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紳士の愉しみ
作:高居空
電車の中は、隣の人と肩を押しつけ合わずとも悠々と座席に座れるくらいの混み具合だった。
ラッシュ時には効いているのか分からない冷房も、今はその性能を最大限に発揮している。
諸々の理由から時差出勤をするようになった私は、車内を見渡し具合の良さそうな座席を探す。
今私のいる車両は、どの七人掛けの座席にも、大体二、三人が腰掛けているような状況だった。立っている乗客は見あたらない。この時期、学生は夏休み中なのか、普通なら授業が始まっている時刻にもかかわらず、若い男女の姿もちらほらと見受けられる。
その中で目星を付けた私は、懐からスマートフォンを取り出しつつ、目当ての席へと腰を下ろす。
車内の乗客達は皆、自身のスマートフォンへと視線を向けているか寝ているかしており、周囲に意識を向けているような人間は一人もいない。私の向かいに座っている、運動部在籍と思しき男子学生もそうだ。大きく足を広げ、バッグを足と足の間の床に置き、前屈みになってスマートフォンの画面を覗き込んでいる少年。耳にはワイヤレスイヤホンが挟まっており、音楽に合わせてか、体を小刻みに上下に動かしている。少年には周囲の事など文字通り目にも耳にも入っていないだろう。
明らかにマナー違反な座り方ではあるが、車内が混雑していないこともあり、それを注意する者もいない。いや、注意された者がした者に暴力を振るうようなこともある昨今、混雑していたとしてもあえて火中の栗を拾うような者はいないか。
だが、私にとっては、彼の座り方は実に魅力的なものだった。だから、私はあえて彼の向かいの席へと腰を下ろしたのだ。
私は、手にしたスマートフォンへと視線を向ける。
電車の中でスマートフォンへと視線を落としている人間を見れば、大抵の者はネットニュースを読んでいるかSNSをやっているか、もしくは動画を観ていると思うだろう。だが、スマートフォンの画面に映し出されるのは、それだけとは限らない。
私のスマートフォンの画面、そこには、小刻みに体を揺らす向かいの座席に座る少年の姿が写っていた。
別にどうということはない。大抵のスマートフォンにはカメラ機能が搭載されている。私はそれを起動しただけだ。
さらに私は画面をタッチし、カメラを動画撮影モードへと移行させる。
ここで隣で私のスマートフォンの画面を覗き見る者がいれば、盗撮だと騒ぎになったかもしれない。だが、今、私の両隣に腰掛けている人間はいない。むろん、そのような席を選んで私は座ったのだ。
それに、仮に画面を見られても、撮影対象が同性である以上、“痴漢行為”を想起する人間はいないであろう。刹那的に行動するのではなく、事前に想定されるリスクは潰しておく。それが一流の紳士というものだ。
私は、無表情を保ったまま、動画撮影モードとなったスマートフォンの画面を確認する。
私のスマートフォンには、動画撮影モードと連動する特殊なアプリが組み込まれている。巷でダウンロードできるようなものではなく、特殊な人脈と資産がなければ入手できない代物だ。少年の姿が映し出されるスマートフォンの画面の右下部分、そこに表示された四角い印に私は人差し指を押しつける。
指紋が認証され、アプリが起動する。画面上の少年の輪郭に緑色のエフェクトがかかると、その輪郭が変化しはじめ、同時に輪郭内の少年の姿も変わっていく。
体の輪郭が一回り小さくなり、少年の体を構成する部分部分が細くなっていく。髪の毛が伸び、ロングヘアといっても過言でない長さになっていく。顔のパーツが美少女のそれへと置き換わる。胸が膨らんでいくとともに、衣服が女の物へと変わっていく。
緑色のエフェクトが消えたとき、スマートフォンの画面には、扇情的な体つきをした美少女の姿が映っていた。
体を前屈みにして、スマートフォンの画面に夢中になっているロングヘアの少女。
はだけたシャツの胸元からは、前傾姿勢も相まって、見せつけるかのように深い胸の谷間が露わになっている。ミニ丈のスカートにもかかわらず、足は大きく広げられている。イヤホンから流れる音楽に合わせてか、少女の体が小刻みに上下に動くたびに、乳房は弾み、スカートの裾からは大人びたセクシーショーツが見え隠れする。
その姿を無言のまま愛で、録画する私。
視線をスマートフォンから外すと、向かいにはスマートフォンに夢中になっている少年の姿があった。
そう、このアプリの機能は、あくまでスマートフォンのカメラにより取り込んだ画像を性的魅力に溢れた異性へと変換させるものであり、現実の対象を改変させるものではない。
仲間内ではこれでは面白くないという者もいたが、私にはこの機能で十分だった。むしろ、撮影の現場を押さえられた場合のリスクのことまで考えれば、理想的とも言える。画面には女の姿が映し出されているが、カメラの向こうに男の姿しかなければ、見た者は、私が成人向けの画像を閲覧していたものとしか判断できないからだ。
触れて直接愛撫することができなくても良いのか? それは愚問というものだ。
紳士は危うきには近づかないもの。今の時代、ソーシャルディスタンスを保って愉しんでこそ、一流の紳士だよ。
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