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牛の呪
作:高居空


  けしからん、けしからんな。正月早々、初詣もせずに食べては寝てばかりとは。
  我か? 我はこの先の社に封じられしまつろわぬモノなり。社に張られた結界により、普段は人界と隔絶しておるが、正月の間のみ、写し身を人界に顕現させることができるのだ。
  いつもなら、賽銭箱の賽銭を元手に酒や肴を買うてきて、その対価として社に参拝にきた者達に加護の呪をかけてやるのだが、今年はやけに賽銭の入りが悪い。何があったかと探りを入れてみれば、このような有様とはな。
  夢。ほう、夢と思うか。それもよかろう。これから起こることは、人の世ではまさに夢の中でしか起こりえぬことであろうからな。
  なにが起こるのか? ふむ、ヌシはこういう話を聞いたことはあるか? 飯を食ろうた後に寝てばかりいた人間が牛になってしまったという話を。その者の姿、まさに今のヌシのようであろう? 特段の理由もなく正月に初詣にも行かず、食べては寝てを繰り返しているような輩は、人ではなく牛の姿の方がふさわしいとは思わぬか?
  ほう、理由ならある、とな。良い。申してみよ。
  ころな、とな? ふむ、聞き覚えのない言葉よ。少なくとも前の正月にはそのような言の葉を発していた者はおらなかったはずだが。
  いや、待て。そういえば、今年の参拝者の中に、「ころなが早く終息しますように」と願をかけていた者が何人かおったな。ころなとはそれか。つまりは流行り病のようなものか。
  なるほど、合点がいった。今年参拝者が少ないのは、流行り病にかかるのを恐れてということか。ヌシもそれが理由で、家に引きこもっていたというわけか。
  が、しかしだ。
  そのような、人の手に余るようなモノだからこそ、人ならざるモノの加護を願うべきとは思わぬか?
  ふむ、だが、お主の言にも一分の理があることも確か。
  故に、ヌシを牛に変生させるのは止め、その胸を牛のような乳に変えるだけに留めてやろう。
  ほうら、さっそくヌシの乳が膨らんでいくぞ。むくりむくりとな。
  ふふっ、立派な乳ができたではないか。さて、お次は股間のモノを取ってやろう。
  ふむ、そう取り乱すでない。これはヌシの乳が牛のような乳として完成するのに必要なことなのだ。
  どういうことか? 牛の乳は、母乳が出てこそ牛の乳であろう。だが、人は子を産まなければ母乳は出ない。ならばまずは、子を宿せるような体にならなければ話にならぬであろう?
  ヌシの股間に新たにできたそれは、一度子ができるまでは年頃の男を見ただけで涎を垂らすような逸品ぞ。すぐに子を授かることができようて。
  ふふっ、感じるであろう? 今の言葉から想像しただけで、ヌシのモノが男を欲しはじめているのが。拒もうとしても、その疼きには抗えぬ。
  いや、だが、まだ足らぬな。いくらヌシが男に迫っても、乳以外がそのなりでは男の方が逃げ出しかねぬ。ならば今一度、我が呪をかけてやろう。
  ふふっ、どうだ、妙齢の女の体になった気分は? 牛のような乳、くびれた腰、大きな尻。男なら視線を外そうにも外せぬ肢体をしておるぞ。顔もいかにも男が好みそうな顔つきをしておるわ。
  ほう、己の姿に興奮したか。だが、昂ぶるきっかけが女の体だったとしても、ヌシの体が欲しているのは男のモノだ。そうであろう? さあ、早う街に繰り出して、その牛のような乳を完成させてくるがよい。
  が、その前に、衣も何とかせぬとな。。ヌシの持っている衣では、せっかくの体が泣こうというもの。どれ、今我の写し身を街に向かわせている故、今のヌシに見合う衣を見繕うてやろう。
  どうだ、その衣は。今のヌシの体にぴったりであろう。
  では、お代をいただこうか。
  なんだ、その不思議な物でもみるような目は? 呪でこの衣を作ったとでも思うたか?
  我が呪は生ける物に干渉し変化させる呪。故に、命無き物は作り出すことも変化させることもできぬ。最初に言うたであろう。我は毎年賽銭を元手に街で酒肴を買うておると。呪でそれらを作り出せるのであれば、とうにそうしておるとは思わねか? その衣も、我の写し身が街の呉服屋でなけなしの金をはたいて買うたものよ。ほれ、これがれしーとだ。
  なに? 高すぎる? そうであろうな。その衣は名の知れた服飾士が作った物と聞いておる。
  ほう、手持ちがないとな。いや、今はまだ払わなくともよいぞ。正月のうちに払うてくれればよい。
  なに、そんなすぐには用意できない、とな? いや、できるであろう? まさか、いくら男が欲しいとはいえ、ただで食わせてやるつもりだったわけではあるまい?
  そうか。できぬか。ならば致し方なし。今すぐヌシを文字通り雌牛に変え、火で炙って酒の肴に喰ろうてやるとしよう。
  ふむ、聞き分けのよい娘は好きぞ。さて、金が用意できたらそれを正月のうちに社の賽銭箱に投げ入れるがよい。初詣もできて一石二鳥であろう? その時には、ヌシに我がとっておきの呪をかけてやろう。そう、ヌシの子が健やかに生まれるように安産の呪をな。



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