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Rの穴
作:高居空


「お前、ちょっと太ったよなあ」
  卒業後ちょうど10年になるのを記念して開かれた高校の同窓会。その席で久々に会った旧友の和起に痛いところを突かれた俺は、ビールの入ったグラスを片手に思わず鼻白んだ。
「おいおい、俺ら今年もう29歳だぜ。普通に飲み食いしていれば腹も出てくるって」
  そう反論する俺だが、当の和起の奴を見てみると、その体は学生時代と同じかそれ以上に引き締まっているように感じられる。同じ会社員だというのにこの差は何なんだ? まあ、接待やら合コンやらで毎晩のように飲み歩いている俺が不摂生というのはあるかもしれないが……。
「もう29歳って、それでもまだ20代だぞ。少しでも意識して体を動かすようにしていればそこまで丸くならないって。お前、運動とか全然してないだろ?」
  酒が入っていることもあるのか歯に衣着せぬ物言いの和起に、むうと唸り声をあげることしかできない俺。運動か……確かに社会人になってからはとんとご無沙汰しているなあ。
「よう、だったら俺の所に来てみたらどうだ?」
  そんな俺と和起のやりとりを聞いていたのか、やはり高校の時に同じクラスだった直人の奴がビール瓶片手に口を挟んでくる。そういえば、直人の家は確かスポーツジムを経営していたんだっけな。何でも直人の親父さんが昔のプロレス漫画の熱狂的ファンで、それが高じてプロレスラー養成の為のジムを実際に始めたんだとか学生時代に聞いた覚えがある。ジムの名前はそう……“虎の穴”だったか。
「いや、その名前は親父から俺に代替わりしたときに変更したんだ。今は“虎の穴”と言ったら同人誌関係の方が有名だからな。変に勘違いされるのも嫌だからスパッと変えさせてもらったんだ。ついでにその時に中身もレスラー養成ジムからフィットネスクラブ風に全て改装したんだぜ。俺もインストラクターとして中にいるから是非来てくれよ」
「へえ、面白そうだな」
  そんな直人の誘いに興味を示す和起。俺としても直人の経営するフィットネスクラブというのはちょっと見てみたい気がする。ジムに通ってまで運動するつもりは全くないが、何といっても直人の奴は学生時代、仲間内で“百人斬りの直人”の異名で呼ばれたほどの女好きかつ手の早い男だった。そんな奴が今、インストラクターとして会員の女性にどのような指導をしているのかは非常に興味をそそられるところだ。
「それじゃあ、今度の日曜にでもさっそく顔を出させてもらうわ」
  携帯のスケジュール表で週末に先約が入っていない事を確認した俺は、一緒に行くという和起の予定も聞いた上で直人にそう告げたのだった。



「よう、よく来たな」
  次の日曜日、最寄りの駅前で待ち合わせをした和起と共にジムを訪れた俺は、受付嬢に更衣室へと通され、そこで着替えを済ませた後でトレーニングルームへと案内された。様々なトレーニング機器が並ぶ室内へと入ると、そこには紺色のジャージに身を包んだ直人が立っていた。
「どうだ、俺のジムは?」
  片手を腰に当て、どこか得意げな顔で感想を聞いてくる直人。確かに以前学生時代に一度だけ中を見せて貰った時と比べ、直人のジムは外装も含めて全てが新しく変わっていた。前は内外ともコンクリート剥き出しの造りでトレーニング機器やリングが無造作に置かれていたような感じだったが、今の建物は内装外装ともに清潔感や明るさを感じさせるようなデザインとなっており、トレーニングルーム内の機器も利用者が使い易いように配置されているように見える。以前室内の半分くらいを占拠していたリングの姿はどこにも見あたらなかった。おそらくは直人がジムの方針を変更した際に撤去してしまったのだろう。トレーニングルームの壁の一方は全面ガラス張りとなっていて、そこから向こう側の部屋が見渡せるようになっている。明るい照明に照らし出されたフローリングの床のその部屋はエアロビ等で使用するためのスタジオなのだろう。そういえば、前に訪れた時は毛筆体で大きく“虎の穴”と書かれていた看板も、今はオシャレな字体で“R−PIT”という新たなジムの名前が掲げられていた。“R”というのが何の略字なのかは分からないが、“PIT”というのは英語で“穴”という意味だから、その部分だけは親父さんの意向を反映させたのかもしれない。確かにここまで変えたとなれば直人が自慢したくなるのも分かる気がするな。
