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魔王の秘術
作:高居空



「よし、そろそろ待ち合わせ時間だな」
  夕飯を食べ終わり自室に戻った俺は、時計の針を確認すると机の上に置いたパソコンを立ち上げた。表示されたアイコンの一つをクリックし、パソコン本体とケーブルで繋がったフルフェイスのヘルメットを被る。
「さあ、今日も魔王討伐頑張りますか」
  そう呟くと同時に視界がグラリと揺らぎ、意識がすぅっと遠くなる。
  再び意識が戻ると、俺は人々で賑わう中世風の街の中に立っていた。


  俺はこの世界ではレイという名で呼ばれていた。もっとも、今俺がいる世界は現実の世界ではない。左右に見えるレンガ造りの家々も、頬を撫でる乾いた風も、全てコンピューターの作り出した物……仮想現実なのだ。
  人の意識を電子化し、プログラムでできた仮想空間内にまるで存在しているかのような疑似体験をさせることができる技術を某社が確立してから早10年。今やその会社はゲーム業界にまで進出し、仮想空間疑似体験システムを取り入れたそのゲームは業界の台風の目になっている。そして先ほど俺がパソコン上で立ち上げたプログラムもその会社が開発したゲームの一つ、疑似体験型ファンタジー系オンラインRPGだった。
  俺はゲームとのリンクがうまくいっているかどうか一通り体を動かしてみる。俺が動くのに合わせて、特殊な魔法金属で作られた全身鎧が金属音を響かせる。
  この世界での俺の職業は聖騎士だった。もっと大きな括りで言えば冒険者ということになるのだが、一言に冒険者といってもその実態は職業によって千差万別だ。俺みたいに実際に冒険を行う者もいれば、俺達が迷宮で手に入れた宝物を鑑定する鑑定士やアイテムを売買する商人、中には冒険者を魔法で別の職業に転職させる転職士なんてのもいる。この世界で自分がどの職業につき、どのように行動するか。それはプレイヤー自身に完全に委ねられており、これがこのゲームの人気の一因となっているのだ。
  もっとも、いくら自由だとはいっても、システムやゲームバランス、倫理等の問題から、いくつかプレイヤーが制限を受ける事項も存在する。
  一つは、プレイヤーはゲーム内での自分を本来とは別の性別で作成できないという事。開発会社が言うには、これは仮想空間疑似体験システム上の問題であって、何でも神経組織のシンクロ等の関係で異性のキャラで疑似体験をしようとすると色々と障害が発生するらしい。まあ、実際にはシステムの構成自体が完全に極秘扱いとなっているため真偽のほどは明らかではないが、このシステムで作られた仮想肉体との驚異的なシンクロ具合を体験している者からすれば大いに納得できる説明ではある。
  次に、プレイヤーはゲームの最中、自分の作成したキャラクターの知力を超える思考ができなくなるよう制限される。これはキャラクターの能力値を正確にプレイに反映させるため施されている処置だ。プレイヤーがキャラクターになりきって遊ぶゲームとしてはテーブルトークという方式が知られているが、やってみるとキャラのステータス上はお馬鹿キャラなのに、プレイヤー自身の知力が高いため実際にはそれほどバカな行動を取らないというケースが見受けられる。それを避けるため、このゲームの中ではどういう方法でやっているのかは判らないが、自分のキャラの知力が低かった場合プレイヤーはそれ相応の思考しかできなくなってしまうのだ。この処置はゲームによりリアルさを与える一方で、蛮族など知力が極端に低くなる職業が敬遠される要因の一つになっているとも言われている。
  また、同じような理由で、プレイヤーは自分の職業からかけ離れた行動はとれなくなっている。例えば神に仕える僧侶が盗みを働こうとした場合、その時点で体が反応しなくなるのだ。もっとも、プレイヤーは基本的にプレイの最中、意識しない限りは自然とその職業にふさわしい行動を取ろうとするのだが。
  そして最後に、プレイヤーはゲーム内での性的行為が制限されている。一応、額へのキスぐらいはできるのだが、それ以上はNGだ。言うまでもなく倫理的な規制である。
