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因果応報
作:高居空


「あ〜、だるかったぁ……。かったるくないっすか、先生?」
  湯冷めをしないようにということか適度に暖められた脱衣所。そこで俺の隣に陣取った一年生部員の大木は、首をコキコキと鳴らしながら脱いだジャージを籠の中へと放り込んだ。
「まったく、ようやく練習も終わってやっと自由になれたと思ったのに、何で坊主の説法なんかに時間を割かれなきゃなんないんすか……」
「仕方ないだろ大木。ここは宿坊なんだから」
  まるで俺の事を教師だと思っていないような口調で愚痴をこぼす大木に、俺は小さくため息をつきながら答える。
  俺達は今、山奥に建てられた宿坊に宿泊していた。
  宿坊というのは、総本山と言われるような大きな寺に参拝に来た信者達が宿泊できるように整備された小さな寺の事だ。宿屋もやっている寺院というと分かりやすいかも知れない。
  霊場や総本山と呼ばれる所は修行も兼ねているからか山奥など交通の便の悪い場所にある事が多い。そのため宿泊の施設が必要になるのだが、宗派によっては山全体を聖域としているため、通常のホテルなどが中に入れないことがある。それらの代わりとなるのが宿坊という訳だ。
  そんな場所に俺達が泊まっているのは、ひとえに俺が顧問を務めているる陸上部に伝わる慣わしのせいだった。
  この部では、毎年この時期になると集中トレーニングと称してここで強化合宿を行うのが伝統となっていた。山道で足腰を鍛え、同時に心肺機能を高める……要は高地トレーニングなのだが、最初にここで合宿を行った年にインターハイに出場した部員達が好成績を収めたことから、験担ぎで毎年合宿を行う事になったのだという。実を言えば俺はこの部のOBでもある。当然学生の時にはこの場所で行われる合宿にも参加していた。もっとも、その時の思い出は決して良いものばかりではないのだが……
「しっかし、他の奴らなかなかこないっすね〜。こりゃ露天風呂は俺が独占っできるかもしれないっすね」
「まあ、そうかもな……」
  俺はどこか嬉しそうな大木の声に頷きながらも、その中に出てきた“露天風呂”という言葉に内心顔をしかめていた。
  俺達が泊まっている宿坊には、宿泊客向けに本格的な大露天風呂が設置されていた。一言で宿坊といっても、寺に宿泊用の大部屋がついてるだけといった所から、一流旅館さながらの設備を持った所までその実態は千差万別である。その中でもこの宿坊は旅館としての側面を強く押し出し、この露天風呂を売り物にしているのだった。だが、その肝心の露天風呂には実は非常に危険な“罠”が仕掛けられているのだ。
  この宿坊の風呂は、男性用が2階、女性用が1階と階が別になっている。それだけなら他の旅館にもあることだが、問題は露天風呂の位置である。男性用の露天風呂は2階の張り出し部分に作られている。そしてよく確認すると、その張り出し部分のちょうど斜め下のあたりに女性用の露天風呂が設置されているのだ。つまり、構造上男性用露天から女性用露天を覗くことが可能なのである。もちろん、露天風呂の周りには覗き防止用に竹の柵が設置されているのだが、床と柵との間には何故か数センチほどの隙間が存在していた。まるで“ここから覗いてください”と言わんばかりに……。
  当然ながら、この事に思春期の野郎どもが気付かないわけがない。俺が学生の頃から、“宿坊の露天から女風呂が覗ける”というのは陸上部の男子部員なら誰もが知っている情報だった。そしてそれは今の代でも同じらしい。毎年いるのだ、俺がこの話を知らないと思っているのか、俺が大浴場にいるというのに堂々と露天で覗きを行うバカどもが。
  おそらく、今頃大木以外の男子部員は別の部屋に泊まっている女子部員達の様子を探っているに違いない。言うまでもなく女子が風呂に入るのを待っているのだ。しかし、そういった話にいの一番で飛びつきそうなのはこの大木だと思っていたのだが……。
「大木、お前は他の奴らと一緒じゃなくて良いのか?」
  そんな俺の問いに対し、大木はにやけ顔を抑えようとしているのか、どこか不自然な笑みを浮かべる。
