トップページに戻る

小説ページに戻る
 


シネマ・ザ・シャーク!

作:高居空


「さて、次に俺達が制作する映画は『鮫物』に決まったわけだが……」
  スタッフ数人が集まった会議室に、社長兼監督の声が響く。
  俺の所属する映像プロダクション、『自分達の本当に作りたいと思う映画だけ作る』という理念だけは立派なものの、その実資金も人材も圧倒的に足りていない弱小映画制作チームの会議室では今、次回作に関する会議が開かれていた。
  社長兼監督が口にしたとおり、俺達の次回作は『鮫物』に決まっている。
  鮫物というのは、数ある映画のジャンルのうちの一つで、名作「ジョーズ」を祖とする、いわゆる人食い鮫が登場するパニック映画のことだ。平和なバカンス地の海に突如現れる人食い鮫。惨劇の後、凶暴かつ狡猾な知性を持つ鮫と、それを倒そうとする人間との戦いが繰り広げられる……という、お約束の展開が特徴的なジャンルである。
  正直、すでにこのジャンルの映画は何十作と作られており、もはや二匹目のドジョウなど存在しないことは明白なのだが、今の鮫物はいわゆるB級映画の代名詞ともいえる存在となっており、そうしたマニアックな作品を好む層が一定数存在することと、なにより鮫物は作り手側にもメリットがあるため、今でも毎年のように何らかの新作が発表されているのだ。
  作り手側から見た鮫物のメリットは大きく4つ。1つは、ストーリー展開の型ともいえる物が既に存在しているため、脚本でそれほど悩まなくて済むこと、2つ目は、ストーリーが人間の群像劇ではないため、主役、準主役級以外はほぼエキストラで賄え、役者の数が通常の作品より少なくて済むこと、3つ目は、VFX技術の発達により、鮫をはじめとしたほとんどがスタジオでCG作成・合成できること、そして最後の1つが、先に挙げた1から3までのメリットからもたらされる最大のメリット……『色々な面で手を抜けるので、制作費が安くあがる』というものだ。
  正直、うちの会社の理念とは相反しているのは事実だが、先立つものがなければそれこそ何もできなくなってしまうのもまた事実。というより、今カツカツな俺達にとっては、それこそが一番重要な事柄なのだ。そのためならば理念などドブに捨ててやる。
  ……とはいえ、制作費が安く済むとはいっても決してタダではない。最低でも元を取るだけの収益は必要だ。そして、収益を得るためには、考えなければならないことが色々ある。その最たるものは、これまで発表された鮫物映画との差別化……要は、既出作品とどう違いを出すかだ。先のマニアも、どっかで見たような作品では、収入の大きな柱となる円盤を購入してはくれないだろう。彼らの興味をひくために、まず俺達がしなければならないことといえば……
「映画に出てくる鮫、それを『どんな鮫』にするかをこれから決めたいと思う」
  そう、既存の作品との差別化で最も分かりやすいのは、敵役である鮫に個性を持たせることだ。人食い鮫という個性に更にプラスアルファの要素を加えることで、これまでにない鮫を誕生させるのである。
  しかしながら、この新たな鮫を生み出すというのは結構な難題である。
  今の鮫物に出てくる鮫は主にCGで作られている。それはつまり、現実には存在しないようなクリーチャーでも、パソコン上で簡単に生み出すことができるということを意味している。実際、最近の鮫物では双頭やサイボーグ、タコや何かとの合成獣や空を飛ぶもの、極めつけは悪霊鮫などという、もはや鮫物なのか何なのか分からないようなものまで登場しているのだ。そのような何でもありな状況の中、ここで誰も見たことのないような鮫を生み出すのは正直至難の業である。
  だが、このメンバーの中でメイン脚本を担当している俺の胸にはある秘策があった。確かに誰もが驚くような斬新な容姿の鮫を登場させるのは難しい。だが、少し見方を変えれば、まだまだ金脈は残されているものだ。要は皆が鮫の姿に注目するならば、逆にそこにはあえて触れずに別の部分で勝負するのである。
「なら、こんな鮫はどうでしょう?」
  いの一番で声を上げた俺は、皆の視線が集まる中、さっそく自分のプランを語り始めた……。





「いやあ、楽しみだなあ、おい!」
  クーラーでキンキンに冷えた車の助手席で、ダチが待ちきれないぜといったようなテンション高めの声を上げる。
  おいおい、そうやって騒ぐの一体これで何回目だよと内心肩をすくめながら、俺はハンドルを切り海岸沿いに作られた道を飛ばしていく。
  俺とダチは今、とあるマイナーな海水浴場へと向かっていた。
  ダチが仕入れてきた情報によると、その名前も聞いたこともないド田舎の海水浴場には、なぜかそのロケーションからは信じられないくらいの若いギャル達が集まっているらしい。しかもそれがそろいも揃って美女揃いだという。
