トップページに戻る
小説ページに戻る
ワンちゃん
作:高居空
「さあ、あなたはどんなワンちゃんになるのかな?」
男のことを見上げながら、巫女装束を纏った見た目小学校低学年くらいの少女が無邪気な笑みを浮かべる。
「や、やめろ、やめてくれ……!」
一方、少女に話しかけられた男の顔は青ざめ、頬がひきつっている。体が動けばすぐにでも逃げ出しそうな雰囲気だが、男の体は顔以外金縛りにでもあったかのようにぴくりとも動かなかった。
いや、それは彼だけではない。俺も含めたここにいる男達全員が、硬直したかのようにここに立ちつくしているのだ。
俺達がいるのは明らかに異様な空間だった。床は板張りでどこかの室内のようにも思えるが、周囲は仄暗く、同じ空間に俺以外にも男達が立っていることを確認するのが精一杯で、壁や天井を見ることはできない。いや、そもそもこの空間に壁や天井は存在するんだろうか? そう思ってしまうほど、俺達を取り巻く闇は不穏な気配を放っていた。
そんな中、まるでスポットライトでも当たっているかのように天から指す光に包まれているのが、巫女装束の少女だった。一見邪気のかけらもない純真無垢な笑みを湛えた少女。だが、彼女が少女の姿をした“人外の何者か”であることは、今やここにいる誰もが理解していることだろう。
俺がなぜこの場所にいるのかは、正直自分でも分からない。いつものように布団にくるまって寝ていたはずが、目が覚めるとこんな首から下が金縛り状態でここに立たされていたのだ。おそらくは、ここにいる、またはここに“いた”男達も、俺と似たり寄ったりなんだろう。だが、今はそんなことはどうでも良いことだ。なぜなら今、俺達は人間の尊厳を失う最大の危機に瀕しているからだ。
「うっ……!」
少女に見つめられ顔面蒼白となった男が一言うめき声を上げると、がくりとその場に崩れ落ち、四つんばいの状態になる。
次の瞬間、男の肌という肌から人の物とは思えぬような毛が凄まじい勢いで生えだしてくる。体はみるみる縮んでいき、着ていた服がどろりと溶けて床に水たまりを作り出す。現れた男の体は、すでに全身剛毛に覆われていた。そして、その尻には人にはあり得ないパーツ……尻尾が生えている。
もはや男は人ではなかった。その姿は、誰がどう見ても“犬”にしか見えないであろう。
「ワン♪ ワンワン♪」
さきほどまでの様子が嘘のように、生えたばかりの尻尾を振り、口から舌を出しながら“遊んで遊んで”とでも言っているかのような鳴き声を上げる“犬”。
「わあ♪ かわいいワンちゃんだ〜♪」
その“犬”の頭をあやすようになでなでする少女。
そう、これこそが、巫女装束の少女の力……そして、俺達に迫る危機の正体だった。
少女自身が語ったことだが、この空間で彼女に“どんなワンちゃんになるか”を尋ねられた人間は、その瞬間頭に思い浮かべた“ワンちゃん”へとその存在を変えられてしまう。もし、意識して思い浮かべないように努めても、ある一定の時間が過ぎると、その者は今度は彼女が望む“ワンちゃん”へと変えられてしまう。つまり、彼女に質問された者は、どう転んでも最終的には犬へと変えられてしまうということだ。
実際に、この空間にいた男達の半分以上が既に犬と化している。彼女が「同じようなワンちゃんはいらない」と言っているからか、その犬種は多種多様で、同じような犬は一匹もいない。だからどうしたというところではあるが。
そして、それに輪をかけて問題なのが、少女が既に俺の目の前に立つ男の所まで近づいてきているということだった。つまり、その男の次のターゲットは俺ということになる。だが、俺の頭にはまだこの危機を切り抜けられるような起死回生の策は浮かんでいなかった。というか、正直打開策の「だ」の字も思いつきそうにない。くそっ、どうしたらいいんだ……。
焦る俺の前では、少女が男に「どんなワンちゃんになるのかな?」と声をかけている。男は俺に背を向けた形で立っているため表情を伺うことはできないが、その顔が蒼白であろうことは容易に想像できた。
だが、次に目の前で起こった事態は、そんな俺の予想のはるか斜め上をいくものだった。
少女に質問をされた男の姿が変わっていく。だが、男はこれまでの男達とは違い、四つんばいになることはなく、また、体毛が生えてくることもなかった。そのシルエットはどう見ても人間のままだ。男の着ている服が素材を変え、白く染まっていく。気が付くと、男の頭の上にはいつの間にか黒い野球帽のようなものが現れていた。
やがて、男の服は日本人なら誰もが一度は目にしたことがあるだろうプロ野球チームのユニフォームへとその姿を落ち着かせていく。そしてその背中には、大きく「1」の背番号が浮かび上がっていた。
そうか! 「ワンちゃん」か!
