン峰(シバ神のリンガの意味)がそそり立っています。ナンダンバンBCです。
目的のサトパントは左の氷河の左岸を辿ります。会津山岳会のバギラテイ三峰は右手に見えます。
山はまだ見えません。

バスキーパルバートの基部にABC(BC移動)を設置し、さらに進むと植物限界のコーナーがあり、
ここではじめて目的の台形の山サトパントが見えます 

登山隊概要

1991年HAJがインドヒマラヤに展開したサマーキャンプの登山隊の概要を紹介する。
山が決まって隊員が決定する中、HAJよりこの隊を何とか頂上へと
声をかけていただいたのが私の参画の始まりである。
HAJはヌン、カンチ、カルジャンとお世話になった組織であり、遠征隊の自分の全力投球
で、恩返しの舞台が回ってきた思いとEXP研究会の自分なりの解釈、
遠征理念の実践の場として、隊員にその都度、現状を確認しての計画がスタートしたのが1年前だった。
富士山合宿、八ヶ岳合宿で体力レベルを把握しながら東京で会議が組まれた。

遠征とは、なんぞや? 

参加のメンバー紹介

副隊長
関根幸次 52歳 わらじの仲間の創立会員でこの遠征より連続海外登山に火がつく、初遠征だった。
            根っからの沢やサン、

遠藤京子     昔、イストルナール女性隊の隊長で、74年日本女子隊のマナスルの隊長で海外遠征の草分け的
           存在で人脈豊か、体調を壊してヒマラヤ登山より離れていたが最近復調で参加、
           現在はヒマラヤン・グリーン・クラブで活躍。砂漠に緑をモットーに活躍。

平川宏子     大阪わらじの会 アンナ3峰のサミッターでそのとき田部井さんと一緒だった。職業博愛のナース。
            

天城敞彦     同年代であり、マラソン歴あり、HAJ事務所の近所で、全国の仲間がお世話になっている。
           私的に多方面でお付き合いが継続している。東北の山で、

桶川和気夫    石川の人、山技術は未開であったがこの遠征を契機にマナスル、ルンボカンリ、
           等に参加、国内では白山信仰登山の全国行脚 白のつく山、網羅ライフワーク、
           人生の達人で、語り口が柔らかいのがいい。

滝田 収     交通事故の後遺症と言っていたが、もっと酷い病気だったらしい。嫌がる仕事を率先してこなす、
           1999年飯豊登山からいまだ帰らず

中川 裕     現在は日山協の専従事務局員で

南指原 さゆり  興味旺盛な女性で2度目の遠征、初期順化の遅れにて登頂をあきらめて貰う。 
           聖地のサドゥーの誘いに迷いもあったが行かずに帰国、迷いにより?
           宗教の世界に身を置いたと 伝え聞く昨今である。   

          
後藤 文明    群馬の境町の人 冬季エベレスト南西壁登頂、など多数の登攀を群馬岳連として活躍
           GUで高度障害で苦労、



ガンゴトリー寺院

大きな祭りがあったインド各地より聖水を持ち帰って行く。
 カワードメーラとの事
 滝田隊員記念撮影
セラック帯氷河

後藤文明隊員撮影


  朝焼けのシブリン

 


ABCからのバスキーパルバート

サトパント峰7075m 


  後藤隊員    天城隊員      関根幸次副隊長       私42歳