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したい
作:高居空


  それは異様な光景だった。
  焼けるような太陽の下、波打ち際で楽しげな声を上げながら水と戯れる乙女達。
  彼女達は皆、露出度の高い水着を身に付け、健康的な美しさを見せる肢体を隠すことなく躍動させている。
  弾ける水しぶきを日の光が照らし、まるで彼女達自体がキラキラと輝いているかのような幻想的な光景を現出させる。
  だが、俺と彼女達の間に広がる砂浜には、水辺にいる彼女達とは真逆の存在が闊歩していた。
『アアァ…………』
『ウウゥ…………』
  ボロボロの服を身に纏い、うめき声をあげながら白目でヨロヨロとふらつき歩く人影。それは、“うごくしたい”……いわゆるゾンビの群れだった。
  砂浜の“うごくしたい”達は、水辺の女達には見向きもせず、ただふらふらと砂浜を彷徨っている。その中には俺の見知った顔もいくつか混じっていた。
  それは、ついさっきまで俺とパーティーを組んでいた冒険者達……それも、この世界出身のNPCではなく、れっきとした“プレイヤー”だった者のなれの果てだった。
  くそっ、どうしてこんなことに……。
  仲間達の変わり果てた姿を前にしながら、なすすべのない俺は内心歯がみすることしかできなかった……。


  小説やアニメで異世界転生物のブームが起こったその少し後。
  科学の発展は、ついに人間の意識をゲーム世界のキャラクターへと送り込む技術を確立した。
  初期の頃は様々な不具合や事故があったというが、その技術は、今ではごく当たり前にゲームユーザーへと普及している。
  当初、特に問題になっていたというゲーム内での“死”への対応や現実世界への帰還方法についても、ゲームクリアの他にセーブポイントで任意に帰還できるようにしたり、ゲームオーバーでも帰還できるようシステムを改良し、特にプレイヤーが“死”を体感する前に強制帰還するようにしたことから……一部RPGのように“おお、死んでしまうとは情けない”と死んでもリスタートできるようなゲームからはオミットされているが……安全かつ気楽に異世界体験ができるツールとして人気を博しているのだ。
  ゲームソフトの方も、当初は最初からそのシステム用に開発された物しか利用できなかったが、今では昭和時代に作られたテレビゲームや同人ゲームにまで対応範囲は広がっている。18禁ゲームには非対応だったり、自分と同性のキャラにしか意識を飛ばせないなど、いくつかの制約はあるが、ゲームはいまや、自分の五感で体感してクリアする物へと変わっているのだ。
  そして、システムの普及は、これまで考えられなかったようなスタイルのヘビーゲーマーも生み出していた。“事前知識のある自分で選んだゲームをクリアできるのは当たり前。ランダムで飛ばされたゲームをクリアできてこそ真のゲーマー”と定義するストイックゲーマー達。彼らはネット上に公開された過去のテレビゲームや同人ゲームから、ランダムで意識の転送先を決定するようシステムを改造し、日夜未知の世界へと飛んでゲームを楽しんでいるのだ。
  そして、俺もそんなゲーマーのうちの一人だった。
  今日もシステムを起動した俺は、いつものごとくタイトルも知らないこのゲーム世界へと飛ばされてきたのだ。
  俺が入り込んだゲームは、世界で用いられている文字がひらがなとカタカナのみで、漢字が一切使われていないことから、どうやら昭和のテレビゲーム黎明期に制作されたタイトルのようだった。その世界で、俺は“けんし”となっていた。“ぼうけんしゃギルド”に所属し、ギルドに掲示された数々の依頼からクエストを受注しクリアを目指す冒険者の一人。この造りからして、おそらくは複数のクエストをクリアしていくことで、全体のストーリーが進行していくという形のゲームなんだろう。
  俺は、さっそく同じようにランダムでこの“ぼうけんしゃギルド”に飛ばされてきていた同好の士達とパーティーを組み……複数のプレイヤーが同時に同じ世界に入れてパーティーを組めるということは、どうやらこのゲームはゲームキャラを自分で作成してパーティーで冒険するキャラクターメイク型のゲームだったようだ……、様々なクエストをこなしていたのだった。