  もっとも、このゲームにはパーティー内にいるプレイヤーの実年齢が全員18歳以上の場合のみ登場する、インキュバスとサキュバスという過激な性攻撃を仕掛けてくる隠れモンスターが存在する。もちろんそれは公然の秘密というやつである。
「さて、と……こちらの方も問題ないよな」
  一通り動作の確認を終えた俺は、次に愛剣を鞘から引き抜き、刀身に刃こぼれがないかを確認する。もっとも、この剣は聖騎士のみが使用する事ができる魔法の剣であり、大魔法レベルの魔力攻撃でなければ傷一つ付かない代物ではあるのだが。ちなみに俺が身につけている鎧も同じく聖騎士専用の魔法鎧である。
  これらの装備を手に入れるのに、俺は多大なる時間と労力とを費やしてきた。大体にして、装備を身につける条件である聖騎士そのものが就くのに非常に骨の折れる職業なのだ。
  この世界では、いくつかの職業の上に上級職という1クラス上の職業が用意されている。そして冒険者がこれらの上級職や他の職業に転職するには、まずは自分のレベルを30以上にし、その上で転職士に転職の魔法をかけてもらわなければならないのだ。さらに、転職したプレイヤーはレベルが1へと戻ってしまう。つまり、元の強さに戻るには再度自分を鍛え直さなければいけなくなるということだ。転職のメリットとして、これまで身につけたスキルや魔法は継承されるのだが、体力、魔力とも低いレベル1の状態では強力な技を使用する事は不可能だ。これまで楽勝だった雑魚モンスターに苦戦するのは結構つらい。さらに聖騎士は剣士の上級職である騎士の更に上級職という位置づけのため、最低でも2回の転職が必要になるのだ。
  それでも俺はそれらの困難を乗り越え、さらに迷宮や魔王の城をいくつも攻略してこれらの職業専用装備をコンプリートした。ちなみに今の俺のレベルは67。弱い魔王ならば一騎討ちでも余裕で倒せるぐらいまで成長している。もっとも、魔王は仮にも王と名乗るだけあって、多くのモンスターを配下に従えている。これらの防衛網を突破し魔王を倒すとなると、必然的に他のプレイヤーとパーティーを組む事になる。
「さてと、それじゃそろそろ行くとするか」
  最後に剣を軽く一振りすると、俺は他のメンバーとの待ち合わせ場所に向かって歩き始めた。
  通りを進む事数分。いつもの集合地点である噴水の前には、既にいつもの面子が顔を揃えていた。
「おう、今日も遅刻ギリギリだな、リーダー!」
  俺の姿に気付いた巨漢の男がガハハと笑いながら片手を上げる。仲間の一人、拳士のディガスだ。強力な装備で身を固めた俺とは対照的に、ディガスは武器や防具を全く身につけていない。拳士は徒手空拳、装備無しといった状態の時に最大の力を発揮する特殊な職業なのだ。レベルは65。鍛え抜かれた岩のような筋肉がその強さを物語っている。
「おはようございます、レイさん。今日も頑張りましょう」
  隣に立っていたもう一人の仲間、賢者のウィルが軽く頭を下げて挨拶してくる。賢者というのは魔術師の上級職にあたる魔法のエキスパートだ。攻撃系、補助系、回復系と主流の魔法系統は全て扱える上、アイテムの鑑定や罠の解除など、肉弾戦以外の冒険に必要な要素を専用の魔法で代行する事ができる便利な職業である。ただ、魔力に優れている反面、肉体的能力は全職業中最低レベルで、目の前のウィルもレベル60オーバーという高レベルにも関わらず、小柄でひょろっとしたいかにも頼りなさげな体をしている。隣の筋骨隆々とした肉体を持つディガスとはまさに正反対だ。もっとも、魔法で後方から支援する職業である賢者にとって、必要なのは体力ではなく知力と魔力である。その点に関しては、ウィルは同業者の中でも頭一つ抜きん出た存在だった。
「ギリギリでも時間前なら遅刻じゃないだろ、ディガス。まあ、二人とも今日も宜しくな」
