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黄色い断末魔
作:高居空


  はぁ……はぁ……
  俺は荒い息を吐きながら、赤い非常灯が灯る通路を走っていた。
  窓一つ無い通路を照らす、いかにも何か化け物でも出てきそうな雰囲気を醸し出す不気味な赤い照明。が、俺にはそんな事を気にかけている余裕は無かった。今、俺は追われている。そして、そんな俺を追いかけてきているのは、空想上の化け物ではなく、間違いなくそこに実在する『怪物』なのだ。
  いや、実際の所、俺はその怪物が現実に存在しているなんてことは今でも信じられない。というより、そもそも奴がこの世界に存在しているはずはないのだ。なぜなら、奴は映画のキャラクターとして産み出された、あくまで架空の存在でしかないはずだからである。

  奴は海外で作られたB級ホラー映画、それもほとんど一般ウケしなかったものの、マニアックな演出が一部の筋でカルト的人気を博した作品に登場する、いわゆる怪物的な超常能力を持った猟奇殺人鬼だった。
  奴が登場する『黄色い断末魔』という邦題がつけられたその映画は、目をさますとどこかの巨大な軍事施設らしき場所に連れ込まれていた十数人の男達が、突然人間離れした体躯をした殺人鬼に襲われるところから始まる。殺人鬼と戦い、または必死で逃げる主人公達と、そんな獲物達を一人ずつ追いつめては殺していく殺人鬼。そして最終的に生存者が主人公一人しかいなくなり、その主人公も追いつめられて絶体絶命というところで奇跡の大逆転、辛くも命拾いの末エンドロールという、ストーリー的には何のひねりもないありふれたホラー作品だ。
  が、この映画には他のホラー映画にはない一つの特徴があった。実はこの作品、ヒロインを含め女性キャラクターが一切登場しないのである。
  ホラー映画界には『絶叫クイーン』という言葉があるくらい、女性の悲鳴は演出面で必要不可欠なものとなっている。だというのに、間違いなくB級ホラーにカテゴライズされるこの作品には、その悲鳴を上げる者が全く存在しないのだ。
  が、そこにはこの作品がカルトと呼ばれる大きな要因となっている、演出面でのあるカラクリがあった。この作品は、そもそも女性キャラクターを必要としていない。なぜなら、この映画に登場する殺人鬼、その最大の特殊能力は、『追いつめた獲物を女へと変える』というものだからである。
  奴に追いつめられた被害者は皆、厚手の男物の服の上からでも分かるくらいはち切れんばかりの胸をしたエロティックな美女へとその姿を変えられる。パニック状態となり腰の抜けた被害者の前で、血塗られたナタを振りかぶる殺人鬼。次の瞬間、“女”の絶叫が館内に響く……。それが『黄色い断末魔』という邦題の由来にもなった、この映画最大の演出なのだ。
  今のところ、あの怪物がどうやってその力を手に入れたのか、どうして標的の男を女へと変えるのかは一切明らかになっていない。そもそも、奴は女にした獲物を陵辱するわけでもなく、即座にその場で殺してしまうのだ。もともと普通の人間では太刀打ちできない体躯と不死性を持っていることを考えると、正直男を女にする意味など無に等しい。
  一応、続編である『パートU』では、奴が昔一世を風靡したセクシーAV女優の不義の子で、幼少時母親から虐待を受けていた事実が判明しているが、それならば殺戮の対象は奴の母親に似た女性になるはずだ。男を母親と同じAVに登場するような体つきをした美女へと作り変えることにより、その殺意を増幅させているという説明がつくとはいえ、そもそも男ばかりを襲う理由にはならない。まあ、そうした説明不足や意味不明な部分があってこそのB級ホラーだとも言えるのだが……。そんな映画シリーズの続編が日本人監督の手で制作され、しかも舞台が日本になると聞いたときには心底驚いたものだ。
  正直、この映画でストーリー上、日本を舞台にする意味がどこにあるのかはさっぱり分からない。この作品の殺戮の舞台はシリーズ通してどこか巨大な施設の屋内であり、これまで外がどの国かなどは一切言及されてこなかった。そもそも、この映画で主人公達や殺人鬼が施設の外に出るような事は一切なかったため、外がどこでも全く問題はなかったのだ。その舞台を日本と明言して、果たしてこれまでの作品とどう整合性をつける気なのか、それとも殺人鬼が日本にやって来た事にするのか、それなら奴をどうやって日本に入国させるつもりなのか……など、気になる点はいくつもある。そんなB級ホラー好きの嗅覚をビンビンと刺激する作品を前に、俺は公開初日に自然と映画館へと足を向けていたのだった。
  そう、俺は確かに数時間前まで、劇場の座席で件の映画のレイトショーが始まるのを待っていたはずなのだ。が、スクリーンで近日公開映画の予告編が終わり、場内が完全に暗転した次の瞬間、俺がいたのはなぜか見知らぬ巨大な施設の中だった。


