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長い髪の女
作:高居空


「なんだ、雨降ってんのかよ……」
  その夜、ラーメン屋でのバイトを終え店を出た俺を待ち受けていたのは、暗い空から降り注ぐ大粒の雨だった。
「まったく、来るときはあんなに晴れてたってのに……」
  当然、傘など持ち合わせていない俺はどうしたものかと周りを見渡してみる。しかしながら近くにコンビニもなく、また飲み屋以外の店のほとんどがシャッターを下ろしているようなこの時間では、安いビニール傘一つでも手に入れるのは困難である事は誰が見ても明らかだった。
「しゃあない、走って帰るか……」
  ここで財布に余裕があるのならばタクシーを捕まえるという手もあるのだろうが、そもそもそんな金が手元にあるのであれば深夜までラーメン屋でバイトなんてしていない。意を決した俺は降りしきる雨の中を走りはじめた。とはいえ、ここから家までいつものルートを通ったのではかなり時間がかかる。しかたない、普段はあえて迂回しているあの直線コースを通るとするか……。
  通い慣れたいつもの道を外れ家までの最短ルートを取ると、すぐに深夜にも関わらずきらびやかな明かりを灯したいくつもの看板が目に入ってくる。
  その通りは俗に言う大人が楽しむための夜の歓楽街だった。一応普通の飲み屋などもあるにはあるがそうではない店の方が圧倒的に多く、夜ともなると多くの客引きが通行人を店に引き込もうと手ぐすね引いている場所である。だが、その夜に限っては冷たい雨のせいなのか彼らの姿はどこにも見あたらなかった。執拗な彼らの勧誘を断ることに辟易しこの道を通ることを避けていた俺は、これ幸いとばかりに通りを駆け抜けていく。と、そんな俺の進む先にすうっと現れた黒い影があった。
「あら、どうしたの君? こんな雨の中傘もささずにいたら風邪ひいちゃうわよ」
  現れた影は柔らかい声で俺に向かってそう声をかけてくる。そこに立っていたのは、黒い傘をさした見た目二十代前半ぐらいに見える長髪の若い女性だった。この通りにそぐわぬ気品さえ感じさせるような長く美しい黒髪と人形のように整った顔立ちが印象的なその女性に一瞬違和感を感じた俺だったが、彼女が身につけている衣装を見てその考えを改める。彼女が着ていたのは黒を基調にゴテゴテとした装飾の施された、所謂ゴスロリと言われる衣装に非常に良く似た服だった。ということは、おそらく彼女はコスプレをウリとするような店で働いている女性従業員なのだろう。当たり前だが俺はそうした店で遊ぶ金など持ち合わせてはいない。そのまま無視して通り過ぎようとした俺に対し、女性は苦笑いのようなものを浮かべながら手招きをする。
「別に商売目当てじゃないわよ。今夜はお客さんが来ないからお店から外の様子を見に来たところに、たまたま君がずぶ濡れで向こうから走ってきたから声をかけただけ。傘ならお店にいくつか置いてあるから、ちょっと寄っていきなさいな。もちろんお金なんていらないわ。私もお金をいただくようなサービスはするつもりはないし、そもそも私の店は春を売るようなお店じゃないしね」
  そう言って笑う女性に、俺はいつの間にかそれならお言葉に甘えて傘を貸して貰おうかという気持ちになっていた。冷静に考えればおかしな話なのだが、その時の俺は彼女の言うことをまったく疑おうとはしなかったのだ。そのまま彼女に誘われるままに、俺はとある雑居ビルの中にある一つの店へと足を踏み入れていた。



「お待たせ。とりあえずこれで拭けるところは拭いちゃいなさいな」
  そう言って店の奥から白いタオルを持ってきてくれた女性に、俺は謝辞を述べるとともにそのタオルを受け取った。