  話を聞いた時には本当かあ?と半信半疑……というより正直眉唾程度にしか思っていなかった俺だったが、その後、目を爛々と輝かせたダチの勢いに圧されまくり、気がつくとこうして車を出して2人で海水浴場に向かうこととなっていたのである。
  ちなみに今、車には俺とダチの2人しか乗っていない。後部座席は空席だ。つまりはナンパが上手くいった時の『お持ち帰り席』である。
  がしかし、これはちょっとやばいかな……。
  上機嫌なダチに気付かれぬよう俺はそっと車の燃料メーターに目を向け、内心独りごちる。
  今俺達が走っている道は、いかにも田舎道といったガードレールもほとんど整備されず信号も全くないカーブの続く一本道だ。道の左側には海が広がり、右側には鬱蒼と木が生い茂っていて人の住んでいる気配がまったくない。最後に民家を見たのはいつだったか。もしもこんなところでガス欠にでもなったら……。
  ラジオのミュージックにノリノリになっている奴に悟られぬよう黙っていた俺だったが、さすがに燃料の残量が四分の一を切ったとなると気が気でなくなってくる。
  このことを言い意味でも悪い意味でもノリで生きているダチが知ったら、さらに面倒な事態になることは明らかだ。
  くそ、こんなことなら出発前にガソリン満タンにしてくるんだったぜ……。
  愛車の低燃費を過信しすぎたことを内心後悔した俺だったが、次の瞬間、救いの神ともいうべき看板が目に飛び込んでくる。
  カーブを抜け視界の開けたその先に、木々の枝に隠れるようにして、「ガソリン」と書かれた古びた看板が掲げられていたのだ。
「おい、ちょっとそこ寄ってくからな」
  ダチにそう告げると、俺はウインカーを点灯し、そのガソリンスタンドへと進路を向けた。





「いらっしゃいませー♪」
  スタンド奥の事務所から出てきた店員に、ダチがヒューと口笛を吹く。
  そこにいたのは、どう見ても普通のガソリンスタンドスタッフには見えないような格好をした女性店員だった。
 二十歳前後に見えるギャルの入った上玉の女。身に着けた赤いポロシャツはどうみてもサイズが合っておらずピチピチで臍だし状態、下は白いホットパンツで、メリハリの効いたスタイルが露わになっている。茶色く染められた髪の上には赤いサンバイザーを被り、いかにも「夏!」といった容姿なのだが、機具の所々に錆の浮かんでいるような古びたガソリンスタンドの店員としては明らかに不釣り合いである。
  まるでバイク雑誌の表紙モデルかレースクイーンみたいだな……。
  そんな感想を持ちながら店員にガソリン満タンと告げると、店員は人なつっこい笑みを浮かべながら手を動かすより先に俺達に話しかけてきた。
「お兄さん達、この辺じゃ見慣れない顔だけど、これからどこに行くの?」
「ああ、この先にある海水浴場に泳ぎに行くんだよ!」
  店員の問いに俺が口を開くよりも早く助手席から体を乗り出して答えるダチ。まったく、イイ女だとすぐしゃしゃり出てくるよな、こいつは……。
「またまた〜♪ ホントはナンパに行くんでしょ♪ ここに来る男の人って、大体それが目当てだって知ってるんだから♪」
  その答えに対し、分かってるとばかりにウインクする店員。「へへ、やっぱ分かる?」とダチはにやけるが、店員は人差し指を頬につけると「でもね」と続ける。
「一応忠告しとくけど、あの海水浴場には行かない方が良いわよ。断言するけど、絶対にナンパは成功しないし、もっとひどい目に合うかもしれない。例えば、人食い鮫に食べられちゃうとかね?」
「人食い鮫?」
  予期せぬ単語に思わずオウム返しに聞き返す俺。見ると、その小悪魔っぽい仕草とは裏腹に、店員の目はどこか真剣なもののようにも感じられる。
「そう、この土地の海にはね、昔から大鮫が住んでいて、土地の人はその鮫を『神通力を持ってる』って神様として崇めてたのよ。で、毎年村の娘を人身御供として鮫に捧げてたって歴史があるの。もちろん近年になって人身御供は禁止されたんだけど、困ったことにその大鮫は本当に神通力を持っていたうえに『女の味』が忘れられなくなったみたいでね。今は人がくれないもんだから神通力を使ってあの海水浴場にやってくる女の子を襲ってるのよ」
「…………それなら、鮫に人が襲われたってことで、とっくに海水浴場は閉鎖されてると思うけどな」
  その店員の説明に疑問を返す俺。神通力云々は置いといて、本当に鮫が人間を襲っているのなら、とっくにその海水浴場は遊泳禁止になっているはずだ。それがないということは、この話は店員がまことしやかに語っているだけの単なる与太話じゃないのか?
