トップページに戻る

小説ページに戻る
 


ビア・オンザ・ビーチ
作:高居空


「へい、いらっしゃい!」
  暖簾をくぐって店の中へと足を踏み入れた俺を大将の威勢の良い声が出迎える。
  うだるような暑さの中、外回りの仕事を終えた俺は会社に直帰の連絡を入れ、そのまま歓楽街へと足を運んでいた。こんな暑い日にはやはりビールが恋しくなる。まだ日が暮れる前に一杯というのもいかがなものかとも思ったが、やはりあの冷たい喉ごしの誘惑には逆らえない。通りの居酒屋は準備中の所も多かったが、裏通りに暖簾が出ている店を見つけた俺は、迷わずその店に飛び込んだのだった。
  まだ時刻は17時前という事もあってか、こぢんまりとした居酒屋の店内には俺の他に客の姿はない。俺はカウンターの椅子へと腰を降ろすと、早速飲み物を注文した。
「へい、生中1つですね!」
  そう言って大将がビールを用意している間に、俺はお通しの枝豆を口に運びながら壁に貼られた一品物のメニューに目を通す。
  と、そこで俺はメニューの脇に一枚のポスターが飾られている事に気がついた。青い空と海、そして白い砂浜をバックに赤いビキニを身につけた健康的な美女がジョッキを片手に微笑んでいる。
「おや、お客さんひょっとしてその娘のファンですかい?」
  小麦色の液体の入ったジョッキを俺の前に置いた大将がニヤリと笑みを浮かべる。
「いや、別にファンとかそういうもんじゃないよ。ただ、一度で良いからあのポスターみたいなシチュエーションでキンキンに冷えたビールを飲んでみたいと思ってさ」
  そう答えながら俺はジョッキのビールを一気に飲み干す。うん、うまい。やはり暑い日のビールは一味違う。こんな場末の居酒屋でさえこうなのだから、もしもあのポスターのように真夏の太陽が照りつける砂浜でビキニ姿の美女に勧められて飲む冷えたビールの味は、きっと言葉では言い表せないぐらい最高の物だろう……。
「へえ、お客さんもそう思いますかい。実は私もあのポスターのシチュエーションが大好きでしてね……」
  俺の言葉を聞いた大将は、何を思ったか突然厨房の下へと潜り込み、そこから怪しげなヘルメットのような機械を取り出してくる。
「どうです? 今日はまだ他に客もいませんことですし、あのポスターのシチュエーションを堪能してみませんか?」
「??」
  いきなり訳の分からない事を言い始めた大将に困惑する俺。だが、大将はそんな俺の事など意に介さぬかのようにもう一つヘルメットを取り出すと、それらに厨房の下から引っ張り出したコードを接続していく。
「こいつはうちのお得意さんが務めてる会社が作った装置でしてね。人の意識を仮想現実の世界に飛ばす事ができるっていう機械らしいですわ。まずはシチュエーションの元になる絵なり写真なりを機械に読み込むとそのシチュエーションにふさわしい舞台が自動的に作成されて、その後にこのヘルメットを被ると、被ったモンは元になったシチュエーションに沿った形で仮想現実の世界に入り込めるってことらしいですが……まあ、論より証拠。やってみれば分かりますわ」
  そう言って大将は自らヘルメットを被ると、もう一つのヘルメットを俺に差し出してくる。こんな怪しげな話、普段の俺だったら絶対に断るところなのだが……。
「へえ、面白そうだな。ちょっと試してみるか」
  アルコールのせいか何となくその機械に興味を持った俺は、面白半分でヘルメットを頭に被ってみる。
「それじゃあ行きますよ。3、2、1」
  次の瞬間、バチンという音が聞こえたのを最後に俺は意識を失った。





  体が熱い。
  刺すような太陽の光と砂の感触。そして聞こえる波の音。
  果たしてどれくらい意識を失っていたのだろうか。俺はクラクラする頭を振りながらゆっくりと上体を起こした。
  どうやら俺は砂浜の上に横になっていたらしい。まだ完全に焦点の定まらない目には、白い柔らかそうな砂がぼんやりと映っている。ということは……大将の言ったとおり俺はあのポスターの世界に入り込んだのだろうか?
「おっ、ようやく目が覚めましたかい」
  その声に顔を上げると、目の前には簾のかかった海の家らしき建物があった。その入口にキンキンに冷えていそうなビールジョッキを片手に持った大将が立っている。だが、大将の格好は先程店で見た姿とは違い、タンクトップに短パンという実にラフな服装になっていた。よく見ると肌も日に焼け健康的な小麦色になっている。
「ここは……」
  大将にこの世界の事を尋ねようとした俺は、そこで自分の発した声に違和感を覚える。
  なんだこの声は? やけに高くてまるで女のような……?
  何やら落ち着かない気分になって自分の体へと目を移した俺は、そこで衝撃的な光景を目の当たりにした。
  俺の胸には二つの大きな膨らみがあった。
  柔らかそうな二つの丘は赤いビキニで包まれ、胸と胸の間には立派な谷間が形成されている。下半身もビキニトップと同じ色の水着でピッチリと覆われ、そこに本来あるべき膨らみはどこにも見あたらない。
「こ、これはどういう……」
「どういうって、これがあのポスターのシチュエーションでしょうが」
「!?」
  訳が分からず頭がクラクラしてくるオレに、大将はニヤリと笑いかけてくる。
「おや? あのポスターの女の子、もしかしてお客さんは海の家の店員か何かだと思ってましたか? 残念ながらそれは違うんですわ。ほら、あの娘はビールジョッキを片手に持ってましたけど、周りにはビールサーバーもなければ海の家らしき物も写ってませんでしたよね。もしもあのポスターが客の視点から海の家の店員を撮った物であるなら、当然それらが背景としてなきゃおかしいでしょう。つまり、あの嬢ちゃんは海の家の店員ではないって事ですわ。
  じゃあ、彼女は何者で、どこでビールを手に入れたのか? 答えは簡単。彼女はビーチから海の家にビールを買いに来た客で、あの娘の視線の向こうに海の家があるんですわ。つまり、あのポスターは海の家の店員の視点で撮られたもの。それなら背景に海と空しか写ってないのも納得でしょう?」
「……!」
「そしてそのシチュエーションに私らを当てはめるなら、私が海の家の店員でお客さんはビールを買いに来た女の子の役っていうのが道理ってもんですわ」
「う……」
  た、確かにそう言われればそうかもしれないけど……でも、オ、レ……っ、あ、アタシが女だなんて……
「ほら、そんなところでくよくよしてたって何も変わりませんぜ? どうせ元の世界にはこっちの世界で日が暮れるまでは戻れないですし、楽しんだ方が勝ちってモンですわ。はい、まずは一杯。お客さんみたいな良い女なら、うちも色々サービスし甲斐があるってもんですわ」
  そう言いながら大将がジョッキを手渡してくる。受け取ったジョッキはもの凄く冷えていて、この照りつける太陽の下でグイッと飲んだらとってもおいしそうだ。
  ……そうだ、元々アタシは海辺の砂浜で夏の太陽の下、水着姿で誰にもはばからず好きなだけジョッキを傾ける事が夢だったじゃない……
「ありがと♪ それじゃ、いただきます♪」
  そう言ってアタシは海の家の大将に向かい片手でジョッキを掲げながらニッコリと微笑んだのだった。



トップページに戻る

小説ページに戻る