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或る魔本の考察
作:高居空


  おや、君がゼミの時以外に私の研究室に顔を見せるなんて珍しいな。何の用かな。
  ほお、魔導書の解読、か。
  確かにこの大学でその頼みに真面目に取り合ってくれそうなのは、民俗学の一環として民間のオカルト伝承を研究している私くらいのものだろうな。まあ、君もそれに興味があるから、私のゼミに入ったんだろうが。いいだろう、さっそく見せてもらおうか。
  なるほど、この本か。
  ふむ、見たところ装丁からはそこまでの古さは感じないな。文字は……ほお、見たことのないものだな、これは。少なくとも、現在世界で使用されている言語とは異なるものであることは確かだ。ただ、似通った古代文字なら見たことがある。たしかあれは……。
  なに? 魔導書の使用法なら日本語で書かれたメモがある、だと? どこから出てきた、そのようなもの。……ほう、本に挟まっていた、か……。君、この本はどこで手に入れたものだ?
  なるほど、親戚の葬儀で先方の家を訪れた際、故人の書斎でこの本を見つけて形見分けで貰ってきた、か。
  ふむ、少し引っかかるところはあるが。先にそのメモとやらを見せてもらおう。
  ほう、対象を異性へと変える魔術が仕込まれた魔本……本を手に取り下記の呪文を唱えることにより、対象を、容姿、年齢だけでなく、立場を含めた存在そのものを使用者の意のままに改変することができる……。存在が改変されたことは、使用者と対象しか認識できず、対象は自分が改変されたことを知りながらも、改変後の存在に沿った行動しかできなくなる、か……。確かにここに書かれていることが事実なら、とんでもない代物ということになるな。
  ところで君、君の親戚の母方に、実家が資産家だって人はいるかな。もしくは、父方がそもそも資産家だというのでもいいが。
  いやなに、私だったらこの本をそのように使うっていうだけのことさ。資産家の家の出の器量の良い美人妻。最高じゃないか。些事は全て妻に任せ、私は研究に没頭、さらに妻の実家からの資金援助があれば、好きなだけ現地調査にも赴ける。正直、大学の給料だけじゃ動ける範囲は限られてしまうからな。
  まあ、無駄話はこのくらいにして、君にはもう少し聞きたいことがある。亡くなった親戚というのは、オカルトに造詣の深い人物だったか? それと、その魔導書は書斎にあったという話だが、それ以外に蔵書にオカルトに関連した書物はあったかね?
  ……そうか。親戚がオカルトに傾倒していたという話はなく、蔵書にも他にオカルト関係の書物はなし、か……。なるほど……。
  いや、これまでの情報の中で少し気になる点があってな。場合によっては、この魔導書、かなり危険な代物かもしれん。
  どういうことか? そうだな、私が気になるのは、この魔導書が書斎に納められていたという点だ。
  もしも、この魔導書がメモの通りの効果を発揮するものだったならば、それは使用法によっては所有者に絶大な力をもたらすものだ。普通の感覚なら、所有者は魔導書をなるべく秘匿しようとするだろう。なにせ、魔術はその本を手に取っていなければ行使できないのだからな。盗まれたりしてしまっては元も子もない。そんな大事な物を、誰の目にもつくような書斎に保管するなんて事はまずあり得ないだろう。百歩譲って書斎に置くとしても、使用法の書かれたメモは必ず別の場所に保管するはずだ。もしも盗みに入った者の目的が魔導書ならば、その使用法まで丁寧に教えてやるようなものだからな。さらに自分に悪意を持つ者だったなら、手始めに魔術を自分に向かって使用してくるおそれもあるだろう。
  だが、それを理由にこの魔導書が偽物だと断言することもできない。もしも偽物だったなら、そんなものを後生大事に取っておく理由が無いからな。この魔導書を親戚が自分の意志で入手したのならば、だが。
  どういうことか? ふむ、ここからは完全に私の推測になるが、この魔導書は、君の親戚が自主的に購入した物ではなく、誰かから贈られた物ではないだろうか。
  親戚はオカルトにはまったく興味がなかったということだから、馬鹿らしいと思ったか気味が悪いと思ったかは分からないが、ともかく本の魔術を試そうともしていないだろう。だが、贈り主の手前、本を捨てる訳にもいかず、書斎の本棚にしまっておいた……といったところではないかな。
  うん? その推測はメモの存在と矛盾する? 果たしてそうかな?
  そもそも、君の親戚はオカルトに興味がなかったのだろう? なら当然、親戚は魔導書を読み解く知識も持っていなかったと考えるべきだ。大体、その道の研究をしている私でさえ見たことのない文字なのだぞ。この魔導書に元から縁のある者でもない限り、一般人がそれを解読することなど不可能だろう。つまり、そのメモは、君の親戚が書き残したものではない可能性が高いということだ。
  では、メモは誰が書いたのか? 先ほどの私の推測に基づくならば、それはおそらく、魔導書を君の親戚に贈った贈り主ということになるだろう。そして、それが私が危険だと思った理由でもある。
  なぜか? もしそのメモを書いたのが贈り主だったとしたならば、贈り主は、この魔導書がどのような物かを知っていたことになる。そして、さっきも言ったが、メモに書かれた効果が本当であれば、この魔導書は、使用法によっては所有者に絶大な力をもたらすものだ。それを自分で用いずに、他人に譲ろうとする者がいるか? よく、ネットなんかに自称金持ちが金儲けのコツを有料で伝授するなんていう広告が出てたりするが、それと同じくらいうさんくさいと思うがね。もしかしたら、君の親戚もその点が引っかかって、魔導書に手を出さなかったのかもしれないな。
  何が言いたいか分かるかね。つまりこのメモに書かれていることは、嘘である可能性が高いということだ。ただ悪ふざけのつもりで未解読の本にオカルティックな文章を添えただけというのであればまだ可愛いものだが、最悪の場合、これは君の親戚を陥れるための罠かも知れない。
  まあ、メモの全てが嘘かと言えば、そうでもないかもしれないがな。万一、一部分でも解読される可能性を踏まえ、少しは正しいことも書いてあるのかもしれない。先の金儲けのコツの例でいえば、センテンスの一つ一つは正論だが、最も重要な部分をミスリードさせることによって、全体として見たときに十全の効果は発揮させない、むしろマイナスになるような細工を施すようなものだ。例えば、メモに書かれた魔術の発動条件は正しいが、その効果は異なっているとか、効果も合っているが、使用者に何らかの代償が降りかかるようになっているとかな。もしくは、効果そのものの説明は正しいものの、対象が他者ではなく使用者本人にすり替わっているというようなこともあるかもしれない。
  ……うん? どうした? 急に顔を青ざめさせたりして。それでは学内でも1、2を争うと噂の美貌も台無しだぞ?



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