その変化が何を意味するのかを理解した俺の目に希望の光が差し込んでくる。
思い返してみれば、巫女装束の少女はこれまでずっと「どんな“ワンちゃん”になりたいか」という聞き方をしており、「犬」という単語は一言も口にしていなかった。そして、少女の問いに対する目の前の男の変化……。これは、「ワンちゃん=犬」ではないことを示しているのではないか? つまり、少女に尋ねられたとき、犬以外の「ワンちゃん」を思い浮かべられれば、俺はその「ワンちゃん」となり、犬になることはないんじゃないだろうか?
自分が自分以外の誰かになるというのは正直気色悪い以外の何者でもないが、少なくとも犬になるよりかは百倍マシだ。
しかし問題なのは、目の前の男が今、おそらく世界で一番有名な「ワンちゃん」へと変化してしまったということである。少女の「同じようなワンちゃんはいらない」という発言からして、おそらく俺があの「ワンちゃん」になることはできないだろう。もしかしたら他チームの監督時代や会長時代の「ワンちゃん」ならセーフなのかもしれないが、分の悪い賭けなのは間違いない。
つまり、あの「ワンちゃん」とは違う「ワンちゃん」を思い浮かべられなければ、結局俺は犬へと一直線というわけだ。しかし、他に「ワンちゃん」というと……まずい、思い当たるのがないぞ!?
「さ、今度はあなたね。あなたはどんなワンちゃんになるのかな?」
「!?」
その声に我に返り、声の聞こえた方に視線を下ろすと、そこには無邪気な笑みとともに俺のことを見上げる少女の姿があった。
ま、マズイマズイ! ワンちゃん、ワンちゃん、ワンちゃん! そ、そうだ! 魁!男○に出てくるあの「死亡確認!」が口癖の中国人キャラ! い、いや、あれは確かに「ワン」だが「ちゃん」っていう感じじゃないぞ、だ、大丈夫なのか? 呼び名に「ちゃん」って付くからにはやっぱり……
「ふ〜ん、それがあなたのなりたい“ワンちゃん”なのね♪」
「!」
頭に一瞬浮かんだイメージを読み取ったのか、一気に血の気が引いていく俺の前で満面の笑みを浮かべる少女。
し、しまっ……
「うっ……ぐっ……!」
だが時既に遅く、体を襲った強烈な悪寒に俺はたまらずうめき声を上げる。
体温が自分で自覚できるくらい下がっていき、視覚以外の感覚が麻痺していく。
その唯一残された俺の目には、先程まで見下ろしていたはずの少女の顔が少しずつ近づいてくるのが映っていた。少女の背が大きくなっている? いや、俺の背が縮んでいるのか!?
ぞっとする俺の視線の先で、今度は自分の胸がむくむくと膨らんでいく衝撃的な映像が飛び込んでくる。やがてそれは、誰が見ても“女の胸”と分かる二つの膨らみを形作っていった。
たわわな二つの果実を包みこむ布地は真っ赤に染まり、ズボンと一体化すると今度はそのズボンの筒が一つになっていく。服の袖が肩の方へと縮んでいき、細く柔らかそうな腕が露わになっていく。服の表面にはきらびやかな刺繍が浮かび上がり、布地の材質もどこか高級な物へと変化したように見える。
やがて、徐々に戻ってくる体の感覚。
「あっ…‥ああ……ん……」
口から女……というよりまだ少女のようにも思えるような声とともに甘い吐息が漏れる。
大きな胸、その先端部分が張りつめているのが分かる。
一見ワンピース状に見える服のスカートのサイドに入ったスリットからは、艶めかしい生足が見え隠れし、体の奥で何かがキュンと反応するのが感じられる。
首には、学ランの詰め襟の感覚を思い出させる、何かにくるまれているような感覚があった。
相変わらずの金縛り状態の中、自分の体が決定的に変わってしまったことを嫌でも自覚させられる。
「わあ♪ すっごくかわいくて、そしてエッチなワンちゃんね♪」
少女のその声に、今さらながらこの場にいる男達の視線が自分に集中していることに気づき、不随意に顔が上気する。
「あっ、やだ、見ないで!」
「あれ、ホントに見てほしくないって思ってるの? でも、それがホントなら、そもそもそんな格好しないよね♪」
「そ、それは…………ああっ…………♪」
少女の指摘とともに、男達の視線が一気に快感へと置き換わる。
こうして“私”は、一瞬頭に浮かんだイメージ通りに、チャイナドレスのよく似合うエッチな中華系美少女“王ちゃん”へと生まれ変わったのだった。
トップページに戻る
小説ページに戻る
|
|