「本当にフィットネスクラブ風に変えたんだな。驚いたよ」
  同じように感嘆の声を上げた和起に直人はどうだといったような表情を浮かべる。
「まあ、大きな所と違って室内プールとかはないんだけどな。他にも利用者向けの浴場やサウナルームなんかも作ってあるんだぜ」
「へえ、たいしたもんだ」
「ま、時代の流れってやつだな。今時レスラー養成なんてはやらないし、同じ養成するならもっと……っと、おしゃべりはこのくらいにしておくか。ウチの怖〜い従業員の姉ちゃんがじっと向こうの部屋から冷たい目でこっちの事を見ているからな。そろそろ実際にウチのマシンを使ってみてくれよ」
「ああ、それじゃあ遠慮なく使わせて貰うよ」
  直人の言葉にそう返すと待ってましたとばかりに腕をグルリと回す和起。そういえば和起の奴は駅で待ち合わせをした時から既にやる気満々といった感じだった。それは無地のTシャツにハーフパンツ、そして首にはスポーツタオルといういかにもトレーニングをするぞといった今の和起の格好からも見て取れる。一方の俺は学生時代に体育で使用していたジャージ姿。かなりズボンのゴムが伸びたとはいえ、学生の時の服に体がなんとか収まった時点である意味奇跡と言えるかもしれない。当然、和起と違って俺の方は真剣に体を動かすつもりなんて元からない。あくまで俺が興味があるのは直人の仕事ぶりであって、自分が運動をすることではないのだ。とはいえ、少しは和起や直人に付き合わなければ、やる気になっている2人の機嫌を損ねてしまうかもしれない。それに今は時間が悪いのか、トレーニングルームを利用しているのは俺達しかいなかった。これでは直人の仕事ぶりを観察するもなにもあったものではない。しかたない。ちょっとだけあいつらに合わせてやるとするか……。
「で、直人お奨めのダイエット用機器っていうのはどれになるんだ? できればあまりきつくないような物にしてくれると助かるんだけどな……」
  そんな俺の声に直人は分かっているとばかりに頷くと、とあるマシンの前に立つ。
「それならこの機械がお奨めだな。こいつを使えば短時間で理想の体型まで持っていけるぜ。しかも若返り効果までついてるしな」
「……て、それ、ただのルームランナーじゃないのか?」
  そう、直人が示したマシンはトレーニング機器にあまり詳しくない俺でも分かる、室内で走るための機械、ルームランナーそのものだった。これのどこがお奨めなのか、一見しただけではさっぱり分からないが……。
「おいおい、こいつをそこらの通販で買えるような健康器具と一緒にして貰っちゃ困るぜ。こいつは親父の代から色々とジム運営に協力してくれてるメーカーが特別に開発してくれた機械なんだ」
「特別に? これが?」
  思わず聞き返す俺に大仰に頷く直人。
「ああそうとも。こいつを開発したメーカーはちょっと変わった人体科学関連の会社でな。こちらがどういった人間を養成したいか伝えれば、その為の特別な機械をオーダーメイドで作ってくれるって所なんだ。レスリングの知識がほとんどなかった親父が思いつきでレスラー養成ジムを始められたのも、そのメーカーの作ったトレーニング機器があったからなんだぜ」
「ふうん、そうなのか」
  その説明と目の前のどうみてもありきたりな機械とのギャップに何となく釈然としないものを感じながらも、俺はとりあえず直人に返事を返す。直人の方も俺が完全には納得していないことを察したのか、口元に苦笑いのような物を浮かべながらまあ使ってみろよとばかりに体を機械の脇にどける。
「どこがどう違うのかはやってみればすぐにはっきりするって。何せ効果は本当に覿面だからな。プログラムが終われば凄く体が軽くなったような気がすると思うぜ」