  俺は二人に向かって軽く片手を上げて挨拶すると、いつものように噴水の脇にあるベンチへと腰掛ける。今この場にいる3人、これが俺のパーティーの全メンバーだった。標準的なパーティーと比べると半分から3分の1くらいの人数だが、俺達くらいの高レベルになれば十分冒険は可能である。罠の感知や解除といった盗賊のスキルはウィルの魔法で代用できるし、肉弾戦は俺とディガスがいれば十分。魔法戦はウィルに任せる事になるが、彼が魔力切れにならぬよう対策も考えてある。俺の職業である聖騎士は回復魔法を使用する事ができる。また、ディガスも拳士に転職する前は僧侶をやっていたということで、基本的な回復魔法は全てマスターしている。つまり、ウィルに頼らなくても俺達は自分の傷を自分で治せるのだ。その分、ウィルは魔力を攻撃と探索とに集中する事ができる。
  まあ、実際の所、迷宮制覇や魔王討伐だけを考えるのならばパーティーの人数は多いに越したことはない。冒険者一人あたりの負担は減るし、全滅の可能性も低くなる。だが逆に、パーティーの人数が多ければ多いほど不利になる物もあるのだ。一つは経験値、そしてもう一つが冒険で得る報酬や財宝等の分け前だ。これらの物は基本的に頭数で等分される。つまり、人数が多いほど一人が獲得できる量は少なくなるということだ。また、冒険中にレアアイテムを手に入れた場合も、メンバーによる抽選で入手者が決まる事になる。あるアイテムを手に入れるためにパーティーに参加したのに、それを他の冒険者に横取りされるなんて事は日常茶飯事だ。もしも俺が大人数パーティーに参加していたなら、今でも聖騎士専用装備はコンプリートできていなかったに違いない。つまり、少数精鋭のパーティーはハイリスクであるがその分リターンも大きいのだ。
「で、今日はどこの魔王を倒しに行くんだ、リーダー?」
  戦いが待ちきれないとばかりに指をバキバキと鳴らすディガスに、俺は地図の一点を指さしながら答える。
「ああ、今日はこのキートの村外れにある廃城に最近陣取った魔王を討伐しようと思っている」
「はあ? 何だよ、そんな駆け出しの魔王なんか倒しに行くのか?」
  いかにも拍子抜けといった表情を浮かべるディガス。まあ、こいつがこんな反応をするのも理解できる。この世界では冒険者と敵対するモンスターにもレベルが存在する。そしてそれは魔王も例外ではない。高レベルの魔王ともなれば文字通り一つの国を所有し、配下も高位魔族やドラゴンなど強力なモンスターが揃っているが、レベルの低い魔王の場合、拠点は廃棄された人間の古城、部下もゴブリン等弱小モンスターばかりといった感じで、野盗に毛が生えたくらいの力しか持っていないのだ。そんな弱小魔王を倒してもろくな経験点にならないし、当然財宝にも期待は持てない。
  だが、俺は不満そうなディガスに向かってニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「いや、俺が聞いた話では、どうもこの魔王はこれまでにないタイプの魔王らしくてな」
「これまでにないタイプ?」
  オウム返しに尋ねてくるウィルに俺は首を縦に振りながら答える。
「ああ、やってる事は村長の娘の誘拐、率いるモンスターもほとんどがゴブリン族で、一見するとただのザコ魔王なんだが、どうやらこいつ、城の中にドラゴンゾンビを飼ってるらしいんだ」
「ほう、そいつは……」
  その言葉に先ほどまで乗り気でなかったディガスがべろりと舌なめずりをする。
  ドラゴンゾンビというのはこの世界の中で最強レベルのモンスターだ。ゾンビの常として知力は無いに等しいものの、巨体を生かした圧倒的な攻撃力と口から吐き出す炎の息、そして傷を負ってもすぐに回復を始める自己再生能力を持つ文字通りの怪物である。その強さは、例えレベル1のドラゴンゾンビであったとしてもレベル30程度のパーティーでは全滅必至とまで言われている。
「なるほど……確かにそれは聞いた事もないタイプの魔王ですね。バグか、それとも初心者殺しの罠か……。どちらにしてもこのまま放置しておくわけにはいかない存在なのは確かですね」
  地図に描かれた魔王の居城を見つめながら厳しい表情を浮かべるウィル。真面目な性格の彼の事だ。おそらくはこの魔王が存在することによるゲーム全体への影響を懸念しているのだろう。
