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即売会の妖精
〜連絡通路編〜
作:高居空


  わたしは即売会の妖精! この会場にそびえる建物から生まれた逆ピラミッドパワーと集まった沢山の人達の思いが合わさって生まれた存在なの! そんなわたしのお仕事は即売会にやって来た皆さんのモヤモヤを解決してあげる事♪ 海辺の同人誌即売会は今回も大賑わい。スタッフの皆さんも頑張ってるけど、さすがに全てには手を回せないご様子。そこでわたしが影からお手伝いしちゃおうってわけ! どんなモヤモヤも、わたしの逆ピラミッドパワーがあれば即座に解決! さ〜てと、まずはどこからお手伝いしにいこうかな〜♪



「くそっ、何でこうも動かないんだよ……」
  見渡す限り人、人、人で埋め尽くされたエントランスと会場の各館とを繋ぐ連絡通路。その中で、俺はほとんど動く気配を見せない人の壁を前に時計を何度も見返しながらイライラを募らせていた。
  今日は年に2回開催される同人誌の祭典と呼ばれる大規模即売会の3日目。毎回成人男性向けやギャルゲーの二次創作等、主に男性をターゲットとした同人誌がメインに配置されることで知られている日だ。
  まあ、実際にはジャンルとジャンルとの間のスペースに穴埋め的な感じで文芸だか評論だかのサークルも配置されてるみたいだが、俺はそんなものには全く興味はない。俺の目的はただ一つ、会場限定で販売されているプレミア級の成人向け同人誌をゲットすることだ。
  この同人誌即売会には日本最大級というだけあって全国から、それもいわゆる同人作家だけでなく普段は商業誌で活躍しているようなプロの漫画家もサークルとして参加してたりする。プロの漫画家が参加する理由は、年に2回のお祭りだから、初心を忘れないため、単に金儲けのためなど色々あるのだろうが、ともかくそうした漫画家が作る同人誌はレベルが保証されているうえに商業誌では決して載せられないようなネタがちりばめられていることも多く、さらには一般の書店経由では販売されない事もあって、ネットオークション等ではプレミアが付くようなまさにお宝なのだ。
  だが、プレミアが付くだけあって、ただの一般参加者がそうした同人誌を入手するのにはなかなか厳しいものがあるのもまた事実。
  そうした本を販売するサークルの前にはすぐに長蛇の列ができ、購入まで一時間以上待ちなんていうこともあるし、そもそもサークル側も文字通り身銭を切って本を作っているだけあって、売れ残って赤字が出ないようにと印刷数をあえて絞ってきたりする。中には在庫を通販や同人ショップに卸すなどしているサークルもあるが、そうではない所の本を確実に手に入れられるなどという保証はどこにもないのだ。しかも、モラルの欠片もないような奴らにいたっては、それらの同人誌を買う事を目的にサークル参加申し込みをしていたりする。有名サークルの前に一般開場前だというのに既に行列ができているというのは同人誌業界に詳しい者なら誰もが知っている事実だ。そのため、一般参加者が10時開始のイベントに始発電車で会場に向かって入場待ちしていたのに、お目当てのサークルスペースの前に行ったら既に売り切れてたなんて事が起こったりするのである。
  しかし、一般参加者が正攻法で欲しい本を手に入れるには、やはり少しでも早くお目当てのサークルの列に並ぶしか方法はない。だというのに……
  俺は動く気配すら見せない目の前の人の壁にもはや殺意に近い衝動を覚える。
  この大規模即売会はとかく入場待ちの列がマスコミ等に取り上げられるが、実際には会場に入ってからも試練は待ち受けている。それが会場中央に設置された入口から東西の各館へと続く連絡通路の大渋滞だ。元々連絡通路自体がこの即売会規模の来客数を考慮していないのに加え、即売会開催時は各館から出入口もしくは逆方向の館へと移動する人のために通路がさらに半分に区切られている。そのため、向かう先の館に人気ジャンルが配置されている場合などは、時間帯によってこのような大渋滞が発生することがあるのだ。一応こんなこともあるかもと覚悟はしてきてはいたが、まさかここまで動かないとは……。
  見ると、俺の周りの奴らも俺と同じ気持ちなのかイライラとした表情を皆一様に浮かべている。
  今日の参加者のほとんどは成人男性。そのお目当てである成人男性向け同人サークルが東館に集中的に配置されている以上、そこに向かう通路が混雑するというのは自明の理だとはいえ、さすがにここまでの大渋滞を予測していた者は多くはなかったはずだ。さらに見渡す限り目に入るのは野郎ばかり、しかもひょっとしたら同じ本を狙うライバルかもしれないときている。これで心がささくれだたない奴はいないだろう。くそ、いっそこの通路にいる奴ら、みんな女にでもなっちまえばいいのに。
「どうして女の子になっちゃえばいいって思うの、お兄ちゃん?」
「!」
  次の瞬間、突然横から飛んできたあどけない声に俺は反射的にビクリと体を震わせる。
  しまった、イライラのあまり頭の中で考えてた事をつい口に出しちまってたか?
  内心やばったと思いながら声のした方へと視線を向けると、そこには小学校低学年くらいの女の子が不思議そうな顔をしながら小首を傾げ立っていた。
  うん? こんな子俺の隣に並んでたか? 
  その女の子にどことなく不自然なものを感じる俺。さっき周りを見渡した時にはこの子は俺の側にはいなかった。なのにいつの間に俺の隣にやってきたんだ? 体の小ささを活かして列をすり抜けてきたとでもいうのか?
「教えてよお兄ちゃん、ねえ、どうして?」
  だが、それ以上俺がその事について考えるのを妨げるかのように、女の子はその大きな瞳を輝かせながら期待に満ちた表情を浮かべ俺の事を見上げてくる。
「そ、そいつは……まあ、色々あるんだけどな……」
  その女の子のキラキラした、そのくせやけに強烈な視線に一瞬気圧されてしまった俺は、思わず理由をそのまま口にしてしまいそうになったところでふと我に返り、慌てて言葉を濁す。
  実際のところ、ここにいる奴らが女になっちまえばいいっていう理由は極めて単純だ。東館の今日のメインは成人男性向け。そのいわば“夜のオカズ”を買い求めに集まっている野郎どもでこれだけ混雑してるんだから、そいつらが女になっちまえばどうなるかは言うまでもない事だろう。
  だが、それを説明しようにも相手は小学校低学年くらいの女の子。最近の子はそうした知識についてずいぶん耳年増だとは聞いてるが、しかしそれでも理由をそのまま口にするわけにはいかないだろう。
「……やっぱりちょっと言葉にするのは難しいな。本当にここにいる人がみんな女の子になれば、きっと君にも分かると思うけどね」
「ふうん、そうなんだ♪ それじゃ、それを知るためにもお兄ちゃんのモヤモヤを今から解決してあげるね!」
「へ?」
  思わず間の抜けた声を発してしまう俺。なにを言ってるんだこの子は? 半ば呆気にとられる俺の目の前で、女の子はアニメか何かのバトルヒロイン物の決めポーズのように両手で自分の胸の前に逆三角形を形作った。
「それじゃあいくよ〜♪ 逆ピラミッドパワー発射〜♪」
  女の子がそう口にした瞬間、通路が突然眩い光に包まれる。反射的に目を閉じた俺が何が起こったのかと再び瞼を開いたとき、俺の目の前には信じられない光景が広がっていた。俺の前に並んでいた男どもの群れ、その姿がまったく音も立てずに急速に別の物へと変わっていっていたのだ。
  見る見るうちに背が低くなり、肩幅が狭くなっていく男達。元々ロン毛だった者以外の髪がすうっと伸び、腰回りが細くなったかと思うと対照的に臀部が膨らむ。履いていたズボンの二つの筒が一つに繋がると裾が膝上まで短くなり、残った布地がスカートを形作っていく。それだけの変化が起こっているというのに、変化していく男達はそれに全く気付いていないかのようにおとなしく列に並び続けている。
  数十秒後、先ほどまで男達でギュウギュウ詰めだったはずの連絡通路は、華やかな女達の姿で埋め尽くされていた。
  だが、通路は女ばかりになったにも関わらず、人の群れは相変わらず東館の方を向いたまま一向に動こうとしない。中には引き返す子がいたっておかしくないのに……これは……いったいどういうこと……? いやいや、それよりもっと気にしなければいけないというか、何か根本的におかしな事があるような……と、そうだ、あの女の子は?
  だが、視線を隣へと戻した時には、そこにいたはずの女の子はまるで煙のように忽然と姿を消していた。
「もう、一体何がどうなってるのよ〜!?」
  女達で埋めつくされたまままったく動く気配を見せない連絡通路、そこであたしは思わず天に向かって叫んでいた……。



