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カワハギ
作:高居空


「ねえねえオジサン♪」
  ネオン輝く繁華街。独り眠らない街を歩いていた俺は、路地の影から聞こえてきた声に足を止めた。
「もしヒマなら〜、ワタシとこれからア・ソ・バ・な・い?」
  俺を呼び止めた声の主、それは白いシャツにチェックのプリーツスカートという格好をした若い女だった。胸元をはだけ、スカートをマイクロミニ丈にしたその女は、あっけらかんとした笑みを浮かべながら俺にすり寄ってくる。女の表情には男を誘うような艶やかさは微塵も感じられず、俺としてはどこか頭のネジが一、二本抜けているような感じの印象しか持てなかったが、格好や仕草からして、この女が俺に何を期待しているのかは容易に理解できた。
「でもお前、どうみても未成年だろ。悪いが、俺は未成年と遊んで生活失うようなリスクを犯すほど女にゃ飢えてないぜ」
  肩をすくめながら言葉を返すと、女はキャハハと笑い声を上げる。
「やっだ〜、ワタシはれっきとしたオトナだよ〜♪ この格好だってほら、コ・ス・プ・レ♪ それに、アソビだって別にエッチな事って決まってるワケじゃないでしょ〜♪」
  そう言いながら俺の腕に胸を擦りつけてくる女。が、俺の目に映るそいつは、どう見ても十代中盤から後半くらいの少女にしか見えなかった。服もコスプレだと言うが、着崩された制服と説明されれば誰も否定できないような代物だ。これで大人だと主張されても説得力などあるはずもない。
  が、俺はあえてその誘いに乗る事にした。というより、元々俺は最初からそのつもりだったのだ。さっきの言葉はちょっとした言葉遊びって奴である。それに、矛盾するようだが、こいつの言い分も一概に否定はできない。外見は少女に見えても、だいたいこういう事をやらかすヤツの中身は立派なオトナだったりするもんだ。俺は内心再び肩をすくめながら女に対して承諾の返事をする。
「OK……。じゃ、まずはどこに行きたい?」
「う〜ん、それじゃあねえ、ワタシ、最初はあそこが良いな♪」
  俺の肩にしなだれかかりながら女が指さしたのは、先程の言葉とは裏腹のネオン輝くラブホテルだった。




「じゃ、さっそくシよ♪」
  ホテルの部屋に入るやいなや、女はベッドの上に腰掛けると自ら服を脱ぎ始める。
「おいおい、いきなりだな。もっとこう、雰囲気を盛り上げたりとかしないのか?」
「だって、ガマンできないんだもん♪」
  俺の問いに対し、どこか焦点の合わない目でにへらと笑みを浮かべる女。その様はやはり頭のネジが何本か取れてしまっているようにしか見えない。この様子だと単なる淫乱という訳ではなく、何かクスリをやってると考えた方が自然だろう。
「まったく、お前そんなんで昼間はどういう生活してるんだ?」
  溜息混じりで尋ねる俺に、早くも全裸になった女はベッドの上で足をM字に広げながら答える。
「そんなの、昼も夜も変わんないよ〜♪」
「ったく、そんなんじゃ近いうちに警察のお世話になんぞ……」
「えへへ〜、それはないよ〜♪ だってワタシ、ケーサツが来たらドロンと消えちゃえるんだもん♪」
  警察が来たら消える、ね……。
  女の言葉を頭の中で反芻する俺に対し、女は色欲に染まった目で俺の体を舐め回す。
「で、そういうオジサンはどうなの〜? 普通のサラリーマンとはちょっと違うみたいだけど〜、いったいどんなおシゴトしてんの♪」
  普通のサラリーマンには見えない、か。確かに俺の服装はグレー地のシャツに黒のスーツ、赤いネクタイと会社勤めには少々派手な格好だ。仕事柄日々鍛えている体と相まって、下手をするとどこかのホストのようにも見えるかもしれない。が……
「俺の仕事か? 俺の仕事は……」
  招くように手を広げる女に近づきながら、俺は自分の職業を告げる。
「俺の仕事は、『カワハギ』だ」
  その言葉に女は一瞬キョトンとした表情を見せるが、すぐにキャハハと大きな笑い声を上げた。
「なにそれ、聞いた事もな〜い! ねぇ、それってどんなおシゴトなの〜♪」
  その反応に俺は確信する。こいつは『ハズレ』だ。もしも『当たり』なら、俺の職業を聞いた後もこうやっていやらしく股を開いているわけがない。
  女の問いに答えずベッドの前へと立った俺は、悦楽への期待にだらしない笑みを浮かべているそいつの頭にポンと手を載せる。
「教えてやるよ。カワハギっていうのはな……こういうことを生業としている奴のことさ!」
  そう告げるとともに、俺は女の頭に載せた手を皮膚をなぞるように奴の股間まで一気に振り下ろした。
「うっ、うわあああああっ!?」
  次の瞬間、室内に野太い『男』の悲鳴が響く。
  目の前の女の身体には、俺が振り下ろした手の軌跡に沿って縦に切れ目ができていた。その切れ目を広げながら、何かが女の中から這い出してくる。
  それは、二十歳台後半から三十歳台くらいに見えるTシャツにジーンズ姿の男だった。
  完全に女の中から這い出た……いや、正確には押し出された男は、何が起こったのか分からないのか、奴が出てきた女の『皮』の上に座り込み、放心状態となっている。
  ふん。やっぱり『中身』はれっきとしたオトナだったってわけか。
  予感は的中したが、俺にはそのことに対する感慨など微塵もない。目の前で呆けている男に対し冷静に狙いをつけると、俺は足を振りかぶり、勢いのついた蹴りをそのまま正確に奴の股間の玉へとめり込ませた。
「ガァッ!?」
  獣のような叫びを上げ、白目をむいて悶絶する男。
「さてと……」
  続いて倒れ込んだ邪魔な男の体をベッドから蹴り落とした俺は、男が中から這い出てきた女の皮を手に取る。
  ま、この様子じゃいつもと同じくろくな情報は出てこないだろうがな……
  そう思いながらも、俺は定石通り女の皮の裂け目へと自分の手を突っ込んだ。