「ああ、いいんすよ。あいつら大部屋で女子と一緒に色々遊んでたっすけど、俺はあんまり興味ないですし。いちいちみんなが来るのを待っててイモ洗いになるよりも、空いてるウチに入った方がいいじゃないすか。藤川先生も同じ事言って、先に風呂に入ってるみたいっすよ」
  その大木の答えに俺はピンとくるものがあった。
  藤川というのはウチの部活の副顧問を務めている今年採用されたばかりの女性教諭だ。なかなかのスタイルの持ち主で生徒からの人気も高いと聞いていたが、なるほど大木の目当てはそれか……。
  俺は再び小さくため息をつくと、服を脱ぎ終わって浴室へと向かおうとする大木の背中に声をかける。
「なあ大木、さっきの住職の説法の内容、覚えているか?」
「あ、え〜と、“因果応報”……でしたっけ?」
  振り返って答える大木に俺は相槌を打つ。
「そうだ。自分が行った行為はいつか自分へと返ってくる……大切な事だぞ。いいか、忘れるなよ?」
「へ〜い」
  だが、大木はそんな俺の言葉など全く興味がないといった感じで後ろを向いたまま片手を上げると、そのまま浴室の中へと入っていってしまった。まあ、今のアイツは目の前にニンジンをぶら下げられた馬と同じだ。教師の小言など馬耳東風なのもいたしかたないのだが……。
  俺は浴室の向こうで待っているであろう光景を想像していささかげんなりとしながらも、脱いだ衣服をたたみ終わると大木に続いて浴室へと足を踏み入れたのだった……。





  俺が浴室へと入ったとき、既に大木の姿は室内のどこにも見あたらなかった。
  この浴室は観光ホテルなどでよくあるように室内に大浴場が置かれ、その脇のドアから外の露天風呂へと向かうような作りになっている。
  こうして室内を見渡しても姿がないということは、大木は露天へと直行したのだろう。室内に作られた大浴場では、一人の老人がゆったりと湯船に浸かりながらガラスの向こうに広がる景色を眺めていた。
  俺は一つ小さくため息をつくと、露天風呂ではなく大浴場へと歩を進める。今さら露天に行ったところで大木は覗きを始めているに違いない。ならば、今露天に行って騒動に巻き込まれるより、この大浴場で待っていた方が賢明だ……。
「やあ、今年も来たね、先生」
  俺がかけ湯をして湯船に浸かると、先ほどまで外を見ていた白髪の老人がにこやかな笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「ああ、ご無沙汰しています」
  とりあえず会釈をする俺。この老人と俺とは学生時代、つまり俺が部員としてここで合宿に参加していた頃からの知り合いだった。この人は毎年必ず俺達の合宿に合わせるようにここに宿をとる、事情を知らない人から見れば一風変わった常連客なのだ。
「今年もまた、活きが良い子が入ったのかい?」
「はあ、まあ、何人か…………」
  そう答えた俺に老人は実に嬉しそうな笑みを見せる。
「そうかい、そうかい、そいつは楽しみだ。それに去年来た子達もきっとみんな成長してるんだろうねえ」
  ウチの部員の去年の姿を思い浮かべているのか幸せそうな顔をして目を細める老人。
「そういえば、さっき若いのが露天の方に行ったが、あれも先生の生徒かい?」
「ええ、まあ……」
  答えながら俺は老人が指差す方向に視線を向ける。
  そこにあったのは、足だけ風呂に浸かりながら床に体を伏せ、床と柵との隙間を覗き込んでいる大木の姿だった。
  そのあまりにも露骨すぎる体勢に、俺は見ていて頭が痛くなってくる。
「はっはっは、若い者のやる事は今も昔も変わらんねえ。これまでワシが見てきた中でアレをやらなかった生徒はアンタだけだよ、先生」
「はあ、ありがとうございます……」
  俺は内心複雑な思いに囚われながらも頭を下げる。
  あの頃の俺は硬派を気取っていて女子にはあえて見向きもしなかった。合宿で初めてこの宿坊を訪れたときも、先輩や同期がこぞって露天に覗きに行くのを俺は一人鼻で笑いながらこの浴場から眺めていたのだ。そんな俺に声をかけてきたのが、今目の前にいるこの老人だった。
「さあて、そろそろ始まるぞ……」
  老人が小さな声でつぶやく。
  その声に合わせるようにガラスの向こうでは女風呂を食い入るように覗き込んでいた大木の体が一瞬ブルリと震え、じわじわとその肉体が別の物へと変化しはじめる。
