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呼び名
作:高居空
俺、栗林明にはどうしても我慢ならないことがあった。
俺は地元の公立中学校に通っている。その中学校の同学年の奴らの一部が、未だに俺のことを「ちゃん」付けで呼ぶのだ。
俺はもう中学二年生だ。小学生ならば「ちゃん」付けでも構わないと思うし、実際俺もその頃そう呼ばれることに抵抗感はなかったが、さすがに中学生にもなって「ちゃん」付けはないだろう。それでも「ちゃん」付けで呼ぶのが主に女子だったならば話は別だったかもしれないが、実際には女子は俺のことを「くん」付けか呼び捨てで呼ぶ。俺を「ちゃん」付けで呼ぶのは男に限られているのだ。
そして困ったことに、こうした「呼び名」や「あだ名」といったものは、呼ばれている本人が変えてくれと言ってもそうそう変わる物ではない。そもそも、呼び名やあだ名というのは本人がこう呼んでくれと言いだしたものではなく、他人が命名しそれが広まっていったものがほとんどだ。最初から本人の同意を得ているわけではないという性質上、本人が嫌だと言っても周囲がそれを聞き届ける可能性は低い。つまり、呼び名やあだ名を付けられた者は、それがどんなに理不尽で恥ずかしいものであったとしても、その名を付けた集団に属している以上はそれを甘んじて受け入れざるを得ないのだ。
そして俺の場合、この「属している集団」というのがさらにネックになっていた。俺が「ちゃん」付けで呼ばれはじめたのは小学校に入学してまもなくの頃。一般論で言うならば、人の出入りにより人間関係が一旦リセットされる中学校進学時が呼び名を変える最大のチャンスだったということになるんだろうが、実際には俺にはそのようなチャンスなど回ってはこなかった。俺が通う中学校は、かつて通っていた小学校と学区が全く同じなのだ。いわば事実上の小中一貫教育。当然、そこに通う面子は中学受験で私立中学へと進学した何人かを除けば小学校時代と変わらず、小学校の時に付けられた呼び名やあだ名もまたそのまま引き継がれている。つまり、俺を「ちゃん」付けで呼ぶ奴らはみんな小学校の頃から俺のことをそう呼び続けており、その呼び名が完全に定着してしまっているのだ。
だが、それでも俺は自分の呼び名を変えることを諦めなかった。幸い、俺の呼び名は変なあだ名ではなく「ちゃん」付けなだけで、さらにそれを使っているのは男だけときている。ならば、ここは男らしく「これからはお互い呼び捨てにしようぜ」ってことにすれば、問題は一気に解決するんじゃないだろうか。
そう考えた俺は、実際に俺を「ちゃん」付けで呼ぶ奴らに一人一人当たってみた。結果、ほとんどの者は了承してくれたのだが……
「なんで? お前呼び捨てより『ちゃん』付けの方が似合ってんじゃんか」
そいつらは俺の提案に対してにやにやしながらそう答えた。学内でもややドロップアウト気味な奴らの集まり。まだ極端な不良行為や犯罪行為には走っていないものの、髪を茶色く染め制服を着崩したそいつらは、せせら笑いながらわざとらしく肩をすくませる。
「だいたいお前、その『俺』っていうのも似合ってねえんだよ。小学校の時みたいに『ボク』の方がお似合いだぜ、ボク〜?」
からかうような男の台詞に爆笑する他の男達。そいつらを前に、俺は怒りを堪えながらこいつら相手に策もなく真っ正面から向かってしまったことを今更ながら後悔していた。
こいつらが俺のことをバカにしているのは明らかだ。が、こいつらの言っていることに全く根拠がないわけでもない。俺の体は細身の上小柄でクラスの中でも一番背が低く、おまけに顔立ちも中性的ときている。友人からは冗談めかした口調で「女物のコスプレすればそこら辺の女よりも可愛いんじゃね〜か?」と言われたこともあるくらいだ。おそらく客観的にみれば、俺が「ちゃん」付けで呼ばれることは何らおかしなことではないんだろう。だから嫌なのだ。
小学生の頃と違い、今の俺の中には男としての自我とプライドがある。だからこそ俺は一人称を「俺」に変え、筋肉のつきづらい体ではあるが毎日鍛錬を怠らず、日々男らしくあろうとしているのだ。そんな俺にとって「ちゃん」付け、そしてそこに見え隠れする『女』扱いは最大の屈辱なのである。
