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ミツ

作:高居空



  これは、ミツを避けなかった報いだろうか。



「ねえ、ミツしない?」
  女がそう話しかけてきたのは、夜の繁華街でのことだった。
  ミツというワードに反射的に眉を跳ね上げた俺を見て、女がカラカラと笑う。
「驚いた? でもお兄さん、そんなのホントはどうでもいいと思ってるんでしょ。でなきゃ、このご時世にこんなところに足を伸ばさないもの」
  確かに女の言う通りだ。ここは繁華街の中でも“接待を伴う飲食店”の立ち並ぶエリアとなっている。この時期に、あれこれ気にしている奴が来るような場所じゃない。
  改めて女を見る。彼女は、いかにもこの街の女といった格好をしていた。体のラインがはっきりと分かる服を身に付け、高いヒールを履いている。男を釣ろうとしているだけあって、顔の隠れるマスクなんかはしていない。化粧がやや濃いめというか、どこか雑な感じがするのは残念だったが、体つきの方は満点に近かった。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ俺好みの理想的な体型だ。胸の方も露わになっている谷間から見て、パッドを仕込んだ偽乳ということはないだろう。
  そんな俺の値踏みをするような視線に気付いた女は、ウインクしながらVサインのように右手の人差し指と中指とを立てる。
「これで良いわよ♪」
  2万か。少し安すぎないか? それとも、援交と同じで、ちょっとした小遣い稼ぎのつもりなんだろうか?
  だがまあ、本人がそれで良いっていうんだったら構わないだろう。こちらとしても出費が抑えられて願ったりかなったりだ。
「良いだろう。じゃあ行こうか」
  そして俺は女と二人で通りにあるホテルに向かって歩き始めた。



  目が覚めると、ベッドに女はいなかった。
  不覚にもそのまま寝てしまったことに恥じ入りつつも体を起こし女を捜す俺。
  だが、部屋の中に女の姿はどこにも見あたらなかった。脱ぎ捨ててあった女の服も全て無くなっている。
  まさか、一服盛られたか……!
  睡眠薬を用いた窃盗という可能性に思い至った俺は、慌てて自分の持ち物を確認する。
  幸いにも俺の荷物は無事だった。いや、正確には財布から2万円が抜き取られてはいたが、それ以外に荷物で無くなったものはない。
  安堵する俺。
  だが、その十数秒後、これまでの人生で最大の衝撃を受けることになろうとは、その時の俺は知る由もなかった。
  俺の荷物で無くなった物はなかった。
  だが、それ以外に無くなったものがあった。
  俺の体からは、男の証がきれいさっぱり失われていた。
  その代わりに、男の証があった場所に現れたものがある。
  それは、性を意識したときにミツを滴らせる器官だった。
  その器官が股間にミツを滲ませるたびに、俺の体は男を惹き付けるモノへと変わっていった。



  俺は自宅にひきこもるようになった。
  このご時世、外出せずともネットで生活必需品は何でも取り寄せることができる。
  だが、有り余る時間を潰す手段は案外限られていた。外に出ずともできるのは、主にネットをするかゲームをするか、もしくは自分を慰めるかだ。
  アダルト動画も見た。男と女の絡みでは以前と同じく興奮はした。だが、いつのまにか画像を女優目線で追っている自分に気付き、それからは見るのを止めた。ただ、その日の夜の感度は抜群だった。ミツを溢れさせ、俺の体はさらに変化していった。
  そうして暮らすこと数ヶ月。気が付くと、俺は化粧について解説するネット動画に見入っていた。
  我に返った俺は、この引きこもり生活の中で伸びた髪をブンブンと振ると、動画サイトからオンラインショップの注文画面へと移動する。ふと気になって、ショップの注文状況を確認すると、そこには様々な化粧品が発送待ちとなっていた。
  画面を前にしばし考え込む俺。
  そして俺は、今の俺に似合う服と靴とを追加注文することとする。
  化粧をするなら、さすがに今俺の手元にある男物の衣服では不自然に過ぎる。それは、ある意味当然の行動だった。



  俺は久しぶりに街に繰り出していた。
  いの一番に予約していた美容院へと向かい、髪を今の俺に合う形へと整えてもらった。最初、俺を担当した美容師はボサボサの髪と衣服とのギャップに怪訝な表情を浮かべていたが、それはまあ仕方のないことだ。
  カット後、美容院の鏡に映っていたのは一人の美女だった。
  その後、一旦自宅へと帰り髪型に合うメイクをし直した俺は、鏡で全身をチェックし、足らないと思った小物を買い足すべくデパートへと向かう。
  店から出たときには、既に日は落ち、人工の光が街を照らし始めていた。
  俺はその中を、ある場所に向かって歩いていく。
  そこに辿り着く頃には、俺の股間はミツで溢れていた。
  途中、ホストクラブの客引きに声を掛けられるたび、俺の器官はミツを滲ませていたのだ。
  体からの欲求に耐えられなくなってきた俺の目に、物色するように左右を見ながら通りを進む男の姿が映る。
  あれでいいか。
  もはや外見を吟味することも不要とばかりに、俺は男に声をかける。
「ねえ、ミツしない?」



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