「ま、確かにその通りなんだけど、それがあの鮫の神通力なの。信じないなら信じなくても良いわよ。実際、これまで来た人達で私の話を聞いて引き返した人は皆無だしね♪ ただ、もし興味があるっていうんだったら、もっと詳しく教えてあげるけど?」
「いや、姉ちゃんの話は興味あるけど、せっかくここまで来たんだから、引き返すっていうのは無しだわな〜」
  店員の問いに、ダチがニッコリと笑みを浮かべながら答える。
  ああ、こいつ、面倒な女に絡まれたと思ってんな。
  ダチの顔に張り付いた笑みの内側を見透かしながらも、あえてツッコミを入れない俺。
  確かに、この店員は格好といい、話している内容といい、俺から見てもあまりマトモな頭をしてるとは思えない。ここはこれ以上関わり合いにならない方が賢明だろう。
「そっ。ま、忠告はしたからね♪」
  俺達が引き返さないことを察したのだろう。店員はニコリと営業スマイルを浮かべると、車に給油をするべく動き出した。





「おお〜っ! こいつは絶景だぜ!」
  窓から砂浜の方を眺めながら、ダチが歓喜の声を上げる。
  ガソリンスタンドから20分くらい走った後に見えてきた目的の海水浴場は、確かにダチの言うとおり「絶景」が広がっていた。
  海辺に広がるパラソルの森と、キャピキャピとした声が窓越しでも聞こえてきそうなギャル達の姿。かなり際どい水着を身に纏った女達は遠目から見てもスタイル抜群で、正直ここにくるまで半信半疑だった俺もダチの言葉に乗って良かったと心から思っていた。果たして、どのくらいのギャルがこの水辺にいるんだろうか? 下手したら百人近くはいるんじゃないか?
  海岸へと続く砂浜に面した道路にハザードランプを付けて停車し、海辺をしばらく眺めていた俺だったが、その隣でダチが何やらごそごそし始める。
「おい、何やってるんだ?」
「へへっ、悪いな! 実は俺、もう水着を着てきてんだよ! 先に行ってんぜ!」
  服を脱ぎ捨て、黒いトランクスの水着姿になったダチは、助手席側のドアをバンと勢いよく開けると砂浜に駆けだしていく。
「おい、ちょっと待て! お前のスマホ、確か防水対応じゃないから今持ってないんだろ! 連絡取れなくなって迷子になったらシャレにならないぞ。俺が駐車場に車置いて来るまで遠くに行くなよ!」
「へ〜い」
  視線は既に海辺に釘付けなのか、俺に背を向けたまま手を挙げ応えるダチに、やれやれと息を吐いた俺は、そこでふと違和感を覚えた。それが何かは判然としないが、そこはかとなく感じる“不自然さ”。
  何だ? 何がおかしいんだ?
  その感覚が気になり車を停めたまま今しばらく海岸を眺め続けていた俺だったが、ついにその正体に思い至る。
  そうか! この海水浴場、ここには若い女“しか”いないんだ!
  この海水浴場に若い上玉のギャル達が集まってるというのはダチの情報通りだ。こんな辺鄙な場所になぜというのはあれ、それはまだそこまでおかしなことじゃない。だが、この海岸に女しかいないというのは明らかにおかしい。ダチが情報を仕入れてきたことからも分かる通り、ここに若い女が集まっているという噂はかなり出回っているはずだ。当然、俺達みたいな目的でやってきてる男だって相当数いるはずである。だが、水面で遊んでいるのは若くてスタイルの良い女のみ。これはどう考えたって異常だ!
