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エレベーターの怪
作:高居空
ふう、何とか間に合った……。
僕はビルの中に駆け込むと大きく息をついた。
時計の針は2時50分を指している。電車が遅れたのには焦ったけど、何とか3時の面接時間には間に合いそうだ。
僕はカバンから取り出したタオルで汗を拭きつつ、大きく深呼吸して呼吸を整える。
今度の面接試験は僕、佐藤祐太にとって新卒で社会人になれる最後のチャンスだった。正直、ここの会社がどんな事をやっているかというのはホームページに載ってるくらいの事しか知らないし、男性のみの募集というところから見ると結構体力が必要な仕事のかもしれない。だけど、これまでの就職活動でことごとく惨敗して無職状態という地獄を覚悟していた僕にとって、3月も末になっての新卒の求人というのは天から下ろされた蜘蛛の糸のような物だった。
中身もよく知らないような仕事に飛びつくのかと言われるかも知れないけど、世の中は履歴書に空白の期間があるような人間を積極的に採用するほど甘くはないと思う。特に僕みたいな新卒扱いの就職活動で惨敗続きの人間がハンディを背負って就職戦線を勝ち抜けるかといったら、自分でも首を傾げる。とにかく、僕はこのチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
僕はもう一度念入りにタオルで額の汗をぬぐい取る。
とにかく僕は汗っかきだ。何かをするたびにすぐに汗が吹き出てくる。しかも自分で言うのもなんだが凄いデブ。100キロを超えたデブが汗をダラダラ垂らしてるところなんか見られたら第一印象からして大マイナスだ。
もっとも、緊張するだけで汗が出てくるから面接試験が終わることには大抵汗まみれになってたりするのだけれど。筆記試験の成績は良いのに面接で落とされまくっているのはきっとそのせいだろう。とにかく今日は緊張しないように平常心を心がけないと。うん、平常心、平常心……。
そんなことを考えながら僕はエレベーターホールへと歩を進める。
建物の一番奥にあったそのホールには、どこのビルにもあるようなエレベーターの扉と、今回の試験の受験者と思われる十数人のリクルートスーツ姿があった。
……って、あれ?
僕はそこに何とも言えない違和感を感じた。ここにいる人達の何人かは見覚えがある。駅を降りてからここに来るまでの間に僕のことを追い越していった人達だ。それから後にリクルートスーツ姿の人間は見かけなかったから、その他の人達は僕より前の電車でやってきた受験生だろう。
だというのに、この人達は試験会場である17階に向かわずにここで突っ立っている。これは明らかにおかしい。試験会場に早く着くことに得はあっても損はなにもないはずだ。よく見ると、その顔には一様に困惑の表情が浮かんでいる。……何かトラブルでもあったのかな?
僕は彼らの後につくような感じでホールに入り……そしてそこに掲げられた看板の内容に思わず目を疑った。
ホールにあるエレベーターの扉は2つ。それ自体はありふれたものだけど、その扉の上には大きな看板が掲げられていた。そこには太文字で大きく「男性用」「女性用」とそれぞれ書かれている。
なんだ、これ? トイレなら分かるけどエレベーターに男性用、女性用なんてあるのか?
そしてもう一つ、僕の目を点にしたのは「男性用」と書かれた扉の前に置かれている看板だった。頭を下げる男性の絵と一緒に「只今点検作業中」の文字が躍っている。
うわ、マジですか? 僕は予想外の事態に一気に汗が噴き出てくるのを感じた。確かにこれは困る。今回の試験会場は17階の会議室。だというのにエレベーターが故障していては階段で登っていくしかない。いくしかないんだけど……駄目だ、絶対無理。100キロ以上の重りを抱えた僕に17階なんてたどり着ける訳がない。
しかも時計を見ると試験開始時間の3時まであと5分しかない。
これじゃ奇跡的にたどり着けたとしても間違いなく息は絶え絶え、汗も噴水状態だ。そんな状態で面接に臨んだって結果は見えている。う〜ん、これは…………。
その時、困惑する僕達の前でチンという音がする。
言うまでもなく、エレベーターが到着した音だ。静かにその扉が開く。もちろん、点検中の男性用エレベーターではなく女性用の方。見るとそのエレベーターの中には誰も乗っていなかった。上の階でも利用者がいないのか、扉も開きっぱなしになっている。僕にはなんとなくそれが、僕達が乗り込むのを今か今かと待っているかのように見えた。
「…………乗っちゃいましょうか?」
誰ともなしにそんな声があがる。
うん、確かにそれしかない。本来ならルール違反ということで面接で減点になる行為かもしれないけれど、背に腹は代えられない。それに、僕一人だったらともかくこれだけの人数が乗っていれば言い訳もきくだろうし。よし、乗っちゃおう。
そう自分の中で結論を出して顔を上げたとき、エレベーターの扉は今にも閉まろうとしていた。うわ! 重量オーバーになると困るからって僕だけ置いてく気か!?
