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エンチャンター

作:高居空


「ふん、何の通告もなしに突然人の工房に押し入るとは、一体どういう了見ですかな、司祭殿?」
  人里から遠く離れた山の中、森の木々の間に隠れるようにして建てられた小さな工房は今、剣呑な空気に包まれていた。
  テーブルを挟んで向かい合う工房主と司祭。
  だが、工房主の前に座る若い司祭の後ろには、司祭の法衣に刺繍された紋章と同じ紋章を鎧に刻んだ完全武装の男達が直立不動で列をなし、司祭も口元に笑みを浮かべてはいるものの、その鋭い視線と法衣の上からでも鍛え上げられていることが分かる体つきから、町の教会で説法をしているような人畜無害な司祭とは全く異なる武闘派であることが分かる。
なるほど、こいつらがあのイカレた教団のそのまた暗部、審問騎士団か。
  その様子を、俺は身を隠した戸棚の隙間から息を殺して見守っていた。
  奴らが踏み込んでくる少し前、俺は工房主と二人で商談を行っていた。だが、工房の周囲に張り巡らされた結界が招かれざる客の来訪を告げ、遠見玉で来訪者の姿を確認した工房主は、俺を素早くこの戸棚の中へと匿ったのだった。
  もしも商談中に奴らに踏み込まれていたら、おそらくは話し合いにもならずに、血で血を洗う事態に陥っていたことだろう。
  奴らが属する教団は、狂信的な信者が多いことで知られている。その教義のためならば死をも厭わぬ者達を騎士として使役するのがあの教団のやり方だった。
  さらにその教義も、信者ではない者から見れば歪んでいるとしか言い様がない代物である。
  奴らの教義の中でいの一番にやり玉にあげられるのが、極端な男尊女卑だ。曰く、男は生まれた時は皆すべからく聖なる者であり、女はそんな男を堕落させる悪である。故に女は死後は地獄に落ちる運命にあり、そんな女に人としての権利を与えることは悪徳を世に広めるのと同義である。よって女は家畜と同じ扱いがふさわしい、と。一応は、女でも信者の家族だけは例外的に信者の祈りにより神に赦され地獄に落ちることはないとされているが、それでも家庭内での扱いは使用人とほぼ変わらないと言われている。当然、教団には男性しか入信できず、女は教団の管轄する土地に足を踏み込むことさえできないのだ。
  そんな過激な思想を掲げている教団であるが、現在、その勢力は魔族との紛争を抱える人間国家を中心にじわじわとその版図を広げつつあった。当たり前だが、この世の生物の半分は女である。本来であればそんないかれた教義を掲げる教団が勢力を伸ばせるはずはないのだが、現実には奴らの神を国の主神とするような国家まで現れている有様だ。
  奴らが勢力を拡大できた理由は大きく二つ。一つは、奴らの崇める神がこの世界の諸神の中でも上位に位置づけられる神であり、信者に分け与えられる神力も大きいこと、そして残りの一つが、奴らの教義の掲げるもう一つの過激な理念……魔族の根絶だった。
  奴らの教義では、魔族とは存在自体が絶対の悪であり、根絶やしにしなければならないものとされている。世界の実情を知る者からすれば、なんとも馬鹿げた話でしかないが、奴らはそれができると信じて疑わず、魔族と戦う人間国家への助力を積極的に行っているのだ。
  今この世界は、身体能力や魔力で人間を遙かに凌駕するものの繁殖能力が低い魔族と、個々の能力は低いが繁殖力の高さからくる数の力でそのマイナスを補完している人間とで、ちょうど均衡が取れている状態だと言われている。奴らはそれを踏まえた上でこう主張する。一度でも魔族に大きな打撃を与え、その個体数を減らすことができれば、バランスは人間側に一気に傾くと。