  このゲームでは通常、弱小レベルの魔王ならレベルが15ぐらいの初心者に毛が生えた程度のパーティーでも討伐が可能であると言われている。当然、規模からするとどう見てもザコ魔王であるこの魔王も彼らの討伐対象になるだろう。しかし、そこに待ちかまえているのは高レベルの冒険者でも手こずるドラゴンゾンビ。何もできずに全滅するのは目に見えている。ゲームを始めたばかりのプレーヤーの中には、この事に嫌気をさしてゲームをやめてしまう者も出てくるだろう。
  一方、このようなゲームにおいて、プレイ人数というのは非常に重要な要素の一つである。こうしたゲームはプレイ人数が一定数以上の場合は頻繁にバージョンアップ等でゲームに追加要素が加わっていが、人気に翳りが出て一定数を割り込んでしまうとバージョンアップがほとんど行われなくなる。そして最悪の場合はサービス停止といった事態にもなりうるのだ。ゲームを長く遊ぶためにも、新規ユーザーの確保は極めて重要なのである。それを阻害する要素は排除しておくに越した事はない。
「ちなみにもう一つ付け加えると、これまで他の奴らが全滅を繰り返してくれているお陰で村長の娘を救出した時の成功報酬が急騰していてな。何でも今では最初の3倍くらいの金額まで跳ね上がってるらしい」
「なるほど、金銭的な旨みもあるってわけだ」
  俺の事を見ながらディガスがニヤッと笑う。
「それじゃあ、今回のターゲットはキートの魔王で決定という事で良いな」
「分かりました」
「ドラゴンゾンビなら相手に不足はねえぜ」
  二人が頷いたのを確認し、俺はベンチから立ち上がった。
  既にウィルはキートの村への瞬間転移魔法を唱え始めている。足下から沸き上がる光に包まれながら、俺はこれから始まる戦いへの期待感に胸を躍らせていた……。






「はあっ!」
  気合いと共に振り抜いた刃がドラゴンゾンビを切り裂き、どす黒い腐った体液が戦場に舞う。
「聖なる光の槍よ、我が前に立ち塞がりし不浄の輩を無に還したまえ!!」
  続けて放たれた魔法の槍が首筋へと突き刺さり、ドラゴンゾンビは体を仰け反らせて絶叫した。
  城の大広間で待ちかまえていた不死の竜との死闘は、ようやく終焉の時を迎えようとしていた。
  強固な魔竜の鱗は既に半分以上そげ落ち、傷ついた肌が露出している。いかに再生能力を持っていようとも、それを上回る打撃を与え続ければ回復は不可能だ。俺の魔法剣……聖騎士のみが持つ事を許される聖剣には神聖なる退魔の力が秘められている。そしてその能力は邪悪な生命体である不死族を相手にしたとき最大の力を発揮するのだ。最強のモンスターと呼ばれるドラゴンゾンビといえども俺の聖剣、ウィルの強力な神聖魔法、そしてディガスの嵐のような連撃を浴び続ければダメージが回復量を超えて蓄積していく。もはや魔竜は下半身を動かす事もできず、前足と口から放つ炎の息だけでかろうじて戦っている状態だった。
『グオォォォォォ……』
  満身創痍の魔竜が最後のあがきとばかりに息を吸い込む。強大な破壊力を持つファイヤーブレスの予備動作だ。だが、死の炎が撒き散らされようとする寸前、ディガスが竜の頭部の真下へと滑り込んだ。
「おっと、そいつは問屋が卸さねえぜ!」
  そのままディガスはこれまで貯め込んでいた気功を一気に放出し、真上に向かって特大の気弾を放つ。強烈な威力を持った気弾は炎を吐こうと口を開いたドラゴンゾンビの下顎を打ち抜き、衝撃で口を強制的に閉ざされた魔竜はそのままアッパーカットを喰らったボクサーのように首を仰け反らせる。
「もらった!」
  その瞬間、俺は手にした魔法剣の真の力を解放した。刀身からまばゆい光が放たれ、破魔の光刃を形成する。そのまま横薙ぎに剣を振るうと、光の刃は剣気となって空間を裂き、露になった魔竜の喉元を切り裂いた。
  一瞬の静寂。
  俺が静かに刃を鞘に収めた次の瞬間、俺がつけた傷口から爆音と共に炎が噴き上がる。ディガスの気弾によって出口を塞がれた炎の息が逆流し、喉に開いた傷口から吹き出たのだ。その爆発によって首の肉の半分を失ったドラゴンゾンビは、そのまま断末魔の悲鳴も上げることなく床へと崩れ落ちた。
  俺はその動かなくなった巨体を眺めながら大きく一つ息を吐く。
