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異文化体験会
作:高居空


「なあ、本当に会場はここであってるのか?」
「うん、絵里香の記憶が確かならばここで良いはずだよ? ほら、ドアの前に受付の人みたいのも立ってるじゃん」
  スーツ姿の人々がせわしなく行き来するビルの中、どうみても場違いなTシャツにジーンズといった格好の俺は階段の陰に隠れるようにしながらフロアの様子を窺っていた。隣では大学で同じゼミに所属している絵里香が俺と同じようなポーズを取りながら通路を覗き込んでいる。
「……本当に間違いないのか? それにしては駅からここに来るまで俺達以外に参加者らしき人は一人も見かけなかったぞ? それに、いくら『異文化体験会』っていうあまり一般的には参加しづらさそうな集まりだといっても、主催者側として参加する外国人の一人や二人くらいは廊下を歩いているだろうに」
  そんな俺の疑問に人差し指を唇の下に当てて考え込む絵里香。
「う〜ん、美沙ちんがこの場所だって教えてくれたところだから間違いはないはずなんだけどな〜」
  その言葉に不吉な物を感じた俺は、まさかとは思いつつも絵里香に問いかけてみる。
「……もしかして、全部他人任せで自分では全然調べてこなかったっていうんじゃないだろうな?」
「うん、そうだけど?」
「…………講義で爆睡していた罰として『異文化体験会』に参加するよう教授に命令されたのはお前なのにか?」
「うん、そうだね」
「……………………そうか」
  それがどうしたのといった感じできょとんとした顔をする絵里香に俺は思わず脱力していた。



  絵里香は俺の通う大学の中でも指折りの「変人」として名を馳せている女だった。外見だけを見るなら、絵里香は出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ、男なら思わず視線が釘付けになってしまうような見事な体つきをしている。だが、一方の精神構造の方はというと、その成熟した肉体とはまるで釣り合わないものだったりするのだ。こいつの頭の中を一言で表現するならば「お子様」。何がどうなっているのか分からないが、こいつの精神面は小学生の低学年と同レベル、いや、もしかしたらそれ以下かもしれないのだ。今回この「異文化体験会」に参加することになったのも、大学で国際文化学の講義中によりにもよって教授の真ん前で机に突っ伏し爆睡するという命知らずな行いをやらかしたからである。しかも教授に叩き起こされた後の言い訳が「昨日夜に缶コーヒーを飲んだら朝まで眠れなかったんです〜」というのだから目も当てられない。それでいてその後見せしめのごとく浴びせられた教授の問題を全て完璧に答えてしまうのだからもう何と言ったら良いのやらだ。実は絵里香は学問に関しては入学してから常に首席をキープし続けている「優等生」でもあるのだ。そこで根負けした教授が命じたのが「異文化体験会」への参加とそのレポート提出だったという訳だ。
  ちなみに俺は絵里香のお目付役。絵里香と同じゼミで教授の講義に出ていたのが俺だけだったという不運から無理やり押しつけられた、いわゆるとばっちりという奴である。まあ、実際の所こいつを一人きりで初対面の面子の中に放り込むのは非常に危険であるのも確かなのだが……。
「うん? どうしたの、そんなに深刻な顔で考え込んじゃって?」
「いや、何でも…………というか、そんなに体をひっつかせるな! 人が見てるだろうが!」
  考え事をしている間にいつの間にかもたれ掛かるように背中から抱きついてきていた絵里香を俺は慌てて引きはがす。まったく、こいつは本当に天真爛漫というか本人的には悪気のない行動で他人を困らせるのだからたちが悪い。その大きな胸を背中に押し当てられたらさすがの俺も男として反応してしまうだろうが。