  だが、それらの分析は、実際には人間諸国に侵攻をかけている特定の魔国と人間との間のパワーバランスだ。魔族の国の中には中立を標榜し人間国家と交易を行っているようなところもいくつもある。魔族排斥を謳う奴らが勢力を伸ばせば、そうした人間に友好的もしくは中立の立場の魔族国家もこぞって敵に回るだろう。もしそうなれば、世界のバランスがどうなるか……まともな頭をしていれば、その結果は誰でも分かることだろう。
  だが、これが実際に魔軍に侵攻を受けている人間国家となると話が違ってくる。彼らにとって、教団に所属する神官達の神聖魔法と騎士団の命を投げ打つような苛烈な戦いぶりは、魔軍に対抗する大きな力となっている。そうした都合から、戦乱のただ中にある人間国家では教団を庇護し大きな権限を与えることが多いのだ。俺が今いるこの国もまた、そうした国家のうちの一つであった。
  そうして国家の中で大きな権力を振るえるようになった教団は、次に布教と国民の思想統制のために、特殊な騎士団を国内の各所に駐屯させるようになる。それが、治安維持の名目のもと、人間の中の不穏分子……そこには本物の不穏分子の他に、教団の教義に批判的な人間や教団の勢力拡大に邪魔な人間も含まれる……の審問と粛清にあたる騎士団、審問騎士団だった。もっとも、実際にお目にかかるのは俺はこれが初めてだが。
  不機嫌な表情を隠さない工房主に対し、若い司祭は口元に柔和な笑みを貼り付けたまま、慇懃な口調で語りかける。
「いえいえ、私共としてもエンチャンチャーとして名高い貴方相手に手荒な真似はしたくはなかったのですが、なにぶん私共の教団に貴方に関するよからぬ噂が届いておりましてね。まさかとは思いましたが、念のためお話をさせていただきたいと思い急ぎ参った次第でして。それに、無礼を承知の上で申しますが、罪人のおそれがある者相手に、これから審問に行くと事前に告げてやるような審問官がいるとお思いですか?」
  …‥まったくいけすかない奴らだ。俺の耳に入ってくる話では、審問騎士団から審問を受けて無罪となった者は皆無だという。つまり、奴らの中では最初から対象を抹殺することは決まっているのだ。それでも最初に審問という形をとるのは、奴らの崇める神に対象が罪人であることを告発し、それを誅する、つまりは命を奪う行為に赦しを得るという、奴らお得意の儀式の一つということなんだろう。
  しかし、奴らも思い切ったものだ。工房主のエンチャントの技は世界の宝。人間が魔族に抗していられるのも、彼の力がその一助となっているのは明らかなのに。
  その教団の狭視野に、心中肩をすくめる俺。
  俺が商談をしていた工房主、彼はこの世界で当代一と称される腕前を持つエンチャンターだった。
  エンチャンターとは、武器や防具等に魔力を付与し、様々な追加効果を持った魔法具へと昇華させることに特化した魔術士のことである。短時間の限定的な魔力付与なら冒険者として経験を積んだ魔術士の中にはできる者もいるが、半永久的な魔力付与となると、その術を極めることに特化したエンチャンターか、神の力を武具に込めることのできる高位の司祭にしかできない芸当だった。
  そうした魔力付与者の中で、工房主の実力はずば抜けている。彼の手にかかれば、ただのナイフが上位魔族さえ打ち倒す魔剣と化し、皮鎧は大型弩砲の矢でも貫けぬ強度を得る。かなりの偏屈者として知られ、人間嫌いで弟子もとらずに人里離れた山の中で独り自給自足の生活をし、作業も一人で行うことから、仕事を頼むには彼の信用を得たごく限られた者が……ちなみに俺もその中に含まれている……素材を全てこちらで用意した上で山の中に分け入らなければならず、さらに一つの品を完成させるのに数日はかかるため、大量生産は望むべくもないが、完成した魔法具は魔王をはじめとする魔族の重鎮達さえこぞって賞賛するほどの出来映えで、現在、勇者として名の知れた人間達も多くが彼の品を愛用していると聞く。
