カルジャンのついて


    チベット自治区の都 ラサの南に位置し ブータンの国境近くにあり、クーラカンリ山群。
    アプローチはラサより南下しヤルツァンポー川を渡り、ヤムゾーユンツオ(湖) ランカース
    最高所の湖プマユンツオ(湖)を経て モンダラへ(ラは峠の意)。目的の山が正面に見える。
    下降して中心地のロザ県のロザの招待所で荷を解く。

   

    カルジャン峰とクーラカンリ山群 (神戸大学と東海大学が登頂)
     左のピラミダルな山がカルジャンです。

 概要
    ラサより高度障害でアプローチでは、顔も土色となり、最悪の状態で1週間を過ごす。プマユンツォで
    泳ぐ予定も頓挫してしまう。ロザは、チベット族(蔵族)は少なく、 解放後の入植の漢族の人民公社の
    名残のコミューンとなっており、村人も食事は村民一同に会しての朝食で我々も、此処で頂くことになる。
    トイレも共同便所で、明かりのない夜のトイレは、境目のない勇気のいる世界である。
    人民解放軍への許可書類の不備もあり足止めとなる。夜 映画館にて鑑賞会参加、毛沢東の解放の美談、
    此処でも日本軍が悪者である。こんな所でも、プロパガンダ? 共産党の正当化の宣伝映画だった。
    反日の教育は、全国土に浸透している所以である。
    解放軍兵士と一緒に鑑賞は複雑な気持ちで高度障害の頭を抱えて------ となった。

    偵察行
    谷を2本偵察に入り登路を探る。2隊に分かれて偵察、クーラカンリの主峰側の谷に入り偵察
    上部カルカとなっており、幼い兄弟がヤクを放牧している。背丈30cmの潅木が薪として集めてあった、
    これが表土流亡の元凶であるが、民に責任はない。障害の自分は途中リタイア、新郷隊長は尾根
    上部を偵察して帰幕。  会議となる。
    
    結果クーラカンリ3峰とカルジャンの間の氷河に入谷決定。
    元気の源は食にありとの事にて、 朝の万頭を懐に行動するが夕刻はいつも残っていた。
    ルートが決定する頃、やっと元気が出てきて、食欲も沸いて来た。
    モンダ村 BCへ 移動。 チンコー麦畑そばにBCを設置。この青いチンコー畑も登山終了後は、刈取りされていた。
    村人が物珍しく我々を取巻く中の天幕設営。、BCは中国では大本営と言う厳しい呼び名である。
    備品管理も大切の業務である。
    
    隊の成り立ち
    佐賀のHAJのメンバー(クライマー)新郷さんが隊長で、映像撮影はクロウトハダシで全体をまとめてくれた。多謝。
    副隊長は運送会社経営の友田さん、やさしさと激しさを合わせ持つクライマー。
    佐賀大学学生の綾戸隊員は学生での参加でやはり海外登山では若さゆえ危ない面もあり登頂は今回お預けとなる。
    佐賀県主力メンバーで佐賀の広域なところより資金協力を得て成立の遠征である。
    
    魅力を感じての自主参加の岩崎洋隊員(遠征隊現地解散後中央アジアの放浪の旅へ、その後地球を1周する南米へと流浪の旅に出る)
    日本を代表する獲得高度10万米のヒマラヤニストとなる。
    群馬の宮崎勉登攀隊長(群馬岳連のブレーンで8000m峰の登攀隊長を数多く経験している)
    HAJより声を掛けてもらい補強で私が参加で登山展開となる。
    初期の障害で迷惑をかけるが、責任ある助っ人である。
    できる範囲での努力をしようと誓う。

   登山開始
    ヤクでの荷揚げと隊員移動でABCを氷河湖の下部に設置。
    ABCとは、前線基地であり、その登山隊のアタックのために、作戦の立てられる上部キャンプのことであり、今回の登山ではC1がABC
    の機能を持つことになった。山が低いときはABCは作らないことが多い。
    以降下界と断絶し、隊員6名の登山活動に入る
    草木のない世界である。シェルパレス登山であり、ロッククライミングがルートの大半を占めるルートで
    安全登山とは、外的な危険要因のないルートとなった。雪崩、氷河の崩落による危険は回避できた。
    あとは、ルートを頂まで延ばすのみであった。岩崎隊員の微妙なバランスが登頂を可能にした。
    結果、1ヶ月で西稜より登頂を果たす。
    
    食事は、圧力釜で調理した1杯白米と赤味の塩鯨が力の源だった。体重10Kg の減量が登山の厳しさを物語る結果となった。



ラサのポタラ宮 今はこの池がない(15年後)

氷河湖 氷河上よりカルジャンの北西稜が登路となる                クーラカンリの3峰

氷河上のC1よりカルジャンを見上げる       氷河上C1テントサイド取り付き点


C3より下部氷河を望む カルジャン基部


西稜上C2下が氷河   ゴジラの背より上部



登頂の私(38歳) 群馬の宮崎勉さん