『この街では若い女が神隠しに遭う』
  そんな都市伝説が俺の街で囁かれるようになったのはいつからだろうか。
  この街では、昔から若い女の家出事件が多かった。まあ、それ自体は別に珍しいことでもない。夜の街のアソビも充実した、人の集まる中核都市。そこでは刺激を求め夜通し遊び歩く若い女の姿などざらだ。その程度のことなど取り立ててニュースになることもない。
  が、俺はこの街の家出事件には他の都市のそれとは明らかに異なる事例が報告されている事を知っていた。この街で家出をした少女のうち何割かは、家出した日から数週間から数ヶ月といった比較的長期の間姿を消し、その後様々な場所で警察に保護され自宅へと戻されている。が、そうやって戻ってきた者達は皆、家出をした当日から警察に保護されるまでの間の事を全く覚えていないのだ。
  おそらく、先の都市伝説はその事をどこからか伝え聞いた者が尾びれを付けて広めたものなんだろう。が、実際には彼女達は誰かに攫われていた訳ではない。彼女達は、ある特殊な能力を持った一族の者によって、その体を『皮』へと加工されていたのだ。



  女の皮へと手を突っ込んだ瞬間、俺の頭にはこの皮が人間だった頃の記憶が流れ込んでくる。
  ふん……。この女の名前は川原雪恵、歳は17、この街の高校に通い、家族構成は両親と弟の4人暮らしか。警察の情報通りだな。
  この皮を被った者は、皮の記憶を自在に引き出す事ができる。それだけではない。この皮を被ると、中に入った者の体型がどのような物であったとしても、その姿は皮が人間だったときの体型へと完全に変化し、さらに内面的な要素、例えば性格や無意識の仕草といったものまで、皮を被った者が望めば完全にコピーする事ができるのだ。皮さえ被ってさえしまえば、たとえ警察であってもそれが本人なのか皮を被った別人なのかを確認する術はない。それを見抜けるのは皮を作成した一族と同じ血の流れる者達……俺達『カワハギ』だけだ。
  川原雪恵の皮に手を突っ込んだ俺は、次々と彼女の記憶を引き出していく。だが予想通りと言えば予想通り、俺が欲しい肝心の情報はこの皮の中には残されていなかった。
  痕跡はなし、か。やっぱりこいつも『作り手』の仕業だな……。
  女の皮から手を引き抜いた俺は小さく一つ溜息をつく。
  俺が欲しかった情報、それは川原雪恵の最後の記憶……彼女が襲われ、皮に変えられた時の記憶だ。それさえあれば彼女を襲った者を特定する事ができるのだが……そうそう向こうも甘くはない。彼女の皮には、その本来あるべき最後の記憶がごっそりと抜け落ちていた。



