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アイテム課金
作:高居空


「よし、それじゃ始めよっかな……」
  机の前の椅子に腰掛けた僕は、パソコンを立ち上げるとバッグの中から学校の友達から借りてきた一見フルフェイスのヘルメットのように見える物体を取り出し、そこから伸びるケーブルをパソコンへと接続した。
  今、この家にいるのは僕だけ。両親は法事で田舎に行っていて、戻ってくるのは明日の予定になっている。それはつまり、普段親の前では出来ないようなことをやるには絶好の機会ってことである。そして僕はこのチャンスに、これまで親に禁止され、やりたくてもやれなかったあるモノへと手を出そうとしていた。
  目の前にあるヘルメットの形をした物体……これはパソコンと繋がったケーブルからも分かるとおり、ただのヘルメットではない。知らない人が見たらまず分からないだろうが、これは人の意識を電子化し、プログラムでできた仮想空間内でまるで自分がそこに存在しているかのような疑似体験をさせることができるという仮想空間疑似体験システムを搭載した今話題の最新鋭ゲーム機なのだ。
  この機械に使われている仮想空間疑似体験システムは既に学校などの教育機関に体験学習用の教材として取り入れられていて、僕もこれまで授業で同じような形をした機械を何回か使用した事がある。
  機械を装着すると装着者の意識は仮想空間内に作られた装着者の分身であるアバターへと乗り移り……実際にはどういう理屈でそうなるのか分からないから乗り移るという表現が本当に正しいのかどうかは微妙だけど……、そのアバターの存在する仮想空間の中を自由に行動できるようになる。装着者の意識が乗り移ったアバターの体は現実世界のそれと同じように特に意識しなくても思ったとおりに動くし、視覚や聴覚はもちろんのこと、触覚や味覚などの五感全てが現実世界と同じように再現される。つまり、物に触れればその感触が伝わってくるし、食べ物を食べれば味覚はもちろん、食べた物を飲み込む一連の動きまでも現実世界と同じように感じられるんだ。もしもまったくこのシステムの事を知らされていない人が使用したなら、本気で自分達の世界とは違うどこか別の世界へと体ごと飛ばされてしまったと思うかもしれない。とにかくそのくらい圧倒的な現実感を持った仮想空間を体験できるのがこの仮想空間疑似体験システムなのだ。
  そして、そんな夢みたいなこのシステムは、ゲーム業界にも大きな変革をもたらしていた。何といってもこのシステムを使えば、プレイヤーはこれまでは視覚と聴覚でしか味わえなかったロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームの世界を文字通り五感で体感できるようになるのだ。これを放っておくゲーム業界ではない。そうして低コスト化等数々の障害を乗り越えつい先日発売されたのが、目の前にあるこのゲーム機なのである。
「よし、ここをこうしてと……」
  僕はゲーム機とケーブルで接続したパソコンのディスプレイを眺めながら、ゲーム開始のための設定を行っていく。このゲーム機に入っているソフトはパソコンの通信ネットワークを利用したオンライン型のファンタジーロールプレイングゲーム。そのため、ゲームを始めるには通信設定等諸々の事前準備が必要なのだ。そうして各種設定を進めていくうち、画面にとあるメッセージが表示される。
『料金の精算方法を設定して下さい』
「…………うん、なるべくこれには手を出さないようにしないと…………」
  そのメッセージを前にして、僕は自分に言い聞かせるように独りごちる。
  これから始めようとしているゲームは、パソコンネットワークの通信費以外基本料無料……つまり、事前にインターネットへの接続環境があればタダで遊べるということになっている。だけど、実際にはそんなうまい話がそうそう転がっているわけがない。実はこのゲーム、聞いた話では少し前に携帯電話上でのソーシャルゲームで大流行した『アイテム課金制』を積極的に導入しているらしいのだ。