  だが、おそらくあの教団はそれが面白くないのだろう。
  彼らの教団の中にも神の力を武具に込めることのできる力を持った司祭がいる。そして教団では、魔族と戦うための武具としてそれらを勇者と呼ばれる者達に提供しているのだ。
  だが、その出来は工房主と比べれば月とすっぽん。戦いに身を置く勇者がどちらの武具を選ぶかは言うまでもないだろう。つまり、勇者が愛用する武具を作成したという箔がほしい教団にとって、工房主はそれを妨げる障害物というわけだ。
  ただ、このタイミングでの審問騎士団の動き、他に何かをつかんでいる可能性もなくはないが……。
「ふん、騎士の方々まで随行するということは、よほどよくない噂が流れているようですな。それで、これから私にその噂が真実であるかどうかを審問すると?」
「まあ、そうなりますね。ですが、そう身構えるようなこともありません。私が貴方に尋ねる内容は一つだけ。貴方はそれに『はい』か『いいえ』で答えていただくだけで結構です。ただし、その答えには神に誓って嘘偽りがあってはならない。分かりますね?」
  そう言うと、何やらぶつぶつと呪文を詠唱しはじめる司祭。それと同時に、部屋の天井付近には室内だというのに黒い雲のようなものが広がっていった。
  この異常な事態にも顔色一つ変えぬ工房主に対し、詠唱を終えた司祭が告げる。
「これは我らが神の審判の雷雲。貴方が虚偽の答えを口にしたとき、雷雲は貴方に裁きの雷を落とすでしょう。しかしご安心を。嘘偽りさえなければ、雷雲は貴方に危害を加えることはありません。正直に、自らの潔白を証明なさればよろしいのです」
  なるほど、神の御業による嘘発見器か。あの雲の魔力量からして、雷自体の威力はそこまででもないだろう。だが、相手に与える心理的重圧は相当なものだ。ここは聞かれたことに正直に答えるしかないが…………。
「それでは審問を始めます。例の物をここに」
  司祭が軽く右手を挙げ合図をすると、後ろに控えた騎士の一人が傍らに抱えた袋の中から何かを取り出す。工房主と司祭の対峙するテーブルの中央に置かれたそれは、どうやら短剣のようだった。すぐにテーブルの上に置かれてしまったため、どのような形状をしているかは詳しくは判別できなかったが、少なくとも、その刀身からは濃密な魔力が周囲に発せられている。それが魔法剣に類する物であることは明らかだった。
「これは、先の魔族との戦いで、私共の騎士が戦場から回収してきた物です。小振りながらも実に強力かつ繊細な魔力付与がなされておりまして、いやはや、この剣に魔力を込めた方はさぞや優秀な技術をお持ちなのだとは思うのですが……」
  そこまで口にした司祭の目がすうっと細まる。
「しかし困ったことに、この剣は、なぜか魔族が武器として使用していた物なのです。我々の教義はご存じだとは思いますが、我らは魔族を赦すことは決してありません。それは、魔族に与する人間、魔族に手を貸した人間も同様です」
  そこでふうっと一つ息を吐くと、再び口元に柔和な笑みを浮かべる司祭。
「そこで貴方にお聞きします。この剣は、『貴方が魔力を付与した物』ではありませんか?」
  ……なるほど、嫌な聞き方をする。これが奴らのやり方ということか。
  司祭の笑みの裏にある狡猾さに俺は嫌悪感を覚えるが、同時に商売人としてある意味感心する。
  おそらく、あの剣は工房主が魔力を込めた物だろう。そして、そのことは教団でも既に把握しているはずだ。だが、本当にあの剣を魔族が使っていたのかどうかは分からない。むしろ、教団があの剣をどこからか手に入れ、それを魔族が使っていたと語っているだけの可能性の方が高いだろう。なにせ教団がその真の目的、工房主が魔族と関わり合いがあると証明するのには、あの剣を本当に魔族が使っている必要などないのだから。