「プログラム?」
  聞き慣れない言葉に声を上げる俺に、直人はああといってマシンの横に掛けてあったよくマラソンでランナーが着用しているようなサングラス状の物体を手に取った。
「このマシンを使うときにはこいつを装着した上で走って貰うことになっていてな。こいつのバイザー部分には使用者がトレーニングに集中できるよう映像が流れるようになっている。そして、その映像が終了した時点でプログラムが一本終了って訳だ」
「なるほど、利用者が無理なトレーニングをしないようにそれでトレーニング時間を管理しているって事か」
  横で納得したような顔で頷く和起に直人はその通りだとばかりにニヤリと笑みを見せる。なるほど、確かにインストラクター的にはそのような機能は便利かもしれないな。だが、こいつで嫌々ながらも走らなければならない身としては、そんな機能があったら適当に短時間だけ走って切り上げるという手が使えなくなってしまう。それに、映像で室内の景色が遮断されてしまっては直人の仕事ぶりを観察するという本来の目的も果たせないじゃないか。
  そんな俺の内心を知ってか知らずか、直人は口元に笑みを浮かべたまま俺と和起にサングラスを手渡してくる。
「まあ、とりあえず使ってみてくれって!」
  ……しかたないな。俺は心の中でため息をつくと、直人の奴にとりあえず付き合ってやることにした。
「じゃあ、行くぜ」
  機械の上に乗った俺の耳に直人の声が響く。その声を合図にゆっくりと走り始めると、直人の言ったとおり俺の目の前のバイザーに映像が浮かび上がってきた。青く澄んだ空に見渡す限りの草原。その大自然のど真ん中で、なぜかアニメ調のウサギが直立してこちらの様子を伺っている。
  俺が視線を向けたことに気付いたウサギは、きびすを返すと跳ねるのではなく二本の足で軽快なリズムを刻みながら走り始めた。なるほど、このウサギを追いかけるようにして走れということか。映像の制作者の意図を察した俺は、ウサギのペースに合わせるようにして走っていく。前を行くウサギの走る姿は中々ユーモラスなものだった。これもまた、トレーニングを苦痛に感じさせないための制作者の配慮なのだろう。よく見ると、ウサギの腰の辺りには時計のような物がぶら下がっている。トレーニングの残り時間を表示でもしているのか? いや、それよりもこれは海外の有名な文学作品に出てくる走るウサギをモチーフにしていると考えた方がよさそうだ。
  目の前のウサギを追いながら、俺はどんどんと走っていく。結構なスピードで走っているようにも思えるが、不思議と息苦しさは感じなかった。むしろ、爽快とも思えるような感覚が体の中から沸き上がってくる。気が付くと俺は草原を走り抜け薄暗い森の中を走っていた。そこを抜けると今度は小高い丘が現れ、その上に建てられた石造りの西洋風の王城のようなものが目に入ってくる。
  こうやって走る場所の風景が変わっていくのを見ていると、次にどのような風景が現れるのか何だかわくわくしてくる。こうした感情はいつ以来だろうか。まるでどんな事でも楽しかった学生時代に戻ったかのような感覚を覚えながら、目の前のウサギに遅れないようペースを落とさず走っていく。
  そうやってどのくらいの距離を走ったのだろうか。突如前を走っていたウサギが腰に掛けていた時計へと手を伸ばしこちらに向かって振り返った。そろそろ時間なのかな? そう予感した通り、こちらに向かってウサギが掲げた時計の中央には、“これで今回のプログラムは終了です。お疲れ様でした”というメッセージが記されていた。それに目を通した次の瞬間には映像は消え、目の前にジムのトレーニングルームの風景が浮かび上がってくる。
「どうだ、こいつの感想は。まるで前までの自分が嘘だったみたいに体が軽いだろ」
  機械の側に立っていた直人にそう言われ、体の調子を確認してみると確かに先ほどまでの自分は何だったのかというくらいに体が軽く感じられる。なんだか生まれ変わったかのような軽やかさ。これがこの機械の力なんだろうか?
