御神楽岳について

アプローチ  郡山より西に1時間で会津。これより新潟に入り津川町である狐の嫁入りで有名。49号線より南         下すると八田蟹であり
         分岐点である。御神楽温泉を経て蝉ガ平集落へここが最奥の村である。平家の落人部落との事          。?熊倉姓が多い。
         故栄太郎さんが湯沢と覚道沢の間の尾根にルートを開き、栄太郎新道と呼ばれている。
         ツワモノ徒もが夢の後の鉱山跡が車道の終点となっている。
         最近は室谷よりの登山路が主流となっている。安易に登れる。
         室谷には洞口があり縄文人遺跡がある。

         南面より入山は金山町の本名ダムサイドより湯倉温泉方面と別れて右手に林道を入ると廃村の三条部落である。
         栗田姓が多かった。ここも平家の落人部落との事?最奥まで悪路を入り、左手林道は狢ヶ森へ。
         右手直進八乙女滝が入山口である
         前が岳の岩壁を右に見ながら尾根を辿ると町の小屋があり本名御神楽すぐである。


会越国境の御神楽岳は岩山があり、豪雪地帯の山であり、稜線には緑のモヒガン刈のように残っている緑のベルト、
雪崩に磨かれたスラブはアバランチシュートで上越の谷川、一の倉、幽の沢のスラブと地学的には同様の形態である。
青春の1ページこの山に四季を通して入山した事があった。

周辺には川内山塊の矢筈が岳があり最近脚光を浴びている。通の山である。
また日本平山は山蛭の生息する特異な山である。

       御神楽山頂より湯沢の頭と水晶尾根           向側に笠倉山

1972年

正月合宿では栄太郎新道から会津塩沢部落までの縦走。4日間

五月のらくだの窓沢(アイゼン履いての登行)
一の倉で逝った故松原、故阿部孝夫と3人でのぼった

1974年正月
盲腸手術1ヵ月後の山伏尾根での敗退

1982年正月   保坂、故石井、故橋本、水上茂、寺田、赤星、
豪雪と冬雷の洗礼を受けながらの水晶尾根のトレース2日間
一夜で1mの降雪、スモ平から二日かかりで蝉部落(八田蟹3日目) 
帰途の正月、突然押しかけて
蝉の熊倉一二さんに世話になって帰ってきた。
夕食の塩鮭とお風呂をおいしく頂いた思い出は忘れられない。

覚道沢奥壁

本名穴沢

栄太郎新道1周

湯沢のダイヤモンドスラブ

中央稜
 
ダイレクトスラブ

会津側では霧来沢、前が岳の岩壁、

風来沢からキノコ取り山行 マツタケ成果なし

春の定着合宿はいつも、湯沢の出合いのぜんまい小屋そばに BCを張った。 

思い出多い山である。 
最近行ってみた、アカショウビンが甲高い声で鳴いていた
自然度が高い事を感じて帰ってきた スモ平。
室谷側よりダイレクトに山頂へ立派な道があり、ポピラーな山となっていた。

麓には温泉が出ており、村民でにぎわっていた。御神楽温泉、あすなろ荘、
便利になった、むかしの面影はなかった。

2014年 

下記 菊池薫会員作図による