「おい、いつになったら車駐車場に持ってくんだよ? 俺もう我慢できないぞ!」
  そんな俺の耳に飛び込んでくる声。
  見るとそこには、腰に手を当て仁王立ちをしている“女”がいた。
  年の頃二十歳前後の金色に染められたボブカットと抜群のプロモーションが特徴的なギャル風の美女。艶めかしい肢体ににピッチリと張り付いた覆う面積の少ない黒ビキニが、女の胸の谷間や腰のくびれ、尻の大きさや足の長さをさらに強調している。だが、それよりも…………
  俺は、直感的にこの“女”がダチだと分かってしまった。
  な、何が起こってるんだ!?
  自分の顔が引きつるのが分かる。こ、この浜はいったい!?
  が、次の瞬間、俺の目はさらなる驚愕に見開かれる。
“ダチ”の背後に広がる海、ギャル達がキャッキャと水遊びをしているその向こうに、特徴的な大きな背ビレが見えたのである。
  それは、昔のパニック映画で見たことのある鮫の背ビレそのものだった。
  だが、水面で戯れるギャル達は、その背ビレが姿を隠そうともせず一直線に近づいているにも関わらず、まるでそれが目に入っていないかのように遊び続けている。
「どしたの? 急に顔をひくひくさせちゃって? あ〜、ひょっとしてアタシの水着姿、ちょっと刺激が強すぎたかな〜?」
  さらに手前では、ダチがそんな事を口にしながら胸の下で腕を組み、その大きな胸をどう見ても意図的に強調するようなポーズを取りながらウインクしてくる。ちょっと目を離している間に、ダチはさらに“女”になっていた。さっきのダチは、姿こそ女になっていたものの、その口調や仕草には男のダチの面影が残っていた。だが、今のダチの口調は見た目通りのギャルそのものになり、その仕草も自分が“女”であることを分かった上でそれを受け入れているようにしか見えない。
  もはや訳が分からずぐちゃぐちゃになった俺の頭に、少し前に聞いた言葉が浮かんでくる。
“断言するけど、絶対にナンパは成功しないし、もっとひどい目に合うかもしれない。例えば、人食い鮫に食べられちゃうとかね?”
“困ったことにその大鮫は本当に神通力を持っていたうえに『女の味』が忘れられなくなったみたいでね。今は人がくれないもんだから神通力を使ってあの海水浴場にやってくる女の子を襲ってるの”
  次の瞬間、俺は車から飛び出すと、砂浜で怪訝な顔をしているダチの手を取り、強引に車へと引っ張りはじめた。
「ちょ!? 何なの急に!?」
「いいから、早く車に戻れ!!」
  突然のことに驚きの声をあげ最初は抵抗したダチだったが、俺の上げた大声に俺が本気だと察したのか、納得のいかない顔をしつつも黙って助手席へと乗り込んでいく。
「行くぞ!」
  シートベルトなんてしてる暇はない! 運転席に戻った俺は、すぐさま車を発進させる。
  ダチをこの後どうしたらいいのかなんて分からない。だが、この異常事態の真相を知っていて、何とかできそうな人の心当たりならある!
