トップページに戻る

小説ページに戻る
 


虎退治
作:高居空


  気が付くと俺は見知らぬ場所に立っていた。
  辺りは見渡す限りの竹林。だが、そこに生えている竹は現実のそれと比べどこか違和感がある。例えるなら、美術の教科書に載っていた日本画に描かれている竹のような印象といったところだろうか。
  どういうことかと近くにある竹に手を伸ばし詳しく観察しようとしたところで、背後から聞こえてくる『グルルルゥ……』という唸り声。
  振り向くと、竹と竹の間からのそりと一匹の獣が姿を現す。
  黄と黒の縦縞の毛皮を纏った大型の獣。それは、おそらく虎という生き物だった。
  おそらくと言ったのには訳がある。俺の知識が確かならば、虎は現在、中国をはじめとしたアジア東南部にしか棲息していないはずだ。それに俺の記憶にある虎とは違い、目の前の生き物は顔がどこかデフォルメチックされていた。顔の大きさに比べ明らかに大きすぎる目。どこか愛嬌も感じさせるにやりとした口元。それは虎は虎でも、昔のとんち話ではないが、屏風絵の中から飛び出してきた虎のように見えた。だが、その姿はこの絵画チックな竹林の中ではむしろ違和感がない。
  ここに至り、ようやく俺は気が付いた。
  これは夢だ。寅年の今年、良い初夢が見られるよう願ってから布団に入ったのが変に影響して、こんな虎が出てくる夢を見ているのだろうか。
  そう思い、自分の頬をつねろうとしたところで、俺の頭に何者かの声が響く。
『ええ、これは夢です。貴方の良い初夢をという願いに応え、吉夢を届けに参りました』
  !?
  突然の声に一瞬戸惑った俺だったが、所詮はこれも夢の一部と思い直し、姿の見えない声の主に向かって尋ねる。
  今見ているこの夢が吉夢なのか?。
『ええ。この夢は虎退治の夢。古来より虎退治といえば、武勇を示す逸話として語り継がれているほか、縁起物として描かれることも多い題材。ここで今、貴方が目の前の虎を退治することができれば、今年1年の幸運が約束されるでしょう』
  ……って、ちょっと待て、目の前の虎を退治? 俺が?
『ええ』
  おいおい、夢だからといって随分無茶な注文だ。それに、虎退治ができれば幸運が約束されるというが、もしも虎に負けたらどうなるんだ?
『…………』
  無言ときたか。どうやらこれは勝つ意外にはないようだ。まあ、所詮は自分の夢。相手も本物の虎じゃなし、なんとかなるんじゃないだろうか。
  そう思いながら虎に向き合ったところで、俺は重大な見落としに気が付いた。
  いや、戦うといっても、俺は丸腰だぞ。
  そう、今の俺は武器を持っていなかった。いくらデフォルメされた虎とはいえ、徒手空拳で勝てるだとはさすがに思えない。例え夢であっても、俺の心のどこかに勝てない≠ニいう意識がある限り、勝てるような展開にはならないのではないだろうか。
  おい、何か武器はくれないのか?
『残念ながら、お渡しできるような武器はありません。ただ、どうしてもとお望みなら、作り出すことはできます。しかし、それには対価が必要です。夢の中とはいえ、完全なる無から有は生み出せぬ故。何かを作り出すには、その品に類似性のある何かを捧げて頂かなければなりません』
  だが、俺にはその返答をまともに聞いていられるような余裕はなかった。相対した虎が、俺を敵と認めたのか、いつでも飛びかかれるような低い姿勢を保ったまま、じりじりとにじり寄ってきていたからだ。
  なんでもいい、早く武器をよこせ!
『分かりました。それではこちらをどうぞ』
  次の瞬間、俺の手には槍が握られていた。長槍というわけではないが、間を取って戦うには十分な長さを持っていると思われる槍。柄もまるでこれまで何度も握ったことがあるかのように手になじむ。槍術なんてかじったこともないが、何となくこの槍なら体の一部のように自在に扱えるというイメージがある。よし、これなら……。
『うまくいきましたね。しかし、対価として貴方から槍≠いただいた以上、玉だけそこにあるのは不自然というもの。これはおまけです。今の体で玉のあるべき場所へと存在を移し替えてさしあげましょう』
  続くその声が頭に響いたかと思うと、股間から何かが体の中に潜り込み、それが体内を移動していく感覚がある。
  その未知の感覚に顔をしかめているうちに、胸には二つの半円状の玉が出現していた。その移動に引きずられたかのように腰回りの肉は落ち、ズボンがずり落ちそうになる。
『おや、服が合わなくなってしまいましたか。これでは虎退治に支障をきたすというもの。しかたありません、今の体に合うよう服も拵えてさしあげましょう。それに虎退治の絵にはやはり華≠ェ必要ですしね』
  その声と共に、身に付けた服がぐぐっと姿を変えていく。
  袖がみるみる縮んでいき、白く細い腕が露わになっていく。上着とズボンが繋がり深紅に染まっていく。ズボンの筒が合わさって一つになると、側面に線が走りスリットを形作る。スリットの隙間からは、艶めかしい素足が顔を見せていた。服の下では二つの玉を何かが包み込むとともに、寄せて上げる形で固定する。最後に生地の表面にきらびやかな刺繍が浮かび上がると、服は変化を止めた。
  チャイナドレス……それはこれまで身に付けたこともない、自分が着ることを想像したこともない衣装だった。しかしなぜか、今の自分には、一見動きにくそうにも見えるこの服こそが、一番体に合っているように感じられる。
『それでは虎退治、頑張ってくださいね』
「はああああーっ!」
  声に合わせるように映画に出てくる中国拳法家よろしく槍を頭の上で回し片膝を上げポーズをとった私≠ヘ、目の前の虎に向かって飛びかかっていったのだった。



トップページに戻る

小説ページに戻る