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オートマティスム
作:高居空
「なあ、すまんが例のアレ、またやってくんないか?」
ちょっとうちで遊んでこうぜと誘われダチの部屋を訪れた俺は、部屋に入るなり開口一番そう切り出してきたダチに向かい、そういうことかとわざとらしく大きくため息をついた。
「なんだよお前、また締め切りブッチしそうなのか?」
「しゃあないだろ。やる気が起きなかったんだから」
悪びれもせずにいけしゃあしゃあと言い放つダチ。
ダチは趣味で自作の詩やら小説やらをネット上に定期的に公開している。その際、作品と同時に次回作の掲載予定日も同時にアップしているのだが、実のところ、ダチは非常に筆が遅い。それだけならまだしも、そもそもこいつはテストなんかでもそうだが、追い込まれてギリギリの状態にならないとやる気を出そうとしないのだ。遅筆に加えこれでは、いつも作品の完成が閉め切りギリギリになるのは火を見るよりも明らかだ。おそらく今回もエンジンがかかるのが遅すぎて、普通に作ったんじゃ間に合わないと判断したんだろう。
「しかしお前、アレを使って作った作品はあんまり気に入ってないんじゃなかったのか? 感嘆詞やら絵文字やらやったら使ってるのとかさ。まあ、俺としてはアレを使うのは面白いんで別に良いけどな」
そう、こいつが言う“アレ”を使って作成された作品は、本来のこいつの文体とは明らかに異なっている。“アレ”を用いることで作れる作品は基本的に詩に限られるのだが、その文体はなんというかこう、絵文字やら感嘆詞やらを多用し、全体的に“キャピキャピ”しているのだ。まあ、内容的にはその文体からは想像できないような、意味不明というか半ば狂気じみたものなんだが……。
「背に腹は変えられないさ。約束を守れなくて読者に失望されて見向きもされなくなる方がよっぽど怖いからな。それに、あの詩も良いって言ってくれる人が意外といるんだよ」
それはそいつの正気度が低下してるからじゃないのか? 心の中に浮かんだその言葉を喉元で抑えこみ、俺は「しゃあないな」と言って準備に取りかかる。まあ、準備とはいっても、実際には道具を財布から取り出すだけなんだけどな。
さっそく財布の小銭入れのポケットの中に手を突っ込む俺。触感でそれを探しだし、取り出したのは、細い1本の糸を結わえつけた5円玉だった。
ダチがやろうとしていること、それはオートマティスム……日本語では自動筆記と訳される文章作成方法だった。
オートマティスムとは、古くは予言者や神職者がトランス状態となって無意識のうちに口述や筆記を行ったものを指し、神や悪魔、霊等が対象者に取り憑くことで起こると言われていた。
やがて近世になると、このオートマティスムを意図的に行い、理性や論理感に影響されない世界や無意識の情景を芸術として表現しようとする運動が起こる。これがシュールレアリズムと呼ばれるもので、その創始者とされる詩人は、意識を睡眠状態にすることによる口述や、頭で考えていては決して間に合わないような制限時間を設けて原稿用紙を埋めきる等の手法を用いて、幻想的な作品を創作していたという。
もちろん、そうした手法で作られた作品は意味不明な物も多く、実験的な作品という評価がつきまとうのだが……実際、シュールレアリズムの画家で評価の高いマグリットやダリなどはオートマティスムによらず不条理さの中に意図的な主張や視覚効果を取り入れた作品を残している……時に思いもよらない傑作が生まれることもある。
とはいえ、ダチがやろうとしているのは、締め切りが迫っているのにアイデアが浮かばず筆が進まないのを自動筆記でどうにかしようとしているだけなので、別に感心するようなものでもなんでもないのだが。
「じゃあやるぞ」