  俺はその人物がいる場所へと向けて、猛スピードで車を走らせた…………。





「で、ここに戻ってきたんだ。でも、正直感心したよ。ここに寄ってった男の人で、戻ってきたのは貴方達が初めてだもの。その姿はどうであれ、ね♪」
  俺の説明を聞いたガソリンスタンドの店員は、そう言って心底感心したような顔で俺達のことを見る。
  俺達は、先程給油をしたガソリンスタンドへと戻ってきていた。理由は簡単、彼女はあの海水浴場で起こっている異常現象を知っているような口ぶりで忠告してきた。ならば、ダチを元に戻す方法も知っているかもしれない。
「で、どうしたらダチを元に戻すことができるか、知っていますか?」
「え〜、アタシ、別に今のままでいいんだけど〜? というか、むしろ今のままの方がゼッタイいい〜」
  店員に尋ねる俺に対し、助手席で不満げな声を上げるダチ。
  まあ、“彼女”がそう言うだろう事は分かっていた。ガソリンスタンドに戻る途中、「しっかりしろよ、お前男だろ!」と声を掛けた俺に対し、ダチは「そう、アタシは男よ。でも女でもあるの。で、アタシは今のアタシの方が好き〜♪」といって隣で科を作っていたのだ。
  そんなダチの姿を一瞥し、店員は肩をすくめる。
「そうね、残念ながら私もその方法は知らないわ。でも、推測はできる。これらの現象の大元はあの鮫。それを何とかすることができれば元に戻れる可能性はあるわ。物理的に退治するか、神通力を何らかの手段で無効化するか。もしくはダメ元で鮫に頼み込んでみるっていうのもあるけどね♪」
「……最後の冗談はともかく、あの鮫を何とかする手段を貴女は持ってるんですか?」
「そうね。私は昔一応民俗学を勉強してたから、もしかしたら神通力関係は何とかなるかもしれないし、他の筋でも思い当たるところはあるわ。ただ、私自身は戦力にならないわよ。なんと言っても私には鮫の姿が見えないからね」
「鮫の姿が見えない?」
  問い返した俺に対し店員は深く頷く。
「そう。今の私には鮫の姿は見えなくなっているの。例えそれがどれだけ近くに迫ってきててもね」
  その言葉に、俺は先程水遊びをしていた女達が鮫の接近にまったく気付いていなかったことを思い出す。
「そうね。こうなった以上、貴方達も知っておくべきね。あの鮫の神通力がどのような物なのかを」
  そう口にした店員の顔から笑みが消え、真剣な表情へと変わる。俺の隣でぶうぶう言っていたダチも場の雰囲気が変わったのを察したのか、とりあえず静かになる。
「あの鮫の神通力はね、あの海水浴場に足を踏み入れた人間を、自分の人身御供の対象である若く美しい村娘へと変えるというものなの。ただ、それは一気に変えるのではなく、いくつかの段階がある。今のところ分かってるのは4段階、それに私の推測だけどあともう一つ、最終段階があると思われるわ」
  そう言って人差し指を立てる店員。
「まず第1段階は、あの砂浜に足を踏み入れた者を老若男女関わらず二十歳前後の女へと姿を変えるというもの。それもスタイル抜群のギャル風の美女にね。この段階だと、姿を変えられた者の精神は、まだ変化前のものが8割くらいは残っている。ただ、潜在的に自分の体の美しさを見せつけたい、高めたいという欲求が刷り込まれちゃってるけどね。あともう一つ、この段階では、姿を変えられた者は、自分の事をそのままでは正しく認識できないの」
「正しく認識できない?」
「そう。姿を変えられた者は、他人に指摘されない限り、自分の体が別物に変わっていることに気がつかない。というより、変化前の姿のままで認識しているの。他人に指摘されて、初めて自分がギャルになってることに気付いてビックリって感じね」
  なるほど。
  俺の脳裏には、最初に俺に声を掛けてきた時点でのダチの姿が思い浮かんでいた。
  おそらく、あの時のダチの目には自分の体が男に見え、声も男の声として聞こえてたんだろう。だから、まったく違和感のないまま、ああやって腰に手をあて仁王立ちしていたに違いない。いや、もしくは自分の体を見せつけたいという潜在意識がああいうポーズをとらせたのか。ともかく、ダチの口調が男のままだったのも今の説明で納得できる。
「そして、第1段階を経てなおも姿を変えられた人間が砂浜に留まり続けると、次に第2段階へと移行するわ。その状態になると、姿を変えられた者の口調や仕草は外見に相応しい物に変化する……つまりはギャルそのものになるってことね。さらに、精神の方も変わっちゃう。変化前の自分のことは覚えてるけど、『今の自分』の方がとっても良いように感じちゃうの。さらに外見相応にエッチが好きになっちゃう」
