トップページに戻る
小説ページに戻る
楽しい体操
作:高居空
「なんだ、まだこんな時間か……」
ベッドの横でデジタル表示されている時計の時間を確認し、俺は小さく息を吐いた。
枕が合わなかったのか、出張先のホテルで普段では考えられないような早い時間に目を覚ましてしまった俺。本当ならこのまま二度寝したいところなのだが、今日は朝一で先方との大事な会議が入っている。ここで寝過ごして遅刻なんてことになったら目も当てられない。もちろん、目覚ましのアラームもセットし、モーニングコールも頼んではいるが、それでも万一ということがある。それだけ今日行われる会議は重要で失敗するわけにはいかないのだ。
「しゃあない、起きるか……」
もそもそとベッドから体を起こし、空欠伸ををしながらスタンドの下に置いておいたリモコンでテレビのスイッチを入れる俺。テレビの画面には、薄いピンク色の背景に白い床といったスタジオらしき風景が映し出されていた。かなり広めのそのスタジオの端には、黒いグランドピアノが置かれている。
これは……朝の体操か何かの番組か?
テレビに映し出されているスタジオのセットは、朝何回か目にしたことのある公共放送の体操番組のそれとよく似ていた。しかし、公共放送のあの番組は確か朝の6時半ぐらいに放送されていたはず。今はまだ4時台だ。さすがにこの時間に体操番組は早すぎるんじゃないか? まあ、地域の特性というのもあるのかもしれないが……。
そんな事を考えているうちに、画面には白いポロシャツを着た男性の姿が映し出されていた。
「おはようございます。楽しい体操の時間です。今日も体操で思うがままに肉体改造! 皆さん、よろしいでしょうか」
どうやら、本当にこの番組は体操番組だったらしい。最初に挨拶が入るところなどは、公共放送の番組の作りとほぼ同じだ。
ちなみに公共放送では、番組の最初に挨拶をするのは号令役の人間となっている。一見するといかにも動きやすそうな服装をしているのだが、実際には声を出すだけで体は一切動かさないという、非常に微妙な立ち位置の人間だ。そして号令役の号令に沿って実際に体をを動かすのは、大抵がレオタードを身に着けた若い女性達なのだが……。
「それでは、出演者の紹介です。いつもと同様、つい先程まで近くの繁華街で完全にできあがってらっしゃった皆さんです」
しかし、号令役の声とともに登場したのは、俺の予想とはまったく異なるサラリーマン風の格好をした男達だった。号令役の言うとおり直前まで飲みつぶれていたのか、男達のスーツはよれよれで、顔も真っ赤、目の焦点も定まっていない。が、その割には立ち姿は背筋も伸びて、やけにしっかりしているように見えるが……。
「はい、それでは今日は最初に体の柔軟性を高める運動から始めましょう。右腕を真上に上げ、左腕は体の横に。そしてそのまま肘を曲げ、肩を回して背中の後ろで両手の指を組みます」
って、最初からいきなりこんなにハードルの高い運動から始めるのか? 学生時代、こいつができると言って自慢していた奴がいたから分かるが、こいつはよっほど体が柔らかい奴じゃないとできない運動だ。特に総じて女よりも関節が硬いといわれる男、それもまともな運動などしていないことが多い成人男性では、できる奴を見つけてくること自体困難だろう。
俺の考えが間違っていないことを示すように、画面の向こうで横一列に並んだ男達は、肩を回し肘を曲げてはいるものの、いずれも中途半端なところで止まってしまい、腕がぷるぷると震えてしまっている。
そんな男達に向かって号令役の声が飛ぶ。
「はい、できない人は女の人がブラジャーのホックを外そうとしている姿を思い浮かべて下さい。若くきれいな女の人が、柔らかな細い腕で背中のホックを外そうとしている様を……はい、3、4」
……なんだか凄い例えだな。確かに学生だったとき女子生徒の中にはこれができたのが何人かいたような気がするが、少なくとも片手を上から回してブラのホックを外そうとする女なんてまずいないぞ。まあ、イメージとしては何となく分かるが……
が、そんな俺のやや批判的めいた思考は、次に画面に現れた絵にいとも簡単に吹き飛ばされた。
なんだ? 男達の姿が……?