  人の皮を作ることのできる力を持った一族は、そのスタンスから大きく三つのグループに分類することができる。まず一つが異能の力を使わずに普通の人間として生活しているグループ。現在、一族の大半はこのグループに属している。そして二つめが、積極的に異能を用い皮を作り続けているグループ。当然、皮を作るにはその材料となる『人間』が必要となる。奴らはそれを様々な違法手段を用いて確保し、皮へと作り替えている。そして、そんな奴らに対応するため活動しているのが第三のグループ、俺達『カワハギ』だ。
  そして、俺達の仇敵とも言える皮を作り続けている者達は、その思想や主張の違いによりさらに細分化がされている。一族の「伝統技術」を後世に伝えるためという名目で活動している者達もいれば、完全に猟奇的趣味で皮作りを行っている連中もいるなど、その思想はグループにより千差万別だ。そんなグループのうちの一つが、数年前からこの街を中心に活動している者達……『作り手』と呼ばれる、俺が仕事で度々対峙している連中である。
  『作り手』は皮の製作を完全にビジネスと見なしているのが特徴的なグループだ。奴らは美女もしくは美少女をターゲットにし、そこから皮を作成する。そして、それを様々な闇ルートを通じて女になりたいという願望を持つ奴らや皮の元になった者の立場を利用したい奴らに販売する事によって、多大な収益を得ているのだ。皮の取引価格は一枚数百万円から数千万円単位に達する物もあると言われている。そして、その皮を『作り手』から購入し、実際に使っているのが『買い手』と呼ばれる連中だ。