  そう言うと猫のように目を細め悪戯っぽい笑みを浮かべる店員。
「そこで元が男だったりすると大変よ♪ 男の時の名残が残ってるからか、男だけでなく、女にもムラムラしちゃう子になっちゃうから♪ バイセクシャルなヘンタイギャルの誕生ね♪」
「ええ〜? イケてる女の子を見たら同性でもコーフンしちゃうのはトーゼンでしょ〜?」
  店員の言いっぷりに助手席のダチが口を尖らせ抗議する。だが、その抗議の内容は、皮肉にも店員の言っていることが間違いでないことを雄弁に物語っていた。
「そして第3段階。さらに姿を変えられた子が砂浜に居続けると、その子はこの土地の娘になっちゃうの。彼女達には変化後のギャルとしての名前が新たに授けられ、住居と職が“元からそこに住んでいて、その職に就いていた”ものとしてこの土地で与えられる。この土地の人達もそれを当然の物として受け入れていて、誰も不思議に思わないわ。そもそも、戸籍だって普通に存在してるしね。
  で、新たに名前とこの土地に生活の場を与えられた者は、代わりに変化する前の自分の名前や家族の姿、どこに住んでいたかという記憶が失われてしまう。前に就いていた仕事も、自分がどんなことをしてたかはぼんやりと覚えてるけど、自分がなんて所で働いてたのか、同僚は誰だったかなんてことはすっぽり抜け落ちちゃう。
  まあ、代わりに新しい仕事の方は、これまでもその仕事をやってきてたかのように知識も何もバッチリだから、生活面ではまったく困ることはないんだけどね」
  そう言うと、店員はまるで自分を嘲笑するかのようにヒヒッと笑って肩をすくめる。
「実はね、私もその口なのよ♪ 私って、元々はナイスミドルの民俗学者だったの。で、この土地を調べるためにやってきたはいいものの、気がつけばガソリンスタンドで時々良いオトコや同じ境遇のギャルをつまみ食いしちゃうような不良ギャル店員になっちゃってたってわけ」
  ……いや、本当に不良だったらやってきた男達に警告はしないし、こうして相談にも乗ってくれないだろ?
  感じたままにそう伝えると、店員は少し照れたような顔をして手をぱたぱたと振る。
「いやいや、それはたまたま私が仕事で調べてた事を覚えてて、ちょっとそれを役立ててみようかなって思ってやってるだけだし、大したことはしてないって。大体、前にも言ったかもしれないけど、これまでいくら忠告したってそれで引き返した男なんて皆無だし、あの浜に行って帰ってきたのだって貴方達が初めてなんだから、役になんて立ってないしね」
  そして再び皮肉げな笑みを顔に浮かべる店員。
「ま、もしかしたらあの『鮫』は、私が自分のことを調べてるのを知って、浜の近くやこの土地の中心地じゃなくて、こんな村外れのガソリンスタンドの店員にしたのかもしれないけどね。自分に危害を与える可能性のある者を遠ざけたのか、『自分を止めようとしても無駄だ』と嘲笑ってるのかは分からないけど」
  そこでふうと店員は大きく息を吐く。
「ただ、いずれにせよ、さっきも言ったけど、私は直接的にはもう戦力にはなれない。第3段階に至った者はね、自分の目に鮫の姿が映らなくなるの。もしも鮫が目の前に来ても、逃げることも迎撃もできずにパクリってわけ。それに、あの浜自体にももう長くいられないしね」
「長くいられない?」
「そう。第3段階に達した者が更に浜に居続けると、やがて第4段階に移行する。そうなったらもう終わり。その段階まで進行するとね、その子はいつでも、例え何があったとしてもあの海辺で遊びたくてたまらなくなるの。何とか意志の力で抑えつけようとしても、まあ一週間が限界ってとこでしょうね。貴方も見たんじゃない? 鮫が近づいてるのに海の中で遊び呆けてる女の子達の姿を」
  その言葉に、先程の海辺の光景が俺の脳裏にフラッシュバックする。そうか、だからあれだけの数の女達があの浜辺に集まり、近づく鮫にも気付かず遊んでたのか……。
「そう、あの段階まで至った子は、昔鮫に捧げられてた人身御供の娘そのものに生まれ変わったと言っても過言ではないわ。あとは、生贄として鮫に食べられる順番待ちってわけね」
  そこでもう一度肩をすくませる店員。
「そしてもう一つ、私の推測する最終段階っていうのはね、おそらくは犠牲者が食べられた瞬間に移行する。あくまで推測だけど、あの鮫に食べられた女の子は、この世界に存在しなかったことになる。皆の記憶に残らないのはもちろんのこと、存在していた形跡さえきれいさっぱり消えて無くなるんじゃないかな。