  アイテム課金制というのは、特殊なアイテムをプレイヤーが実際にお金で購入する……一応ゲーム中でしか使えない疑似通貨を使用するということになっている場合もあるけど、その疑似通貨を手に入れる主な手段はお金で購入することだから、結局はお金で買っている事に違いはない……というシステムの事で、プレイヤーはクレジットや電子マネーの他、接続料と一緒に後日請求といった方法で運営会社にお金を支払う事により、様々なアイテムを入手する事ができる。手に入れられるアイテムはバトル系のゲームなら強力な武器や回復薬、カードゲームなら便利な能力を持ったレアカードといった分かりやすい物から、自分の分身であるアバターの容姿を変える各種アイテムやゲームを進めやすくするためのオプションシステムといったようなものまで多種多様で、プレイヤーはそれらを入手する事でより一層ゲームを楽しめるような仕組みになっているんだ。
  だけど、実はそこには落とし穴があり、これらのアイテムを便利だからって考え無しにどんどん買ってしまうと、プレイヤーは後でとんでもない額のお金を請求される羽目になる。元々購入できるアイテムの種類があまりにも多いのに加え、一部のレアアイテムは抽選式になっていたりするため、それらを全て集めるにはとんでもない額のお金が必要となるんだ。
  ゲームメーカーの方でもそれが利益に直結するからか、キャンペーンとか言って期間限定でしか手に入らないアイテムを売り出したりしてアイテム購入を煽ったりする他、ゲームバランスなんかでもアイテムを購入している事を前提に敵の強さを決めてたりしている。そのため、基本料が無料であっても、アイテムを購入しないでロールプレイングゲームで先に進んだり対戦ゲームで相手に勝てたりするのはごく一握りのコアゲーマーだけっていうのがこうしたゲームの現状なんだ。
  そして、無料という言葉に釣られてゲームを始め、プレイに行き詰まったプレイヤーが初めて購入した課金アイテムでその局面を打開できた場合、これまで全然進めずに苦労していた所を余裕でクリアできたという快感から、勢いでそのままどんどん強力なアイテムを購入してしまうなんてこともある。実は僕も昔それにハマッたクチで、携帯のソーシャルゲームでいきなり数万円の請求が来て両親からこっぴどく叱られた苦い思い出がある。僕がこのゲームをする事を禁止されていたのも主にそれが原因だ。一応今回は念のためにお小遣いで電子マネーを数千円分用意はしてあるけど、お金が足らなくなって後払い式に手を出すとかとにかく変な事にならないように注意しないと。あくまで今回は借りたゲームだし、学校で噂になってるこのゲームがどんなものなのかをゲストユーザーとして体験してみるだけなんだから……。
「アイテム購入は我慢、我慢っと……」
  そう自分に言い聞かせるように呟きながら残った設定を一気に片づけていく僕。やがて、パソコンのディスプレイに『全ての設定が完了しました』というメッセージが浮かび上がると、それと連動するようにゲーム機のバイザー部分に明かりが灯る。
「よし、それじゃ始めよっか」
  さっそく僕は機械を頭に被るとそこで大きく一つ息を吐く。この機械が学校の物と全く同じシステムならば、もう少しすると僕の意識は一気にブラックアウトし、気がついたときには仮想空間内のアバターに意識が移行しているはずだ。
  だが、そんな期待に胸躍らせる僕をじらすかのように、機械は中々僕を仮想空間へと連れて行ってくれない。どうしたんだろう? 何か設定に間違いでもあったのかな……? そんな事を考え始めたとき、目の前のバイザーに白いゴシック体の文字が浮かび上がった。
『はじめましてゲストさん。このゲームでは自分の分身となるキャラクターはコンピューターによりランダムで決定されます。自分でキャラクターメイキングを行うには、キャラクターメイキング権を購入する必要があります。購入しますか?』
  え? その内容に思わず声を漏らす僕。アイテム課金制のゲームである以上、色々な場面でアイテム購入を勧められるのは半ば覚悟していたけど、まさか最初からそうくるとは……。だけど、これから文字通り自分の肉体となるキャラクターがランダムで決まるだなんて、考えてみたら大博打もいいところだ。ここはおとなしくメイキング権を買っておいた方が……。
  だが、その文章の下に表示されたアイテムの金額を見た僕は、その考えを振り払うように首を大きく左右に振る。
  ダメだ。キャラクターを自由に作れるとはいえ、さすがに万単位のお金は払えない。それに、よく考えたら僕はゲストユーザー。今後ずっとそのキャラクターを使っていくのならともかく、もしかしたら今回しか使わないようなキャラクターにそんなお金をつぎ込むなんてできるわけないじゃないか。
  あやうく出だしから落とし穴にはまりかけた事にちょっぴり危機感を抱きながら、目の前に表示された選択肢の中から『購入しない』を選ぶ僕。すると次の瞬間、バイザーがすーっと暗くなり、同時に僕の意識も眠りに落ちるかのように急速に薄れていった……。

