3月29日  巌流島



1612年(慶長17年)4月13日にこの地で、永遠に語り継がれるであろう歴史的戦いが行われた。
宮本武蔵と佐々木小次郎の一騎打ち。  別名、巌流島の戦い。

約束の時間に遅れてきた宮本武蔵と、待っていた佐々木小次郎の

武蔵「待たせた小次郎」   

小次郎「遅いぞ武蔵」

のやりとりはあまりにも有名。


武蔵が心理戦で、勝負開始予定時刻の2時間以上も遅れて到着し、小次郎の焦りを誘ったとも
言われている。長時間待たされ、平常心を失った小次郎に対し武蔵は、「小次郎敗れたり!」と、
船を漕ぐための櫂の木剣で小次郎の頭を痛打し、一瞬のうちに勝負をつけたと言われている。

破れた側、佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって命名されたと言われるこの巌流島へ、今日はインチキ
チヌ師との異名をとる3バカトリオが、デカいチヌでも釣れんかのぉと、取らぬ狸の皮算用でのこのこやってきた。

去年の丁度今頃、会長がここの釣りデッキでチヌを2枚釣ったとのことだったので、今日もデッキへ行く予定。
私の釣り方は、得意の紀州釣りで、団子は釣り場の水深と早い関門海峡の潮流に対応させるために
いつもより比重を重くして、完全に底狙い。


早朝5時半、巌流島に上陸すると渡船の船長がここの釣り場の釣り方について教えてくださった。

船長「巌流島は、完全にノッコミが始まっています。
   今は、北の釣りデッキよりも、南側の藻の中にチヌが集まっています。
   チヌは深場から浅場に移動してますので、棚は2m〜竿一本、丹念に撒き餌を藻の上に撒いて、
   藻の中からチヌを引っ張り出すような釣り方をしてみて下さい」 と。
                                              

それを聞いた私、完全なる底狙いで比重を重く練りこんできたバッカンの中の団子を見ながら思う。

「い、いきなりやらかしちまった?」


今日は釣りデッキでのんびりチヌを釣る予定だった3人であるが、チヌは浅場に移動しているとの情報を聞き、
どこに釣り座を構えるかを緊急会議。

結局、南側の藻場は釣り方が良く分からないのと、重たい道具を抱えての移動が面倒くさいとの理由から
当初の予定通り北側の釣りデッキで。  

買ったばかりのシマノ鱗海スペシャルアートレータを他の二人に見せびらかせながら団子をポイポイやってると、
永田名人が話しかけてきた。

永田「しかし、アートレータって、発売されたばかりやん?
   餌取りも居ない、しかもノッコミの浅場で食いの立つこの時期に競技用の高価な竿使って、敢えて意味の
   わからん団子釣りする人間って、日本中探してもタコ以外におらんのじゃない?
   ひょっとしたら、アートレータを使って紀州釣りする人間って、タコが日本で一番じゃないの?


紀州釣り、自分のではそれなりに考えてやってるので、意味がわからんとは大変失礼な話だが、
さすがに今日は永田の言う通りに失敗だったと思う。

ノッコミのこの時期には団子釣りは向かないということがわかり、とても良い勉強になったと思う私であるが、
とりあえずはまぁ、何でも一番って良い事じゃない? 
高価なアートレータでの紀州釣り、俺っち、その開拓者って奴よ。開拓者。


で、その開拓者が、高価な竿使って無意味にボットンボットン海に向かって団子を投げてると、
向こうの方でフカセ釣りしてた会長が叫ぶ!

会長「タコ、来た!」

見ると、会長の鱗海スペシャルが弧を描き、なにやら魚信を受け止めている。
レバーブレーキも良い感じでクルクルと逆回転しており、上がってきたのは32cmのチヌ。
会長、遂にレバーブレーキデビューである。


で、私、再び高価な竿使って、意味無くボットンボットン海に向かって団子を投げてると、
今度は、会長と同じくフカセ釣りしてた永田名人が叫ぶ!

永田「タコ、来た!」

慌ててタモ持って駆けつけると、上がってきたのは得意のボラ。
これだけ厳しい状況でも、きっちり結果を出してくるあたり、さすがはボラ釣り名人。

しかもこのボラ、水温が低いだけあって透き通るような綺麗な体色をしていた。
氏曰く、 「こんな綺麗なボラ、俺も初めて見たぜ!」とのことであったが、改めて見る彼の巧みの技に、
ただ敬意を表すのみ。