「ディガス、ウィル、大丈夫か?」
  続けて仲間の無事を確認する俺。二人とも最後まで戦っていたのは判っていたが、体力は残っていても魔力が尽きていることだってありえる。いかに百戦錬磨の仲間達とはいえ、魔力が無い状態で魔王と対決するのは分が悪い。もしも魔力が尽きていた場合は、ここが敵の本拠地の中である事を承知の上で一旦休憩するか、あるいはメインディッシュを残して退却するしかないだろう。
  だが、二人から返ってきた返事は実に頼もしいものだった。
「はあ? んなもん平気に決まってるじゃねえか。この程度じゃまだ戦いたりないぜ」
「こちらも大丈夫です。レイさんが聖剣で頑張ってくれたお陰で魔力を思ったより温存できました。まだ7割以上の残量がありますから、魔王戦も十分いけます」
「そうか。それじゃ連戦になるが、このまま行くぞ」
「おう」
「はい」
  二人が頷くのを見て、俺は奥の間へと続く扉へと移動する。巨大な扉は先ほどの激戦の中にあっても傷一つついていなかった。恐らくは強力な防護の魔法が付与されているに違いない。そしてこれだけ強固な守りを施す以上、この奥にこの城の主がいるのは間違いのないところだろう。
「レイさん、少し下がっていて下さい」
  一歩前へと進み出たウィルが小声で呪文を詠唱する。賢者だけが使える罠感知の特殊魔法だ。しばらく念入りに扉を確認した後、小さく息をつくウィル。
「……どうやらトラップの類は仕掛けられてないようですね。鍵もかかってはいません。恐らく門番であるドラゴンゾンビを倒した事で奥に進めるようになったのでしょう」
「そうか、それじゃあ二人ともいつもの手順で頼むぞ」
「おう、任せとけ」
  いつもの事だとばかりにディガスが扉の前で構えをとる。
  同時にウィルは俺に強力な防護の魔法をかけるべく呪文を唱え始めた。
  ディガスが気弾で一気に扉を打ち破り、そこへ魔術の防護を得た俺が滑り込む。それが俺達のいつもの行動パターンだった。これは言うまでもなく相手の奇襲を想定してのものだ。ゆっくり扉を開いているうちに敵の攻撃を受けたら目も当てられない。それに、向こうも重たい扉が一気に開くとは思っていないから、うまくいけばこちらが逆に奇襲攻撃を仕掛けられる事もある。
「いくぜええええっ!」
  気合いと共に放たれたディガスの気弾が扉を押し開くと、俺は一気に奥の間へと踏み込んだ。





「ようこそ、冒険者諸君。ここに足を踏み入れたのは君達で二組目だ。君達が退屈せぬよう、私なりの流儀でもてなさせて貰うよ」
  俺が踏み込んだ部屋、そこは謁見の間とでもいうべき作りの場所だった。大きな石畳の広間の中心には赤いカーペットが敷かれ、その奥にある床より一段高くなった所にはきらびやかな玉座が据えられている。そして玉座の上には肘掛けに片肘をついて楽しそうにこちらの事を見つめている、一人の若い男の姿があった。
「お前が魔王……か?」
  だが俺はその玉座に座る男の姿に戸惑いを隠せなかった。これまで俺が戦ってきた魔王はそのほとんどが異形の者だった。まれに人間と同じ姿をした者もいたが、その場合も発するオーラ等から一目で人間とは違うと判断できた。だが、今目の前にいる燕尾服を纏った男から感じる気配は、どことなく中途半端だ。発せられている魔力は間違いなく魔王の物だが、仕草や雰囲気からはやけに人間くささが感じられる。これは一体……。
「ああ、すまない。戸惑わせてしまったようだね。実は私も魔王になったばかりで魔王らしさというのがよく判っていないんだ」
  そう言って苦笑いをする玉座の男。
「なったばかり? それはどういう……」
  背後にいるウィルが発した問いに、男は浮かべた苦笑をそのままに答える。
「なに、文字通りの意味さ。もっとも、私自身本当に魔王になれるとは思ってもみなかったがね。戯れに試してみたら魔王になれてしまった……というのが本当のところだな」
  ……? 何を言っているんだこいつは? さっぱり訳が分からない。魔王というのは冒険者の敵役としてゲームメーカーが用意した存在のはずだ。なのにこいつは魔王になったと言っている。いったいどういうことだ……?