  司祭は工房主に、「この剣を魔族に渡した覚えがあるか」ではなく、「魔族が使っていたこの剣に魔力を付与したのは工房主か」という聞き方をした。この問いに対し、工房主が「はい」と答えれば、その時点で司祭は工房主を魔族を幇助する者と断定し、神の名の下粛正という裁きを下すだろう。では、「いいえ」と答えればどうなるか。剣を作ったのが工房主であるのは間違いない以上、その答えを口にすれば工房主は雷に撃たれることになる。そしてそれを見た司祭はこう宣言するだろう。「工房主の証言は虚偽であった。つまり真実はその逆、工房主がこの剣に魔力を付与し魔族に譲り渡したのである」と。
  つまり司祭の問いに対して、工房主がどのように答えても、結末は同じである。工房主は魔族に与する罪人として、審問騎士団に粛正される運命にあるのだ。
  おそらく俺以上に頭の切れる工房主のことだ。このカラクリには当然気が付いていることだろう。
  成り行きを固唾を呑んで見守る中、工房主はしばし沈黙した後に、ゆっくりと口を開く。
「ああ、その剣に魔力を付与したのは儂だ」
  その答えに、司祭の目に嗜虐的な光が灯る。
「ほう、認められるのですね。魔族が使っていたこの剣に、魔力を込めたのが貴方であると。それはつまり、魔族に力を貸しているのと同義語のように思われますが?」
  だが、それに対する工房主の返答は、おそらくは司祭の想像を超えたものだった。
「ああそうだな。儂は魔族にも商品を卸しているからな」
「な……!」
  思わず絶句する司祭達を前に、不機嫌な顔のまま滔々と言葉を続ける工房主。
「幸いなことに、儂の作った品をこの国に攻め込んどる魔王が気に入ってくれていてな。その取り巻きの貴族達からも注文が入るようになって、既に結構な数納めさせてもらっている。それもその中の一本かもしれんな。まあ、奴らは純粋な武具としてではなく、美術工芸品として収集してるようだから、実戦に持ち出すとは思えんが」
  そこまで言うと工房主は「ふん」と鼻を鳴らす。
「こちらとしては評価してくれるんであれば、武具だろうが美術品だろうが構わないが、魔王と繋がりができたことは幸いだったな。奴らは払う金はそれほどでもないが、その代わりに魔軍からは儂に手を出さないことを約束してくれている。奴らは人間と違って契約には忠実だからな。もしこれで人間にしか品を卸してなかったら、逆に魔族に命を狙われていたかもしれん」
  工房主の言うとおりだ。もし彼が人間のみにしか武具を提供していなかったら、彼は魔軍に対する脅威としか判断されず抹殺の対象となっていただろう。だが、彼は魔族にも品物を卸し、その対価として魔王に身の安全を要求してそれを了承された。これは大きい。なぜなら魔軍の傘下にない魔族だったとしても、彼を襲うことは魔王の顔を潰すことになるからだ。工房主はそこまで考えて行動できる頭と度胸、そして常識や倫理に囚われない合理性を持っている。おそらくはあの狂信者どもには理解できないことだろうが……。
「魔王と取引をしたというのか! この外道が!」
  案の定、先程までの丁寧な口調が嘘のような言葉を吐いて激高する司祭。同時に、後方の騎士達が一斉に抜刀する。
  基本的に魔術士は直接戦闘が苦手な者が多い。特に魔術の全てを魔力付与に特化したエンチャンターならなおさらだろう。普通に見ればまさに絶体絶命の状況である。
  だが、俺は多少驚きはしたものの心配はしていなかった。工房主は頭が良い。自分に勝算がない限り、自分の不利になるような発言はしないはずだ。それに、こちらは奴らがやってくる前に事前に遠見玉でその姿を確認している。遅かれ早かれ今のような状況になることは、その時点で判断できたはずだ。
