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  夜の町に冷たい雨が滴り落ちる。
  時は丑三つ時。昼間には街道を旅する人々で賑わうこの街も今ではしんと静まりかえり、降り注ぎ地面に跳ねる水音だけが耳に響く。
  そんな中、町外れにかかった橋の側、大きな柳の木の下で俺は傘も差さずにじっと立ち続けていた。
  腰に差すのは一振りの太刀。無銘だが兄の形見であるその刀をいつでも振り抜けるよう柄に手を添え、息を殺して待ち構える。
  伝え聞いたところに間違いがなければ、間もなく橋の向こうからほろ酔い機嫌の浪人が町外れの長屋へと千鳥足で帰ってくるはずだった。
  俺はその男を斬るためにここにいる。
  なぜなら、その浪人こそ俺の兄を手にかけ姿をくらませた憎き敵であるからだ。
  あれから丸5年。ようやく俺の復讐は果たされようとしていた。


復讐の果て
作:高居空


「村田庄兵衛だな?」
  ふらふらとおぼつかない足取りで橋を渡ってきた男は、俺のかけた声にゆっくりと振り向いた。
「おぅやおや、どちらさんですかな?」
  呂律の回らぬ声で尋ねてくる初老の男。傘も差さず、着物をだらしなく着崩して右手で杖をつきながら歩くその姿はただの酔っぱらいにしか見えない。だが、酒で赤く染まったその顔は忘れるはずもない、俺が敵として追い続けてきた男のものに間違いなかった。
「俺は飯島道場師範代飯島一晴の弟、秋次! 兄の敵、討たせてもらう!!」
「……はて、何の事ですかのう?」
「とぼける気か!?」
  奴の言葉に立腹した俺は手にした刀を抜いてにじり寄る。だが、奴は全く動じた様子も見せずに……あるいは酔いすぎで状況が理解できていないのか……ひょいと左手を挙げて俺の動きを制すると、
「いやいや、最近少しばかり物覚えが悪くなってましてな。思い出す故、しばし待っていただけますかの? はて、飯島、飯島…………」
と首を傾げて考え込みはじめた。
  俺はその言動に内心歯噛みしながらも奴が思い出すのを待つことにした。もちろん斬ろうと思えば今すぐにでも斬ることはできる。だが、俺の目的は敵討ちだ。そのためには奴に自分の犯した罪を存分に後悔しながら死んでもらわなければならない。なぜ斬られるのか理解できぬまま死なれては意味がないのだ。それでは奴にとって俺はただの辻斬りになってしまう。
  そんな俺の内心など知るよしもなく、奴はしばらくの間うんうん唸りながら俺のことを眺めては首を捻るといった動作を繰り返していたが、ようやく思い出したのか杖を持つ右手の甲を左手でポンと叩き、おおと声をあげた。
「そういえばずいぶん前、どこだかの町でそのような名の者と仕合ったことがあったのう」
「思い出したか!?」
「ふむ、確か儂の居合を大道芸だといって因縁を付けてきた小倅だったか」
「む…………」
  痛いところを突かれ俺は黙り込む。
  確かに奴の言うことに間違いはなかった。その日、知人の葬式のお清めで酒をしこたま飲んだ兄は、大通りで居合抜きを披露していた奴の事を俺が止めるのも聞かずに散々嘲笑し、悶着の末にその馬鹿にした居合の技で命を落としたのだった。
「ほう、そういえばお主の顔も見覚えがあるの。あの時にあやつの側におった童か。そうか、それで儂の事を敵と追ってきたか」
  そう言って奴はカッカと笑うと、どこか楽しそうな口調で言葉を続ける。
「しかし、見てのとおり今の儂はへべれけな上に丸腰でな。こんな儂を斬っても冥土の兄上は喜ぶかのぉ?」
「……あの時の兄も酒に酔っていたさ。それに刀は侍の命だ。それを置き忘れた上に逃げの口実に使うとは見下げ果てたものだな」
「ほうほう、そうきたか」
  感心したような声を挙げる老人。だが、その据わった目は瞬きもせずに俺を凝視し、その視線に俺は内心を全て見透かされているような気がして背筋が寒くなる。
  そう、俺が奴に言った言葉はただの屁理屈だ。実際の所、俺は奴に勝てる自信がなかった。兄の死から5年、ひたすら鍛錬を積んできたものの、俺の剣の腕は兄に遠く及ばない。そんな俺が兄を上回る力を持つ奴に勝つには真っ当な手段では到底無理な話だ。
  そのために俺は奴の居場所を突き止めた後も弱みを握るべくさらに情報を集め続け、奴が飲みに行くときには刀を帯びていないということを知って今の必殺の状況を作り出したのだ。
  確かに卑怯と言われれば否定はできないし、後ろめたい気持ちも無いわけではない。だがこれも必勝を期すための兵法。そう自分に言い聞かせて刀を大上段に構える。
「ともかく俺はお前を斬る。覚悟しろ!」
「ふむ、しかたないかのう。じゃが、冥土に行く前に一つだけ聞いてもらえんかの?」
「……何だ?」
  観念したかのような奴の言葉に俺は剣を振り上げたまま耳を傾ける。敵とはいえ辞世の句ぐらいは聞いてやっても良いだろう。
「お主、人の話を聞くのは良いことじゃが……時を与えるべきではなかったの。このような形で儂を斬るつもりだったのなら最初から問答無用で斬りかかるべきじゃった」
「!?」
  同時に奴は左手で杖の中ほどを掴むと、右手で杖の頭を引き抜いた。
  まるでそれが剣の柄であったかのように杖の中から現われる白刃に俺は一瞬あっけにとられ……そしてそれが仕込み杖であったことを理解し、慌てて刀を振り下ろそうとした時には、奴の右腕は完全に振り抜かれていた。







