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竜虎相打つ!
作:高居空


  気が付くと、俺はどこかで見たことのあるような場所に立っていた。
  辺りは見渡す限りの竹林。だが、そこに生えている竹はどこか現実離れしており、まるで日本画に描かれている竹のような印象を受ける。
  やはり、この光景は見覚えがある。あれはそう、2年前の寅年の初夢だったか。確かあのときはこの後に……
  と、そこまで思い出したところで、『グルルルゥ……』という唸り声とともに、竹と竹の間から一匹の虎が顔を出す。
  屏風絵から飛び出てきたかのように、大きな目とニヤリとした口元をした、現実の虎とは大きく異なるデフォルメチックな顔つきをしたその虎は、間違いない、あの時の初夢に出てきた虎だった。
  だが何故だ?
  今居るのが何でも有りな夢の世界だと認識しつつも、それでも俺は疑問を覚える。
  あの時の夢の記憶はおぼろげで、特にこの後の展開は靄がかかっているが、確か、この虎が夢に出てきたのはあれが寅年だったのが原因だったはずだ。今年は辰年。虎が出てくる道理はないはずだ。
  が、その疑問は、虎がのそりとその全身を現したことで、一気に霧消した。
  虎は、人間の服を着ていた。
  白地に黒い縦縞の入った、野球ファンなら誰もが一度は目にしたことのあるデザイン。
  そう、虎の着ている服は、昨年日本一になった関西圏にあるプロ野球チームのユニフォームだったのだ。
  威風堂々としたその佇まいに、不随意に後ずさる俺。
  何を隠そう、俺の応援する野球チームは、優勝したそのチームと同じリーグに属する中部地方のチームだった。そう、今年の干支である竜をチーム名にもつ球団である。そして我がチームは昨年、リーグ最下位という屈辱を味わっていた。いや、一昨年も最下位だったので2年連続か。ともかく、そんな俺が優勝チームのユニフォームを纏った虎に気後れするのも当然といえるだろう。
  そんな俺を見て、元々にやりとした笑みを浮かべていたその口元をさらに歪ませる虎。それは、明らかに挑発的な嗤いだった。
  口角を吊り上げたまま、虎は突然がばっと身を起こし、まるで人間のように二本の脚で大地に立つ。
  そのままの姿勢で、俺に向かって右腕をかざす虎。その手には、いつの間にか白い球体が握られていた。間違いない。それは硬式の野球ボールだった。
  うっ、痛いところを……。
  その行為に、古傷をえぐられたような感覚を覚える俺。
  そう、昨年の我がチームはとにかく打てなかった。どうしようもなく打てなかった。どれだけ打てなかったかというと、指揮官が「打てないのは米を食っているからだ!」と血迷った思考に陥るくらいに打てなかったのだ。そして、その指揮官の指示で実際に選手の食事に米が提供されなくなるという、正気を疑う事態まで発生している。
  そんな俺を見ながら、更に笑みを深める虎。
  分かる。これは嘲りだ。ダメ竜が日本一に輝いた虎の球を打てるものかと嘲笑っているのだ。
  そのことに思い至った俺は、心の中で痛みを上回る何かが燃え上がるのを感じた。
  ああ、確かに去年は打てなかったさ。だが、今年は違う。辰年の今年、我が竜は必ずお前を打ち倒して見せる! うおおお! 燃えよ、竜ズ!
  脳裏で球場よろしく球団の応援歌が木霊する中、俺は虎の視線を真っ向から受け止める。
  が、そこで俺は気が付いた。俺はあの虎の投げる球を打ち返すバットを持っていないことに。
『バットが必要なのですね。でしたら、作って差し上げましょう。ただし、対価はいただきますよ。夢の中とはいえ、完全なる無から有は生み出せない故。何かを作り出すには、その品に類似性のある何かを捧げて頂かなければなりません』
  と、そこでやはりどこかで聞いたような声が響くとともに、俺の手には黒光りするバットが握られていた。そのグリップは、まるでこれまで長年使い込んできたかのようにしっかりと手になじむ。
『うまくいきましたね。しかし、対価として貴方から“バット”をいただいた以上、“ボール”だけそこにあるのは不自然というもの。今回も前回同様、今の体でボールのあるべき場所へと存在を移し替えてさしあげましょう』
  続くその声とともに、股間から何かが体の中に潜り込み、それが体内を移動していく感覚がある。
  気色悪くもどこかで一度感じたことのあるようなその感覚に戸惑っている間に、胸には半円状のボールが二つ出現していた。その移動に引きずられたかのように腰回りの肉は落ち、ズボンがずり落ちそうになる。
『おや、やはり服が合わなくなってしまいましたか。では今回も、今の体に合うような服を拵えてさしあげましょう。ただ、せっかくの新春初夢の衣装が野球のユニフォームというのも野暮というもの。やはり正月は華やかでなければなりません』
  その声とともに、身に付けた服がぐぐっと姿を変えていく。
  袖がみるみる縮んでいき、白く細い腕が露わになっていく。上着とズボンが繋がり深紅に染まっていく。ズボンの筒が合わさって一つになると、側面に線が走りスリットを形作る。スリットの隙間からは、艶めかしい素足が顔を見せていた。服の下では二つのボールを何かが包み込むとともに、寄せて上げる形で固定する。
  これは……
  そう、それはいわゆるチャイナドレスだった。本来、俺が着ることなどないはずの衣装。だが、この生地、この着心地にはどこか既視感があった。ただ一点、深紅の布地に豪奢に施された金の竜の刺繍だけは真新しさを感じるが、全体的に、以前どこかで一回、この格好で派手に動いたことがあるようなないような……。
  脳裏に何かがフラッシュバックしかかったところで、俺は今の状況がそれどころではないことに気が付く。
  視線の向こうにいる虎、それが既に投球モーションに入っていたのだ!
「いいわ、かかってらっしゃい!」
  往年のホームランバッターよろしく片膝を上げスリットから生足が露わになるのも構わず一本足打法のフォームをとった“私”は、真ん中直球狙いで豪快にバットをフルスイングするのだった。



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