「ふん、そんなモンはどうでも良いことだろリーダー。アイツ自身が自分は魔王だと言ってんだ。だったらやる事は一つ。戦ってぶち倒す。それ以外ねえだろうが」
  困惑する俺の隣でディガスが指を鳴らしながらファイティングポーズをとる。
「ふむ、単純だが確かにそれは一つの真理だ。それではさっそく始めるとするかね」
  そう言うと魔王はゆっくりと玉座から立ち上がった。その動きに合わせて俺も剣を構え直す。後ろからはウィルの呪文詠唱の声が聞こえてくる。だが、ウィルの魔法が完成するより前に、魔王は右腕をかざして魔力を解き放った。
「賢者の魔法攻撃はやっかいだな。悪いが封じさせてもらおう。『ジョブチェンジ・職業・蛮族』」
「うっ、うわぁぁぁぁっ!?」
  次の瞬間、広間にウィルの絶叫が木霊する。
  反射的に振り返った俺は、そこに信じられない物を見た。
  ウィルは床から立ちのぼる白い光に包まれていた。その光の中でウィルの肉体が変貌していく。小さな体がみるみるうちに大きくなっていき、身につけていたローブが引きちぎれる。露になった肉体からは肥大した筋肉がさらに成長を続けていくのが見てとれる。それに反比例するようにウィルの知的な顔つきが愚鈍で間の抜けた物に変わっていく。
「ああ、お、おでは……」
  やがて光が収まったとき、そこに立っていたのは以前のウィルの面影などまるでない、見るからに頭の悪そうな筋肉質の大男だった。
「ふっ、蛮族は冒険者の全職業の中で最大の筋力を持つが、知力は最低で魔法を一切使う事ができない。ついでにいえば今の君のレベルは1だ。例え殴りかかってきたとしても私には傷一つつけることもできないぞ」
「なっ……お前ウィルに何をした!!」
  思わず叫んだ俺に魔王は余裕の笑みを浮かべる。
「ふむ、この術は君達も以前一度は見ているはずなのだがな。まあ、良かろう。今私が使った術は特別な物でもなんでもない。何の変哲もない、ただの転職魔法だ」
「転職魔法だとぉ!?」
  素っ頓狂な声を上げるディガスに魔王はすまし顔で答える。
「ああ、そうだ。私は魔王になる前は転職士だったのでな。魔王に転職した後も、前の職で身につけたこの魔法を使う事ができるのだ」
「魔王に転職……だと?」
  俺はその言葉に思わず唖然とする。確かに転職士はその魔法で冒険者をあらゆる職に転職させる事ができる。だが、モンスター……それも魔王に転職などという話はこれまで聞いた事もない。
「ああ、その通りだ。この世界のモンスターは様々な種族が存在し、またレベルも設定されている。これらは冒険者達の職業とレベルという関係と同じなのではないか……そう思いついた私は、戯れに自分に魔王に転職するよう魔法をかけてみた。結果は見ての通りだ。モンスターの『種族』というのは実は冒険者の『職業』と同じものなのだよ。ならば転職の魔法でいかようにも『転職』させる事ができる、ということだ」
「馬鹿な……」
  俺の呟きに魔王はニヤリと口元を歪める。
「ふむ、やはり論より証拠だな。その目でしっかりと確かめるが良い。『ジョブチェンジ・職業・サキュバス』」
「うおおおおおっ!?」
  魔王の言葉と共に今度はディガスが光に包まれ、その姿が変わっていく。岩のような筋肉がそげ落ち、代わりに柔らかそうな肉がついていく。背がぐんぐんと低くなり、肩幅が狭くなるのに合わせて、胸が膨らみ、豊かな双丘を形成していく。徐々に髪の毛が伸び、いかつかった顔が小悪魔的な魅力を持った美少女の物へと変貌していく。腰は蜂のようにくびれ、臀部は豊かに張り出し、脚は魅力的な脚線美を作り出す。身につけていた道着も胸と下腹部だけをかろうじて隠した女性物の下着のような物へと変形していく。
「アア〜ン♪」
  ディガスが色っぽい喘ぎ声をあげて体を仰け反らせると、それに合わせるようにして背中から蝙蝠を思わせる二枚の羽が勢いよく飛び出してくる。
「いや〜ん、アタシぃ……」
  光が消えると、そこには淫靡に熟れた肉体とその体に似合わぬ少女の顔とを併せ持つ一匹の女夢魔が、自らの豊かな胸を揉みしだき、腰をくねらせていた。