「すいません! 僕も乗ります!!」
僕は大声を上げながらエレベーターの中へと飛び込んだ。
満員に近い室内に無理矢理身体を押し込む。定員オーバーのブザーは……よし、鳴らない! 狭いからなのか汗にぬれた僕が嫌なのか、僕のことを押し出そうとする力に全力で抵抗しているうちに、エレベーターの扉が音もなく閉まる。
ふう、なんとか助かった。
僕が安堵のため息をついたのもつかの間、ガクンという音をともにエレベーターが上昇を開始した。やけにゆっくりと、しかもミシミシと軋み音を発しながら昇っていくそれに、僕の中で段々と不安が高まっていく。
大丈夫なのかこれ? もしかして、本当は重量オーバーなんじゃ……。
そう思った次の瞬間、今度は室内の明かりがパシンと落ちる。一気に真っ暗になる室内。だが、驚きの声を発する間もなく僕は自分の意識が急速に薄れていくのを感じた。それはまるで眠りへと誘われるような感覚。自分に何が起きたのかも分からぬまま、僕の意識は急速に闇へと落ちていった……。
チン!
エレベーターが発した高い音に、僕はハッと目を覚ました。
目の前には開いた扉。どうやら僕の意識がとんでいる間にエレベーターは17階へと到着していたらしい。
何だったんだろう、今のは? 僕は疑問、というより何か全身にうすら寒いものを感じながらも外へと足を踏み出そうとする。エレベーターに乗り込んだのは僕が一番最後。ということは降りる時には逆に僕が最初に降りないと、横幅の件もあって後ろの人達は外に出られない。
そうして足を一歩外へと踏み出したとき。
僕は目に飛び込んできた自分の足の映像に、その場で凍り付いてしまった。
何だ……これ!?
思わず我が目を疑う。僕の視線の先にあったもの。それは、ローファーの靴と黒いハイソックスに包まれた細い足、そして剥き出しになったむだ毛一つない太ももだったのだ。
「!!!?」
視線を少しだけ上にあげると、さらに信じられない物が僕の目に映し出される。
そこにあったのは赤と紺のチェックの模様の入ったミニスカートだった。その胴回りは本来の僕の半分ぐらいの太さしかない。そして、今の僕の身体はそのサイズにすっぽりと収まってしまっていた。当然、身につけていたはずの4Lサイズのズボンはどこかへと消え去ってしまっている。
更に上に目を移すとやたらに小さく感じる深緑色のブレザーがあり、そこから清潔感のある白いシャツが覗いている。そして、その胸の部分を押し上げる2つのふくらみ。信じられないくらいしぼんでしまった僕の身体の中で、その部分だけが前の大きさを残しているようだった。だが、その形、張りとも以前の僕のものとは大きく異なっている。ネクタイの代わりにつけられた赤いリボンの先が、その上にちょこんと乗っかっていた。
「あっ……ああああああ!?」
信じられないような高い声で悲鳴を上げながら、僕は反射的にスカートの上から足の付け根部分を押さえつけていた。白く細長い指からは、しかし本来そこになくてはいけない物の感覚がまったく感じられない。
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
続けて後ろの方から甲高い少女の悲鳴が響く。
振り返るとそこには色とりどりの制服に身を包んだ女子高生達の姿があった。セーラー服、ブレザー……着ている物は様々だけど、掛け値なしの美少女達。それが、可愛らしい顔が台無しになるほど半狂乱になりながら、自分の胸や股間を必死になってまさぐっている。自分もその中の一人なのだということに気付いて、僕は愕然としたままその場で固まってしまった。
「あらあら、エレベーターを使っちゃったんですね」
しばらく茫然自失状態に陥っていた僕。それを現実へと引き戻したのは、肩越しにかけられた女性の声だった。
「えっ……」
振り返ると、そこにはスーツにタイトスカート姿の若い女性社員が立っていた。おそらくここの会社の社員、それも今回の試験に関係してる人なのだろう。ショートカットの似合うその顔には、にこやかな笑みが浮かんでいる。