だが、そのことをこいつらに悟られてしまったのはかなりまずい。こいつらは常日頃からからかう相手を……他者からみればいじめる相手を……求めている。まず間違いなく、こいつらは明日から「ちゃん」付けで必要以上に俺に絡んでくるだろう。事なかれ主義的な大多数の奴らにも俺を「ちゃん」付けで呼ぶよう圧力をかけ、場合によってはそれ以上の事をしかけてくるかもしれない。例えば、皆の目の前で女子の制服を着るよう強制してくるとか…………。
これはなんとかしなければならない。
だから俺は、禁断の領域に手を伸ばすことを決めた。
家に帰った俺は、少し前にクラスで話題になっていたとあるサイトへとアクセスする。
そのサイトは、裏サイトのさらに奥に存在する、悪魔が運営しているという噂の通販サイトだった。商品リストには正気で書かれたとは思えないような説明書きのなされた怪しげな品物が並んでおり、代金の欄には円の代わりに「対価:寿命○年」という文字が踊っている。
俺はそのリストの中から一つの品を見つけ出した。それは以前、怖いもの見たさでこのサイトを覗いたときに偶然目にとまった品物だ。その時はサイト全体のあまりにも電波な内容に苦笑しながらログアウトしたのだが、この品物に説明書き通りの効果があるのなら…………1年や2年の寿命なんて惜しくはない。
そう考えながら購入ボタンをクリックした次の瞬間、前触れもなくモニターも含めた部屋中の明かりが一斉に消え、辺りが闇へと包まれる。何が起こったのかと反射的に立ち上がろうとした俺だったが、突然体を襲った虚脱感に逆にイスの背もたれへともたれかかり動けなくなってしまう。やがて明かりが復旧したとき、目の前の机には見慣れない一つの箱が置かれていた……。
次の日、学校に向かった俺を待っていたのは実に痛快な出来事だった。
登校するやいなや、下駄箱のところで待ちかまえていたかのように近づいてくる昨日の奴ら。
……いや、こいつらを果たして昨日の奴らと言ってしまって良いのだろうか。なぜなら、今のこいつらは全員が昨日の姿からは想像もできない女物の制服を身に纏っていたのだ。
それだけではない。おそらくは意図的に第二ボタンまで外されたシャツの間にはブラジャーによる補正があるんだろうが確かに胸の谷間が存在し、ミニ丈に調整されたスカートの下から顔を見せる生足にはむだ毛の一つもない。髪は昨日と同じく茶色く染められているものの、その長さ、髪型ともどう見ても女のものにしか見えない。その顔立ちも大きな目、きれいな肌、ルージュでも塗られているのかやけにテラテラした唇と、まさしく女そのものだ。
完全に女と化したそいつらの姿に、俺は昨夜机の上に届いた品物の効果が本物であったことを実感する。
昨日俺が頼んだ品物、それは指定した対象を最低でも平均以上の容姿をもった異性へと変えることのできるアイテムだった。そしてこのアイテムの力により異性に変えられた者は、自身も含め以前からその性であったことに記憶と存在が書き換えられてしまうのだ。
とはいえ、変えられた者の性格は基本的に変化前と変わらず、その者の立場や過去の記憶もアイテムの使用者が自由に書き換えられるものではないため、例えば相手を自分の都合のいい女に変えてどうこうしようといった用途に使うには片手落ちのアイテムであり、それは対価として支払う寿命の年数が他の品物よりも短いことにも表れていた。が、少なくとも俺の場合、用途的に相手を女に変えられる機能さえ付いていれば十分だった。なぜなら……
近づいてきた少女達は、俺が逃げられないようにするためか俺の周りをぐるっと取り囲むと、ニヤニヤしながら口を開く。
「よう、おはよう、く……」
と、そこまで口にしたところで、口を開いていた少女の表情が突然固まり、言葉が途切れる。
「く、く……」
そう声をこぼしながら、その頬をみるみる真っ赤に染めていく少女。
その姿を前にして、俺は内心安堵のため息をついていた。
ふう、どうやらこんな奴らでも効果はあったみたいだな。あんな格好してるからひょっとしたら効果がないかと冷や冷やしたが、逆にそっち方面をそれだけ意識してる分、なおさら口にすることはできないって事か。まっ、こいつらも一応は「年頃の女の子」って訳だな。
「く……く、栗林……」
ついに根負けしたかのように顔を真っ赤にしながら俺の事を呼び捨てにする少女。
その姿に、俺は心の中でガッツポーズを取った。
やった。これで……これでようやく小学校時代から続く俺の忌まわしい呼び名、「クリちゃん」ともおサラバだ!
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