「こっ、これは……」
  目の前で起こった事が信じられずに、俺はただ呆然と立ちつくす。あのディガスがモンスターに……それも女夢魔になってしまうとは……
「どうかな、実際にその目で真実を確認した感想は?」
「…………」
  魔王の問いに声を発する事のできない俺。そんな俺の事を、サキュバスと化したディガスがなにやら物欲しそうな顔で見つめてくる。
「ああ、我慢する事はないぞ、サキュバス。男に至高の快楽を与え、代わりにその精気を奪うのがその『職業』の基本なのだからな。遠慮せず、思う存分吸い上げるが良い」
  魔王のその言葉でディガスの中の何かが壊れたのか、彼女の何かを求めるような瞳が一気に熱を帯びてくる。俺と後ろにボンヤリと立っているウィルのなれの果てである大男を女夢魔は何度も交互に見比べると、ついに嬌声を上げながらウィルに向かって飛びかかっていった。可愛らしい声で発せられる魅了の呪文。最低ランクの知力しか持たないレベル1の蛮族であるウィルに、それを防ぐ術はない。
「う、あ、あっ」
「ああ〜ん、滅茶苦茶にしてぇ〜♪」
  そのまま二人は倒れ込むと、すぐに淫靡な音を立て始める。その姿は俺にはとても正視できるようなものではなかった。
「くっ、どうしてこんな……」
「おや、説明が必要かな」
  クックッと笑い声を漏らす魔王。
「まず、彼がモンスターへと変わったのは、先ほど私が話したとおりだ。次に彼が女に変わったのは、何の事はない、サキュバスが女性しかなれない『職業』だからだ。性別は男性、しかし職業は女性しかなれない物に就いている。これは明らかなる矛盾だ。そのバグを解消するために、この世界が彼を女性へと作り替えたのだ。職業は『プレイヤーの意志で決まる』以上、その意志を無視して勝手に変える訳にはいかないからな」
  そう言って魔王は淫らな行為を続けている女夢魔へと視線を向ける。
「彼女があのような行為を行っているのは、この世界において、あれが職業的に正しい姿だからだ。知っているだろう? この世界では自分の就いた職業にふさわしい行動を自然にとってしまうという事を。そして最後に、彼女がどうして君ではなく彼の方を襲ったのかということだが……彼の方が君よりも『男』として魅力的だったということだな」
  そこまで言うと魔王は高笑いを始める。俺はその姿をただ黙ってみているしかない。既に俺のパーティーは壊滅したも同然だった。他の二人がああなってしまった以上、戦えるのは俺だけということになるが、魔王の術は一瞬で発動する。陽動をするべき仲間がいないこの状況では、魔王の術が発動するより先に一撃で奴を倒すしか俺が勝つ方法はない。だが、目の前の魔王には少しのほころびはあっても一撃で致命的な打撃を与えられるだけの大きな隙はどこにも見あたらなかった。もはや手詰まり。俺は残った最後の手段を取るべく、魔王に見つからないように隠し持ったスイッチを入れる。この『最後の手段』が発動するには最低でも3分の時間が必要だ。果たしてそれまでこの状態を維持できるか……。
  だが、そんな俺の内心を見透かしたかのようにに、魔王が動き始める。
「さて、最後に残った君の処遇だが……最初は前に来た冒険者を転職させたドラゴンゾンビの後釜に今度は君にドラゴンゾンビになってもらおうかと思っていたのだが、それは後からやって来るだろう冒険者に代わりになってもらう事にした」
  そう言いながら魔王は首をコキリと鳴らす。
「実は魔王になってからというもの、ほとんど玉座に座りっきりだったからか随分体がなまっていてな。君には私の運動不足を解消する手助けをしてもらおう」
「運動不足の解消……だと?」
  俺には魔王の意図がさっぱり理解できなかった。理解はできなかったが……嫌な予感は否応なしに高まってくる。
「そう、その通りだ。それでは変わってもらおうか。『ジョブチェンジ・職業・踊り子』」
「うっ、うわああああっ!」