  はぁ……はぁ……
  俺は一人赤い光が灯る通路を駆け抜ける。
  実際の所、この施設へと飛ばされた人間は俺だけではない。あの時、俺の他にも十数人の男達がこの施設の複数の出入口がある大きなホールへと集められていた。が、俺達が現状を把握したり他の者とコミュニケーションをとろうとするよりも早く、あの怪物はその姿を俺達の前へと現した。
  次の瞬間、申し合わせたかのように四方へと散らばる俺達。おそらく、他の奴らも俺と同じくどこかの映画館から飛ばされてきたクチだったのだろう。皆、混乱しながらも、奴がどのような動きをするのか、その習性を理解した上での行動を取っていた。
  基本的に、奴は一度狙った獲物を完全に撒かれない限りは始末するまで追いかけ続ける。つまり、皆がバラバラに散れば、この中で一番運の悪い男一人を除き、他の者は当分の間安全な時間を確保する事ができるのだ。仮に最初の標的が殺られたとしても、周りに次の標的がいなければ、奴は新たな標的を探すところから始めなければならない。その間に身を隠すなり何なり、取れる手段はいくらでもある。もちろん、狙われた者が粘れるだけ粘ってくれれば、その分だけ他の者が生き残れる可能性は高くなる。
  そういった点で言えば、俺はここに飛ばされてきた者の中でもかなりついている方だったのだろう。何せ、ホールから逃げ出してから数時間の間奴に遭遇する事はなかったのだから。しかし今、俺はこうして奴に見つかり、追われている。
  曲がり角の多い通路であることもあり、今のところ後ろに奴の姿は確認できないが、奴に見つかってからここまでの通路は完全なる一本道。間違いなく奴は少しずつ俺との距離を詰めてきているはずだ。どんなに走る速度をあげようともそれは無駄な事だ。奴は本気を出せば倉庫から外へと走り去ろうとする軍用車にも追いつくだけの脚力を持っている。本来なら、人間の足で奴から逃げ切る事などできるはずはないのだ。
  しかしながら、奴にはホラー映画に登場する怪物特有の、獲物を追いかける際のある特殊な縛りがああった。奴は標的を追いかけるとき、標的が逃げる速さ、その速度を僅かに上回る速度でしか走ることができない。逃げる獲物に徐々に迫り来る殺人鬼。それを演出するための一種の『お約束』である。その『お約束』のお陰で、今のところ俺はどうにか命を永らえているともいえた。が、こうした追走劇で最終的に獲物は逃げ切る事ができないというのもまた、ホラー映画のお約束である。
  かといって、ここで足を止め奴に戦いを挑むのは、それこそ愚の骨頂だ。奴の怪力は片手で軍用車両を投げ飛ばし、バズーカ砲の直撃を受けても、モリで心臓部分を貫かれても、さしたるダメージを受けた様子もなく平然と獲物に襲いかかってくる。相手を非力な女へと変える能力も相まって、こちらに武器があったとしても戦闘で奴に勝てる確率は無に等しい。手に武器もなく、昔体育の時間にやらされた柔道くらいしか格闘技経験のない俺ではそれこそてんで話にならないだろう。
  が、そんな八方塞がりにも見える状況の中でも、俺にはまだツキが残されていた。まず一つがこの曲がりくねった通路だ。奴は体躯そのものは人間離れしているものの、頭は弱く、視覚や聴力、嗅覚といったような物も普通の人間と大差ない。つまり、後ろに奴の姿が見えない今なら、どこか分かれ道さえあれば奴を撒くことが出来るかもしれないのだ。たとえ分かれ道が無かったとしても、隠れる場所さえあれば、身を隠してやりすごすことも可能だろう。そしてもう一つツイているのが、奴の唯一ともいえるウイークポイント、活動の限界刻限がすぐそこまで迫っているということだ。
  映画の中で、奴は日の出の時刻を迎えると、まるで存在そのものが幻であったかのように跡形もなく消滅してしまう。一見無敵の怪物のように見える奴も、日の出前までという活動時間の限界には勝てないのだ。映画第一作のラストは、最後の生き残りとなった主人公が追いつめられ女体化までされるが、奴がナタを大上段に振りかぶった瞬間に日の出の刻限となり、九死に一生を得るというものになっている。つまり、日の出の時刻まで奴から逃げ切れれば、俺は助かるのだ。
  俺は走りながら手に持った携帯電話の画面へと目を向ける。そこには大きな文字で、現在の時刻が表示されるようになっていた。
 今は……5時20分、よし、あともう少しだ……
  携帯のGPS機能を無効化する何かが働いているのか、ネットには接続できるもののここがどこなのか不明なため、日の出の正確な時刻は分からないが、この場所が今度の映画の設定の通り日本国内であるのであれば、どんなに遅くともあと1時間以内には約束の刻限を迎えることになる。あとはそこまでやり過ごせれば……
  そんな俺の目の前に、運命の選択肢が現れる。
  勢いよく通路を直角に曲がった先、そこに更衣用と思われるロッカーが並んでいたのだ。
  どうする……?
  格好の隠れ場所ともいえるロッカーを前にしばし逡巡する俺。
  ここに隠れた場合のメリットとデメリットは明らかだ。メリットはもちろん奴をやりすごすことができるかもしれないということ。一方のデメリットは、万一奴に気付かれた場合、一切の逃げ場がないということだ。
  基本的に奴の知能はあまり高くない。袋小路の更衣室ならともかく、一本道の途中にあるロッカーならば気にせず先に進んでいく可能性は高いだろう。
  が、ホラー映画好きなら十分承知している事だろうが、ことホラー映画において、このような逃げ場のない場所に身を隠したキャラクターは、まず十中八、九助からない。物音を立てて気付かれるか、やり過ごしたと思ってほっとして扉を開けたところ、なぜか扉の前に戻ってきていた相手と鉢合わせというのがお約束だ。
  しかしながら、このままロッカーを無視して奥へと走っていっても、この後奴に追いつかれる前に分かれ道や隠れられる場所が現れるといった保証もまたどこにもない。そもそも、奴の視界を遮ってくれているこの曲がり道がどこまで続いているのかも分からないのだ。もしかしたら、こうして隠れられるチャンスはこれが最後かもしれない。ならば……
  意を決した俺は、物音を立てないように気をつけながら、目の前のロッカーの扉を開いた……。




