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結界領域2

作:高居空



「……私に何か用ですか?」
  寂れた神社の裏側、木々に囲まれ人目の届かぬ場所で、私は後ろを振り返り、学校を出たときから姿を隠し尾行してきた気配に向かって声を掛ける。
「…………」
  鬱蒼とした木々の影からぬるりと現れたのは、サングラスをかけた黒服の男だった。男は言葉を一言も発することなく、私と距離を取って対峙する。
  私は一つため息をつくと、首を左右に振る。
「私は既に家とは縁を切った身です。私に何をしたとしても、家は何も動きませんよ」
  そう、私は一年ほど前に実家を飛び出していた。いや、正確には半ば放逐されたというべきか。今は、実家から離れた場所で学生生活を送っている。毎月、学費含めた生活費を銀行口座に振り込んでくれるのには感謝しているが、あの家に戻ろうとは欠片ほども思わない。
「…………」
  だが、黒服の男は私の言葉にも無言を貫いたまま動こうとはしない。
  それは仕方のないことだろう。おそらくは私をどうこうすることこそ、男が請け負った仕事だからだ。そしてその立ち回りからして、男が私の実家と同じ世界……呪術の世界で生きる者であることは容易に想像できた。
  おそらく、男が一言も言葉を発しないのは、会話の端から呪いの糸口となる材料がこぼれ落ちないようにするための用心だろう。サングラスをしているのも、魔眼対策として視線を直に合わさぬようにしているために違いない。
  対呪術師専門のエージェント……正体はそんなところだろう。
  私の実家は、古くから続く呪術師の家だった。呪術にも様々あるが、私の一族は呪殺……文字通り呪い殺す術を代々受け継いできた家系だ。当然、生業もそちら方面となり、結果、恨みも数え切れないほど買っている。私の前にいる男も、そんな恨みを持った誰かに雇われたのだろう。もしくは、男自身が恨みを抱いているのか。
  そして、私はそんな呪術師の家で、百年に一人と持て囃されるほどの天才として生を受けた。実際、私は現在の一族で他に誰も習得できなかった呪術の奥義、結界領域を誰に学ぶでもなく十歳の時には自己流で展開できた。他人からは、家を継ぐのに十分な素質を有していると見えただろう。
  だが、私には、家業を継ぐには呪術とは関係ない部分で致命的な欠陥があった。いや、ある意味それは、一族の中で私だけがまともだったと言い換えることもできるかもしれない。私は、人を殺めることに対し、激しい嫌悪感を覚える性質だったのだ。
  一族は私のその性質を矯正しようと呪術も含めあらゆる手段を試みたが、逆にそれが私に一族に対する忌避感を植え付け、結局、色々あった末に、互いの情報を外部に漏らさぬ事、そして緊急時以外互いの行動に干渉しないという条件で、私は家を離れて今は普通の学生として生活しているのだ。
  だが、そんな事情を外部が知る由もない。私を一族の一員として見ている者からすれば、一族の本拠から離れて一人で生活している私は、なるほど襲撃にはもってこいの相手だ。なので時折、こうして筋違いな輩に絡まれるのである。
  当然、向こうは私を一族の一員として認識しているので、こちらが今は無関係だと主張しても聞き入れられることはほぼない。
  仕方ない、か。
  私は軽く息を吐き肩をすくませる。と同時に、私の左手にはポケットから早業で取り出した藁人形が握られていた。右手を軽く振り、袖に仕込んだ五寸釘を指の間に挟み取ると、空気は一気に張りつめる。
  ろくでもない輩に絡まれるおそれがある以上、こちらも即座に応戦できるだけの構えは常に備えている。呪具の早出しなんて、基本中の基本だ。さらに言えば、私は男の尾行に学校の門の時点で気付いている。向こうは、私が人目に付かない場所か自宅へと移動するのを待っていたのだろうが、おかげでこちらも準備をすることができたというわけだ。
  対する男は、特段の構えを取るわけでもなく、黙って私のことを見据えている。
  男の狙いは推測できる。私が動きを見せるのを待っているのだ。
  私の家の主たる呪法は、藁人形に呪いの対象となる者の髪や爪などの体の一部を埋め込み、対象の写し身と化した後に釘を突き刺すことで対象の同一部分を破壊するという、いわば古典的な呪術だ。対象の一部が手に入れば距離に関係なく呪いを発動できる一方で、手に入らなければ相手を呪えないという欠点がある。当然、男も私を狙う以上、その情報は頭に入っているだろう。
  そして今、私の元には男の一部はなく、かつ、男は私と距離を取っている。相手の一部を手に入れるにしろ、釘で肉弾戦を挑むにしろ、私は男に近づく必要があり、男はそんな私の動きに合わせて、カウンターで呪術を打ち込むつもりなのだろう。さらに慎重ならば、私を近づけさせないための射程の長い呪術も用意してあるに違いない。つまりは、圧倒的に私が不利な状況ということだ。……普通に戦うならば、だが。