  女性の案内してくれた場所は一見すると落ち着いたバーといった雰囲気の店だった。床や壁といった内装からカウンターや棚、テーブルにまで木製品をふんだんに用い、照明をやや明るさに難があるものの暖かな光を放つ電球にすることで、全体的に金属にはない木の暖かみのような物が感じられるような造りになっている。確かに女性が言うとおり、この店は春を売るような店ではないようだった。しかしながら、カウンターの左右に並ぶ棚には酒に混じってバーと言うには少々首を傾げたくなるような物が陳列されている。
  埃が入らないように透明なケースに入れられて並べられたそれらは、大きさ10センチから15センチくらいの人形だった。女性が着ていたゴスロリ風の衣装を身に纏ったものや、レースクイーンのように露出度の高いコスチュームを着たものまで、様々な種類の服装やポーズをとった人形がそこには飾られている。一見まとまりの無いように見えるそれらだが、しかしよく観察するとそこには一定のルールが存在することに俺は気が付いた。そこにある人形は着ている物やポーズは違えど、元になっているのは全て長髪の女性の人形なのだ。顔や髪型、髪の色は違えど、その部分だけは共通している。更に言えば、その体型も女性ならではの体のラインを強調したもので統一されていた。服装によっては女性的な体型よりも少女やそれ以下の体型のほうが似合う物もあるのだが、そこに飾られた人形は全て出るところは出、引っ込むところは引っ込んだ女性として理想的な体型に作られていた。そう、まるで俺をこの店へと連れてきたあの女性のように。
  次の瞬間、何故だか背筋がぶるりと震えた俺は嫌な感覚を吹き飛ばすように頭をぶるりと振る。ちょうどその時、タオルを持った女性が店の奥から戻ってきたのだった。
  とりあえず適当に拭き終わったら早いところ傘を借りて店を出るとしよう。そう考えながらタオルで髪を拭いていると、女性が何か珍しい物でも見たかのような感じで俺に話しかけてくる。
「あら、さっきは暗くて分からなかったけど、君って結構髪長いのね」
「まあ、そうですけど」
  確かに俺はファッションで髪を伸ばしている。女性の言うとおりそこらの一般男性と比べれば間違いなく髪は長いだろう。
「でも、男の人が髪の毛を伸ばしてると周りの人から変な目で見られたりしない?」
「確かにそんな人もいますけどね」
  そう、一昔前よりは大分マシになったとは聞くが、今でも男が髪を伸ばすことに嫌悪感を示す人間は結構存在する。髪を伸ばしたからといって誰の迷惑にもなりはしないのに、そうした連中は様々な理由をつけてはそれを否定しようとするのだ。当然そうした連中の言うことなど無視しているが、それらの人種に絡まれたり目を付けられたりすると面倒なことは言うまでもない。
「それに髪の毛の手入れだって大変でしょ?」
  女性に言われるまでもなく、髪の毛が長ければ長いほど手入れに時間が掛かるのは当然の事だ。それを承知で伸ばしているのだから、どうこういうことはない。まあ、急いでいるときなんかは少々面倒に感じることもあるにはあるが……。
「ねえ、そうした面倒なことを一気に解決する方法があるとしたらどうする?」
「へえ、そんな方法があるんなら是非とも教えて欲しいもんですね」
  女性のその言葉を話半分に受け取った俺は、しかし話の腰を折らぬよう興味をそそられたような感じで返事をする。
「じゃあ、今ここでそれをやっちゃっても構わないかしら?」
「? そんなに簡単にできるものなんですか?」
「ええ、凄く簡単よ。ただこうすれば良いだけだから」
  そう言うと女性はその細く長い指をパシンと鳴らした。
  次の瞬間、まるでテレビ番組で撮影しているカメラが切り替わったときのように、俺の目の前の光景がガラリと変わる。
  先ほどまで女性の方を向いていたはずの俺の目は、今は店の出入口である木製のドアの方を向いていた。その手前に女性が立っており、さらに手前にはカウンターが見えている。ちょうど俺はそのカウンターを斜め上から見下ろすような所に立っていた。どうなってるんだ、これは?
