トップページに戻る
小説ページに戻る
代役
作:高居空
いやあ、それにしても世の中の流行というものは分からないものでございます。業界やメディアが大々的に宣伝しても、花火のように一瞬どかんと広がった後は跡形もなくなってしまうようなものもあれば、最初は「こんな物流行る訳ないだろ」と奇異の目で見られていたようなものが流行を超えて世間に定着してしまったなんてのもございます。
最近でいうなら『スマートフォン』なんかが良い例で、最初にあれが発表されたときなんて、ごく一部の新しい物好きを除くほとんどの人が「え〜、今のケータイで十分だよ。何でこんなのが必要なの?」とか言っていたのに、今や携帯業界は「スマホでなければ携帯に非ず」、従来型の携帯は「ガラケー」なんて呼ばれて絶滅危惧種の亀のような扱いを受けているわけでございます。
さて、この流行というのはニッチの極みたる我らがTS業界にもございまして、少し前には一見可愛い女の子のように見える女装した男の子、いわゆる『男の娘』が、普段TSに興味のなかった層も巻き込んで一大ブームになったのを覚えていらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか。個人的には「性別が変わってないんじゃTSじゃないじゃん」と思わないでもないですが、今ではこの『男の娘』がTS業界を支える1ジャンルとして確固たる地位を築いていることは、この業界に関わる者なら誰もが認めているところでございます。
そしてもう一つ、今のTS業界で流行しているといえば、やはり『皮モノ』は外せないところでございましょう。
え〜、知らない方向けに説明いたしますと、『皮モノ』というのは人の形をしたキグルミを被って別人に変身をするといったお話でございます。このキグルミというのが大変便利な代物でして、中に入った者を外のキグルミにぴったりの肉体へと変化させた上でキグルミの表面がそのまま肌としてくっつくという、まあそうした機能が付いているわけです。つまり、例えばここに可愛いロリロリの女の子のキグルミがあるとして、そのキグルミを着さえすれば、老若男女誰もがそのロリロリの女の子になることができるってわけです。TS物は大きく分けて異性に「されて」色々される話と異性に「なって」色々する話の2つに分類することができるんですが、この『皮モノ』は異性になって色々する方のいわば最新モデルと言えるでしょう。
ちなみになぜ『皮モノ』が最新モデルなのかといえば、それはこの『皮を着て別のモノになる』って話自体が、結構最近までTS物ではあまり書かれてこなかったからなんですね。今では商業作家さんでも『皮モノ』を十八番とされている方もいらっしゃいますが、こうした話が積極的に書かれるようになったのは同人業界でも21世紀に入ってからだったかと思います。
だからまあ、最初にこのシチュエーションをTS界に持ち込まれた方とそれを普及された方はたいしたもんだと本当に感心しきりなんですが、実はこの『皮を着て別のモノになる』っていう話自体は、TS界に限らなければずうっと前、それこそ昭和初期の頃にはあるんでございます。皆様、『動物園』っていう話を聞いたことはございませんでしょうか? もちろん、上野とか多摩とかそういうところにあるテーマパークのお話じゃあございません。落語、それも新作落語といわれる噺の中に、実はそういったものがあるんでございます。今からその噺をTS風味を加えて大胆にアレンジしてお話しいたしますと…………
「ああ……、もう困ったなあ……」
「店長〜! 握手会の入場整理券の配布終了しました〜! いやあ、それにしてもさっすがアイドルの握手会ですね! まだ会の開始まで1時間以上あるってのに、こんなさほど大きくもない店の前に結構な数のむさ苦しい野郎共が集まってきてて、正直びっくりしましたよ。
って、どうしたんですか店長? そんないかにも『困った〜』て感じで頭を抱えたりして」
「ああ、先週から入ったバイト君か。いや〜、ホント困ったことになったんだよ。今向こうの事務所から連絡があってね、今日握手会に出るはずだった娘が急に風邪をひいたっていうんだよ」
「え、ホントですか!? ひょっとしてその娘、昨日裸で寝ちゃったりしたんですかね。ほら、アイドルはアイドルでも、AVアイドルなだけに」
「……君、ひょっとしてそれ上手いことを言ったつもりかい? まったくもうしょうがない奴だねえ。
まあいいや。ともかく、そういったわけで肝心の握手会の主役が突然来れなくなっちゃったんだよ。ホントまいったなあ。君、握手会の整理券は全部はけちゃったんだろ?」