「え〜? 絵里香はそんなの気にしないよ?」
「気にしろよ。一応男と女なんだぞ」
  事情を知らない者が聞いたら誤解されそうな言葉を発する絵里香を俺はため息混じりにたしなめる。こいつの頭の中に男女関係といった思考回路が存在していないことはそれなりに付き合いの長い俺には分かっているが、周囲がそれをどう取るかは別の話だ。少しは絵里香も周りの事を考えて行動したり言葉を発してほしいところなのだが……。まあ、それができないから俺がこうしてここにいるわけだが。
「しゃあない。とりあえずあのドアの前に立っている人に聞くだけ聞いてみるか」
  気分を切り替えるように息を一つ吐いた俺は、絵里香が受付の人みたいだと言ったスーツ姿の女性に「異文化体験会」のことを聞いてみることにした。いつまでもこうして階段で様子見をしていても仕方がない。とりあえずここが「異文化体験会」の会場なのかどうかだけでも確認しないことには何も始まらないだろう。
「すいません。少しお尋ねしたいことがあるのですが」
  背中越しにそう声をかけた俺に、ドアの前に立っていたショートカットの女性はこちらに向き直るとにっこりと微笑んだ。
「はい、なんでしょうか」
「今日こちらで異文化体験会が開催されていると聞いてきたのですが」
「はい、異文化体験会でしたらこの会場ですでに始まっております。お二人とも参加希望の方でよろしいでしょうか?」
「はい、そうです」
  そう答えながら俺は心の中で安堵の息を吐いた。絵里香の聞いた情報は時間はともかく場所は間違っていなかったらしい。これまで参加者らしき人影を見かけなかったのは、どうやら既に会が始まってしまっていたからのようだ。会の最初から参加できなかったのは失敗だが、途中からでも参加できるのならばまあ問題はないだろう。
「分かりました。それでは参加の手続きをさせて頂きますね。私共の体験会に参加されるのは今回が初めてですか?」
「ええ」
「そうですか。では、最初に体験するのはどの国の文化からにいたしますか?」
「? どの国のを体験するかは会場に入ってから決めるのではないんですか?」
  予想していたのとは違う会の方式に疑問の声を発した俺に対し、受付の女性は人差し指を立てながら答える。
「はい、私共の開催する異文化体験会では特殊な装置を使用しておりまして、事前にどの国の文化を体験されるかオーダーを伺っておくことになっているんです」
「はあ、そうなんですか」
  女性の答えにとりあえず頷く俺。正直その特殊な装置というものがどのようなものなのかは想像もつかないが、それがこの会のルールだというのならば俺達はそれに従うしかないだろう。
「ちなみに、初めて体験なさる方には親しみやすいお隣の韓国か中国あたりから始められる事を私共ではお奨めしております」
「へえ〜、それなら絵里香、中国が良いな〜」
  ここぞとばかりに口を出してきた絵里香に受付の女性は微笑みを浮かべながら手に持ったメモ用紙に何かを記入していく。
「それでは最初の体験は中国でよろしいですか?」
「ええ」
  女性の確認に俺は横目で絵里香の表情を伺いながら頷いた。俺はあくまで絵里香の付き添いだ。どこの体験をするかは絵里香の意見に合わせるべきだろう。
「それでは体験に入る前に、貴女の持っている中国文化のイメージ、それを3つまで教えて頂けますか」
  そう言ってメモを片手に絵里香に視線を向ける女性。彼女の問いに対し、絵里香は文字通り即答する。
「『チャイナドレス』に『満漢全席』、そして言葉の語尾には『アル』が付く、かな?」
「おいおい……」
  そのあまりにも子供じみた発想に俺は思わず言葉を漏らすが、受付の女性はそんな答えでも別に構わなかったらしく、何やら頷きながらメモを取っていく。
「分かりました。それではすぐにご用意いたしますので会場の中にお入り下さい」