  木々の間を風が吹き抜け、私の髪を揺らす。
  緊張感が場を支配し、場に漂う呪力が高まっていく。
「……気付いていますか?」
  口火を切ったのは私の方だった。
「私が既に、結界領域を展開していることに」
  その言葉に、男の表情がほんの微かだが動いたように見えた次の瞬間、男を中心に、突如呪力が竜巻のように渦を巻いた。
「あ……あああああっ!?」
  その渦の中で、男の姿が変わっていく。
  結界領域。術者の周囲に展開されるそれは、通常の空間とは別の法則が働く一種の異空間である。結界内の法則は使用者の呪術だけでなく性格や嗜好も強く影響するといわれ、名は同じでもその中身は術者により千差万別。ただ一つ共通しているのは、結界内は、展開した術者に圧倒的に有利な状況を作り出す空間であるということだ。
  そして、私の使う結界領域は、この術の一般的なイメージである現実世界と隔絶された異空間の創造とは異なり、基本的に結界内を漂う空気以外は現実世界そのままである。おそらく、呪力の感知に長けた術者でもない限り、相手は私が結界を展開したことに気が付かないだろう。
  さらに私の結界は、展開しただけではただそこに在るだけに過ぎず、呪いを発動するには、対象に自分が私の結界領域内にいると認識させなければならないという縛りがあった。無理に発動させようとすると、私は命を落とすことになる。呪術は、自らに不利となる枷を設けることで、術の強化や追加の効果を与えることができる。私の場合、発動に縛りをかける代わりに、隠密展開性を付与しているのだ。
  このような術式にしたのは、相手が気付かぬ間に自分の必殺の陣地へと誘い込むといった意図もあるが、極力荒事はせずに事を納めたいという私の意志を反映したものでもある。とにかく、私は呪い呪われ命を取り合うなんて世界に身を置く気は毛頭ないのだ。相手が平和的に手を引いてくれるなら、こちらから術を発動させるつもりはない。もっとも、話し合いで相手が矛を収めてくれたことなど、ほぼほぼないのが実情なのだが。
「あ、ああっ!」
  男の口から漏れる声のトーンが、高くなっていく。
  私の結界領域の主な効果は容姿の改変。結界内にいる者を強制的にある姿へと変える呪いだ。
  男の体が小さく、細くなっていく。肩幅が縮まり、髪が伸び、胸に二つの膨らみが現れる。ズボンの筒が一つに溶け合い、丈を短くしていく。やがてそれはスカートを形作り、ニーソックスに包まれた足が露わになる。呪力の風によりスカートの裾が舞い上げられ、真ん中に膨らみのない女性物の下着が見え隠れする。サングラスが風で飛ばされ、瞳の大きな愛らしい少女の顔が現れる。
  先程まで男が立っていた場所には、中高生くらいの年齢の少女の姿があった。沸き起こった風が少女の髪を揺らし、そのうちの一本が飛ばされ私の指へとからみつく。
  私の呪力は結界内の空気に溶け込んでいる。任意の方向に風を起こすくらいなら訳はない。
  私は何が起こったのか分からぬ体の少女を前に、指にかかった髪を手早く藁人形へと潜り込ませる。
  これで全ての準備は整った。ここで私の家の人間ならば、藁人形の胸に釘を打ち込み一気に始末をするところなのだろうが、私はそれが嫌で家を飛び出した身だ。彼らとは違う方法で決着を付けてみせる。
「さあ……いきなさい」
  少女にそう告げると、私は手にした藁人形……その股間目がけて釘を一気に突き刺した。
  瞬間、少女の体がえび反り、口から声が迸る。
  そのまま藁人形に刺さった釘を小刻みに震わせながら上下に抜き差しすると、少女は声を上げながら地面を転がり悶え、やがて一際高い声を発すると、意識を体から手放したのだった。



「……もしもし」
  事が済んだ後。地面で息を荒げている少女を見下ろしながら、私は携帯で実家へと連絡を取っていた。
  本当は関わり合いを持ちたくはないところだが、この後の措置は私の手には余る。それに、おそらくは私の家の関係で襲ってきたのだろうから、その身柄を引き渡すことは、相手から直接情報を引き出せるという点で、実家に恩を売る事にも繋がる。
  小一時間で人を寄越すという返答を受けた私は、この後どうしたものかと思案する。
  もう足下の少女に逃げ出すだけの力は残っていないとは思うが、それでも彼女は呪術師だ。どんな奥の手があってもおかしくはない。やはりここは念には念を入れておくのが得策か……。
  ふうっと小さく息を吐くと、私は再び藁人形の股間に刺さったままの釘へと指をかける。
  私は人を殺すのは苦手だし嫌いだ。だが、人をいかすのは得意だし……正直、大好きなのだ♪



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