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民間療法

作:高居空



「おい、やめろ……それだけは勘弁してくれ……!」
  俺はベッドの上で冷や汗を垂らしながら、にじり寄ってくる医師に向かって懇願した。
  今、俺はこれまでの人生で最大の危機に直面していた。泊まりがけの出張で訪れた田舎町。元々風邪気味だった俺はそこで大きく体調を崩し、市販の薬も効かない高熱にうなされて、たまらず宿の近くで目に入った診療所に飛び込んだのだ。
  だがそれがまずかった。熱でくらくらしていたので気にも留めなかったが、今考えれば窓口で診察を頼んだとき、受付の婆さんは診察券はおろか、保険証の提示も求めなかった。いや、保険証は家に置きっぱなしだったから、それはそれで助かったともいえるんだが、まっとうな病院でそうした事務をおろそかにするとは思えない。つまりそれは、この診療所がよっぽどずさんな運営をしているか、もしくは保険の効かない医療行為をしているということを示していた。あくまで今考えれば、だが。
  そうして診察室に通された俺は、白髪の爺さん医師に重い風邪と診断され、こうして奥のベッドに寝かされたというわけだ。
  まあ、そこまではいい。だが、問題はその後だ。点滴か注射でもするのかと待っていた俺の前に爺さん医師が現れたとき、その手に握られていたのは…………ネギだった。
  ネギ。
“風邪にはやっぱり、こいつをケツの穴に突っ込むのが一番効くからねえ”
  いや、それは俺も聞いたことがある。いわゆる民間療法、その中でもかなり知られている話だ。もちろん、それは実際に効果があるというわけではなく、その荒唐無稽さから皆に知られているだけなのだが。
  だが、爺さん医師はどうやら本気のようだった。マスクで隠れていてその表情は定かではないが、柔和な口調とは裏腹に、その目は真剣そのものだ。
「さあ、ズボンと下着を脱いでうつぶせになって」
「や、やめろ! そんなものケツに突っ込むな!」
「まあまあ、本当に効くんだよ、これ」
「イヤなものはイヤだ!」
  熱でくらくらしながらも懸命に“治療”を拒否する俺。その断固とした姿勢に、爺さん医師は少し困ったような声で尋ねてくる。
「そんなにケツに突っ込まれるのは嫌かい?」
「当たり前だろ!」
「どうしても?」
「どうしても!」
  それを聞いた爺さん医師はふうと息を吐く。
「ならしかたないねえ。まあ、そもそもケツの穴は突っ込まれるためにあるものじゃないしねえ。…………それじゃあ、代わりにまずはこの注射を打たせてもらうよ」
  そうそう、最初からそうしてくれればいいんだよ。
  爺さん医師にそでをまくられた俺の腕にチクリと痛みが走る。
  が、次の瞬間、俺は自分の体温が跳ね上がるのを感じた。
  ただでさえ火照った体がさらに熱を持ち、まるでサウナの中に放り込まれたような感覚に陥る。急激な体温の上昇のせいか、皮膚の感覚がなくなり、ただでさえクラクラする頭が朦朧としてきて、目がぼやけてくる。
  いったい…………何の注射を打ったんだ…………?
  時間の感覚も曖昧となる中、俺の耳に遠くから聞こえてくる爺さん医師の声。
“さて、これで大丈夫だね”
  どこがたよ。どうみても熱が上がってるじゃないか!
  そう言い返したいところだが、全身の熱にやられた口からは吐息しかでない。
“これならケツの穴の方に突っ込む必要もないからね”
  ……? なにを言っているんだ?
  そうしているうちに、徐々に感覚の戻ってきた皮膚から、爺さん医師が俺の服の裾を太股のあたりからめくりあげる感触が伝わってくる。
  ……裾?
  そこで俺はおかしなことに気付いた。俺が着ているのはシャツにスラックスといういわゆるサラリーマンの服装だ。少なくとも、めくりあげられるような裾を持った服は着ていない!
  動かぬ体にむち打ち、なんとか枕から頭をあげた俺のぼやける目に入ってきたのは、白い女物の服だった。
  俺はいつの間にか白いワンピースを着せられていた。それも大人物ではなく、10代の女の子が着るような一部フリルのはいったワンピースだ。どう見ても俺の体じゃ入らないような代物だが、俺の体はなぜかすっぽりとその服の中に収まっていた。その胸の部分は心持ち盛り上がっているようにも見える。
  そして、ワンピースのスカート部分は爺さん医師にめくりあげられ、ピンク色の女物の下着が露わになっていた。そこに男の盛り上がりはどこにも見あたらない。
「なっ……なんじゃこりゃあぁぁ!」
  熱い息とともに喉の奥からはき出した声は、明らかに若い女の子の声音をしていた。
「ああ、もうしゃべれるようになったんだね」
  その声に、ネギを手にしたまま俺の下腹部から顔へと視線を向ける爺さん医師。
「おい、どういうことだ、これは!」
  訳の分からぬ状況を問いただす俺に対し、爺さん医師は柔らかな口調で答える。
「ああ、君、さっきケツから突っ込まれるのは嫌だと言っていたよね。だから前から突っ込める穴を作ったんだよ。こちらの穴は元々“突っ込まれるのが前提”の穴だからケツの穴より大分ましなはずだよ?」
  …………って、なんだそりゃあ!
「さて、それじゃあさっそく治療を始めようか」
 そういって、爺さん医師は片手で下着を横にずらすと、露わになった股間にネギをあてがい…………
「や、やめろおおおっ!」
  あらん限りの力で叫んだ俺の声に、爺さん医師の手がぴくりと止まる。
「あれ、嫌なのかね? せっかくケツの他に入れるための穴を作ってあげたのに」
「い、いいわけないだろ!」
「でも、それじゃあ治療を始められないよ? 医師として、治療もせずに患者を帰らせるわけにはいかないからねえ。そうだ、それなら、君に決めてもらおうかな」
  俺が決める? なにを?
「“前”からと“後ろ”から、どっちがいいか」
  ……………………。
  これが健康な体だったら即座に逃げ出すところだが、今の俺は体をほとんど動かすことができない。いや、そもそも逃げ出したとして、この“体”は自然に元に戻るものなのか?
  既に退路が無いことを悟った俺は、究極の選択に頭を悩ませる。“前”と“後ろ”。本来なら絶対に経験することのできない“前”か。それとも貞操とそれ以上に大切な精神的な何かを守ることのできそうな“後ろ”か………。
  そして…………



「あ、あああああーっ!」
  診療所に、ネギに貫かれた少女(オレ)の声が響き渡った…………。



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