  これらのことから考えられることは一つ。彼があのような発言をしたということは、奴らを撃退するための準備が整ったということだ。
「ふん、斬るつもりだったのなら、余計な問答など挟まずに最初から斬りかかっていればよかったものを。つまらん儀礼なぞに縛られるから、その機を逃すことになる」
  俺の推測が正しかったことを証明するかのように、抜刀した騎士達を前に工房主がいかにもつまらなそうな顔で告げる。
「うっ!?」
  同時に、司祭と騎士達から声が漏れ、奴らは皆体を震わせながら前屈みになっていく。
「確かに儂はエンチャント以外の魔術は不得手だ。だが、エンチャントの腕なら誰にも負けぬと自負しておる。武具に付与する効果も、エンチャントにかかる時間もな。永続的な魔力付与さえ考慮しなければ、そこそこの効果のものならエンチャントするのにそう時間はかからん」
「う、ああ……」
  自分の腕で自分を抱え込むようにしながら、うめき声をあげ続ける司祭達。だが、俺の耳には司祭達のあげる声の声音が徐々に高くなってきているように感じられた。
「お主達がつまらん問答を行っている間に、儂はお主達の身に着けた法衣と鎧に魔力を付与させてもらった。効果は、『着用者を女の体に変える』……それも、男を見るだけで欲情し、股を開かずにはいられない淫靡な娼婦の肉体にな」
「あ、ああ〜!!」
  その言葉で堰が切られたかのように、司祭達の声が完全に女の物へと変わる。髪がぐぐっと伸び、前屈みになった顔を隠していく。おそらくその内では劇的な変化が起こっているのだろう。
「ああ、ついでにその防具もお主達の体の変化に応じて形を変えるようにしておいたぞ。体の形に合わぬ防具を身に着けるのはつらいだろうからな」
  工房主の言葉の通り、苦しむ騎士達の鎧が変化し始める。全身を包んでいた金属がみるみるその面積を減らしていき、柔らかそうな二の腕と太股が露わになっていく。胴体も上下二つに分割し、くびれた腰と臍が顔を出す。上に分かれた鎧は更に面積を減じ、新たに生まれた二つの乳房を守る胸鎧と化す。それも、乳房の下から頂点部分までしかカバーしておらず、上部は完全に露出しているうえ、金属型によって乳房自体が形良く固定され、胸元には見事な谷間が形成されている。それは、人間魔族問わずごく一部の奇特な趣味をした女戦士が愛用する特殊な形状をした鎧……ビキニアーマーの上部に間違いなかった。
  一方、下に分かれた鎧は一般的なビキニアーマーの股間に張り付く下着型の形状にはならず、丈の短いスカート型となった。一瞬、なぜそのような変化をしたのか疑問に思った俺だったが、工房主の言葉を思い出し納得する。これは工房主の合理性の発露の一つだ。通常のビキニアーマーと違い、この形状の鎧でなければできないことがある。それは『性行為』だ。この形状ならば、鎧を脱がさなくともいきなり性行為に及ぶことができる。何だかんだで装備者の貞操を守ることも頭に入れているビキニアーマーとは真逆の発想といえるだろう。まさに淫婦が身に着けるには相応しい装備である。
「あ、ああっ……」
  やがて変化が終わると、テーブルの周囲にいる男は工房主だけとなっていた。周りにいるのは淫らな格好をした女達。彼女達は自らの変わり果てた姿を恥じているのか、それとも男を前にさっそく発情しているのか、一様に顔を赤らめ身をよじらせている。
「き、貴様、こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