  日々の部活で鍛え上げられた筋肉質の体。それが、俺の見ている前でどんどん柔らかな体のラインへと変わっていく。
  腰が徐々にくびれていくのに合わせるようにして、タオルの巻かれた臀部がゆっくりと盛りあがり、艶めかしい曲線を形成していく。
  筋肉ではち切れそうだった両の太股が一回り細くなると、プニプニとした脂肪質へと置き換わる。
  スポーツ刈りだった髪の毛がするすると伸び、肩の後ろまで伸びていく。
  はらりと肩から滑り落ちた髪の一房を掻き上げる腕からは力こぶが消え、腕を持ち上げた事で露になった胸には大きな膨らみが見て取れる。
  既に大木は俺の知っている大木ではなくなっていた。
  大木は腰の周りのみを小さなタオルで隠し、艶やかな肢体をあられもなくさらけ出す美少女へと変貌してしまったのだ。
  しかし、当の大木自身は自らの変化に無自覚なのか、なおも熱心に隙間の向こうを覗き込んでいる。前屈みの体勢で自然に突き出された尻が左右に揺れる様を見て、老人がニヤリと笑みを浮かべる。
  俺はそんな老人と変わり果てた大木の様子を見ながら、今日何度目かのため息をついたのだった。





  この宿坊の露天風呂には“罠”が仕掛けられていた。罠の名前は“因果応報”……。
  確かにここの露天には女風呂を気付かれないように覗く事ができる隙間がある。だが、実はその隙間こそが罠なのだ。あの隙間には一種の呪いがかけられている。あそこから女風呂を覗いた者は皆、例外なく艶めかしい美女へとその身を変えられてしまうのだ。
  因果応報とは自分が行った行為が自分へと返ってくるということである。その言葉通り、あの露天から女性の裸体を覗き見した者は、その報いとして自らが美女となり、その裸体を男達の前にさらけ出す事になるのだ。……ちなみにここでいう男達というのは他でもない、室内の大浴場から露天の様子を眺めている俺達の事である。
  そして、美女へと姿を変えられた者達は俺達に自分の恥ずかしい姿を見られている事に気付くことはない。奴らは絶対にばれない場所から女性風呂を覗き見していた。それが自身に返ってきた結果、これだけ露骨に大浴場から見られているというのに、アイツらはその事に決して気付けないのだ。
  この後、女に姿を変えられた者達は、元から自分が女であったかのように“女”として露天風呂を楽しむ事になる。自分が覗いた対象が行っていた動作を再現させられている、ということだろう。そうして一通り湯を楽しんでからこの室内へと戻ってきた時点で、ようやく奴らにかけられた呪いは解けるのだ。
  ちなみに、呪いの解けた奴らの頭の中には、自分が覗きを終えた後の記憶は一切残っていない。これは俺の想像だが、奴らが“女”として行動している間、あいつらの心や記憶は呪いによって一時的に女の物が植え付けられているのかもしれない。
  しかしこの事は俺にとっては頭の痛い問題だった。
  奴らは露天風呂に入ってからの事を“露天風呂から女風呂を覗いた”というところまでしか覚えていない。こいつが厄介なのだ。あいつらが他人に露天風呂であった事を話すとき、当然あいつらからは“あそこの露天から女性風呂が覗ける”というプラスの情報しか出てこない。覗きを行った結果何が起こるのかについては一切触れられないのだ。そうして、話のうまい部分だけを聞かされた者達は、ここに来たときに同じように覗きを行うことになる…………そう、うちの陸上部はこうして毎年新入部員が入るたびに新たな犠牲者を産み出し続けているのだ。
「いやあ、若いというのは良いねえ。実に良い。ほら、先生もしっかり見てやらないと」
  そう言って満面の笑みを見せる老人に、俺は愛想笑いを浮かべながらも心の中でため息をつく。
  老人がいつも俺達の合宿に合わせて宿を取る理由……それはもはや話すまでもないだろう。だが、今の俺にはこの老人に付き合うしか道はなかった。因果応報の呪いは、この浴室にも影響を及ぼしているのだ。
  因果応報の呪いにより。大木は今、自らが女になって同じように男に覗かれるという罰を受けている。だがここで俺達が大木の事を見るのを止めてしまったら? それでは“男に覗かれる”という因果応報が成り立たなくなってしまう。また、もしも男としての本能を抑えきれずに大木に襲いかかってしまったら? それでは行いに対する罰があまりに大きすぎる。
