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女体化本 〜サークルサイド〜
作:高居空


“女体化本、残り20部切りました!”
  海辺の国際展示場で開催されている大規模同人誌即売会。そのサークルスペースで、私はスマホを使ってSNSに書き込みをする。
「ち、ちょっとそれってやばいよ〜!?」
  その内容を横目で見てたのか、隣で慌てた声を上げる小悪魔の格好をした売り子に、私はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「どうして? ただの販促告知じゃない。私達みたいな初参加の弱小サークルなんて、ただ待ってたって本が売れるなんてことはまずないわ。完売目指すなら出来る事はなんでもやらないと」
  そう、私達がこのイベント……というか、同人誌即売会にサークルとして参加するのは、今回が初めてだ。普段は人里離れたトンデモナイ場所でお師様の下で怪しげな魔術修行に励んでいる身、そうそうこっちまで出てこられるわけじゃない。まあ、それでもネット環境がうちの周りにも整備されたお陰で、こっち側の情報は格段に入りやすくはなっているんだけどね。特にいわゆるオタク系情報は。
「で、でも、私達の本、ホントはこれまで一冊も売れてないじゃない!? これじゃ、“嘘はついちゃ駄目”っていうお師様の言いつけが……」
  明らかに狼狽した様子の売り子に、私はふうとため息をつく。
  今回、同人誌即売会にサークル参加するにあたり、お師様は試練として私達に四つの条件を課してきた。
  一つ、購入者の人生を一変させるような本を販売すること。
  二つ、二桁以上の部数の本を持ち込み、それを完売すること。
  三つ、販売時に嘘をつかないこと。
  四つ、販売にあたって、魔術の使用は禁止。
  お師様は『この四つの試練を乗り越えぬ限り、我が元に戻ることはまかりならん』とおっしゃったが、これは考えてみるとかなりきつい条件だ。
  まず一つめのはどうとでもなるとしても、二つめの『本の完売』は、本の完成度はもちろんのこと、まずは客の目をこちらに向けさせなければならない。今回が初参加で常連客がついていない以上、私達にとってお客さんは全てが一見さんだ。いくら良い本を作っても、そもそもブースに目を向けて興味を持ってもらえなければ売れる可能性はゼロ、完売なんて夢のまた夢。もしもここで魔術が使えるんなら、前の通路を通る人間達を“魅了”で釣りまくるところだけど、販売に魔術が使えない以上、代わりに何らかの策を弄する必要がある。それも嘘をつけないという縛り付きだ。
  まあ、あのお師様のこと、おそらくはそこまで見越した上で私達にこの試練を課してきたんだろう。“悪魔なら悪魔らしく悪魔的思考に磨きをかけろ”っていう意味で。
  閑話休題。そんなわけで、売り子は私がSNS上で嘘をついてるんじゃないかとあたふたしてるわけだが……ちなみに彼女はあくまで売り子の手伝いとして私が巻き込んだだけで、サークル申込みから本の執筆、製本まで実質私独りでやっているので、私がどんなふうに本を売ろうとしているのか知らない……、もちろん、私だってそこら辺は弁えている。
「ええ、確かに本は1冊も売れてないわね。でも、そもそも私達が持ち込んだ本の数は20冊。そのうち実行委員会に見本誌として1冊提出してるから、残りは19冊。ほら、20冊切ってるじゃない。嘘は言ってないわよ」
  そう、物は言い様。事実として手元には19冊しかないのだから、言ってることは嘘じゃない。あとは、この書き込みでどれだけの数の人間が食いつくかだ。
  今の同人誌即売会のカタログは、昔ながらの書籍タイプの他に、DVD版やWEB版といった電子媒体の物もある。スマホやタブレット全盛の今、会場ではそれら電子媒体タイプのカタログを逐一チェックしながら移動している参加者も多い。そして、電子版のカタログでは、サークルは任意でサークル紹介欄に自サークルのSNSへのリンクを張れるようになっているのだ。参加者の中には、そこで発せられているつぶやきを参考にサークルの回り順を当日修正したり、本を購入するか決めたりしてる者もいるとのことだ。こちらとしてはそれを利用しない手はない。
  現在の時刻は10時30分。ちょうど即売会が始まって30分といったところだ。この時刻で残部が残り20冊を切ったという書き込みをすれば、見る者に“バカ売れしていて残り僅か!”といった印象を与えることができる。私達からすると20冊といえば相当な数だが……ちなみに持ち込み数を二桁ギリギリの10冊とかにしなかったのは、実行委員会にやる気のないダミーサークルと見なされて次回以降参加できなくなるというのを避けるためである……、1日で数百冊を販売する大手サークル基準で見ればほとんど残ってないというのと同義語である。大手サークルと弱小サークルを同じ物差しで見るかというのもあるけど、今日は年に2回しかない祭りの日だ。ハレの日の熱気にあてられ、冷静な判断が出来ずに誤認する輩も結構いるはず!