  その中で、先程まで司祭だった女が細い眉をつり上げ女の声音で声を張り上げる。この異常な状況の中、闘争心を失っていないのはさすがというべきだが、騎士達と違い法衣を身に纏っていた彼女の姿は、他の女に輪をかけて淫靡な物となっていた。乳首と局部のみを小さな布地で覆い、それを紐で体にくくりつけただけのもはや衣装と呼ぶのもはばかられるような代物。この格好で自分は聖職者だといっても、信じる者は皆無だろう。
「ふん、そもそも最初からただで済ますつもりなど無かったのだろう? さあ、『淫靡なだけの女』になったお主達になにができるのか、見せてもらおうか?」
「っ! 貴様ぁー!」
  工房主の挑発に、激高した女が片手をかざす。おそらくは、そこから神力による魔力弾を放とうとしたのだろうが……。
「…………なぜだ、なぜ神は力をお貸しにならない!」
  手からは何も放たれることはなく、女の口から狼狽の声が漏れる。その前で、呆れたような顔をする工房主。
「やれやれ、その理由にも気付かぬとは、もはや愚かを超えて哀れだな。お主達の教団の教義、男はすべからく聖なる者であり、女はそれを堕落させる悪だったか。果たしてそんな『女』に、お主達の神は力を貸すのかな? そもそも、女が教団に属すること自体、お主達の教団は認めぬのではなかったか?」
「あ、あああああっ!?」
  工房主の指摘に自分達の置かれている状況を理解した女達から動揺と絶望の悲鳴が上がる。
  そう、奴らの立場は完全に反転していた。神の名の元に悪を排斥する選ばれし聖なる者から、排斥される側の存在へと。
  認めがたい現実に、女達のほとんどは悲鳴を上げ、狼狽し、その場に崩れ落ちていく。
  が、その中でも闘志を失わなかったか、それともやぶれかぶれになったのかは分からないが、崩れ落ちた女達の間を縫い工房主に向かって駆ける影があった。
「こ、このーっ!!」
  髪を振り乱して女の身には不釣り合いな大きさの剣を強引に振りかぶり、突進した勢いのまま振り下ろす元騎士の女。対する工房主は身をかわそうともしない。
  次の瞬間、工房内に高い金属音が響き渡った。
  女の振り下ろした剣は、確かに工房主の頭に直撃したように見えた。だが、その剣は彼の体に触れる寸前で何か不可視の物に阻まれ、金属音とともに大きく弾かれたのだ。
  剣は女の手を離れクルクルと宙を舞った後に床へと突き刺さり、女はバランスを崩して工房主の前で尻餅をつく。その姿を見下ろしながら、何事もなかったかのように表情を変えず女に告げる工房主。
「無駄だ。お主達は儂に傷をつけることはできない。儂の服には特殊な魔力付与が施されている。『元男だった者からの攻撃に対して無敵』というな」
「…………!」
 その内容に驚きを隠せぬ女達。それはそうだ。ある特定の攻撃に対し格段の耐性を見せる魔法具はあるが、無敵という域まで達した物は神が自ら造った神具以外にはほぼ存在しない。が、そのほぼあり得ないような物を造り出すのが工房主であり、それが魔王さえも彼の腕を認める所以なのだ。もちろん、そうした品は一般には流通せず、勇者の中でも大勇者と称される者か魔王もしくはそれに並ぶ力を持つ貴族しか所有していないはずだ。そのことを奴らが知らないのも致し方ないところだろう。
  ただし、神ならぬ者が造り出す物の宿命というべきか、絶大な力を持つ彼の造る魔法具にもまた欠点があった。特殊な耐性が無敵に近づけば近づくほど、彼の魔法具には致命的ともいえる欠陥が浮かび上がってくるのだ。おそらく今工房主が身に着けている服も……。
「ただし、逆に『元女だった者の攻撃』を受けた場合は、触れただけで致命傷になってしまうがな。まあ、そんな奴がこの世にごろごろいるはずもないが」