そこには、男達が別の何かへと変わっていく様子が映し出されていた。
男達の顔の輪郭が変化し、それに付随するかのように顔のパーツ一つ一つが別の形へと変わっていく。髭が消え、ぷっくりとした形となった唇にルージュが浮かび上がり、睫毛が伸び、眉が整えられていく。髪もどんどんと伸びていき、顔の変化に釣り合うような女の髪型を形作っていく。その形が一人一人違うのは、この変化を起こした者の演出なのだろうか。顔が変わるのに合わせて男達の体にも変化が生じ、体格が一回り小さくなるとともに、腹が出ていた者も腰回りがすっきりしていく。服も体の変化に合わせるように縮み、その形を変え、首のネクタイがどこかへと消え去り、胸元が柔らかく盛り上がる。ズボンの二つの筒が一つに合わさるとすすっと足をせり上がり、タイトスカートへとその姿を変えていく。それに合わせ露わになった柔らかそうな足には、ストッキングが履かされていた。
画面の向こうで先程まで映し出されていたはずの男達は、今や若いOL風の女性へとその姿を変えていた。しかも、全員がテレビ映えするなかなかの美人ときている。しかし、彼女達の雰囲気の中には、男の時の印象が僅かながらも確かに残っていた。
なんだこれは? 新しいCG処理か何かなのか?
訳が分からず俺があっけに取られている間にも番組は進んでいく。
女と化した男達は、体の変化により関節も柔らかくなったのか、次々に背中の後ろで両手の指を組んでいく。
そして全員が組み終わったところで、号令役が新たな指示を出した。
「はい、それでは次の運動です。股関節の柔軟性を高めるとともに体のバランス力を鍛えます。左足を大きく頭の横まで上げて、右手は右斜め上へ。体でちょうど『Y』の字を作るようなイメージで…はい、さん、はい」
っておい、それってY字バランスじゃないか。俺がよく見るプロレス団体で入場時Y字バランスのパフォーマンスをするプロレスラーがいるが、あれは振り上げた方の足のかかとがそれこそ頭の横にくるくらいまで上げないと見栄えが悪い上に、その無理な体勢を片足一本で支えなければならないという、そこらの体の柔らかい人レベルではとうてい真似などできない代物だ。というよりそもそも、タイトスカートでそんな運動ができるわけがないし、もしできたとしてもそれはスカートの裾がどうにかなっているわけで、テレビ局もさすがにそれを放送するわけにはいかないだろう。
案の定、画面の向こうの女達は足を大きく上げることができないでいる。そんな女達に向かって、柔らかな声で指示を飛ばす号令役。
「はい、できない人はもっと体の柔らかい人をイメージして下さい。そう、体操や新体操の選手のような……はい、3,4」
その声とともに女達の着ている服が一斉に変化し始める。体型が浮き出るくらいにぴっちりと体へと張り付くと、スカートの裾が股の付け根を超えてせり上がり、色と材質が変わっていく。気が付くとそれは、体操選手などが身に着けるレオタードとなっていた。
完成した色鮮やかなレオタードを身に纏い、見事なY字バランスを披露する女達。
「はい、それではここで一旦体の力を抜いて、次はその場跳びの運動です。ピアノのリズムに合わせて軽やかに跳躍してください」
おい、ここにきて次は普通の体操メニューか? ずいぶんとこれまでの運動とレベルが違うじゃないか。
号令役が次に指示した運動とこれまでの運動との落差に思わず違和感を覚える俺。が、運動が始まった後に飛んだ号令役の声に、俺はその運動の意図を理解した。
「はい、もっと体を大きく揺らすような感じで跳躍してください。そう、胸が大きく揺れるくらいの勢いで」
その号令に、形は整っているものの普通サイズだった女達の胸がむくむくと膨らんでいく。跳躍で体が上下するのに合わせ、プルンプルンと揺れ弾むレオタードに包まれた二つの果実。
その光景に、俺はこの番組がどのようなコンセプトで作られているのかをはっきりと理解した。
「はい、それでは今日の『楽しい体操』はここまでです」
にこやかに微笑む号令役。その周りでは、顔を赤く上気させ、色っぽい吐息を吐くレオタード姿の美女達が体を絡めている。
跳躍運動の後も、体操はウエストを引き締める運動、形の良いヒップを作る運動と続き、今や彼女達の肉体はAVアイドル顔負けの艶めかしさとなっていた。体にぴったりと張り付くレオタードが、その蠱惑的なラインを隠すことなくくっきりと浮かび上がらせている。
「皆さん、『体』を『操』り、思うがままに『肉体改造』、今日もお楽しみいただけましたでしょうか。それではまた明日、この時間にお会いいたしましょう」
そう言って一礼する号令役と、それを取り囲むように手を振る美女達。それを眺めながら俺は思った。
よし、今夜の先方の接待は絶対にほどほどの所で切り上げよう。
トップページに戻る
小説ページに戻る
|
|