「あらあら、それにしても皆さん可愛らしい女の子になっちゃって。特にその大きな胸とか同世代の子が羨ましがりますよ」
「な、何なんですかこれは!?」
反射的に僕は胸を両腕で隠しながら女性社員へと詰め寄る。態度や言葉からして、彼女は僕達に起こった事について何かを知っているに違いない。
女性社員は僕の剣幕にも全く怯むことなく……もっとも今の自分の顔に迫力があるのかは疑問だけど……相変わらず口元に笑みを浮かべたまま柔らかい声で答える。
「ああ、これはですね、ほら、ここのエレベーターには女性用とあるでしょう?」
「ええ……」
「実はこれ、呪いのエレベーターなんです」
そう言って人差し指を立てながらにっこりと微笑む女性社員。
「このエレベーター、女性が乗る分には問題はないんですけど、男の人が乗ると降りるときにはみんな美人の女性に変わってしまうんです。ですからら女性専用ということで男性が乗らないようにしてたんですけど……。
あと、このエレベーターに乗った男性は女性に変わるだけでなく、年齢まで変わってしまいます。具体的には乗り込んだときに指定した階、それから1を引いた数字の歳になるみたいです。ここは17階ですから、皆さんはちょうど16歳の女子高生になってしまったというわけですね」
「なんだそりゃ!?」
彼女の説明に後ろから可愛らしい声には似つかわしくない怒号が飛ぶ。それはそうだろう。この女性社員が言っているのは常識的に見たらただの毒電波だ。同じ話を街中でしたとしても生暖かい視線を浴びるだけだろう。だけど今、僕達の身に起こっているのも到底常識では説明のつかない事。なら、この人の言ってることも電波と一言で片づけることはできないんじゃないだろうか……?
そんな事を考えている間にも、女性社員は殺気立つ女子高生達の視線もどこ吹く風といった感じで、マイペースで説明を続けていた。
「更にこのエレベーターの呪いの凄いところはですね。皆さんのその姿が元からそうであったというように、世の中そのものまで変えてしまう力があることなんです。皆さん今回の試験の参加資格は要普通免許となってますから、当然免許証はお持ちですよね」
言われてボクは背広のポケット……今はブレザーに変わってしまっているけど……に入れたはずの免許証を取り出してみる。
「えっ……!?」
だけど、カード入れに入っていたのは見慣れた免許証ではなく、ショートカットの似合う活発そうな女の子の写真が貼られた証明証……それは制服が可愛いことで知られている女子校の学生証だった。氏名の欄にはボクの名前、佐藤祐太に似た「佐藤祐実」という名前が書かれている。もしかして、これが今の……ボク……なの……?
「ご覧の通り、既に皆さんはこの世界で女子高生として存在していることになっているんですよ。ああ、今から女子高生として生きられるかとかの心配は不要です。すぐに皆さんの内面も外見にふさわしいものに変わりますし、今までの記憶に上書きして女性として16年間生きてきた記憶が形成されますから」
「そ、そんなの嫌! 元に戻して!!」
女性社員の言葉を証明するかのように、いつの間にか後ろから聞こえる悲鳴も女言葉へと変わっていた。ひょっとしてボク達、このまま身も心も女の子になっちゃうの……?
「ああ、大丈夫です。元に戻りたいというのなら、ちゃんと方法がありますよ」
だが、女性社員はボク達の不安を取り除くように再び人差し指を立てて微笑んだ。
「この男性用のエレベーター。このエレベーターに1階から乗り込めば元に戻れます。ただし、男性としての記憶が消えて完全に女の子になってしまってからでは元の姿に戻れませんから注意して下さいね。ちょうど今、エレベーターの点検も終わったと連絡がありましたから、急いだ方がよろしいですよ」
そう言って女性社員はニッコリと笑みを浮かべる。良かった。ちゃんと戻れる方法があるんだ。なら、とにかく一刻も早く1階に戻らないと……??