原稿用紙を前にペンを握ったダチにそう告げると、俺はダチの目の前で糸で垂らした5円玉を振り子のように揺らしはじめる。
オートマティスムを行うには、まずは自意識の働かないトランス状態になることが必要だ。制限時間式原稿埋めというやり方もあるが、そもそも原稿が埋まらずに苦しんでいるような奴がそんな方法を採るはずもない。となると、自意識を半睡眠状態に持っていく必要が出てくるわけだが、これを一人で行うのはかなり難しい。シュールレアリズムの芸術家達も、ある種のクスリを使っていたという噂もあるくらいだ。もちろん、そうしたクスリに手を出すわけにはいかない、そこで俺の出番って訳だ。
俺がやるのはちょっとした催眠術。こいつでダチの意識を強制的に催眠状態、要は自意識が薄弱な状態にして……なぜ俺がそんな催眠術を使えるのかは置いておくとして……オートマティスムを開始させるのだ。ちなみにダチの場合、口述ではなく自分で原稿用紙に筆記するので俺が書き留めてやる必要はない。
5円玉を揺らしはじめて数分後、ダチの目がとろんとしてくると、手に持ったペンがすすっと動き始める。原稿用紙に視線を向けていないにも関わらず、そのままスラスラとペンを進めて行くダチ。
が、その書体は普段のダチの物とは似ても似つかぬ物だった。
やけに丸みを帯びた文字。感嘆詞や絵文字を多用した文体。それはまるで、年頃の女子生徒が書く女文字のようだった。それだけではない。文章を書き進むにつれ、ダチの姿そのものもその書体に引きずられるように変わっていく。
髪が伸び、背中まで届くロングヘアーとなっていく。背が縮み、着ている服がサイズが合わずにだぶだぶになる。顔も気が付けば見慣れたダチの顔ではなく、可愛らしい女顔になっていた。その文体にお似合いな十代半ばの少女の姿に変わってしまうダチ。
その姿を、俺は独りほくそ笑みながら眺めていた。これが俺がダチに協力している理由の一つだ。ダチはトランス状態になると、その文体にふさわしい少女の姿に変わってしまうのである。
その理由は分からない。ダチの無意識下に少女の人格がありそれが肉体にも影響しているのか、あるいは少女の霊体が取り憑いて肉体を変化させているのか……。ともかく、最初にダチがこの姿になった時には驚きパニクったりしたもんだが、今ではこれが俺の楽しみの一つとなっているのだ。
ちなみに、ダチは自分がこのような姿に変化していることを知らない。実はこの変化、ダチのトランス状態が解けると同時に一瞬で元の姿に戻ってしまうのだ。当然、トランス状態の時のことはダチは覚えていないので、自らの肉体が変化していることにも気付いてないという訳だ。
さて、そろそろ作品も完成みたいだな。
見ると、ダチの前に置かれた原稿用紙の空白部分は残り僅かとなっていた。これでダチが望んでいた自動筆記による作品は完成される訳だが……
それじゃ、こちらもそろそろ今回の報酬を頂く準備に入るとするか。今日はまず何をしてもらおうかな……。
俺はダチ……いや、“彼女”が原稿を完成させた後、俺に対して何をしてもらうかを考え始める。
“彼女”の姿はトランス状態が解けると元に戻ってしまう。が、そもそもこのトランス状態は俺が催眠術によって導いた物。つまり、“彼女”はトランス状態であると同時に俺の催眠下にもあるわけだ。この状態で俺が“彼女”に命令すれば、“彼女”は俺の意のままに動いてくれる。まあ、あまり強い刺激を与えたりすると催眠が解けてしまうため無茶なことはできないけれどもそれはそれ。命令の出し方やら何やらでいくらでもやりようはあるし、そこが催眠術師の腕の見せ所でもある。
さてと、それじゃあ今日はまず最初にお口でシてもらおうかな♪
意志の感じられない惚けた表情のままラストの文章を書き終えた“彼女”の前で、俺は独り笑みを零すのだった。
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