  もちろん、そんなの私も認識できるわけないから想像の範囲でしかないんだけど、戸籍だの人の記憶や意識だのを改ざんできちゃう鮫よ。それくらいはできるんじゃないかしら。だから、何人女の子が鮫に食べられても決してそれが話題になることはないんだって私は踏んでるけどね。さらにいえば、そうして『空席』になった場所に第3段階になった娘が押し込まれてるんじゃないか……って、まあこれは推測というより妄想といった方がいいかもしれないけど」
  なるほど。
  俺は彼女の知識とその分析力に素直に感心する。言うとおり、彼女が鮫について色々と調べていたのは確かなようだ。それに頭の方も俺達よりも相当切れ者のように感じる。さすがは元は学者だったというべきか。彼女自身は直接的な戦力にはならないと言っているが、その知識とアドバイスは俺達の今後に大きな力となってくれるはずだ。
「さて、あの鮫の神通力がどのようなものかを知ってもらったところで、最初の話に戻るわね。今後貴方達がどうするかだけど、まず、今の姿のままで構わないというのであれば、浜に戻って第3段階になるまで待つ事ね。今の状態じゃ戸籍上は男のままだけど、第3段階になれば新たに女としての戸籍が与えられ、女としての生活が誰にはばかることもなく送れるようになるわ。ただ、それは今までの自分を捨てることを意味するけどね」
  そういって俺のことをじっと凝視する店員。
「そして、貴方達が元の姿に戻りたいと思うのなら、最初に言ったようにあの鮫を何とかするしかないわ。ただ、その為にはどんな方法をとるにせよ、鮫に近づかなければならない。その時には、貴方の力が重要になるわ。第2段階に達している貴方のオトモダチより、貴方の方があの水辺にいられる時間が僅かながら長いからね。まだ第1段階なわけだし」
  何?
  それが何を意味するのか俺が理解するよりも先に、すうっと目を細め言葉を続ける店員。
「やっぱり気付いてなかったのね。貴方、ちょっとだけだけどあの砂浜に入ったでしょ。オトモダチとお似合いのエロビキニを着たギャルになってるわよ、今の貴方」
  な……?
  言われて改めて自分の体を見下ろす俺。
  そこには、ほとんど全裸といっていい女の肢体があった。
  大きく膨らんだ胸、くびれた腰、突起物のない股間。ワインレッドのビキニが小さな布地でその秘所を申し訳程度に包み込んでいる。
「あ、そんな、ああっ……」
  耳にはこれまで聞いたことのない甘ったるい女の声が聞こえてくる。
  ミラーに目をやると、そこにはダチのギャル友として違和感のない、金髪の好色そうなギャル顔が映っていた。
「う〜ん、エロエロなおっぱい♪ オンナだけどアタシ、もうガマンできなーい♪」
「ンっ♪ アアン♪」
  唖然としていたところを突然助手席から身を乗り出してきたダチに胸を揉みしだかれた俺は、背中を仰け反らせ、反射的に女の嬌声をあげていた……。





「どうでしょう?」
  物語の導入部を披露した俺は、会議室の皆に感想を問う。
「なるほど、鮫の姿は変えずに、超能力を持っていることにする……か。さらにTS要素を盛り込むことで本来鮫物に興味を示さないようなニッチ層を取り込むとともに、水着ギャルでエロス要素も満載ということだな」
  顎に手をやり頷く社長兼監督の仕草に、手ごたえを感じる俺。
  だが、次に社長兼監督が発した言葉は、俺の想像していたものとは正反対のものだった。
「しかし、この企画には大きな問題点がある。これではGOは出せないな」
「! 何故です!?」
  想定外の判断に理由を問う俺に、社長兼監督は冷静な声で答える。
「変身系のTS物ということは、同じキャラクターでも男と女の2人の役者を用意しなきゃじゃないか。それじゃあ鮫物にする意味がないぞ?」
  そうか、経費面か! 確かに変身系のTS物だと、変身前と変身後で同じキャラクターでも2人の役者を配する必要がある。つまりそれは、単純計算で通常の2倍のギャラが発生するということだ。低予算だということで鮫物を選んだのに、それでは本末転倒である。
  だが、実際にTSするのは主人公周りの数人に絞るようにすれば、まだ経費の増加は最小限で済ますこともできるのだが……
「それに、この話のTS後の姿は、スタイル抜群の若いギャルって決まってるんだろ? それなら、海辺のシーンのエキストラもそれなりの子を集めてこなきゃならん。これじゃあ完全に予算オーバーだ」
「……………………」
  確かにその通りだ。う〜ん、良いアイデアだと思ったんだが……。
  俺は仕方がないとばかりに大きく息を吐く。
  だが、この話の出来自体は少なくとも悪くはないと思う。うちじゃできないが、誰かこの企画を買い取って映画化してくれないものか……。



トップページに戻る

小説ページに戻る