  次の瞬間、全身を襲った違和感に俺は絶叫していた。体内に何かが潜り込み、俺の中身を別の物へと作り替えていくようなおぞましい感覚。これまで蓄えてきた力が放出されみるみる萎んでいくような感触の後に、今度は新しい何かが俺の中に注入されてくる。ダンスの踊り方、魅力的な体の動かし方、体のケアの仕方、女としての必要な知識……。
「あっ、ああ……」
  それに合わせて私の声も可愛らしい少女の物へと変わっていく。
  やがて違和感が収まったとき、私は自分が踊り子の少女に変えられてしまった事を自覚した。
  ガチャンと大きな音を立てて全身を覆っていた魔法の鎧がはじけ飛ぶ。この鎧は聖騎士のみが身につける事を許された物。踊り子である今の私には装備する事はできない。そして鎧の下から現れたのは、大胆に胸元の開いた真紅の情熱的なドレスだった。空気へとさらされる胸の谷間に、自分が女になってしまった事を実感させられる。
「ほう、てっきりサキュバスも顔負けの淫靡な衣装を纏った踊り子になるものと思ったが、さほど露出度は高くないな。さすがは元聖騎士殿といったところか」
  感心したかのような言葉とともに、魔王がゆっくりと近づいてくる。私は彼から発せられる強力なオーラの前に、蛇に睨まれた蛙のように体が凍りついてしまっていた。
「さあレディ、今宵は私と一晩踊り明かそうではないか。踊り子のレベルは踊りを踊った回数によって上昇する。君がもしも元の姿に戻りたいのだとしても、転職にはレベルが30は必要だ。その為にもこうして私とダンスを踊る事は有意義だとは思わないかね。胸と下だけを隠した淫靡な踊り子にならなかった君の事だ。酒場で酔客を前に淫らな舞を披露するのは耐えられないだろう?」
  その言葉に私の心が大きく揺れる。心の奥で『躍りたい』という気持ちがどんどん膨らんでいき、体がうずうずしはじめる。そしてその欲求が魔王への嫌悪感を上回ろうとしたとき、私の視界は前触れもなく暗転した。










「ふう……危なかった……」
  再び視界が戻ったとき、俺は自室のパソコンの前にいた。仕込んでいた『最後の手段』が発動したのだ。それはゲームからの強制ログアウト。意識を元の体に戻す作業に時間がかかるため瞬時の切断はできないが、何とか最悪の事態だけは免れたようだ。ちなみに強制切断後のキャラクターはコンピューターが動かすNPC扱いとなる。
  しかし、あの悪夢のような展開では、恐らくあちらの世界の俺はゲームオーバーで本拠地に戻る事もできずに踊り子として魔王のダンスパートナーと化してしまっているだろう。次にログインしたときは当然魔王の城から、しかも踊り子としてのスタートになる。さて、どうしたものか……。
  そんなことを考えながらヘルメットを外した俺は、次の瞬間、信じられない物を見た。
「な……!?」
  そこには、俺の着ているトレーナーを押し上げる二つの固まりがあった。胸にできたその膨らみは、厚手の生地の上からでも確認できるほどその存在を主張している。そして、その丘を締めつける何か。
「…………!!」
  俺は慌てて机の椅子から立ち上がる。そこで目に入った俺の部屋は、俺の記憶とは明らかに異なっていた。柔らかな色で統一された内装。ピンク色のシーツに黄色のクッション、絨毯の上には大きなぬいぐるみが置かれている。そこはまるで女の子の部屋のようだった。
  高鳴る心臓の音を感じながら俺は急いでクローゼットの扉を開く。扉の後ろには確か鏡がついていたはず。ともかく自分の姿を確認しないと……。
  だが扉を開けた瞬間、俺はこの目に飛び込んできた映像に思わず凍りついてしまった。
  たくさんの女性物の服が納められた衣服掛け。その中に、見覚えのある衣装…………ゲームの中で私が身につけていたのと寸分違わぬ真紅のドレスが掛けられていたのだ。
  ぐらりと揺れる私の脳裏に魔王の言葉が蘇る。
『君がもしも元の姿に戻りたいのだとしても、転職にはレベルが30は必要だ……』
  どうやら私は魔王の手から逃れる事はできないようだった……。



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