  今の回答で一体何の用意をするんだ? 小首を傾げながらも俺と絵里香は女性に案内され会場の中へと足を踏み入れる。
「あれ? おかしいね、ここ何にもないよ?」
  だが女性に通されたその部屋は、絵里香が思わず疑問の声をあげたように文字通り「何にもない」部屋だった。俺達が座るイスや机はおろか、他の参加者や相手となる外国人の姿さえ見えないガランとした空間。四方を白い壁が取り囲み、ガラス張りと思われる天井からは蛍光灯の明かりに似たどことなく冷たい光が部屋全体に降り注いでいる。
「あの、これは?」
  その光景にどことなくうすら寒い物を感じた俺は出入口の扉の前に立つ受付の女性へと問いかける。だが、それに対する女性の答えは俺の理解の範疇を遙かに超えたものだった。
「この部屋は中にいる者をその者がイメージする文化に合致する異世界へと飛ばすことのできる装置になっております。この装置で他の世界に飛ばされた者は、そこに存在するのに相応しい姿となってその世界の文化を体験することになります。まさに言葉通りの『異文化体験』ができるという訳ですね」
「あの、言っている意味がさっぱり分からないんですが……」
「確かに言葉だけでは伝わりきれないでしょうね。まずは体験してみるのが一番です。さあ、まずは貴女方のイメージする『中国』を存分に体験してきて下さいね」
  女性がそう言い終わるのと同時に、目の前の景色が画像の乱れたテレビのようにぐにゃりと歪んでいく。その気色悪さに反射的に目をつむった俺が数秒後に目を開いたとき、眼前に広がる光景は先ほどの無機質な部屋から一変していた。
  それまで白一色だった室内は、朱色で彩られたどこかの宮殿を思わせるような空間へと変貌していた。所々に立つ円柱には豪華な彫刻が施され、床に敷かれた高級そうな赤い絨毯の上には丸テーブルとそれを囲むように椅子が2脚用意されている。そのテーブルの上には一目で高級な物だと分かる料理がこれでもかというくらいに所狭しと並べられていた。
「きゃ〜! 凄いアル〜!」
  学生が食べるには分不相応な料理を前にして瞳を輝かせる絵里香。だが、俺の目はその絵里香の着ている服に釘付けになっていた。
  ついさっきまでの絵里香はTシャツにデニムのスカートという実にラフな格好だった。しかし今絵里香が身につけているのは詰襟型の真っ赤なワンピース。所々に金の刺繍が入り、太もも部分に大胆なスリットが入った女の色気を強調するその服は、いわゆるチャイナドレスと言われるものに間違いなかった。
「どうしたアルか絵里香、その格好は?」
  そう声をかけた俺は、同時に自分の声に違和感を感じた。何だ? いつもの俺より1オクターブ以上高い声が出たような感じがしたが……。
  戸惑う俺を前に、こちらを振り返った絵里香が料理を眺めていた時以上に目を輝かせる。
「きゃ〜! 凄い、凄い可愛いアル〜!!」
  次の瞬間、俺は絵里香に背後から抱きしめられていた。両脇から回された手が俺の胸を鷲づかみにするとふにふにと揉みしだく。
「アンっ! な、何するアルか!?」
  そう叫んでから俺は何かがおかしいことに気がついた。何だ、何が俺の胸についているんだ? 胸から感じる未知の感覚に戸惑いながら視線を落とす俺。するとそこには紺色の生地を押し上げる大きな二つの物体があった。絵里香の手の平に収まりきらないほどの存在感を持った膨らみが、声高に“何か”を主張している。
「!!!!」
「うわあ〜! よくできた女装かと思ったら本物アルか〜! どれどれ下はっと……」
「あ、や、止めるアル!?」
  俺の身につけた服の脇に存在するスリットから絵里香の細い指が中へと侵入してくる。次の瞬間、何かを撫で上げられた俺は体を貫く刺激に反射的に背中をのけ反らせていた。
「きゃ〜!! 完全に女の子アル〜!!」
  頭の中が真っ白になりかけた俺の耳に遠くから絵里香の騒ぎ立てる声が聞こえてくる。ど、どうなっているんだ……!?