「ああそうさ。お前、さっきまでの姿が想像できないくらいに絞れてるぜ。まあ、こっちみたいな体になるためにはあと数セットはやらないとダメだけどな」
  そう言って直人が指さすその先では、和起がスポーツタオルで額の汗を拭っていた。その肉体は確かに同性から見ても魅力的と言えるものだった。
  汗を拭く和起が身につけているタンクトップ。その胸の部分は大きく形良く盛り上がっており、その胸元には立派な谷間が形成されていた。同様にスパッツのお尻の部分も大きく膨らんでいてその性的な魅力を周囲に振りまいている。腰の部分は蜂のようにくびれ、蠱惑的な体のラインを形成していた。さらに言えばその見た目も何だか少し若々しくなったようにも感じられる。肩まで伸びた髪の毛のツヤ、肌の張り、まだ少し少女の面影を残す愛らしい顔など、今の和起なら二十歳過ぎぐらいの女子大生といっても十分通用するだろう。
「どうだ和美、このプログラムをやってみた感想は?」
  そんな和起に向かって声を掛ける直人。あれ? 和美? 何だかおかしなような気もするけど、まあ、それでも良いのか。女だったら名前は和起より和美の方がしっくりくるしね。
「あん、何か凄く気持ちよかった〜。シェイプアップも完璧みたいだし、もう言うことなしって感じ〜♪」
  何だかやけに甘ったるい声音で答えてくる和美に直人は満足そうな表情で頷くと、その指をパチンと鳴らした。その音が合図であったのか、先ほどこちらに案内してくれた受付嬢がトレーニングルーム内へと入ってくる。その手には赤い色をした何か衣装のような物が用意されていた。
「これって……」
「今の和美にはこいつがよく似合うだろ? プレゼントするから着てみろよ」
  そう言って直人が受付嬢に顎で促し和美に手渡させたのは、ウサギの耳を模した頭飾りに露出度の高い真っ赤なレオタード、それに網タイツやら赤いエナメル質のハイヒールやら何やら……。そう、それらはいわゆるバニーガールが身につけている衣装一式だった。
「あん、良いの、ホントに? わたし、これ着てみたかったんだ〜♪」
  プレゼントされた扇情的な衣装を前に目を輝かせる和美。その喜びようを見ていると何だかこちらもうらやましくなってくる。
「ねえ、あたしのは〜?」
  そうおねだりしたあたしに対し、直人さんは渋い表情を浮かべた。
「う〜ん、お前の場合、バストとヒップの大きさは申し分ないけど、まだウエストの方がなあ。バニースーツはやっぱりボン、キュッ、ボンな体じゃないと似合わないからもっと絞らないとダメだな。それにバストの形ももう少し良くしないと美しくないぜ」
「そんな〜」
  その歯に衣着せぬ意見に思わず気落ちするあたしに、直人さんは優しく肩をポンと叩いてくる。
「そんなにガッカリすんなって! お前もこのマシンであと数セットプログラムをこなせば、必ずこの衣装が似合うようになるからさ!」
「……本当?」
  上目遣いで見上げるあたしに、直人さんはその白い歯を光らせる。
「もちろんだとも。そのためにこの機械、そしてこのジム“RABBIT−PIT”はあるんだからな!」





「さあ、そろそろ休憩も終わりにしてもう一本いこうぜ!」
「はい、直人さん!」
  休憩の終了を告げる直人さんの声、それを聞いたあたしは今度こそとばかりに床から立ち上がった。
  あれからあたしはあの機械のプログラムを3セットほど連続で続けている。その効果は着実に現れてきていて、ウエストはかなりくびれてきたし、バストもサイズを維持したままツンと上を向く形になってきた。肉体年齢の方も何だかだいぶ若返ってきたように感じられる。おそらくあともう一本このプログラムをこなせばあたしもバニーガールの一員となることができるだろう。何といってもこのジムは“RABBIT−PIT”。直訳で“兎の穴”という名のとおり、ここは優れた兎……バニーガールを養成し、またその肉体美をさらに磨き上げる為に作られたジムなのだ。ここでこれだけトレーニングさせて貰っているのだから、これでバニーガールになれなかったら嘘である。いや、直人さんにこれだけ手間をかけさせてしまった分、あたしにはただのバニーガールではなく殿方全てを悩殺するような立派なバニーガールになる義務があるのだ。
「頑張ってぇ〜♪」
  直人さんの隣では赤いバニースーツに身を包んだ和美が胸の谷間を強調するようにやや前屈みの格好をしながら手を振っている。待ってなさい、すぐにあたしも貴女の所まで追いついて見せるんだから。そしたらあたしの方が和美よりも有利なんだからね。和美もFはあるみたいだけど、あたしの方がバストのサイズは間違いなく大きいんだから。
  あたしはバニーガールへの夢と和美へのライバル心を胸にマシンの上に立ちサングラスをかける。そんなあたしに向かって直人さんから激励の声が飛ぶ。
「兎だ! お前は兎になるのだー!!」


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