  それらを防ぐためか、この浴室は覗きを行っていた者が姿を変え始めた時点で、外部との出入りができなくなるようになっていた。露天や脱衣所への扉を開けたくても何らかの力で完全に閉鎖されてしまうのだ。この呪いは女になった者が露天から浴室内に入ろうと外から扉を開けた時点で解かれることになる。だが、困った事に奴らは自分達が覗きを行っていた時間と同じだけ俺達に覗かれないと、この浴室に戻ろうとはしないのだ。つまり俺がここから外に出るためには、大木のあられもない姿を眺め続けなくてはならないのである。
  俺が学生時代のこの合宿にあまり良い思い出がなく、また、教師になってからも頭を悩ませているのは、まさにこの事が原因だった。自分の見知った奴らが、妖艶な全裸の美女へと変わっていく……そのインパクトは絶大だ。そう、そのあられもない姿が脳裏に焼き付いてしまうほどに。そうなってしまうと後が大変だ。何せ、あいつらと顔を合わせるたびにあの時の映像がフラッシュバックされてしまうのである。それが数ヶ月から悪いときは一年も続くのだ。当然、その間は奴らとまともなコミュニケーションなど取れる訳がない。
  俺は艶めかしい大木の裸体を眺めながら黙考する。
  …………本来であれば、こういった事態に陥る前に、俺は教師として覗きをやめるよう厳重に注意しておくべきなのかもしれない。だが、あの年代の奴らにはそれは逆効果になりかねない。禁止されているからこそそれを破りたいのがあの年頃なのだ。それにもう一つ俺が直接的に注意できない理由がある。老人の話によると、この露天風呂の罠は、ここの住職が自分の説話、“因果応報”を宿泊客が本当に理解しているのかを試すために仕掛けた物なのだという。そして、その“試し”を妨げた者には、罠の呪いを遥かに超える災いが降りかかるというのだ。常識的に考えればそのような話ありえるはずはないのだが、俺は実際に因果応報の呪いという超常現象を目撃してしまっている。果たして覗きをやめるよう注意する事が住職の試しを妨害する事にあたるのかどうかは分からないが、呪いの恐ろしさを知ってしまった俺には、あえてそれを試してみるだけの勇気は存在しなかった。
「ふ〜む、やはり先生の所の生徒さんはみんな良い女に変わりますなあ。実に素晴らしい」
  大木の裸体を食い入るように見つめながら賞賛の言葉を贈ってくる老人に対し、俺はただ苦笑を浮かべるしかない。
  はっきりいって、あそこの隙間から女風呂を覗いた奴らもこの老人も、やっていることには何ら変わりはない。いや、ある意味老人の方がより悪趣味だと言えるだろう。だが、老人がいうところによると、ここでこうして呪いにかかった者達を覗く事ができるのは、住職の試練を乗り越えた者……つまりはあの隙間から女風呂を覗ける事を知ったうえで、なお覗かなかった者に対する住職からの褒美なのだという。なんでも住職が言うには、女風呂は覗いては駄目だが、女に変わった男ならば、元々男なのだからいくら覗いても構わないということらしいが……。しかしそうなると、俺達みたいな試練を越えた者達がこの浴室にいなかった場合、あの因果応報の呪いはどうなるのだろう? まさか住職が覗いてたりするのか……?
  俺がそんな事を考えている間も、窓ガラスの向こう側では大木が顔を紅潮させながらなおも女風呂を覗き続けている。老人がニヤニヤしながらその様子を眺める中、俺は自分のこめかみが引きつるのを感じていた。大木のバカが、いくら何でも覗きすぎだろう。これでは呪いが解けるまでえらく時間がかかってしまう。そうこうしているうちに残りの部員達もここにやってくるに違いない。この罠が発動している間、浴室の外がどのようになってるのかは知らないが……このままいくと大木の呪いが解けて外との出入りができるようになると同時に奴らが入ってくるという展開になりかねない。そして奴らもまた女風呂を覗いて…………
  顔を真っ赤に染めながら尻を振りつつ女風呂を覗き込む全裸の美少女の群れを想像し、俺は今日何回目になるのか分からないため息をついたのだった…………。


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