  扉を隔てていても聞こえてくる奴の重い足音。
  俺がロッカーの中へと身を隠してから数分後、遠くから聞こえてきた奴の足音は、着実にこちらへと近づいてきていた。
  身震いしそうになる身体を意志の力で抑えこみながら、文字通り息を殺して奴が通り過ぎるのを待つ俺。
  今のところ奴の足音は規則正しいテンポを刻んでいる。暗闇の中、小さな光を放つ携帯の画面には5時30分の表示が浮かんでいる。残り時間からしても、ここでやり過ごす事さえできれば俺が助かるのはほぼ確定だ。頼む、妙な気を起こさずにそのまま先へと進んじまえ……!
  そう念じる間にも、どんどんと大きくなってくる足音。
  そして、遂に奴が俺のロッカーの前へとやってくる。
  扉越しにでもビンビンと感じる人外のモノが発する威圧感に反射的に目を閉じた、まさにその時だった。
  前触れもなく通路に賑やかな電子音が鳴り響く。
  …………それは、俺の握りしめている携帯から発せられていた。
 “着信あり”と表示された携帯の画面に、俺の頭の中は一気に真っ白になる。
  ロッカーの扉が怪力で文字通り引きちぎられる。
  無造作にその扉を放り捨て、奴が俺の前へと姿を現す。
  俺の身体が、金縛りにあったかのように動かなくなる。
  目の前で胸が盛り上がり、服の上からでもはっきりと分かる二つの乳房が形作られていく。
  何かがバサリと頭から背中へと落ちる音とともに、視界の左右に長くツヤのある髪が映りこんでくる。
「あっ、ああ……」
  どこからか呆けたような女の声が聞こえてくる。
  あるはずのモノの感覚がなくなった股間のどこからか、だらしなく液体が漏れだしてくる。
  奴が大きくナタを振りかぶる。
「いっ、イッ、イヤァー!!」
  俺は反射的に、まるで女のような悲鳴を上げていた……。



“映画館では携帯電話・スマートフォンの電源は必ずOFF!
                  黄色い断末魔制作委員会”



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