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文字 −其の弐−

作:高居空


────古人曰く、文字は呪の一つ、力ある者が用いれば、あるいは現世に影を落とさんと────


  くそ、参ったな……。
  すし詰めの車内で俺は焦りを隠せずにいた。
  今日は年に2回の同人界の祭典、海辺の即売会の開催日だ。この週末、海辺の国際展示場には文字通り全国から同好の士が津波のように押し寄せてくる。
  が、祭りに参加するには、その前にクリアしなければならないことがある。そう、会場にたどり着くことだ。
  海辺の国際展示場に向かう主な交通手段は電車かバス。だが、バスは一台に乗れる人数が少ないことから運が悪いと乗り場に行列ができてかなり待つことになる上に、乗ったとしても渋滞にはまりでもしたら目も当てられない。となると、やはり確実にいくなら電車ということになるのだが……。
  まさかその電車がトラブルで止まるなんて思ってもいなかったぜ……。
  海辺の国際展示場に通じる電車の路線は2本ある。そのうちの一つ、全路線が高架になっている全自動運転電車へと乗り込んだ俺だったが、その電車がよりにもよって送電トラブルにより緊急停車してしまったのだ。それも駅で止まるならまだしも、完全に駅と駅との間の区間で立ち往生ときている。当然ながら、電車の中は戦場へと向かうオタクという名の戦士達でぎゅうぎゅう詰めだ。そして運悪く座席に座れなかった俺は、こうして会場に着く前から野郎成分多めの肉圧により、体力ゲージをジワジワ削られてるというわけだ。
  ただ一つの救いは、ドアの窓の側に陣取ってたお陰で、窓から外を眺めて気を紛らわせられるということだが……。
  窓の向こうには、いかにも都会といった印象のビル群がそびえ立っている。だが、よく目を凝らすとそのビルの林の麓には、隠れるようにして小さなお社のようなものが建っていた。お祭りでもあるんだろうか、その建物の脇では何やら幟のようなものが風にたなびいている。
  その時だった。俺の耳にこの半ば殺気だった車内には明らかに似合わない声が飛び込んできたのは。
「わあ、都会はやっぱりすごいなあ! 人がこんなにたくさんいるよ、母様!」
「ふふっ、そうね。私達の周りでこれほど大勢の人間が集まることなど正月でもまずあり得ませんからね。今回の祭礼にお招き頂きこうした機会をくださった大叔父様に感謝しなくてはいけませんよ?」
「はい、母様!」
  俺と同じ車内にいるとは思えないような朗らかな親子の声。声の大きさも含めその空気を読まない感に怒り出す輩もいるんじゃないかと一瞬ひやっとしたが、どうやらそこまで理性が飛んでいる奴は俺の周りにはいなかったようだ。というか、親子の声を完全無視することを皆で示し合わせたかのように、俺以外の奴らは全く反応を示していない。そのことにどことなく違和感を感じている間にも、親子の会話は続いていく。
「ところで母様、あの高いところに止まっている電車はなんていうの?」
「あらあら、今はあんなところに電車が走っているのですね。母が以前こちらにお伺いしたときにはあんなものは走っていませんでしたのに。そういえば、少し前に大叔父様から近くで電車の路線が開通したという話を聞いた覚えがありますね。たしか、路線の名前は……そう、ゆりかも……ね、だったかしら」
「そうなんだ! ねえ母様、その“ゆりかもね”って、どんな漢字を書くの?」
「そうね。おそらくですが、“百”に“合”という漢字を使うのだと思いますよ」
  瞬間、視界がぐらりと揺れた。


  参ったな……。
  今日は年に2回の同人界の祭典、海辺の即売会の開催日だ。この週末、海辺の国際展示場には文字通り全国から同好の士が津波のように押し寄せてくる。
  だというのに、まさか乗り込んだ会場に向かう全自動運転電車がよりにもよって送電トラブルで緊急停車してしまうなんてホントついてない。それも駅で止まるならまだしも、完全に駅と駅との間の区間で立ち往生というオマケ付きだ。
  だけどまあ、そんな中唯一救いなのが、この車両に乗ってるのが可愛い女の子ばかりということだ。女性専用車両でもないのに、車内は若い女の子達で溢れていた。それも全員が名の知れたコスプレイヤーかと思うくらいの粒ぞろいだ。そんな子達がぎゅうぎゅうの車内でくんずほぐれず状態。ああ、もうこれはある意味天国ともいえるだろう!
  そんなこんなで状況を楽しんでいると、偶然視線が乗客の一人と重なり合う。
  その少女の瞳の輝きと浮かべた表情、そしてその仕草にはどこか既視感があった。
  あれ、この娘の視線と仕草って……。ひょっとしたらこの娘の属性、私と同じく“百合”かもね?



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