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一番湯
作:高居空


「いらっしゃい。今日は前に誰も来てないから、ゆっくり入っていってね」
  立ち寄り湯で訪れたひなびた旅館。きしむ木の床を進み脱衣所に入ると、女将さんの言ったとおり脱衣籠の中にはまだ誰の荷物も入っていなかった。
  俺が山奥にある温泉郷のこの旅館を訪れたのは、偶然ともある意味必然とも言えるものだった。せっかくの休日に家でごろごろしているのも何だからと、朝思いつきで高速道路を使い片道2時間弱で到着することができるこの温泉郷に日帰り入浴をしにやってきたものの、案内所で聞いてみると日帰り入浴の開始時刻はほとんどの宿が12時以降。到着した朝10時からやっている立ち寄り湯は、見るからに観光宿というより湯治場といった風情の古びたこの旅館しかなかったのだ。
  だが、見方を変えれば、普通なら客がこないようなこの時間に訪れたからこそ、こうして一番湯をいただけるという滅多にない幸運に巡り会えたと言うこともできる。タオルを手に、さっそく浴場へと入ってみる俺。
  うん、悪くない。
  そこはいかにも古くからある湯治場といった趣を感じさせる檜造りの浴室になっていた。大浴場と呼ぶにははばかられる大きさの湯船の縁の変色した木肌が歴史を感じさせる。湯も白みがかった濁り湯で、いかにも効能がありそうだ。
  さっそくかけ湯をし、湯へと浸かってみる。温度はややぬるめだが、おそらくその方がゆっくりと湯に入っていることができるだろう。
  ほっと一息ついた俺は、そこで初めて向かいの壁に脱衣所の出入口とは違うもう一つの扉があることに気が付いた。
  露天風呂か?
  一瞬そう考えた俺だったが、それが間違いであることは扉の横に掲げられた木製の掛札によりすぐに分かった。
  そこには、筆で書かれたと思われる字で、大きく『婦人風呂入口』と記されていた。
  その掛札に思わず頭に疑問符が浮かびかけた俺だったが、この浴場へくる途中の廊下に張られていた宿の由来を思い出し、そういうことかと納得する。
  この宿は、昔ながらの湯治場がそうであるように、元々は混浴の浴場しかなかったらしい。だが、訪れる女性客達からの強い要望により、新しく女性専用風呂が作られることになったそうだ。しかし、元からある浴場と女性専用風呂では温泉の源泉が違い、泉質が微妙に異なっているとの事で、昔から効能があると謳われている元からの湯にも入れるようにと、女性専用風呂からこの浴場に出入りができる仕組みにしたとその由来には書かれていた。つまり、あの扉がその出入口というわけだ。
  …………そういえば、今日はまだ俺以外客は来てないんだったよな。
  女将さんが言っていたその言葉を思い出すと同時にむくむくと鎌首をもたげてくる好奇心。
  その衝動に突き動かされるように、俺は湯から上がると、まずはそっと扉を少しだけ開けて向こうの様子を覗いてみる。
  …………よし、誰もいないな。
  人気のないのを確認した俺は、そのまま静かに扉を開けると忍び足で禁断の領域へと侵入する。
  瞬間、くらっと揺れる視界。
  たたらを踏みそうになり、落とした視線の先で、二つの膨らみが揺れる。
  …………?
  その膨らみは、確かに自分の胸に存在していた。左手でその膨らみに触れると、手からは柔らかな感触が、胸からは触られているという感覚が伝わってくる。
  股間を隠していた右手のタオルをどけると、そこには男の物とは真逆の物体が体に刻みこまれていた。
  私は、女になっていた。
  どういうこと? ありえない事態に頭がぐちゃぐちゃになりかけた私だったが、そこである考えが閃く。
  私は、『婦人風呂』という女しか入れない場所に足を踏み入れたため、女になってしまったのではないか? 我ながら正気を疑うような発想だけど、女の勘ってやつなのか、なんとなくそれが正しいという妙な確信がある。ならば、男湯に戻ればこの体も元に戻るのでは?
  さっそく、元の浴場へと戻ってみる私。
  が、私の体は女のままだった。ひょっとしたら湯に入らないと元には戻らないのかもしれない。そう考えた私は白い濁り湯へと体を浸す。
  ぬるめのお湯が何とも言えず気持ち良い。しばらく浸かっているうちになんだかふんわりとした気分になってきた私の頭の片隅に、ふとある疑問が浮かんでくる。
  そういえば、この浴場ってホントは男湯じゃなくて混浴なんじゃなかったっけ。混浴だったら女の子だって入って良い訳なんだから…………ホントに体が変わったりなんてするのかな?
  その結論に至り、湯船で立ち上がりさっそく体を確認してみると、視線の先の体は予想に反し、見事な変貌を遂げていた。
  うん、変わってる。この瑞々しさと肌の張り、間違いなく十代半ばぐらいのカラダだね♪
  その変化になんだか嬉しさがこみ上げてきたあたしは、湯から上がって体を拭くと、脱衣所へと移動する。
  もう一度念入りに体を拭き髪を乾すと、脱衣籠にあったパンティーとブラジャーを身につけ、ブラウスを着、ミニスカートを履いていく。最後に膝より上まで伸びるニーソックスで絶対領域を作り出して、はい、完成♪ お化粧の用意がないのが残念だけど、あたしぐらいの歳なら別にすっぴんでもおかしくは思われないはずだよね♪
  帰り際に女将さんに良いお湯でしたと挨拶したあたしは、停留所からバスに乗り、そのまま街へと繰り出したのだった。



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