  それからどれくらいの時間が経ったのか。一度完全にブラックアウトした意識が徐々にはっきりしてくるとともに、僕は体の感覚がゆっくりと戻ってくるのを感じていた。
  どうやら僕が意識を移行したアバターはまぶたを閉じた状態でどこかに立っているようだった。完全に移行が済んでいなかったからか、感覚はあるものの体を動かす事はできなかったが、しばらくすると『意識の移行が終了しました。これから自由にアバターを動かす事ができます』というメッセージが頭の中に浮かび上がる。
  さて、どうやら意識の移行は上手くいったみたいだな。あとは、一体どんな姿になってるのかだけど……
  僕は不安半分、期待半分といった感じでゆっくりとまぶたを開くと、さっそく自分の身体を見下ろしてみる。
  まず最初に目に入ったのは、胸の一部分が張り出した厚手の皮でできた胸当てだった。
「…………?」
  その胸当てには、ちょうど体でいうところの乳首を頂点とした二つの円形のカップがついている。その形状はなんとなく女の子の胸の形にも似ていて……
「って、ええっ!?」
  と、そこである可能性に思い至った僕は、慌ててその胸当てからさらに下の方へと視線を動かしてみる。
  胸当ての下、お腹の辺りまで伸びる厚手の布地……おそらくは皮の胸当ての下に着込んでいる冒険者用の服なんだろう……の先には、いかにも冒険者らしい金属飾りを多用したベルトが巻かれていた。だが、その下にあったのは、履き慣れているズボンの類ではなく、腰回りから足の付け根よりちょっと下の辺りまでを隠す襞の入った丈の短い一枚の布地だった。さらにその布地の先からはむだ毛一つ無い柔らかく健康そうな太ももが顔を見せている。
  その視覚情報から導き出される推論に僕は冷たい汗が垂れるのを感じながらも、それを確かめるためにおそるおそる自分の足の付け根の部分を手で押さえてみる。
「…………ははっ、つ、ついてないや…………」
  案の定といえば案の定、そこには本来あるはずの物の感触がどこにも存在しなかった。しかも、呟いた自分の声も聞き慣れた僕の物ではなく高いソプラノ声……。もはやここまできたら間違いない。僕は女の子に……それもそこそこ胸のあるスカートを履いた女の子の冒険者にされてしまったんだ!
「こ、こんなのってあり!? いくらランダムだからっていって女の子になっちゃうなんて……」
  あまりにもな事態にわたわたしながら辺りを見渡す僕。と、そこで初めて僕は、自分がどこか宿屋のような部屋の中にいるという事に気がついた。フローリングというよりは木の板が剥き出しになっているという表現の方が相応しいどこか汚れた床に、木製のクローゼット。出入口だと思われるドアの反対方向には窓があり、その下には質素なベッドが置かれている。さらにその脇には小さな机と棚、そして全身を映し出せるぐらいの大きな鏡があった。
「鏡……」
  それを目にした僕の頭の中で、自分の変わり果てた姿なんてみたくないという気持ちと、僕がどんな姿に……どんな女の子になっているのかを見てみたいという好奇心、というよりは男の子としての不純な欲求とが交錯する。
「……………………」
  結局、脳内闘争は男の欲求の大勝利に終わり、僕は一抹の不安を感じながらも自分の身体を鏡へと映し出す。
「……!」
  そこでは、僕が想像していたのよりもずっと可愛い女の子が覗き込むようにして僕の事を見つめていた。
  肩までかかる栗色の髪をした、茶色い瞳の女の子。いかにも新米冒険者といったような感じで、安物っぽい皮の胸当てを身につけ、ベルトの脇には短剣サイズの鞘が吊り下げられている。年齢的には十代半ばかそれよりちょっと下といったところだろうか。体は小柄だけど、出るところは出ていて自分が女の子なんだって事を無言で主張している。とはいえ、それは巨乳と言えるくらいの大きさではなく、全体的な印象としてはまだまだ発展途上なものの将来有望な健康的美少女といったところだろうか。まあ、その女の子が自分自身だっていうのが問題なんだけど……。
「って、そっか……これって僕なんだよね。……ってことは……」
  その事実を改めて認識してしまった僕の中で、男の煩悩が猛烈な勢いで膨らんでいく。
「ち、ちょっと……試しにそ、装備を変更してみよう、かな、なんて……」
  頭に充満したその欲望を、少々婉曲的な表現で独りごちてみる僕。今この部屋にいるのは僕一人だけなんだから別にそんな言い訳じみた事口にしなくてもいいはずなんだけど、何だか後ろめたいというか、なんというか……。