「はい。それはもうあっという間に。これで突然握手会は中止だなんて言ったら、あいつら何しでかすかわからないですよ。AV好きなだけにそれはもう普段から色々と“溜まってる”奴らですから」
「溜まってるって……。なんかこう、もっと同じこと言うにしても別の表現があるんじゃないかい? しかしまあ、弱ったねえ。こういったときに頼める代役も他の人の仕事を入れちゃってるし、他にこの場で特に仕事もなく暇をこいてるような奴なんて…………。
そうだ。そういえば君、面接の時に『お金をもらえるなら何でもやる』って言ってたよね」
「はい、確かにそう言いました。いやあ、実際の所ウチは結構親が金持ちなんで、ホントはお金には困っちゃいないんですけどね。
ただ、その親が自分に『お前は本当にダメ人間だなあ。こんないい歳にもなって家に引きこもって働きもせずダラダラ過ごしてばかり。このまま自分達がいなくなっても一生働かずに暮らしていけるつもりか?』とかいつもギャアギャアうるさいんでさすがにカチンときましてね。こうなったらちょいっと働いて金を稼いで小うるさい親を見返してやろうって思いまして」
「ちょっと待て。親を見返すために? そのためにウチのバイトに応募したのかい? こんなウチみたいな“アダルトショップ”に?」
「はい。AVならこれまで家で結構な数見てるんで、この仕事ならその知識を生かせるかと」
「はあ、なるほど〜。そりゃあ親は働いてることを知って喜ぶ前にまず間違いなく泣くね。
って、まあいいや。君、AVの知識は結構あるってことは、今日来るはずだった『立川唯』の事も知ってるね」
「ええ、それはもう。百合の世界に突如として現れた超新星『立川唯』といえば、相手役の『猫田あい』とともにレズ物マニアなら誰もが知ってる名前ですよ。自分も大分お世話になりました。いやあ、この二人の絡みが実に良いんですよね。名前が『立川』と『猫田』なのに唯ちゃんがネコであいちゃんがタチっていうのもまたそそるところで」
「なるほど。攻め役、受け役のことを『タチ』『ネコ』と一般人には通じない用語で言うあたり、確かにそれなりの知識はあるようだ。
じゃあ君、突然なんだが、君にはこれから『立川唯』の代役をやってもらおうと思う」
「…………へ? 何言ってるんですか店長? 自分なんかが唯ちゃんの代わりなんて出来るわけないじゃないですか。そもそも自分は男ですよ。そんなのが唯ちゃんの代わりに握手しますなんていったって、集まった豚野郎共が納得するわけないじゃないですか!」
「お客さんを豚野郎呼ばわりかい。まあ、とにかくそれは何とかなるんだよ。いいかい、まずはちょっとこれを見てくれ」
「うん? 何ですかこの皮みたいなのは? え、触って広げてみていい、ですか。どれどれ、う〜ん、これって、ひょっとしてキャミソールのワンピースを着た女の子のキグルミ……ですか? なんか背中の方に小さくチャックみたいのもあるし」
「そうだね。確かにこいつはキグルミみたいなもんだ。業界じゃあ単に『皮』って呼ばれてるがね。それじゃあ君、ちょっとそいつを着てみてくれ」
「へ、そりゃ無理でしょ。どうみてもこのキグルミ、自分の体型より一サイズ以上小さいし。え、まずは手を突っ込んでみろ? もうしょうがないなあ、はいはいっと。次に足? え〜よっこらせっと。って、何だ? なんでキグルミの手と足の長さが俺の手足と一緒の長さなんだ!? 体全体もなんかすっぽりと入っちゃってるし! え、最後に頭部を被れ? ちょっと店長、これって本当に大丈夫なんですよねえ? ってもう時間がないんだ早くしろ? はいはい、分かりましたよ……よいしょっと。
て、うわわ!? なんでキグルミを着てるはずなのに前が自分の目で見てるみたいに違和感なく見えてるんだ? って、なんだこの声? まるで可愛い女の子みたいな……」
「これが『皮』の力だよ。ほら、この鏡を見てごらん?」
「え! 唯ちゃん!? って、ひょっとして……これって自分……ですか?」
「ああ、その通りさ。この『皮』はね。着た者がどんな者であれ、その体をキグルミの元となった者の姿へと変えることができるんだよ。今時の業界は今回のように出演者のドタキャンがあった場合の最終手段として、こうした『皮』を主催者側に事前に用意してくれてるんだ。もっとも、変わるのは姿までで仕草やなんかまではコピーできないから、中に入ってる代役がその『皮』の元となった人とうり二つの演技ができなきゃすぐにボロがでちゃうんだがね。
ついでにいえば、この業界じゃあ『皮』の存在を世間に知られるのは御法度だ。何でもそいつがバレそうになった時には主催者は中に入っている代役ともどもとんでもない目に遭うって話で、こいつを実際に使うかどうかは主催者側に一任されてるんだが…………まあ、今回の場合は使っても大丈夫だろう」