そう思ってエレベーターに回れ右をした時、ボクは何か頭にひっかかるものを感じた。なんだろう、これ。女の勘、というものなのかも知れないけど、何かがすっきりしない。まるでテストの引っかけ問題を解いている時と同じような、何かを見落としているような感覚…………。
しばし目を閉じて、ボクはこれまであったこと、女性社員が説明したことを反芻する。…………あっ、もしかして……!
「って、ああ!?」
でも、ボクが引っかかりの理由に気付いて顔を上げた時には、既に目の前のエレベーターの扉はほとんど閉まりかけていた。うわ! 間に合わない!?
「ちょっと、ちょっと待って!!」
だけど、叫びもむなしくエレベーターの扉はボクを残して無情にも閉じ……他の子達も元に戻りたくて必死だからしかたないのかもしれないけど……女子高生達を詰め込んだエレベーターは1階に向けて動き始めてしまった。
「あらあら、置いてかれちゃいましたね」
扉を見つめるボク。その肩越しに女性社員は同情したかのような声で話しかけてきた。
「……いえ、いいんです」
ボクはその声に振り返ることなく、扉の脇にある階段へと足を向ける。
「元からボクはあのエレベーターに乗るつもりはなかったですから。本当はみんなも止めたかったんですけど」
「あらあら、どうしてですか?」
心底不思議だといった声を出す女性社員。だけどボクには分かっていた。彼女はとっくにその答えを知っている。そして今ボクに尋ねているのは、数学のテストで正解した生徒に対してどういう数式を使ったのかを尋ねる教師と同じなのだということを。
「……貴方はこのエレベーターを男の人が乗ると女の子になってしまう呪いのエレベーターと言いましたよね」
「ええ、私は嘘は一言も言っていませんよ」
彼女の声を背にボクは階段の前で一回屈伸運動をする。
「そして、こうも言いましたよね。元に戻るには、完全な女の子になる前に男性用のエレベーターに乗らなきゃならないと。ということは姿はこんなになっちゃいましたけど、男としての記憶が消えるまではボクは完全な女の子じゃないってことです。だとすると、今でもボクは男性扱いにもなるってことですよね」
「ええ、その通りです」
「……ということは、このエレベーターの呪いはまだ生きてますよね。確か、年齢は乗ったときに指定した階マイナス1になる……でしたっけ」
「…………」
女性社員は何も答えない。だがボクには予想できた。彼女は今、にんまりと悪魔のような笑みを浮かべているに違いないということを。
ボクはそれを確認せずに……確認したくもなかったからだけど……弾かれたように飛び出すと、一気に階段を駆け下りはじめた。
とにかく急いで1階までいかないと。罠にはまらなかったからと喜んでいてタイムオーバーになったら目も当てられない。
……それにしても、以前のボクの身体では感じたことのないこの躍動感……まるで身体に羽が生えたかのような感覚だ。うん、これならきっと完全に女の子になる前に1階にたどりつけるよね。ただ、身体の上下に合わせて大きな胸が揺れるたびに、何だかボクの心の中にある男の部分がグラグラとぐらついていくような気がするのが気がかりだけど……。
うん、胸の動きを極力意識しないようにするためにも、何か他のことを考えよう。そうだ、あの女性社員のこととかいいかもしれない。
あの女性社員、あれって本当に悪魔みたいな女だよね。決して嘘はつかないし、判りにくい形でヒントも入れてはいるけれど、言葉巧みに相手が自分から崖下に転落するように誘導してる。
多分、男性用のエレベーターが点検中だったのもあの女の仕業だよ。もしかしたら、男性限定という今回の採用条件や、エレベーターにかかった呪いなんかもあの女の手によるものだったりして……って、そこまでできたら本物の悪魔だね……。
そんなことを考えているうちに、眼下の廊下には8という文字が見えてきた。ようやく8階、半分通過。いくら身体が軽くなったとはいえ、さすがにスパッと駆け抜けるとまではいかないみたい。だけどボクも陸上部の端くれ、雨の日の練習メニューで階段ダッシュはお手の物なんだから……って何? この記憶!?