「どう? これでさっき言ってたことは全て解決したんだけど」
  そう言いながら戸惑う俺に向かって近づいてくる女性。何故かその姿は先ほどに比べてやけに大きく見える。
「ああ、まずは自分の姿をきちんと確認しないと混乱しちゃうわね。はい、これが今の君の姿よ」
  そう口にするとともに女性はどこからか取り出した大きな手鏡を俺の方へと向ける。そこに映っていたのは、俺とは似ても似つかぬ姿をした物体だった。
  そこには女子学生の制服、それもアニメや恋愛ゲームで出てくるような機能性より可愛らしさや色気を重視した作りの服を身に纏った長い髪の少女が映っていた。大きな目をした幼い顔立ちにも関わらず、胸は大きく盛り上がり、ウエストはくびれ、ギリギリのラインまで上げられたスカートの裾の下からは健康的な太股が顔を出している。ローファーの靴と黒いハイソックスを履いたその少女は、その可愛らしさと女性らしさを強調するようなポーズを鏡に向かって決めていた。いや、ポーズを決めているというよりも、そうしたポーズで作られているというべきか。何故なら、そこに映っていたのはどう見ても実際の人間というよりアニメ絵を立体化したような感じの人形だったからだ。
  どういうことだ?
  そう口にしようとした俺だが、その時点で俺は自分の体がまったく動かないことに気が付いた。口はおろか、手、足、瞼の一つでさえ微動だにすることができない。
「どう、これで君は周りの人から髪のことでどうこう言われることはなくなったわ。髪が長くて変な目で見られるのは君が男の子だから。女の子になっちゃえばその事で文句を言うような人は誰もいなくなるわ」
  女性はそう言うと俺に向かって手を伸ばしてくる。その手の大きさはまるで巨人のようだ。為す術もなく女性の手に握られた俺の身体に、触られているという感覚とともに肌の温もりが伝わってくる。
「それに、お人形になっちゃえば毎日お手入れなんかしなくても君の髪はいつでもきれいなままよ。ついでに言うなら、女の子の体って髪だけじゃなくて色んな所がデリケートなの。最初がどんなにきれいでも、お手入れの方法を知らなかったり面倒だからって気を抜いたりしたら、どんどんその美しさが崩れていっちゃうものなのよ。その点、お人形ならば体のラインも崩れることなく、いつまでもきれいなままでいられるわ」
  な、何を言ってるんだ!? こ、こんなことが……!?
「大丈夫、君のことは私が責任を持って面倒を見てあげるから。ああ、君は何も気にすることはないのよ。お人形には食費も光熱水費も一切かからないんだから。君はただ、この店にやってくるお客さんの前で可愛らしくポーズをとっていればそれで良いの。大丈夫、中にはエッチな目で君のことを眺めるお客さんもいるかもしれないけど、実際にエッチなことをされるなんて事はないから。それじゃあ、これからよろしくね」
  そう言って可愛らしい人形のようににっこりと微笑む女性を前に、俺は意識が遠くなるのを感じていた…………。





  その後、俺は人形の体に閉じこめられたまま、今もこうして店にやってくる客を眺め続けている。あれからどのくらいの時が経ったのかは分からないが、こうしておかしくもならずに意識を保っていられるというのはある意味奇跡と呼べるのかもしれない。いや、このような体でさもそれが元からそのような体であったかのように平然とし、何も感じるところがないという時点でとっくにおかしくなっているのかもしれないが。
  女性の店は、少々マニアックな趣味の入った大人達が集まるバーとして常連客を中心にそこそこの賑わいを見せていた。だが、雨の日など客がいない時、女性はふらりと外へと出て行って客を連れてくることがある。その時連れてこられる客は、決まって若い長髪の男性だった。今日もまた、雨に濡れた男性が女性に連れられて店の中へと入ってくる。
「あら、さっきは暗くて分からなかったけど、君って結構髪長いのね」
  俺の視線の先で、女性はタオルを手渡すと口元に微笑みを浮かべながら男性へと声をかけた。



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