「って、全然大丈夫じゃないですよ!? 自分、唯ちゃんの普段の仕草だとか全然知らないですし!?」
「いや、そこは問題ないんだよ。なんといっても『立川唯』はAV女優だ。アイドルみたいな表の世界の住人とは違って、こっちの業界じゃあ裏ならではの後ろ暗さもあって、後々表の世界に出ていこうと考えている子を除けばその子が本当はどんな子なのかなんて情報はそうそう出回ることはないからね」
「なるほど、仕事での露出度は高いけれども、プライベートの露出度は低いってわけですね」
「いや、いちいち君は上手いこと言おうとしないでいいから……。
ともかくだね。君はこうテーブルの前に座って、やってくるお客さん達に『応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします』って握手をしてればいいんだ。もちろん、給料は弾ませてもらうよ。普段の時給の3倍……ってところでどうだい?」
「いやまあ、お金の方は別にそれで構いませんけど、ホントに上手くいくんですかね? 自分、野郎に対して愛想笑いとか絶対できませんよ? セクシーポーズなんか論外ですし」
「別にそんなのしなくて良いんだよ。いいかい、『立川唯』はレズ物で人気なAV女優だ。男に愛想を振りまかなくても、男の方が『ああ、やっぱり唯ちゃんは男には興味がないんだ』とかって勝手に納得してくれるさ」
「そんなもんですかねえ」
「そんなもんさ。さっ、もう時間もない。本当はイベントの流れとか細かく説明しておきたいところなんだけど、こちらもいろいろと準備があってね。とにかく、君はそこの席に座って握手だけしてればいいから。いいかい、頼んだよ」
「あ、ちょっと、店長ー!」
(で、結局そのままこんなところに座らされちゃってる訳なんだけど、ホントに大丈夫なのかなあ。う〜ん、落ち着かない。まあ、それは今着てるのが裾の短いキャミソールだってのもあるとは思うけど。
あ〜、それにしても会場に詰めかけた野郎共のあのギラギラとした欲望丸出しの目ときたら! あの視線が全部俺に向かってきているのかと思うと……うわあ、背筋がブルってきちまう)
「え〜、長らくお待たせいたしました。ただいまより新作DVD発売記念、立川唯さんの握手会を開催いたします」
(お、ようやく始まるみたいだな。司会は店長か。なるほどね、店長はその仕事があるから自分がキグルミの中に入る訳にはいかなかったってことか。っとと、そんなことより自分のことだよ自分の。いよいよこれからが本番なわけなんだから。え〜と、とにかく野郎が目の前に来たら、手を握って『応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします』って言えばいいんだな。復唱復唱。『応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします』『応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします』『応援ありがとうございます。これからも……)
「なお、今日は会場にもう一人、立川さんにも内緒でサプライズゲストにお越しいただいております。立川さんの相手役といえばこの方、猫田あいさんです!」
(って、えっ、えっ、えええーっ!? あ、あいちゃんが来てる!? そ、そんなの聞いてないよー!
ていうか、それって冗談抜きでまずいんじゃないか? さすがにいろんな作品で唯ちゃんと共演してるあいちゃんが普段の唯ちゃんを知らないなんてことはないし、こんなの一緒にいたら絶対代役だってばれちゃうって! うわわ、どうしよどうしよどうしよ)
「こんにちはー! 猫田あいでーす! 唯ちゃんともどもお世話になってまーす!」
(ひゃあ! ほ、ほんとに来ちゃったよあいちゃん! あ、あわわわわわわっ)
「お、応援ありがとうございます! これからもよろしくお願いします!」
「…………って、いきなりどうしたの唯ちゃん? いきなりあたしに握手求めてきたりして?」
(う、うわ〜!? て、テンパりすぎて思わずやっちまった〜! どどどどうするどうするこれから!?)
「ひょっとして緊張してるの? もう、唯ちゃんったらホンットに緊張しいなんだから♪ ほら、大丈夫だよ♪」
(って、あいちゃんが近寄ってくる? ……っていうかそれ近い近い! そ、そんな肌と肌がふれ合うような距離まで……って、うわあ!? か、顔もそんな息がかかる距離まで近づけてくるなんて、こ、これってもしかして、まさかこんな公衆の面前で……!?)
「ふふっ、安心して♪ みんなに聞こえちゃうと困るからちょっと小声で話すけど、実はね…………俺も『代役』なんだ」
トップページに戻る
小説ページに戻る
|
|