  突如襲ってきた焼けるような凄まじい痛みに俺は体勢を崩し地面へと倒れ込む。手を突くことすらできずに足下の水たまりへと無様に落ちた俺の耳に、どこか遠くの方から奴の淡々とした声が聞こえてきた。
「ふむ、やはり何も理解できずに逝くのではあまりに不憫じゃからな。“お主が”冥土に行く前に敗因を聞かせることが出来て良かったわい」
  激痛で意識が朦朧となる中、俺は奴の言わんとすることを理解した。
  結局、俺の行動は中途半端だったのだ。事前に策を弄しておきながら、最後は正攻法にこだわりすぎた。
  奴が千鳥足で橋を渡ってきたとき、黙って不意打ちをかけていればこのような事にはならなかったのかも知れない。
  それを俺は敵討ちにこだわって奴の前に姿を現わしたばかりか、その話しぶりに完全に乗せられてしまった。結果、それが奴にとっては酔い醒ましと俺の動きを観察する時間となり、不意打ちの機会を与えてしまったのだ。
「さて、そろそろ兄と同じく冥土に送ってやろうかの」
  痛み以外の全ての感覚が薄れていく中、奴の声がやけにはっきりと頭に響き……。
  次の瞬間、俺の意識は闇に落ちていた。















「……アキ……アキ……」
  一瞬のような、永遠のような空白の後。
  俺の意識ははどこか遠くから聞こえてくる声に呼び覚まされた。
  何か全身にこれまでにない倦怠感を感じる。そのまま眠るように再び落ちてしまいたい欲求が心の奥からわき上がってくる。何とも言えない甘い誘いに、俺はそれでも必死で抵抗してボンヤリとする頭を何とか回転させる。
  俺はいったいどうなったのだ? あの時奴にやられた傷は確実に致命傷。しかもその後止めまでさされている。普通に考えればまず生きてはいないはずだ。
  だが、それにも関わらず、俺は自分の魂がまだ肉体に留まっていることを確信していた。肝心の体にはまったく力が入らずまぶたさえ開くことができなかったが、誰かが自分の肩を揺さぶっているのが確かに感じられる。逆に、深々と刻み込まれたはずの体の傷はなぜかまったく痛まなかった。
  俺は何とか状況を確認するため、痺れるまぶたへと全身の力を込める。頑固なまぶたはそれでもなかなか言うことを聞こうとしなかったが、しばらく力を入れ続けると根負けしたかのようにゆっくりと開き始めた。
「……アキ! もう、やっと目が覚めた?」
  なんとか確保した視線の先。そこに居たのはどこか呆れたような顔をした、見たこともない服装の若い女だった。
  年の頃は17、8歳くらいだろうか。均整のとれたその顔は俺好みのものだったが、異人の血が混じっているのか髪の毛の色は日本人には珍しい茶色だった。その特徴的な髪の上には白い髪飾りが乗っている。
  服の方も南蛮渡来の物なのか、黒い生地の着物に大きな白い前掛けという何とも奇妙な出で立ちだ。特にその裾は信じられないくらい短く、健康的な太ももがあられもなくさらけ出されて何ともいえない色気を醸し出している。
  当然ながら、俺の知る女にこのような格好の者はいない。
「お前は……!?」
  そう口にしたところで、俺は自分の声の調子がおかしいことに気が付いた。まるで声変わりの前のような高い声。
「え……?」
  何ともいえない嫌な“勘”のようなものを感じた俺は、そのままゆっくりと視線を下ろす。そこにあったのは目の前の女と同じ黒い衣服と白い前掛け、そしてその胸の部分を押し上げる双丘と極端に短い裾から露出する白い太ももだった。
「えっ……え……!?」
  どういうことだ……なぜ……俺が……女に!?
  何が起こったのかさっぱり理解できない俺の前で、目の前の女は更に呆れたようにため息をついた。
「もう、まだオーナーのインチキ前世催眠なんかにかかってんの? まったく、あんたといいハルといい、あたし以外のメイドは本当に純粋というか天然ボケばっかりなんだから……。ほら、アキはこのメイド喫茶の看板娘の一人なんだからシャキッとしてよね! あたし一人で店を回すなんてもうこりごりなんだから……」
  女が愚痴をこぼす中、俺はしびれる頭でこれだけは理解した。自分はやはり冥土(メイド)に来てしまったのだということを……。
 

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