ボクは背中に冷たい物が走るのを感じた。体中から体温調節とは違う嫌な汗が噴き出してくる。
なんだか……ボクが思ってたよりも早く記憶の改ざんが始まってるみたい。まさか、こんなに早く最終段階に入るなんて…………ひょっとして、あのとき女性社員がボクにエレベーターに乗らなかったのを尋ねた本当の理由は、このための時間稼ぎだったんじゃ!?
ボクは疲れた足に鞭打つようにスピードを上げる。本当なら一段抜かしで降りたいところだけど、疲労がたまりつつある足では段を踏み外す危険性があるからそうもいかない。……よし、5階も通過、ゴールまでもう少し!
それにしても……こういう時ミニスカートっていうのは困りものだよね。全力で走っているから手で押さえて、なんてできないし、何とかならないのかな? まったく、下から誰かが来たらなんて考えただけで何だか変な汗がでてきちゃう。……こんな日に限って、思わずこの前興味本位で買っちゃった縞パンなんて穿いてきちゃってるし……。これで学校内に「祐実って男なんか知らないって言っときながらホントは結構大胆なんだよ」なんて噂が立っちゃったら困っちゃうよ……って、あれ? 何かおかしいような……。
ボクは首をひねりつつもそのまま駆け続ける。まあ、思い出せないってことはそんなに大事な事じゃないってことだよね。それより一刻も早くゴールに向かわないと。ボクはラストスパートとばかりに速度を上げる。一気に2階を通過し、幸いにも誰にも出会わないまま1階へと到着〜。
……あれ? そういえば、ゴールに到着したはいいけれど、これから何をするんだっけ? ……え〜っと、う〜んっと、確か…………あっ、そうそう、エレベーターで上に上がるんだった。
…………って、何で上にいかなきゃならないんだろ? というか、そもそも何でボクこんな知らないビルの中にいるのかな?
う〜ん、ま、いっか。とにかく上に上がれば思い出すよね。
あれ、ここのエレベーターって、男子と女子で分かれてるんだ。へ〜、珍し〜。
もちろんボクは女の子だから女性用のエレベーターっと。何となく男性用のに乗ってみたい気もするけれど……うん、やっぱりルールは守らないとね。
上へのボタンを押したボクの前で、待っていたかのように女性用のエレベーターはその扉を開いたのだった……。
チン!
エレベーターが停止し、ベルの音と共に静かに扉が開く。それと同時にボクの耳にはさっきの女性社員の声が飛び込んできた。
『あらあら、最後でうまくいきませんでしたか』
その声にボクはすぐにエレベーターを降りてエレベーターホールから続く通路を見渡した。だけど、その通路にはどこにも彼女の姿は見あたらない。信じられないことだけど……といっても、さっきからずっと信じられない現象ばっかり起こってるけど……どうやらこの声は、直接ボクの頭へと届いているみたいだった。
『1階に着いたときには貴女は完全に女の子になっていたはずなんですが……どうして女性用のエレベーターを使わずに男性用のエレベーターを利用されたんですか?』
先程の演技の声とは違い、本当に心底不思議だといった声。
それに対してボクはため息混じりに答える。
「そりゃ、さすがに扉が開いたら中に赤ちゃんがいっぱい転がってました、なんて光景見せられたら誰だってそのエレベーターは不気味で使いたくなくなるよね」
『……なるほど、確かにそう言われればそうですね。気がつきませんでした。
せっかく男達、少女達の絶望の思念に無垢なる赤子の魂、それに加えて純潔の乙女の魂を総取りできるチャンスだったんですが……。やはり、面倒だからと一気に片づけようとしないで、先に赤子の方をいただいておくべきでしたか』
そう言って残念がる女性社員……いや、もう悪魔と言い切っちゃって構わないだろう。
その悪魔に向かって、今度はボクが問いかける。
「それで質問は終わり? じゃ、今度はボクの質問に答えてよね。
貴女は自分で嘘はついていないって言っていたけど、それじゃどうしてボクは男性用のエレベーターに乗ったのに元の姿に戻ってないの?」
誰もいない天井に向かって声を投げかけながら、ボクは自分の身体を叩く。そう、ボクの身体は相変わらず女の子のままだった。それどころか、内面的にも佐藤祐太の記憶は戻ってきたけど、同時に頭の中には佐藤祐実の記憶が残っている。自分ではよく分からないけど、性格も佐藤祐実の方が強くなってるんじゃないだろうか。男性用のエレベーターに乗れば元に戻れると言ってたのにこれじゃ詐欺だよ。いや、悪魔にそんなこと言ってもしかたないのかもしれないけど。
『あら、それなら説明しましたよ? 完全に女の子になったら元の姿に戻れないって。貴女は一度完全に女の子になってますから、男性用のエレベーターに乗っても男の姿に戻らなかったんです。それでも精神的には少し戻ったんですから良かったじゃないですか』
いや、この中途半端に戻るっていうのが一番困るんですけど。どうしても胸とかスカートとか意識しちゃうし、これなら完全に女の子になってた方がまだマシだよ。
『あらあら残念。でも、私としてはこの方が面白いんですが』
うるさい、この悪魔。
『ふふっ、でも、考えようによっては貴女はすごくついてるんですよ。100キロオーバーの巨体で多汗症の無職男と健康的な汗を流すスポーツ美少女、一般的な目でどっちの方が良いかっていったら決まってるでしょう? それに、今回の就職活動の経験があれば、将来就職活動をする時には失敗を生かせますよ』
う、確かにそう言われるとそうだけど……。いや、こんな言葉に惑わされちゃいけない。ボクはやっぱり元の姿が好きだ!