  と、その時だった。
『現在の防具:皮の胸当て を 別の装備に変更しますか? 装備可能な防具:布の服』
  目の前に突然浮かび上がるゴシック体の白い文字。いきなりの展開に一瞬心臓が飛び出るかと思うくらいドキッとした僕だったが、それが何を意味するものなのかはすぐに見当がついた。
  これはおそらく、ロールプレイングゲームではお決まりのコマンドの一つ、装備コマンドだ。多分、僕が『装備を変更したい』と口にしたのをゲームシステムが感知して、このコマンドを僕の目の前に起動したんだろう。だけど、これまでのゲームと違って実際に自分で装備の変更ができる仮想空間内でこのコマンドって何か意味があるのかな? まあ、『布の服』っていうのがおそらくあのクローゼットの中に入っているっていうのは分かったけど……。
  そんな事を考えながらも、僕はとりあえず目の前のコマンドで『布の服』を選んでみる。
  次の瞬間、瞬きする間もなく皮の胸当てが僕の視界から消え失せると、代わりにどことなくセーラー服を連想させるやや厚めの生地をした布製の半袖服が僕の上半身に現れる。
  あれ? 何か予想してたよりもやけにあっさりしてるというかなんというか……。
  目の前で起こった出来事に少々呆気に取られた僕の前に再び現れる白い文字。
『このゲームでは、装備コマンドで装備を変更すると、瞬時に身に着けている装備が選択した物へと切り替わるようになっています。それ以外の方法での装備の変更および衣服の着脱は、装備変更手動権の購入が必要です。購入しますか?』
  …………はい?
  その表示に思わず目をパチクリさせる僕。
  そ、そこでそう来るか〜!? た、確かに装備コマンドがある以上、ゲームとしては手動で装備を変える意味はないけれど、そこはそれってやつなんじゃ!? う〜ん、どうしよう……
  見ると、装備変更手動権の値段はキャラクターメイキング権とは違い、用意しておいた電子マネーでもお釣りのくる金額だ。これはいわゆるお買い得って奴なんじゃ……
  と、そこで我に返った僕は慌てて頭をブンブンと振る。
  って、ダメダメ! そうやってプレイヤーにお買い得と思わせて財布の紐を緩めさせるのがゲーム会社の戦略なんだから、そんなのに引っかかっちゃダメだって! それに、『服が脱げない』っていう制限だけなら、こっちの方はきっとセーフなんじゃ……
  頭に閃いたその考えを確かめるため、さっそくそれを実行に移してみる僕。ごくりと唾を飲み込むと、襞の入ったスカート……その左右を指で摘み、そのままゆっくりとたくし上げていく。
  その下から現れたのは、股間にピッチリとフィットした、白と水色のボーダー柄の布地だった。
「…………!」
  胸の鼓動が急速に高鳴るのを感じながら視線を前へと戻すと、そこでは鏡に映った美少女が顔を赤らめながらスカートをたくし上げ、恥ずかしそうにパンツを露わにしている。
 ………………!!
  ほとんど反射的に腕の一方をスカートから離すと、そのまま空いた指で下着の中心部分を撫で上げていた。
  指から伝わってくる触っているという感触と、下腹部から伝わる触られているという感覚…………

  ……………………って、アレ?

  だが、その感覚は、僕が期待していたのとはちょっとばかり違う物だった。
  確かに触られているという感覚はある。感覚はあるけど、それ以上ではないというか、話に聞くのとは随分違うというか……
  僕は試しに指を再度往復させてみるが、やはり伝わってくる感覚は相変わらずで何の変化もない。ひょっとしてと思い、下だけでなくこれまで触っていなかった胸にも手を伸ばしてみるが、そこからも指から伝わってくる柔らかい感触の他は、特段他の体の部分を触ったのとは違う特別な感覚というのは伝わってこない。
  もしかして……そう考え始めた僕の前に音もなく現れる白い文字。
『このゲームでは、モンスターによるダメージを忠実に再現するのは危険である事などから、アバターの感覚について一部制限をかけています。現実世界と同様の感覚を味わいたいという場合には、感覚解放権の購入が必要となります。購入しますか?』
  …………どうしよう…………。
  その表示を前に、僕は一歩を踏み出すべきか否か、本気で考え込んでいた……。



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