  さ〜てと、まずはお一人様モヤモヤ解決〜♪ う〜ん、それにしてもお兄ちゃんの……っと、さっき通路の男の人達、お兄ちゃんも含めてみ〜んな女の人にしちゃったから今はお姉ちゃんか、ともかく言ったとおりにしてみたけど、どうしてお姉ちゃんが通路の人達をみんな女の人にしたかったのかは結局分かんなかったなあ。通路の人をみんな女の人に変えたって、その人の趣味趣向を変えたりしない限りはあそこの状況って何も変わらないと思うんだけどな〜。
  えっ、女の人になったら趣味趣向も変わるんじゃないかって? だって女の子だって男の子の漫画が好きな子って結構多いんだよ。女の人が大人の男の人向けの漫画が好きだって別におかしくなんかないと思うけどなあ? それって、え〜と何だっけ、そうそう、「せいさべつ」ってやつじゃないのかな、きっと。それに、お姉ちゃんの希望は通路にいる男の人を女の人に変えることだけだったから、中身も口調を女言葉にして自分や周りの人が女の人であることに疑問を持たないようにしただけで、その他の部分は何も変わってないからね。
  さ〜てと、まだまだ会場は混雑してるし、わたしのお手伝いが必要みたいだね♪ よ〜し、もっと頑張っちゃうぞ〜♪



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