  そんな私の読みが正しかったことを証明するように、しばらくすると通りの向こうから「良かった、まだ残ってる!」という声が聞こえてくる。
  小走りでこちらのスペースに向かって近づいてくる人影。それは、こんな場所でしか着れない(であろう)美少女キャラがプリントされたTシャツにジーンズという、ステレオタイプなオタク系の格好をした男性だった。
  私達にとって最初のお客様は、荒い息を吐きつつスペースの前まで来ると、額の汗を拭いながら本を指さし口を開く。
「すいません。こちら見せてもらっていいですか?」
  ……って、“良かった、まだ残ってる!”って走ってきたんなら、普通そこは“新刊一冊下さい”でしょ!?
  内心そうツッコミながらも、笑顔で「どうぞ♪」と答える私。
  こうしたイベントに来たことがない人には分からないかもしれないが、この場において、『こちら見せてもらっていいですか?』というのは、“中身を読ませてもらって面白かったら本を買わせて頂きます”という買い手の意思表示だ。一方の『新刊一冊下さい』は、“中身は確認しないので、早く本を売って下さい”という意味。
  同人誌即売会では、本を売買する際、買い手側が本の中身の確認を希望した場合、売り手側はそれを受けるという暗黙の了解がある。中身を確認する理由としては、本が自分の趣向に合うかどうかを判断するという目的の他、表紙だけプロ級の絵師に執筆を依頼して中身はボロボロといういわゆる“衣本”をつかまされないための自衛手段でもあるんだけど、買い手側は中身を確認すると、中身が自分の趣向に合致したものであっても、結構『この本は買わなくても良いかな』という心理になることが多かったりする。
  どうしてそうなるかといえば、商業誌と比較しての同人誌のページ数の少なさだったり、その内容に対する価格の高さだったりというのが推測されるけど、ともかく『こちら見せてもらっていいですか?』という言葉は、売り手側としてはあまり好ましいものではないのは確かだ。まあ、私達の本はストーリー、作画ともに大手サークルにも負けてないと自負してるし、値段も良心的設定にしてるから大丈夫だとは思うけど……。
  そう自分に言い聞かせつつドキドキしながら待つことしばし。パラパラと最後のページまで目を通した男性は、意味深な笑みを浮かべる。
「『読むと女体化する本』なのに、女体化しませんね?」
  ……ああ、そういうことね。
  私は内心苦笑しながら、にっこりと笑みを返す。
「ええ、そういうタイトルの本なんで♪」
  私の出した同人誌、それはTSジャンルのオリジナル十八禁漫画だった。タイトルは『読むと女体化する本』。読むと女体化する呪いがかかった本を誤って読んでしまい女体化した主人公の部屋に偶然友人がやってきて……というよくある導入だけど、ヤられる前に手練手管で友人に本を読ませて女体化し、逆に押し倒すという、レズ要素も多く盛り込まれたかなりニッチな内容になっている。
  興味がない人間にはそうそう売れるような本ではないけど、カタログでも女体化本と宣伝してあるし、電子版の検索タグでも『TS』『女体化』『レズ』とキーワードを設定してある。これでそれ好きの人が買ってくれればそれで良し。実際、こうした場では、こういった尖った内容の本の方が万人向けの本より売れ行きが良いという話も聞いたことがあるしね。まあ、そうした内容になった一番の理由は、私が女体化大好きだからなんだけど。一方のレズ関係はノーコメントということで。
  ただまあ、そんな私の本のタイトルに絡めた冗談を言ってくるということは、この客には本を買う意志があるんだろう。
  そんな私の読み通り、男性は「それじゃあこの本一冊下さい」と財布からお金を取り出してくる。
「ありがとうございます♪」
  そのお金を受け取った私は、両手で本を男性へと手渡した。
  彼が本を手にしたその瞬間。
  ポンっと通路にシャンパンの栓を開けたような音が響く。
  その音に驚いたのか、大きく目を見開く客。
