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文字

作:高居空


────古人曰く、文字は呪の一つ、力ある者が用いれば、あるいは現世に影を落とさんと────


「は、なんだ、下駄箱に入ってた手紙の通りに来てみりゃ、待ってたのはお前かよ。で、なんの用だ? まさか、俺をやろうってのか?」
  半ば呆れたような口調で、しかし顔には真逆の獰猛な笑みを浮かべながら、奴は自らの指をポキリと鳴らす。
  夕日で空が紅に染まる中、神主もいない寂れた神社の裏手に来るよう手紙で呼び出したのは、奴の言うとおり俺だった。
  なぜそんなことをしたのか? んなこと言うまでもないだろう。誰の邪魔も入らないところで、タイマンで奴との決着をつけるためだ。
  奴は、学校で教師から目を付けられている不良グループのトップに君臨する男だった。いつも学校の廊下を子分どもを引き連れ肩で風を切って歩いている。対する俺は、奴らと同じく教師から目を付けられてはいるものの、群れるのを良しとしない一匹狼だ。
  これまで互いに干渉することのなかった俺達だったが、ここ最近、急に奴の子分どもが何かにつけて俺に因縁をふっかけてくるようになった。自分から喧嘩を売ることは滅多にないが、降りかかる火の粉は積極的に振り払うのが信条の俺は、その都度奴らを返り討ちにしてきたのだが、それでも子分どもは懲りずに俺にちょっかいをかけ続けてくる。そこで俺は、おそらく子分どもに指示をしているだろう頭を一気に潰すことにしたのだった。
  しかし、潰すといっても奴の周りにはいつも取り巻きがたむろしている。そんなところでタイマン張れると考えるほど、俺のアタマはお花畑じゃあない。
  そこで一計を案じた俺は、奴の下駄箱に女のような文面で意味深な手紙を入れ、奴が一人でこの場所に来るよう仕向けたのだ。
  さすがに女絡みとなれば、他の男どもを引き連れやってくるような奴はそうはいないだろう。そんな俺の読み通り、奴はのこのこ一人でこの場所へとやってきたのだった。
  だが、計画通りの展開に内心ほくそえんだのもつかの間、想定外の出来事は予兆もなしにいきなりやってきた。
「ねえ母様、あの人達なにをしているの?」
「しっ、見ちゃいけませんよ」
  道路から細い参道を進んだ先にある神社の、さらに境内を裏手に回り込まなければ来ることのできない、まず人に気付かれることなどありえないはずのこの場所。だというのに、俺が背にした神社の方向から、親子と思われる若い女と幼い子供の声が聞こえてきたのだ。
  何だ? なんでこんな場所に人がいる?
  その声に反射的に神社の方へと視線を向けようとした俺だったが、肉食獣のような光を湛える奴の目を見てすんでで我に返る。
  何をやっている俺! 奴はいけすかねえ野郎だが、不良どもを束ねるだけあって、その腕っぷしの強さは本物だぞ。今は余計な物に気を取られてる余裕はねえ。ちょっとでも隙を見せたら、やられるのは俺の方だ……!
  改めて気を引き締め、奴の動きに集中しようとする俺。だが、親子の声はそれを邪魔するかのように俺の耳をかき乱してくる。
「ねえ母様、あの人が言ってた、“やろう”の“や”って、どんな漢字を書くの? やっぱり、タタカうの『闘』? それとも、コロすの『殺』?」
「そうね、もしも闘うの『闘』なら、その前の言葉は『を』ではなくて『と』になるはずだから違うでしょうね。もう一つの『殺す』の方も、そこまで殺気が感じられませんから、やはり違うでしょう。母が考えるに、そこにはきっと、『犯』という文字が使われていると思いますよ」
  瞬間、視界がぐらりと揺れた。



「で、何の用? まさか、俺を犯ろうっての?」
  半ば呆れたような口調で、奴は俺に向かってジト目でまるで値踏みをするかのような視線を向けてきた。
  奴は、学校で教師から目を付けられているグループのリーダー格的存在だった。いつも学校の廊下を仲間を引き連れ肩で風を切って歩いている。リーダー格だけあって、その姿は奴らの中でも一際目立っていた。金色に染められた髪、着崩し胸元を露わにしたシャツ。下はあえて丈を短くし、大きく開かれた胸元の肌の上ではネックレスが輝いている。
  そう、奴は“JKギャル”と聞いて男が想像するであろう、まさにステレオタイプの格好をした女だった。
  だが、その見た目とは裏腹に、奴は相当鼻っ柱が強く、誰が相手でも納得できないものには決して折れず、また喧嘩でもヤワな男なら簡単にボコってしまうらしい。「俺」という一人称も相まって、奴はJKギャルどもの世界では一種のカリスマになっているとのことだ。まあ、なにげに計算高いギャルどものことだ、自分達をタダで守ってくれて狼になることもない同性の用心棒としてうまく使ってやるという打算もあるんだろうが。
  そしてもう一つ、奴にはまことしやかに囁かれている噂があった。それは、見るからに“いつでも誰でもOK♪”な格好をしているにも関わらず、奴は自分の眼鏡に適う男でない限り、いくら金を積んでも決して犯らせてくれないというものだった。無理して迫ろうものなら、完膚無きまでにボコられるというオマケ付きだ。そんな噂があるからか、奴に対しアタックしたという男の話はこれまで聞いたことがなかった。
  そんな奴と決着をつけるため、俺は奴をこの神社の裏手に来るよう手紙で呼び出したのだった。
  …………って、待て? 決着? なんの決着だ? 俺と奴との間で何か決着をつけなきゃいけない事なんてあったか? 降りかかる火の粉は積極的に振り払うのが信条の俺だが、その火の粉が何なのかまったく思い当たるものがない。いや、だったら俺はなんで奴をここに呼び出したんだ?
  奴を呼び出した理由が頭からすっぽり抜け落ちていることに気付いた俺は、目の前に奴がいるにも関わらず思わずたじろいでしまう。
  その様子を見た奴は、ふっと鼻で笑うと、やれやれとばかりに大げさに肩をすくめた。
「まったく、情けないね。女を呼び出すだけ呼び出しといて、今さら何をキョドってるわけ? というか、そもそも自分の口で伝えずに手紙で呼び出すってところからしてまず軟弱。ほんっと、アンタにゃ“メメしい”って言葉がぴったりだね」
  その声に続くかのように、遠くから親子の会話が聞こえてくる。
「ねえ母様、あの人が言った“メメしい”の“メ”って、どんな漢字を書くの?」
「ああ、それはね、『女』って字を書くのよ」
  瞬間、視界がぐらりと揺れた。



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