  俺達がこの海岸を訪れたのも、そんなクエストの一環だった。
  海岸の名は“リビングデッドかいがん”。いかにもな名前のこの海岸で、“したい”を50体以上退治すること、それが俺達が受託したクエストの内容だった。
  旅をすること十数日、行く手を阻む森の木々をかき分けながら進んだ先に現れたのが、今目の前にある光景……海辺で戯れる際どい水着を着た健康的な美女・美少女達と、その手前の砂浜でゆっくりと徘徊する“うごくしたい”の群れだった。
  俺達はそのあまりにも対照的な情景に、そして何よりスタイルの良さをあられもなくさらけ出す女達の姿に、目が釘付けになっていた。
  ……考えれば、これがモニターの画面越しに見たものだったら、俺はここまで女達に目を奪われることはなかったに違いない。昭和時代の荒いドット絵で描かれたキャラなら、どんなに美女だと言われても食い入るように見つめることはなかったはずだ。
  だが、俺達はこのゲーム世界に入り込み、ドット絵ではなく実在する美女・美少女として女達を見てしまっていた。
  そして、それが命取りとなった。
  俺達の目の前にいた徘徊する“うごくしたい”。打たれ強いが動作の緩慢な奴らだけなら、経験を積みレベルの上がった俺達が不覚を取ることはなかったに違いない。だが、俺達は失念していた。クエストの内容は“したい”を50体以上退治することであって、“うごくしたい”を50体以上退治することではなかったということに。
  海辺の女達と砂浜の“うごくしたい”に目をやっていた俺達は、突然背後から襲撃を受けた。
  音もなく森の木々の間に潜んでいた“はしるしたい”……“うごくしたい”の上位種の群れが奇襲をしかけてきたのだ。
  ゾンビ映画に登場するゾンビは、大きく分けて2つの種類が存在する。動きが緩慢で獲物(人間)が近くにいないときはただ徘徊するだけのものと、俊敏な動きで獲物を走りながら追い続けるもの。後者はさらに一定の知能を持っているかのように、予想もしないところから不意打ちを仕掛けてくる。“はしるしたい”はまさに、その後者の典型のようなモンスターだった。
  そしてもう一つ、映画に出てくるゾンビの多くは、ある共通した特性を持っている。それは、噛みついた相手を自らの同族……ゾンビに変えてしまうというものだ。そしてその特性を、この世界の“したい”も持っていたのだ。
  不意打ちしてきた“はしるしたい”に噛みつかれた俺は、全身を焼かれるような感覚に襲われた後、回転する視界を最後に意識を失ってしまった。そして目が覚めると、俺は奴らの仲間入りをしていたというわけだ。
  いや、正確には俺は完全に“したい”になったわけではない。目の前で知能を無くしたかのようにゆっくりと徘徊する仲間達のステータスを見ると、『じょうたい:のろい』と表示されており、職業欄が『うごくしたい』に書き換えられている。つまり、今の俺達はバッドステータスの一種、“のろい”の効果により、モンスターへと変えられてしまっているのだ、
  が、それはある意味最悪の状況ともいえた。バッドステータス扱いということは、俺達はまだゲームオーバーになったわけでも死んだわけでもない。つまり、システムによる強制帰還は発動しないということだ。実際、“のろい”はある程度のレベルに達した“そうりょ”の呪文か、街の“きょうかい”で金を払えば回復することができる。しかし……。
  俺は自分の意志では満足に動かせない体で、どうにか視線を斜め後ろの森の茂みへと向ける。
  一見、何もいないかのように見えるその茂みの上には、ステータス画面が浮かび、『じょうたい:のろい しょくぎょう:はしるしたい』という文字とともに仲間の名前が表示されていた。
  そう、砂浜で徘徊する“うごくしたい”となった者以外の仲間達は、皆“はしるしたい”へと姿を変え、茂みの中で息を殺して……もっとも“したい”なので息自体していないのだが……新たな獲物がやってくるのを待ちかまえているのだ。
  つまり、俺達のパーティーは全員が“はしるしたい”にやられて“したい”へと変えられてしまっていたのだ。これでは“そうりょ”が呪文を唱えることも、誰かが教会に呪いを受けた者を連れて行くこともできない。望みは、誰か他のプレイヤーが俺達に気付いてくれることだが……果たしてそれはいつになるのか。
  そんなことを思っている間にも、元仲間だった“うごくしたい”達が、うめき声をあげながら 俺の前を通り過ぎていく。
  彼らに自意識が残っているのかは分からない。もし残っていたとしても、自分の意志で体を動かすのは困難に違いない。俺も、体の本能に抗いこの場で動かないようにしているのが精一杯なのだから。いや、彼らのように“うごくしたい”になってしまったのなら、むしろ意識がない方が幸せなのかもしれない。
  徘徊する“うごくしたい”の群れを目で追いながら、俺は口から荒い息を吐く。
  確かに俺達は“したい”に変えられた。だが、変えられた“したい”には個人差がある。パーティー6人のうち3人は“うごくしたい”になっていた。そして、俺以外の残り2人は“はしるしたい”と化し、その姿を見ることはできないが、後ろの茂みの中に潜んでいる。そして俺は……
  再び視線を海岸へと向ける俺。いや、それは本能で視線をそちらに向けたと言うべきか。視線の向こうの乙女達の姿に、俺の息が荒く、激しくなっていく。どうやら、体をこの場に縛り付けるという俺の意志も限界のようだ。
  汗を滲ませながら、俺は自分のステータスへと目を移す。
  そこには、『しょくぎょう:やくどうするしたい』と俺の現在の状況が表示されていた。
  ……………くっ、も、もう限界だ…………!
  遂に体が、俺の意志を振り切り、本能のまま動き出す。
「アハっ♪」
  まるで少女のような声音を発しながら、体は海岸に向かって走り出す。健康的に日焼けした足が大地を蹴るたびに、本来ありえない胸の2つの大きな膨らみが弾み、際どいデザインの水着からこぼれ落ちそうになる。
  白い砂浜を駆け抜け、“やくどうするしたい”と化した俺は、同族が戯れる水辺に向かって、水着に包まれた美しい女の肢体を躍動させるのだった……。



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