  やはりそうか。彼の特殊な魔力付与は、強化と弱体化の二つがセットになっている。ある特定の要素を強化した場合、その逆の要素についてはその分弱体化するのだ。今回の場合、元男の攻撃はまったく通さないが、その逆の存在である元女の攻撃は威力が極限まで増大されるという形になっている。長所と短所を足すとちょうどゼロになるイメージで考えるのが一番理解しやすいだろうか。この特性のため、工房主が本気で魔力を込めた魔法具はみなピーキーな性能となっている。これを普段の戦闘で使いこなすとしたら、やはり勇者か魔王くらいの力量がなければ難しいだろう。もちろん、時と場所、そして相手を選べば、そのような使い手でなくとも圧倒的優位に立つことも可能だろうが。例えば、今の工房主のように。
「ふん、そういえば伝えそびれていたが、お主達の防具、それにも一応の属性強化は施してある。お主達の防具は、物理的な魔法攻撃に対して非常に高い防御力を有しておる。……もっとも、その分精神的な魔法攻撃に対しては極端に弱くなっているがな。それでも儂程度の使い手では抵抗もできるかもしれんが、本格的な魔の使い手となれば、お主達はなす術もないだろう」
  …………なるほど、そういうことか。
  言い終わると横目でちらりとこちらに視線を送ってくる工房主。その意図を察した俺は、やれやれとひとつ息を吐くと、隠れていた戸棚からゆっくりと外に出る。
「!!」
  次の瞬間、驚愕に目を見開く女達。
  まあ、その反応も致し方ないところだろう。蝙蝠のような翼を持った肌の青い男がいきなり戸棚の中から姿を現したら、驚かない方が無理というものだ。もちろん、彼女達は俺のことを人間とは思っていないだろう。当然こう理解したはずだ。魔族……それも上級魔族と。
  だが、俺はそんな彼女達と戯れるつもりは毛頭無かった。彼女達が我に返りこちらに剣を向けてくる前に、俺は彼女達に向け片手をあげる。
  たったそれだけで、彼女達は糸の切れた操り人形のようにバタバタと床へと崩れ落ちていった。
  なるほど、確かに精神的な魔法攻撃に対する耐性は無いに等しいな。
  その光景に俺は工房主の説明が正しかったことを実感する。
  俺が使ったのは、初歩的な眠りの魔法、それも詠唱を省略した精度よりも速さを重視したものだ。それでも魔力の桁が人間とは段違いなため、駆け出しの冒険者ぐらいになら術はかかるだろうが、さすがに教団に属する司祭や騎士のように日課として精神修練を積んでいるような者相手にはおいそれとかかるような物ではない。それがこうもあっさりと決まるとは、よっぽどあの防具には着用者の精神耐性を弱める効果があるのだろう。その分、物理的魔法攻撃には相当の強さを持っているのだろうが。
  ともあれ、闖入者が沈黙し、再び動けるのは二人だけとなった工房内で、俺は工房主に対し皮肉混じりの笑みを向ける。
「やれやれ、来客、それも商人に対してただ働きをさせるとは、貴方も意地が悪いですな」
  そう、俺は魔族、それも貴族に位置づけられるそこそこの力を持つ存在ではあるが、それよりも前に、そこに商機があるのならどのような種族とも商いを行う商人だった。自分で言うのも何だが魔族の中でもかなりの変わり者といえるだろう。
  だが、その分普通の魔族よりも相当顔は利き、ここの工房主はもちろん、人間国家の某国王や妖精族、そして魔軍率いる魔王とも直接取引をさせてもらっている。今回も、魔王から発注を受けた新たな魔法具について、工房主と必要な素材と経費、そして報酬について詰めていたところに、件の招かれざる客がやってきたのだった。
「ふん、ただ働きというわけでもないだろろう。お前さんに引き取ってもらう物がここにできた訳だからな。『聖職者が呪いで変じた生娘』…………お主の顧客の中には高く買ってくれる者もおるだろう?」
「…………なるほど、そういうことですか。で、いかほど譲っていただけるので?」