  俺がパニックに陥ろうとしたその時、突如頭上からにこやかな声が聞こえてきた。
『どうでしょう、『中国』を体験されたご感想は?』
「!! こ、これはど、どうなってるアルか!?」
  聞き覚えのある女性の声が聞こえた方向に向かって叫ぶ俺。
『どうなってると言われましても、先ほどご説明したとおり貴女方がイメージされた『中国文化』をそのまま体験して頂いているだけですよ。『チャイナドレス』に『満漢全席』、それに『語尾に“アル”』でしたか』
「あっ……」
  た、確かにさっきから俺や絵里香の言葉の語尾には『アル』がくっついているが……。
『貴女の肉体が変わったのは『チャイナドレス』がイメージに入っていたからでしょう。先ほどの説明でもありましたが、体験者はそこに存在するのに相応しい姿へと変貌します。チャイナドレスを着るといったら、やはり美しい女性が一番相応しいですから』
「そ、それでどうやったら元に戻れるアルか!?」
  尋ねる俺に女性の声は実に楽しそうに答える。
『それにはまず、全ての体験を修了して貰わないといけませんね。『チャイナドレス』に『語尾に“アル”』はクリアしていますが、『満漢全席』はまだ手つかずですよ』
「……それって、この莫大な量の料理を全て平らげろということアルか?」
『その通りです』
  当然の事だと言わんばかりの声に、思わず頭を抱えたくなる俺。だがしかし、元の体に戻るにはそれしかないというのなら……
「ええーい! こうなればやけアル! 意地でも食べきってやるアルよ!」
  どこかで俺達の様子を眺めているであろう受付の女性に向かってそう叫ぶと、俺は背中に抱きついたままの絵里香を引きずりながら山のように料理が用意されている丸テーブルへと向かっていくのだった……。





「ふう、な、何とか完食したアル……」
  数時間後、俺はやっとの思いでテーブルの上の料理を食べきっていた。テーブルの向かい側では絵里香がきれいになった皿を前にして満足の笑みを浮かべながら爪楊枝をいじっている。
「な、何だか絵里香まだ余裕ありそうアルな……」
「うん。まだケーキの2,3個くらいはいけそうアルね」
  椅子の背もたれにもたれ掛かりながら声をあげる俺に対し、文字通り余裕の笑みを見せる絵里香。まったく、どこにあれだけの量の食べ物が入っていっているんだか……。
「でもまあ、これで俺も元の姿に戻れるアルね……」
  俺がそうつぶやいた時だった。
『ご苦労様です。思っていたより早く片づきましたね』
  頭上から再びあの受付の女性の声が聞こえてくる。
「ああ、早いとここの『体験』とやらを終わらせたかったアルからな」
  半ばむくれながらそう答える俺に、クスクスと女性は笑い声をあげる。
『そうですか。ずいぶん早く体験を終了なされたので、もう1国体験してみてはいかがかと思っていたのですが』
「そんなの……」
  やるわけないだろと答えようとしたその時、向かいに座っている絵里香がハイハ〜イと手を挙げた。
「絵里香、それなら次はブラジルを体験してみたいアル!」
「な……!?」
「そうですか。なら、ブラジル文化のイメージを3つおっしゃってください」
  女性の問いに慌てて絵里香の口を塞ごうとする俺。だが、テーブルを挟んで向かいに座る絵里香をそう簡単に止められるはずもなく、絵里香は女性に対して答えを返してしまっていた。
「えっと、『サンバ』に『カーニバル』、そしてもちろん『過激な衣装』!」
  なに? 普通ならサッカーとか出てこないか? そう内心でツッコんだ俺の視界が再びぐにゃりと歪んでいく。今度もまた絵里香の偏ったイメージに基づいた『異文化』を体験させられるというのか? しかも今回のイメージは完全にサンバカーニバル縛りときている。元に戻るにはカーニバルが終わるまで踊り続けろっていうんじゃないだろうな……って待てよ? 今の俺はまだ女の姿のままだ。このまま絵里香のイメージ通りの世界に移動したとなると、俺が着ることになる『過激な衣装』というのは……
「そ、そんなの嫌アル〜!!」
  エロティックな衣装を身につけ妖艶な笑みを浮かべながら踊り狂う自分の姿を想像した俺は、天に向かって悲痛な叫びを上げるのだった……。



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