かの読売巨人軍の名将、川上哲治氏は現役時代、「ボールが止まって見える」との名言を残されたが、
永田にはきっと、ボラが止まって見えているに違いない。

ちなみに、川上哲治氏は宮本武蔵が晩年に記した、『五輪書』という本を愛読されていたそうであるが、
巌流島だけに、まさに宮本武蔵つながりと言ったところだな。


で、私。
浅場でチヌを浮かせて釣る今のノッコミ時期の釣りで、相変わらず意味無くポットンポットンやっている。

良かれと思って団子を練ってきた訳だが、ここには団子を突付く餌取りの姿も無く、ただ惰性で団子を
投げ続ける。

更には、釣り座を構えていた釣りデッキの西端、関門海峡独特の早くて複雑な潮流が私を苦しめる。
潮の流れは10分と立たないうちに、右へ左へ手前へ沖へと複雑に変化する。


釣りにならねぇなぁ、と、ボーっと海を見ていたら、何だかこう、感慨深くなってきた。

初めてなんだけど、なんだか懐かしいようなこの光景。
陽の光がキラキラと海面に反射し、幻想的な光景を創り出していた。


今からおよそ400年前のその日も、きっと今日の様に美しい陽の光が二人の伝説の男達へと
降り注いでいたに違いない。

二人は何故、戦わなければならなかったのか・・・

それは運命?  必然?


ふと、二人の軌跡を辿りたいと思った。

釣りの手を止め、吸い寄せられるように二人が決闘したと言われる砂浜へと向かう。

明るくてのどかで、その昔にそんな刹那の戦いが繰り広げられたとは想像もつかない。

砂浜を歩きながら、目を閉じてみる。

悲しき二人の戦士達は、ここで何を想い戦ったのだろう・・・。

白い砂浜に手を置いてみる。

400年もの昔の光景が目の前に広がるようで、ふと、ひとつの考えがひらめいた。


ひょっとしたら、関門海峡のこの複雑な潮流を、武蔵は知らなかったのでは?

朝、目覚め、唐戸から決闘の地である巌流島へ船出した彼は、
「まだまだ約束の刻までは時間があるぜい!」と余裕ぶっこいていたのだが、潮が西流れから
いきなり東流れに変わり、まったく進まなくなった船を見て、

武蔵「おい船頭、急げっちゃ!」   とか、言ったのではなかろうか。

それに対し、

船頭「そんなことゆーたて、流れが速くて船が進まんのじゃい!」

武蔵「アホかっちゃ。小次郎との約束の時間に遅れるじゃろうがい!」

船頭「知らんっちゃ。そんなら何でもっと早く宿を出んのかっちゃ。」

武蔵「はぁっ?状況がどんなであれ、船漕いで時間に間に合わせるのが船頭の仕事じゃろうがい!」

船頭「何や?自分が寝過ごして宿を遅く出たことは棚に上げて、遅刻は俺の責任なわけ?
   あー、もう、頭来た。二刀流の武蔵かなんだかわからんけど、この二本の鉄の刀が重いけー
   船が進まんのじゃい。こんな刀、海に捨てちまえ。ポイッポイッ。」

武蔵「あぁー、何てことしやがる。俺の二刀流の二本の刀、刀が無いと小次郎と戦えんじゃろうがい!」

船頭「はっはっは、そんならこの船を漕ぐための櫂でも使って、小次郎と戦えばええじゃろうが。
    がっはっは。ええザマええザマ。」


ってな感じで刀を失ってしまった宮本武蔵は仕方なく船を漕ぐ櫂で小次郎と戦ったのではなかろうか。

あー、やべー、ここに来て歴史の真実を解き明かしてしまった。

よし。 今日はもう、これでいいや。満足満足撤収撤収。


え?  今日は巌流島に、何しに来たのかって?
そんなもん、観光に決まってますやん。

アートレータ?  曲がりましたよ!
団子の重みで、ぼよよんぼよよんと。

さぁ、帰るべ帰るべ。


そして、撤収間際に会長がまたやってくれた。

チヌ釣って活かしておいたスカリが、釣り座下のケーソンの中に入り込んで、取れなくなってしまったのである。

船からスカリを救出するために先に渡船に乗り込み、船上から会長を激写。


今日もアホ面会長の、素敵なアホアホ写真が撮れました。
めでたしめでたし。






うぉー、デカいの来た〜!
本命のボラだぜぃ〜♪

イェイ!
武蔵と小次郎の決闘の地。

ちなみに、会長が昔飼っていた犬の名前も武蔵。

餌をあげても何しても、ワンワンゆーて吠えられた。

動物が得意の私であるが、
生まれて初めて友達になれなかった犬が、
会長の飼っていた武蔵である。

あ、二人が戦ったと言われる砂浜に、
何かそれらしいもの発見・・・
「船頭がよ〜、

俺の二本の刀をよ〜、

海に捨てちまったんだよ〜!

もう、大人達なんて信じられないぜ。」
あー、やばいやばい、
スカリが引っかかった・・・
イェイ!

チヌは釣れたけど、
スカリがケーソンの中に入って
取れなくなっちまったぜい!

お〜いみんな〜、助けてくれ〜い、  イェイ!