  俺は気を取り直すように肩を一回ぐるりと回すと、ベッドの下で未だ悶絶している男を一瞥する。
  髪や髭などまったく手入れのされていないたるんだ風体からして、こいつに皮を購入するだけの金の蓄えがあったとは到底思えない。おそらくは、違法な借金でもして金を用意したダメ人間といったところだろう。
  が、こと『買い手』にとっては皮さえ買ってしまえばそれで勝ちといった部分がある。皮は、中に入る者の性別や体格、年齢がどのようなものであっても、その皮が人間だった頃の姿へと変える力を持っている。さらに、その皮が人間だった頃の記憶や性格、仕草さえ模倣する事が出来るのだ。つまり、いよいよやばくなったら皮を着込んで『別人』となってトンズラというのも可能なのである。もちろんその逆に皮を着た状態で犯罪行為を行い、警察の手が迫ってきたら皮を脱いでシラを切るといった使い道もある。さっきこいつが言っていた「警察が来たらドロンと消える」というのはつまりはそういうことなんだろう。
  ま、それもこうなってしまってはどうでも良い事だがな。
  独り心の中で呟いた俺は、首をコキリと鳴らした後、転がる男の片足を持ち上げ、それをベッドの上に置いた女の皮の裂け目の中へと突っ込んだ。
  先程の光景とは逆に、今度は男の体が引きずり込まれるように女の皮の裂け目の中へと飲み込まれていく。それに合わせ、女の皮は空気を入れられたバルーン人形のように足先から人の形へと膨らんでいった。男の体格は女の皮より背も横幅も一回り以上大きな物だったが、皮は苦もなくそれを飲み込むと少女の姿を形作っていく。
  数秒後、ベッドの上にはだらしなく涎を垂らした全裸の若い女の姿があった。
  既に痛みの元となっているモノが無くなっているにも関わらず、未だに悶絶している「女」を見下ろしながら、俺は静かな声で告げる。
「起きろ」
  次の瞬間、白目をむいていた女の目が正常な物へと戻る。何があったのか分からないといったような感じで、首をぶるぶると振りながら上体をゆっくりと起こす女。
  その女に対し、俺は抑揚のない声で詰問を開始した。
「中に入っているお前の名前を答えろ」
「俺は、大木勝也…………っ!?」
  女の声でそう答えた後、はっと驚きの表情を浮かべながら両手で口を押さえる『買い手』。
  そのリアクションに、俺はこいつがこれまでの『買い手』同様、皮の全てを把握しているわけではないことを確信する。
  おそらく『買い手』は『作り手』から皮について、中に入ると皮が人間だった頃の姿へと変わる事ができ、皮の元になった者の記憶等を読み取ることでその人間に成り代わることもできる品としか聞かされていないのだろう。だがそれは、あくまで自ら皮を着込んだ時の効果でしかない。この皮は、自分で着るのではなく他者に着せるという用途で使用した場合、中の者に対して自ら身につけたときの効果に加えて更に二つの効果を付与することができるのだ。
  まず、中の者は自ら皮を着込んだときと違い、自分で皮を脱ぐ事ができなくなる。皮を着せた者か俺達『カワハギ』の力を持った者、つまりは俺の一族がその皮を剥がない限り、中の者は死ぬまで皮の元となった人間として生きていくしかなくなるのだ。そしてもう一つ、皮を着せられた者は、皮を着せた者の命令に対し絶対服従となる。それがどんな無茶な内容の命令であったとしても、皮を着せられた者はそれに従い行動し、無理矢理にでもそれを達成しようとする。目の前のこいつが俺の声で目を覚まし、質問に対して簡単に口を割ったのもそのためだ。この皮を着せられた者は、皮を着せた者の言わば『奴隷』と化すのである。
  そんな目の前の『奴隷』に対し、詰問を続ける俺。
「お前にこの皮を売ったのは誰だ」
「わ、分からない。名前なんて知らない」
「皮を買ったとき、売り手から直接皮についての説明は受けたのか」
「う、受けた……。皮を着れば女の子になれる、記憶や性格も引き出せるから、皮さえ着てしまえば俺が『川原雪恵』であることを誰も疑わないって……」
「ならその説明をしたのはどんな奴だった? 答えろ」
「お、覚えていない……。どんな顔だったか、声だったか、まったく思い出せないんだ……」
  ふん。覚えていない、か……。
  意に反して口を動かしているであろう顔を青ざめさせた『買い手』の回答に、予想通りの結果とはいえ俺は思わず嘆息する。
  こいつの言っている事は嘘ではない。こいつにとって俺の命令は絶対だ。嘘をつこうとしても口が勝手に真実を語ってしまう。となると、こいつは皮の購入時に売り手から説明を受けその内容を覚えているにも関わらず、その説明をした者の容姿や声についてはきれいさっぱり忘れているという事になる。
  普通に考えれば矛盾極まりない回答。が、こいつの頭の中をそのような状態にする術を俺は知っていた。おそらく売り手は、こいつに皮を売る際、実演とでも称して皮をこいつに着せたのだ。その上で命令する。「皮を売った自分の容姿、声、その全てを自分が去った後に忘れろ」、と。皮の中に『川原雪恵』の最後の記憶が残っていないのもそのせいだ。売り手は皮を被ったこいつに川原雪恵最後の日の記憶を忘れるよう命令したんだろう。その他、足のつくような事柄は全て売り手によって消去されているに違いない。そして最後に「自分が命令したという事実を全て忘れろ」としておけば、売り手の正体や実態は永遠に闇の中だ。
  とりあえず、これでこいつから『作り手』の情報が得られない事ははっきりした。となると、残された俺の仕事は一つだ。
  目の前の『買い手』に対し、俺は再び命令する。
「もういい。眠れ」
  その声とともに、糸の切れた操り人形のようにベッドへと崩れ落ちる『買い手』。
  中に入っている者の姿など想像できない愛らしい少女の寝顔を見下ろしながら、俺は最後の命令を口にした。
「『大木勝也』の記憶、性格、その全てを忘れ去れ」
  瞬間、少女はビクンと体を震わせるが、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。
  これで良い。俺は一つ息を吐くとポケットから携帯電話を取り出し、事務所で待機している助手へと連絡を入れた。
「ああ、俺だ。山さんに伝えておいてくれ。依頼通り、行方不明の『少女』を無事確保したってな。場所は……」
  俺の仕事はこれで終わりだ。後は俺に少女の捜索を依頼してきた警察の領分となる。『少女』はこれから警察によって保護され、やがて家族の元へと戻されることになるのだろう。そのために俺は『少女』から『買い手』に関わる全ての事柄を消去したのだ。中に入っている者が何者であれ、中の者の記憶や性格が消え去ってしまえば残されるのは皮の記憶……正確には皮の元になった者が皮にされたその前日までの記憶……と性格だけとなる。目を覚ました『少女』を『川原雪恵』ではないと疑う者は本人も含め誰もいないに違いない。皮には決して覆す事の出来ない厳然たる一つの事実が存在する。それは、一度皮にされた者、それを再び人間に戻す事は不可能だというものだ。だからこそ、俺はこうして『処置』を施し、『川原雪恵』という存在をここに作り上げたのだ。
  綺麗事をこよなく愛する連中からしたら、俺がやっているのはただの偽善にしかすぎないだろう。いや、中には犯罪と見なす奴もいるかもしれない。が、それは現実を知らない甘ちゃんの言う事だ。
  俺の『処置』により、行方不明となった者の家族の元にはその者が帰ってくる。警察も捜索願が出ていた者を発見したということで面目を保つ事ができる。俺の一族も皮の存在を一般人から秘匿する事ができる。社会からも人間のクズが一人いなくなる。そして、俺の元にも警察から報酬が振り込まれ、当分の間食っていくことができる。この件に関わるほとんどの者が幸せになれるのだ、例え偽善と言われても、これを上回る解決方法などあるはずがない。
  事情を知らぬ下っ端の警官と鉢合わせするのを避けるため足早にホテルを後にした俺は、何となく空が見たくなってビルの間から顔を覗かせる夜空へと視線を向けた。本来なら満天の星が輝いているはずのその空は、地上の眩いネオンの光に圧されたかのように漆黒の闇に包まれている。俺は一つ頭を振ると、事務所への帰路に着く。夜の街は人の欲望を映し出すように、今夜も怪しく輝き続けていた。



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