『あらあら、そんなに元の身体が好きなんですか。それなら特別サービスです』
その声が響いた瞬間、ボクは身体をビクン、と震わせる。
なにかボクの中の大切なものを握られたような感触が走り、続いてそれがふたつにねじ切られるのを身体全体で感じる。
「いやああああああ……っ!!」
その不快感、そして大切な物の半分を奪い取られた喪失感に思わず口から悲鳴がほとばしる。
『ふふっ、悲鳴をあげるほど辛かったですか。ですけど、これは特別サービスにどうしても必要な物ですから我慢して下さいね。きっと、このサービスには貴女も満足していただけるはずですから……さあ、準備ができました。これでどうですか?』
そんな彼女の声と共にチーンとベルの音が鳴り響き、呪われた女性用エレベーターの扉が開く。
そして、そこから降りてきた人影にボクは思わず声を失った。
こっ、これって……本当のボクじゃない!?
『ふふっ、貴女は自分の身体が好きだったみたいですから、「彼」をプレゼントしますよ。この「佐藤祐太」君、「彼」の魂は貴女から切り離した魂を使ってますから、正真正銘の本物です。もっとも、貴女が最初にエレベーターに乗り込む前までの記憶しか持っていませんが』
そう言って悪魔はその名にふさわしい笑い声をあげる。
『ちなみに「彼」と貴女との関係は恋人同士ということになっています。ふふふっ、さあ、思う存分貴女の大好きな身体を愛してあげて下さいね』
ええっ! ボクが男のボクを愛すって事は……それってボク自身にボクが愛されるって事で……。
混乱するボクの頭。だけど、ボクの身体の方はそんなことは関係なく反応し始めていた。胸がドキドキしてきて、顔がどんどん赤くなっていくのが分かる。
『さあ、試験に臨む彼氏に激励の言葉をかけてあげないと』
ささやくような悪魔の言葉に身体から伝わる刺激で頭の中をかき回されつつあったボクは思わず口を開いてしまう。
「え、あの、その……がっ、頑張って。ボク、応援してるから」
そんなボクの声に「彼」はにっこりと微笑むと、
「うん、頑張るよ。これまでは緊張して汗まみれになっちゃってたけど、今日は祐実ちゃんっていう勝利の女神がついてるから大丈夫。必ず合格してちゃんとした社会人になってみせるから」
そう言ってボクの額にそっと口づけした。
一気にボクの顔に血が昇り、身体から汗が噴き出してくる。
「それと、もし合格したら、なんだけど……その……今までやったことのないこの続き、しても……いいかな……」
え、この続きっていうと……もしかしてボクがボクに色々されちゃうってこと!? そ、そんなのって……!!
だけど、ボクの口はボクの意志とは関係なく言葉を発していた。頭の中に悪魔の笑い声が響き渡る。
「うん、いいよ。ボクからのご褒美ってことで♪」
ああっ、そんな…………絶望するボクの心とは裏腹に、身体の方は確実に興奮してきてる。
これからボク、どうなっちゃうの!? 悪魔の笑い声が響き続ける中、ボクは呪いのエレベーターの前で呆然と立ちつくしていた……。
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