  いや、それは正確ではない。目の前の客の目、それが文字通り大きくなっていたのだ。
  それだけではない。客の顔は先程までの顔立ちとは全く異なる、整った若い女のものに変わっていた。髪は長く伸び、服はフリルの飾りがついた白いブラウスに膝上丈のチェックのスカートへと姿を変えている。さらにその胸にはサキュバスもかくやといった凶悪なまでの二つの肉塊が堂々と鎮座していた。見た感じ、18歳前後の腐女子といったところだろうか。その姿は、どことなく先程まで目の前の客が身に着けていたTシャツに描かれていた美少女キャラの面影があるようにも感じられた。
  目の前でなおも固まっている客に、私はテーブル越しに体を寄せると、耳元でそっと囁やいてやる。
「どう、お望み通り『女』になった感想は?」
「えっ……?」
  戸惑いの声をあげる『女』に言葉を続ける私。
「そう、貴女は変わったの。『TS物の十八禁同人誌を買いに来た男』から、『レズ物の十八禁同人誌を買いに来た女』にね。貴女、今夜のオカズのためにこの同人誌を買ったんでしょ? 女同士の絡みを見ながら燃え上がりたくて、ね♪」
「えっ……、お……わたしは……お……んな…………?」
  まるで催眠状態にあるかのように力のない声でそうつぶやいた『女』は、忘我状態のまま、スカートをたくしあげ指を自分の下腹部……スカートの裾の下へと潜り込ませようとする。
「駄目駄目♪ ここがいくらカオスな空間とはいえ、こんな人前で自慰行為なんてしたら、さすがに捕まっちゃうよ。ヤるなら家に帰ってからヤってね♪」
  その声に、はっと我に返ったような表情をし、次いで顔を真っ赤に染める女。彼女は購入した本で半ば顔を隠すようにしてこちらに一礼すると、そのままそそくさと走り去っていく。
  その後ろ姿を眺めながら、私は机の影でぐっと親指を突き立てた。
「え、え〜と、今のって……」
  隣で半ば顔を引きつらせている売り子に対し、先程と同じく肩をすくめて答える私。
「大丈夫よ。ルールは破ってないわ。“アレ”を使っちゃいけないのは販売の時だけってお師様は言ってたじゃない。なら、売った後に使うんなら問題ないわ。というか、そもそも今も私“アレ”を使ってないしね。お客様がああなったのは、あくまで本のせいだから」
「え?」
  魔術という単語を隠しながら……まあ、この“場”なら別に気にする人もいないかもしれないけど……説明する私に、いまいちピンと来ないのか頭に疑問符を浮かべる売り子。
  そんな彼女に私はふふっと笑みを返し、そっと耳打ちする。
「だってこの本には、“持ち主の人間を理想の、ただしエロティックな要素は2倍増しの異性へと変える呪い”がかかってるんだもの」
「!」
  そう、この本には製本段階で私特製の呪いがかけてある。言うまでもなく、さっきの客が男から巨乳美女へと姿を変えたのはこの呪いが原因だ。付け加えるなら、立ち読み段階で客の姿が変わらなかったのは、その時点では彼、いや、今は彼女か、が本の所有者になっていなかったから。まあ、どうでもいいことかもしれないけどね。
「で、でも、どうしてそんなことを……」
  戸惑いの声を上げる売り子に、私はウインクして答える。
「なぜって、決まってるでしょ♪ お師様のいいつけであったじゃない。『購入者の人生を一変させるような本を販売すること』って。この方法なら間違いなく購入者の人生は一変するでしょ♪」
「あ、あくま…………」
  汗をたらりと流し引きつった表情を浮かべながら私に向かって最高の褒め言葉を漏らす売り子に、私はニマッとした笑みを返しながら、再びスマホを手に取る。
“女体化する本、残部僅かです!”
  うん、これも数百冊を販売する大手基準で見るなら嘘じゃなし!
  SNSに再度販促用の宣伝をぶちあげた私は、ぐっと拳を握って気合いを入れる。
  さあ、このまま一気に完売に向かって突っ走るわよ!




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