「なに、全てくれてやるさ。ここで何人か残しても自決するのが関の山だからな。後かたづけが面倒でかなわん」
  相変わらず不機嫌そうな顔で鼻を鳴らす工房主。だが、これだけの質と数の『商品』となると、さすがに先ほどの行動の対価でというのは商人とはいえ気が引ける。
「それで、対価はいかほどお支払いすればよろしいので?」
「ふん、金などいらんわ。…………だが、それではお主が気が済まんというのであれば、そうだな、金の代わりに早急に人手を用意してもらおうか。ここから別の場所へと荷を運ぶのに適した、頑強な者達をな。なに、ちゃんと働いてくれさえすれば、別に人間でなくとも良い。物を壊さぬという保証があるのであれば、ゴーレムでも構わんぞ」
  …………やれやれ、そういうことか。本当に頭のよく回るお方だ。
  その言葉から工房主の考えを察した俺は、内心肩をすくませる。
  今回はなんとかなったが、司祭達を返り討ちにした以上、工房主と教団との間の対立は決定的な物になった。数日しても司祭達が戻らなければ、教団は今度は工房主討伐のための本格的な実戦部隊を送り込んでくることだろう。その前にこの工房を引き払おうというのだ。
  その口調からして、工房主は移転先を既に用意してあるのだろう。抜け目ない彼のことだ、遅かれ早かれこのような事態になることは予測していたに違いない。だが、この工房にある物を全て運び出すとなると、相応の人手がいる。最悪、物はここに残したまま身一つで移動するつもりだったのだろうが、たまたまこの場には俺がいた。そこで、俺に『商品』を売りつけ、その対価として人手を用意させることにしたのだろう。つまり、司祭達を女と化したのは、奴らから神の加護を失わせるためだけではなく、ここまで見込んでの行動だったというわけだ。
  さすがにこれだけの相手を前に事前に策も練らずに値引きだ何だの交渉をするのは分が悪い。
「分かりました。我が血族の名にかけて、一両日中にはこの工房の荷を全て一度に運べるだけの者を用意することをお約束しましょう」
「ふん、契約成立だな。頼んだぞ」
「お任せを。魔族は契約には誠実ですので」
  俺は無愛想な工房主に向かい恭しく一礼すると、空に向かってぱちんと指を鳴らす。
  合図に工房の上空を旋回していた商品運搬の足代わりに使役している飛竜が舞い降りてくるのを窓越しに見ながら、俺は頭を切り換えて、工房主から買い受けた足下に倒れ伏す『商品』をどうするかを考え始めていた。
  彼女達にかけた魔法の眠りは、一度かかってしまえば丸一日は何があろうと決して目を覚まさない代物だ。これなら飛竜にくくりつけて運んだとしても何ら支障はないだろう。問題は、これをどこに卸すかだ。魔法で洗脳した上で馴染みの娼館に売り飛ばすというのが一番簡単ではあるが、この商品には『神に仕える者が呪いで娼婦に体を変えられた』という付加価値がある。あえて洗脳はせずに自死のみを制約の魔法で禁じ、愛玩動物として販売すれば、嗜虐趣味のある貴族達なら大枚はたいてでも手に入れようとするだろう。あるいは贄として売りさばくか。工房主の話からすると、女達は娼婦の肉体でありながらも、全員が生娘のはずだ。聖職者またはそれに類する者の魂を持つ生娘となれば、生贄としては最上級である。暗黒儀式を執り行う者ならば喉から手が出るくらい欲しい逸品だろう。だがしかし、これだけの上玉、男の相手をさせずに贄として使い捨てるというのもなんだか惜しい気がするが……。
  何人かの顧客の顔を思い浮かべながら、俺は買い取った『商品』を全て飛竜へと縛り付けると、翼を広げ共に空へと舞い上がるのだった。



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